2007年04月15日(日) 4/15の佐藤研二ソロの感想

3月21日の坂本弘道から、4月7日のふいご、8日の内橋和久、そして4月15日の佐藤研二、と、ここんところうちの店としては過密なライブスケジュールでした。ホント言うと、動員のことや、それから私たち自身がじっくりとそのライブの余韻に浸りたいという面から言っても、うちの店でのライブは1ヶ月に1 度ぐらいがいいんだけどなあ。でも、オファーがあると、そのどれもが魅力的なので引き受けざるを得ないといった具合なのです。

で、日曜日の佐藤研二ソロ。
昔はこんな感じですよ!
マルコシアスバンプ時代の映像。音も映像も悪いけど、ベースの音がむちゃ際立ってます。
http://www.youtube.com/watch?v=Fq-squmqwr8

それがねえ、今ではおなか出ちゃって、髪も上のほうは少し薄くなってて。(ごめんなさい・・・!)
でもさ、弾いてる時は、すっげー美しく見えるのね。見えるってのは違うよな、あれは本当に美しい顔だ。
うちの店でいろんな方がライブをやってくれてますが、演奏している時に最も楽しそうで最も幸せそうで最も美しい、それを見ているだけで胸が打たれてしまうほどの表情で演奏する人というと、佐藤さんが一番なんですよ。

佐藤研二さんは、坂本弘道さん、そして三木さんという方の3人で、KOTSU-KOTSUというチェロ三重奏のバンドをやっています。
で、ちょっと坂本さんの話になりますが。
坂本さんって、先日のライブで感じたのですが、なんだか自分の身の回りに起こる事象をネガティブに捉える方だと思いました。ネガティブに捉える、またはネガティブな面を中心に見据える。そういう目で捉えた世界を、演奏することでぐわんっと引っくり返し、あの美しい音楽世界を作ってしまうのではないかと思いました。
坂本さんの話を聞いていると、坂本さんの周囲には悲惨なハプニングに満ちています。そこで坂本さんはいつも、血だらけになってしまったり、大切なチェロが破壊されたり(自ら、なんだけど)、アンプが破壊されたり(自ら、だけどね)ということが起こるようです。しかし、まるで壮絶なカオスの中で起こったようだけども、かなり冷静にそれらを見つめながら、そこにある一瞬を演劇的に展開させていくのを虎視眈々と伺っているような、演出家としての目、というのも、持っているような人だと思いました。

で、佐藤さんはまたこれ、その坂本さんと対極、と言ってもいいのでしょうか? まあ、大体、坂本さんとだってまだ間近にお会いしたのは3回で、佐藤さんとだって2回しかないので、知らないことだらけなんですけども。
佐藤さんは、弾いている音楽がどんなに難解なものだろうと、または高度なものだろうと、ただ、もう全面的に演奏しているということの楽しさを前に出してます。もうこちらまでその多幸感でとろけそうになるぐらいに。
音楽プロデュースもされているし、作曲もなさるけど、やっぱり佐藤さんは「プレイヤー」って感じの人かなあー。

実はまた、坂本さんに引き続き、佐藤さんとも朗読をさせていただきました、私。坂本さん同様、佐藤さんも関わっている川上未映子さんの本、「そら頭はデカいです、世界がすこんと入ります」から。前日、佐藤さんとの電話で、急遽やることにしたのです。
当初は坂本さんともやった「私はゴッホにゆうたりたい」だけの予定でしたが、当日になって佐藤さんが、
「1ステ2ステと、2つやりましょう」
と言って下さり、それを断る手もないわけで。
それで、急いで選んだのが、まだ読んでもいなかったページにあった、これ。
「春におそわれる」
http://www.mieko.jp/blog/2006/02/post_9265.html

そして、2ステに「私はゴッホにゆうたりたい」でした。
http://www.mieko.jp/blog/2005/03/post_3.html

坂本さんの時は、もうむっちゃくちゃ緊張しましたよ。喉はずっとカラカラで手は冷たくなって、もうなんにも見えんくなるし。
でも、これまた坂本さんと佐藤さんの特性の違いだと思う。今回、私はこれっぽっちも緊張しなかったのでした。私が慣れたとか、そういうのとは全く違うのです。
ただ、それは、「ただそういうこと」なだけで、出来上がったものは、どっちがどうだったかなあー・・・。私にはまだわかんないや。わかんないので、私もまた、やらしていただけたら、と思っているのです。

