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2018年06月17日(日) コーラルのおもい

昨日は息子の6歳の誕生日でした。

今の思いを残したいなと日記帳を開いたら、
数年前に書いた自分の日記が出てきて、
読み返すと涙が出ました。
あの頃の私は、変わりたいという思いと、
本当に変われるかという不安を抱えながらも
新しい自分になろうとしていました。
日記を書いたことも覚えてなかったから、
過去の私からのメッセージをもらったみたいな気分。


息子が生まれたとき、
この子のために何ができるか…
足りない頭で、ズタズタの心で、考えていたんです。

息子に会えてとってもとってもうれしくて、
本当に会いたかったって思いました。

だけど…

こんなに幸せなのに、なんでか悲しくて、
わからなくて涙が出ました。
悲しいことが、申し訳なくて申し訳なくて、
もっと涙が出ました。
この世界は素晴らしいところって息子に教えてあげたいのに、
私はこの世界で苦しんでる。
その矛盾に、心が引き裂かれるようでした。

無茶苦茶に生きてしまった人生を、自分自身を、
どう後悔しても、もうどうにもできなくて、
どうにかしようと必死に生きてきたけれど、
どうにもできなくて。
ああもうお手上げだと、
降参ですと、思ったその日が、
私のターニングポイントでした。

この世界は素晴らしいところだっていうことを
伝えるために、
私がそういう人生を生きると、私は変わりたいと
心から思ったんです。

頑張っていても、
この6年間、
自分を責めることばかりでした。
息子のために、全然できてないダメなお母さんで
本当に申し訳ないって、そんなことばかり思ってました。

そんなこと言うと、
息子はすごく怒ります。

大好きな人を否定されることは、
自分自身を否定されていることと同じくらい
辛いことなんだよね。

無条件に私を愛してくれる息子の姿を見て、
何度救われたことかわからないです。

そして身勝手に、
何もできてない自分を責めては
また息子を傷つけたりしていたんだろうなと思います。

でも、
私この数年間
ちゃんと、頑張ってたなって。
思い出しました。

私は一生懸命生きてます。
愛を知って、
愛を感じて、
辛いことがあっても、
幸せだと思ってる。
ダメな自分にへこみながらも、
変わっている。

変われるかな…って不安に思っていた私はもう
すっかり変わっています。

息子に会えたことで、
私はこの世界が素晴らしいところだって
知ることができたから、
人のことを信じられないなんて悲しいこともなく
あなたのことを信じてる。
自分の心の中にある愛を信じてる。
やっぱり息子は私の救世主。
私のためにやってきてくれた。

そんな彼のために私ができることは、
私が私の人生を生きること。

ちゃんとしたお母さんがいいかもしれないけど、
私には無理だし、それを自分で責めても仕方ない。
そこは息子の人生の課題として私がいるのかもしれないし、
私ができること、
それは私が楽しく笑っていること。
泣いてもいいけど、
最後はまた笑っていること。

この胸の切なさを
感じられる、
愛なのか何なのか、
魂はここにあるって
教えてくれるこの感情を
いつでも尊く思います。

神はここにあると、
教えてくれる。

そして今は、
何度生まれ変わっても、
私は私でありたいと
思うのです。

そう思って生まれてきたはず。

私は私を愛してる。

そのことを思い出したように思います。

私に愛を教えてくれる、
息子に彼に、
私にかかわってくださる全ての事、全ての方達に
感謝します。

全てがレッスン。
思い出すための。



2016年11月09日(水)

恋愛からは色々なことを学ぶことが出来るんですね。
ロマンス…だけれど、それはある意味、自分自身の心との対話で
人生において、美しい経験だと感じます。
辛い恋の裏側には、自分の問題が隠れています。
自分自身を知るために、恋をするのかしら?


2015年05月02日(土)

不安だらけだった気持ちが少し落ち着いた。
彼の態度に一喜一憂してるだけかもしれないけど。

彼は私の救世主だったみたい。

私が助けるなんて思ってたけど、逆だった。

彼の問題を私の問題にすることはできない。
私はただ見守り、彼を想い、信じて、そばにいることだけ。


今までずっとやめられないでいた依存を断ち切らせてくれた。
不安を断ち切らせてくれた。

息子の心に気付かせてくれた。私が同じことをしていることを。

そして家族からの旅立ちを。
私が私の人生を歩めるように。


私は、彼の問題を私の問題にすることはできないし
もうしない。
彼の苦しみを分かち合うなんてできない。
彼を見て心が痛んでも、それは彼の苦しみとは違う。
彼が私を見てかわいそうだって思うこころと同じ。
こころに触れることはできないけど、分かってくれている。
私も同じでありたい。

心には触れられないけど
体には触れられる。
体温を通して、伝えることができるのね。
そんな大切なことなのね。

何も知らない身体だった。

愛を知らない身体だったから。

これからたくさん教えてもらいたい。






2015年03月28日(土)