大変長くなってますが・・・。
ライブ終わりに、泣いてる女性がいたの。
ずっと、マルコシアスバンプ時代からの佐藤さんの大ファンで。
やっぱ、マルコシアスバンプファンは、年齢も私と結構近いぐらいなのね。だから、多くの人は結構、ライブから離れてしまっている人も多いのではないかなあ。この女性も、佐藤さんの演奏を聴くのは10年ぶりぐらいらしい。
で、終盤で、ボロボロと泣いている。
そう言えば、うちでやるライブでこういったことってなかったよなあ。
でも、私はさあ、すっごくその気持ちがわかるよ。
この人はきっと、過去の、激しく追っかけをしてたころの、楽しかったことや熱かったことやつらい思いをしたこと、でも何よりもやっぱり楽しかったことが走馬灯状態で、でも今、この一瞬のライブの時間が終盤に来て、それはまるで、「明日で世界が終わります」という宣告と同じぐらいに悲しくて、もうそれで泣けちゃって泣けちゃって涙が止まんなくなっちゃっているのでしょう。
私も、それから佐藤さんのマネージャーの女性も、その後ろでもらい泣きしちゃって、最後の演奏を聴きながらやっぱりボロボロと泣いてたのです。




2007年04月08日(日) 4/8内橋和久ソロライブ感想

内橋和久ソロにご来場下さった皆さん、ありがとうございます。
内橋さんは5月にTOKUZOで吉田達也さんとのDUOがあるようです。話題沸騰のドラびでおのライブもあるそうです。

内橋さんはもうすぐ、吉田達也DUOの3枚組アルバムも発売されるそうで、そのゲストに佐藤研二さんや小森慶子さん、ナスノミツルさんも参加しているとの事です。

さて、今回の内橋さんは、ダクソフォンはなく、ギターとエフェクターのみで、演奏は音響系、と言ってもよいでしょう。非常に研ぎ澄まされた、というか、凄みのある、といった感のある演奏でした。
あのエフェクターやらのスイッチやらなんやら、私はさっぱりわからんのですが、もうパチパチいいまくってます。もうどんだけの秒数ってゆうか、本当に細かい細かい具合で音を変えたり増幅したり。それ、そのスイッチやらなんやら、内橋さんは
もう全部、わかっているの? という愚問を、今回もするのを忘れてしまいました。
ものすごい操作で音を彩っていく人です。



2007年04月07日(土) 4/7のふいごライブの感想

「ふいご」にご来場くださった方、ありがとうございます。
終わったあとで話してたことは、「ああ、こんないいバンド、もっといろんな人たちに聴かせたかったねえー」ということ。

古池さんは名古屋出身。大学の時に上京して、その後、渋さ知らズや藤井郷子オケなどに参加。
今回も、関島岳郎さん中尾勘二さんという手練れのミュージシャンを従えての「ふいご」。

「ふいご」は早くCDを出すべきですね。
古池さんの曲はなかなかいい感じで。たくさんの人が聴いたらいいなと思うような曲です。
中尾さんのサックスの音色に、ふとコンポステラを思い出したりして。

ところで古池さんてのは妙な人だ。話すと、なんだか情けない話ばかりになる。情けない人っぽいんだけど、その反面、なにやら図太さを感じる。図太いってゆーか、その根幹の部分は例え細くともなんだか絶対に折れず千切れず、っていう印象です。
で、だからこそ、この関島さんと中尾さんのお二人と一緒に、「ふいご」というユニットをやっていられるのかもしれないと思ったのです。
関島さんも中尾さんも、とっても優しい人だけど、優しいんだけど厳しい方たちだとお見受けするよ。そこを一見飄々とした風情で「ふいご」というバンドを成立させている古池さんに、これからも非常に期待を寄せてしまいます。



2007年03月21日(水) 3/21の坂本弘道ライブの感想

昨夜も今朝も、あれほど注意深く掃除をしたのに、ランチタイムのあと、踏まれて砕けた真っ赤な小豆を一粒、床の上に見つけた。切なくなった。

夕刻に、ああ、今日は亀山の「月の庭」で、また坂本さんはチェロを弾いているんだ、格闘するように。と思って、行きたいなあ行けないなあと遠くを見つめてしまった。

昨日は坂本さんの音楽と、坂本さんにまみれた1日。

リハの時、TAKEDAと顔を見合わせた。
「すごいね、これは!」
私たちはシカラムータと大友+さがゆきのバンドでしか、ライブの坂本さんを知らなかった。ソロCD「零式」には惚れこんだ。でも数年前に発表されたこのアルバムと現在のライブは随分と違うのだろうと思っていた。
しかし、生のライブはこの大好きなアルバム以上のものになりそうだ、と予感した。
リハが終わり、1枚ずつバラバラになった暦を、いかにもランダムな感じを装いながら、その実、丁寧に床に置いた。そして開演までの時が待たれた。

私が少しだけ知っている坂本さん。それは映画や芝居が好きで、話が面白くて、でもその話は少しだけ視点がネガティブで、ご本人は真剣なのにそれがなにやらマヌケな感じで、どこか隙だらけに見える素の坂本さんだった。
ところが、リハ、そしてライブの坂本さんの張りつめ方はどうだろう。顔が、え、そんなバカなと思うほど、とにかくむちゃ美男子になっている。
ああ、そしてもう、音楽は壮絶だよ。美しくて。
もうバカみたいだ、こうやって言葉で表すことが。今日もいろんな人に昨日のライブを話してみたけど、ダメだ、あんな音楽は私の言葉で説明できない。

坂本さんの音楽は、ドリルも、グラインダーも、暦の使い方も、チェロの上に降り注ぐ小豆の音、そしてチェロの中で転がる小豆の音も、それはある種、演劇的な発想であるけれども、その総てが坂本さんの音楽を成立させていくものになっていくのが凄いです。
あの、圧巻の。床でうねる電動マッサージ機の音。激しくなっていく、弓や、鉛筆や、グラインダーやドリルで奏でるチェロの音色。坂本さんの体から滲み出る凄まじい音楽のオーラ。もうすごくてすごくて、むちゃくちゃ心に揺さぶりかけられて、その壮絶さに震えが来て泣きそうだった。私が純粋な客だったら、間違いなく泣いていたかもしれん。


ライブのあと、楽器とセックスするタイプの人間と、楽器と格闘するタイプの人間がいて、自分は後者だろう、と坂本さんは言った。格闘。壮絶な、愛ゆえの闘い。何と闘っているのだろう。「楽器と」という言い方をしてたけど、違うな、「楽器」じゃないな、相手は。何か、坂本さんにしか見えない愛しい化け物と、だろうか。
自分にとって演奏は引きこもりのような状態で、世界と自分を繋ぐのは今、出している音だけのように思え、そして自分は時にネガティブな気持ちになり、とても孤独だ、とも言う。それを聞いてすごく納得した。シカラムータでも大友さんのバンドでも感じたんだ。坂本さんだけ時折、バンドの中にいてすごく異質な立ち位置にいるように感じる瞬間が何度もあったのだ。その雰囲気がとても印象的で、その時は「何だろ、この人は。何か怖いな」と思ったのだった。しかし、そういうことだったのか。
観客は目の前にいて、それは本当はちゃんと頭の一部で意識しているのだろうけど、しかしからだの真正面から向かい合っているのは客ではなく、自分とその音楽なのだというような演奏だった。
それぞれの人に様々な音楽との向き合い方、楽器との向き合い方があるが、この胸をわしづかみにするような壮絶さは、この坂本さんの音楽に対する姿勢から生まれてくるのだと、そう思った。


さて、ライブが終わり、その後いろんな話をして、片付けもして、残ってくれた人や手伝ってくれた人もみんな帰り、私とTAKEDAと坂本さんだけになった。坂本さんから握手を求められ、私たちは順番に握手をしたんだ。ぎゅっとね、手を握って。そして、「じゃ、おやすみなさい!」と言って帰る坂本さんの後姿がさ、なんだか急にぴょこぴょこしてさ、軽やかでさ、むっちゃ可愛いの!
やだやだ、何?この突然の可愛さは!!
この日一日、それまでずっと坂本さん、可愛さなんて出してなかったのよ。
これとおんなじ感じを前に味わったわ。
竹内直さんだ。
直さんも、おわかれする時に、いっきなり可愛くなっちゃって、私は胸がきゅうんとしたんだよ。
この2人の共通点はさ。まず2人ともストイックで求道的だと思うんだよ。
それから、本人の話が面白いってのとは別の次元で、この人たちはコミュニケーションを取るのが苦手だと思っているのだよ、きっと。でもすべてが終わって一人に戻ったとき、ようやくその日の自分の音楽がよかったなとか、そういった幸福感が湧き出して、それを一人で体いっぱいに受け止めて、そういった感じがなんだか溢れんばかりの可愛さとなって表出しちゃうんじゃないだろうか?
演奏中の美男子だった坂本さんとはまったく別の顔になって、どこか弾むような足取りで帰った坂本さんに、また一層惚れてしまったのだった。