カウンセリングを続けながら、
セルフケアで自分を大切にすることということとは
何だろうということを考えて実行してきました。

自分を大切にするって・・・・・・

大切にする・・・

大切って・・・

私には本当にわかりませんでした。


私がどうなろうと私の勝手でしょって、
私は私を傷つけまくってきたんだなと思います。


自分を大切に出来ない人は、人を大切にできないということも
言われたら悲しかったです。

じゃあ私がやっていることは何なんだろうと。

私は自分を責めてばかりいました。


人が私のことをどう思っても、大丈夫だよって言ってくれたとしても
私がそう思えなけば意味がなかったんです。
支えようとして言ってくれる人もいたと思います。
でもその言葉は逆に偽善的に思えて、余計に壁を作ってしまっていました。
何も信じられないでいました。


逆に私はお前なんて人間のクズだって
言われていた方が楽だったんです。


最初は地獄でしたが
慣れてくると、私もちょうどそう思ってたんだっけ、みたいな感じで。
なじんできます。

最終的には、
私の悪いところを指摘してくれてありがとうございますみたいな、
そんな気持ちにさえなるのです。

自分でも訳が分かりません。
遠くの方に光がみえても、いけどもいけども辿り着けない。
たまに消えちゃう…深い闇の中に長いこといたなと思います。


何に依存しているんでしょう…。

単に何も考えたくないんです。

本当の本当に向き合うべきことからの、逃避です。
自分自身を否定することで肯定していたのかもしれないです。
お前らの好きにはさせないぞってね。
私は私を自由にできるって。

支配から逃れたい、でも支配されていないといられない。
どっちがどっちなのかわからない永遠ループが始まって。

その為の刺激が必要だった。
その為の言い訳が必要だったんです。
頭の中も体もグチャグチャにしてしまえば、
本当に見なくてはならないものに目がいかない。
ちょうどいい。

でもその時が一番本当の自分で生きている感じがしたんです。

こわくて気持ち悪い世界の住人でした。
狂っていたのかもね。


そこから抜け出したくて、必死になって、
正直抜けられたような抜けられないような…

気を抜いたら、いつでも待ってるよって言われてる気がする時があるけど、
振り返らずにいけますかね。

強くなれますかね?
強くなりたいです、もっと…。


後には大きな大きな闇があるような、
とてもこわくなる。

こわくなるけど、

でもその世界も全部私が作り出したもの。
そんなものは存在しないんです。

自分とは生と死の繋がり。

だから私は、いま新しい私になれる。

私は駆け抜けていきたいです。




2013年10月29日(火)

生きながら苦しんでいるけれど・・・
私たちの人生に終わりがあることが考えられない
いつかは必ず終わりが来る
子供を産めるとおもわなかった
でも子供は産まれて
彼の人生ははじまったばかりだけれど、
必ず終わりがある条件付きで生まれた
生きるものは全て
人生は驚くべきことの連続だ
今は苦しんでいるけど、
そのうちは笑っているかもしれない


2013年10月22日(火)

敷かれたレールを外れてしまって彷徨ってると思ってた。
それさえ、レールがあるという思い込み
自分の中では、ぐちゃぐちゃな人生。
私のアイデンティティはどこ?

ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ…
ごちゃまぜにして、こねてこねて、

ああ、結局は型に入れるんだ。

あはは。

知らなかった知らなかった。

私はマニュアル通り。型にはまる。
マニュアルは幾通りにもある。

決して珍しくないケース。

ただ嬉しくない、苦しい、それだけの。




2010年12月08日(水)

こんな私の話を聞いてくれて、それはやさしいからだよって言ってくれる人がいる。
どうしてそんなことを言うんだろう。
やさしさを知っているのはあなたのほうで、私が見たものは悲しい現実だけだよ。
それでもどうにも出来ない、人のどうしようもなさ。
まだ私がその言葉を望んでるように見える?

わからないなら、わからないままでもういいのかも。
どんなに願っても、叶わないこともあるし…
だとしたらその願いは虚しいといってしまえば虚しいけど、
私がそれを愛おしいと思えば、それは愛おしいものとして私の中にあり続ける。
でも本当は知ってる。それってただの、臆病者のきれいごと。
胸をつかまれるような苦しい感じは、ずっとずっと続くよね。
目を閉じれば、どこへでも広がってしまう。
夢の中で、幻が見えることもあるよね。
ああ、それも、
傷つきたくない、ただのよわっちい人間の言ってること。
でも要領が悪いから、ダメね。

色々あるよね。本当に。


2010年09月22日(水)

ずっとずっとあたためていた大切な思いがある。
だけど思ったところでどうすることもできない。
私の大切なおもいが、こころ以外のどこかにいくことはないし
私が見ているもの、他の大事なものはまったく別のことで。
ただの、本当に、こころの奥の、かってな大事なものなだけなんだけど。

ただ、時々とっても悲しくて、胸が苦しい。
人間どうしても欲が出てくる。誘発される時もあるし。
そう、それが苦しいんだ。
そして、あまりの意味のなさに、私って一体なんなんだろって・・・
もうこんな気持ち捨ててしまわないといけないの?って
もやもやした気持ちに包まれていたけれど・・・

やっぱり、そんなのやめた。
私が恥ずかしい人間だろうと、気持ち悪かろうと
誰にも関係ない。
それがどこかにいくことはないし、
私の中だけのこと。
ただ単純に好きなだけで、
私にとってはその気持ちだけがずっと救いだった。

誰かをおもう気持ちって、純粋で綺麗なものだけじゃないよね。
人の心ってすごく醜いときもあるよね。
それでも、おもわずにはいられない。
もとをただせば、小さなあたたかいやさしいものかもしれないのに、
膨らんでしまう。

私が幸せになれなかったのは、
だれのせいでもなく、私自身の問題。
それは複雑なようですごく単純なこと。
愛を粗末にしたらいけない。
もっともっと愛を大切にしなければいけなかった。


向き合うことをやめたら、
必ず自分に帰ってくる。
そのツケが自分を苦しめてるなんて事にも気付けずに
またむこうを向いてしまう。

私が勝手に作り上げた、
ただそれだけのことなんだとは思う・・。
だからこそ、これ以上もこれ以下もなく何もない。
それでいい。

感謝しなくては。
あの時は、こうでもなかったら、
明日のことを考えられなかった。
忘れてはいけないよね。だけど望んでもいけない。
何もかも私が勝手に作り上げたもの。
この虚しさも全部うそで、おもいたいからおもってる。
だからこれからも
ずっとずっと、ずーっと、おもってる。
そうすれば私はずっとずっと、自由でいられる。



2010年01月27日(水)

はっきりとした理由もなく落ちてしまうひがある

自分がわからなくて、理由などなく、ただただ悲しくなる
嫌ならば赤ちゃんみたいにぎゃんぎゃん泣けばいいのに、大人になるとなぜかそうもならない




そういうときはひたすら寝るか
いやがおうにも無理矢理に自分以外の人間とかかわることで薄れる


いやなことがあったとき、子供の頃から現在に至るまで、その問題が大きければ大きいほど、さらに自分を結果的に追い込む別のものに、入っていった

もちろん昔はそれが自分が救われる道と信じていたのかもしれない
よく思い出せないけど

けれど本当はしたくないことを、してしまう
その問題から目を背けているだけで、新しいとこにいったからといってそもそもの問題が消えてなくなるわけじゃない
心から消したいだけで、けすためにもっと私の心を占めてくれるものの元にいくだけ…

幸せな気持ちやうれしい気持ちや楽しい気持ちに比べて
怒りや憎しみや悲しみ苦しみの気持ちのエネルギーはすさまじいものがある
幸せな気持ちより悲しみや怒りのほうが心を簡単に占拠してしまう
あっというまに

手っ取り早く

そのこと以外は何も考えられないほどになる

そうあってほしくないことを、選択していったのは自分自身で、ほかのだれでもなく、
いま現在もこれから先もずっと、自分自身が選択できる可能性のほうがきわめて濃厚で…


私も幸せやうれしい楽しいを知らないわけじゃない
普通に日々感じる瞬間もある

ただ、だんだんその基準もわからなくなり、何がなんだかわからない


自分の望む方向には全く進むことができないのに、実はそれ自体が望む方向なんて皮肉すぎる

しだいに我慢しながらすることに平気になっていく
気付いたらずっとそんななかにいて、完全に心が麻痺していて、
あらためてじっくり考えることをしないかぎり、それに私自身が心を痛めてることにさえ気付けないことも
むしろそれが平気になったら、そこが私の定位置だと思う
思ってる

そこから上にも下にも右にも左にも怖くていけない


平気ならそれでいいじゃないか、になってしまう

自分でもしらずしらずのうちに、
まるでなにかに操られてるかのように自分の心を縛る自分から、逃れることが出来なくなる

そうすることでしか、生きていく道がみつからない


愛がなんなのかとか、幸せがなんなのかとか、知らないほうが苦しくなかったしこわくなかったかもしれない


林檎は食べたらだめと言われたのにね

そのものを失おうが、かわった世界は変わったままだ

去年ようやく気付いたことなんだが、私は救いようのないばかだということ

ばかだろうなとは思っていたが、半信半疑な部分があり、認めたくないとかそんなじゃなく、本当に気付いてなかったのだ

だが、知ってしまった


気付いた瞬間の衝撃はすごかった
世紀の大発見のような、新たな境地をみたような、ってそんなこと知らないけど、よくある言い回しでしかつたえられないが、そんな心境だった


この落ちてしまうのは、馬鹿を発見したがどうにも対処のしようがなく、たまにおこる発作のようだ


弱い…本当になんて弱いんだと、ただただ嘆くばかり

そしてまた再構築されていくのだろうか…


2010年01月16日(土) 2010

まだ状況は同じ


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