2007年03月20日(火) 4月8日(日)●内橋和久ソロ

同じく、マタハリでのライブです。

●内橋和久ソロ
日時:2007年4月8日(日) 18時00分開場 19時00分開演)
チャージ:3,000円(1ドリンク付)

マタハリにて2回目となる内橋さんのソロです。

多様なエフェクト使いで知られるギタリスト、内橋和久。
90年に、ナスノミツル、芳垣安洋と共にアルタードステイツ結成。
また、劇団維新派の音楽に20年以上に渡り携わっていることでも知られる。
共演者はミュージシャンだけにとどまらず、舞踏家、
ダンサー、美術家などとのコラボレーションも多数。
90年半ばごろから神戸を拠点として、
即興音楽のワークショップや自身のプロデュースによるフェスティバル
「BEYOND INNOCENCE」を開催し、
若手ミュージシャンの育成とミュージシャンの交流に貢献している。
現在は、UAのプロデュースや渋さ知らズへの参加などでも知られている。
活動の拠点は関西から東京へ、そしてヨーロッパへととどまることを知らない。



2007年03月19日(月) 4/7 ふいご<古池寿浩・関島岳郎・中尾勘二>ライブ

マタハリにて「ふいご」のライブがあります。
日時:2007年4月7日(土) 18時30分開場 19時30分開演
チャージ:3,000円(1ドリンク付) 

来る4/7(土)に渋さ知らズや藤井郷子オーケストラなどでお馴染みの古池寿浩(トロンボーン)率いる脱力系不思議音楽ユニット、ふいご。

メンバーはコンポステラ・ストラーダ等でお馴染み関島岳朗(チューバ)・中尾勘二(サックス・クラリネット)の強力コンビ。
ふいごは古池寿浩氏のオリジナル曲を中心にコンポステラなどで取り上げられた中尾勘二氏の曲もやるそうで・・・
その曲想は洗練されているようでいないような、
哀愁があるようでないような・・・
なんともおかしな感じの音楽。

その不思議空間にあなたも足を踏み入れてはいかが?

プロフィール詳細は、こちらをご覧ください。

「ふいご」




2005年08月29日(月) 藤井郷子オーケストラ(名古屋)TOKUZO review

昨年末にリリースされた「藤井郷子オーケストラ名古屋バージョン」のCDは、なんとほぼ完売だそうだ。しかも国内の音楽誌だけでなく、海外の評論家から大絶賛らしい・・・。いやマジで。
ライブでの1曲目はCDタイトル曲でもある「Nagoyanian」。この曲を聴くといつも思う。この曲が「Nagoyanian」である意味を。
なんで名古屋? 名古屋ってどうなのよ?
コーヒーにあんこ、みたいな?
小倉抹茶スパゲティ、みたいな?
納豆とコーヒーゼリーとクリームが素敵なブレンドで混ざったサンドイッチ、みたいな?
そういったモノに対する、足元から忍び寄って来る不安感だとか、グローバル・スタンダード無縁、みたいな感じを受けるのが、この「Nagoyanian」という曲なのだ。
藤井さんの曲はリズム隊と管楽器がそれぞれ別のテンポ、リズムを刻むことがよくある。そこに「今」に生きる藤井さんの世界観が見えるようだ。いろんな事象が混沌として、美しい形で折り合うこともなく、別々のものとして存在しながら過ぎていく。例えば同じ時間に戦いと自然災害と平和となんでもない時間が同時進行している世界を俯瞰する、堂々たる不穏さ。そんな風景を音の中に見たんだ。(ロジウラのマタハリ 美尾りりこ)



2005年06月27日(月) 8/7(日)ERAライブ告知

2005年8月7日(日) 
ERA<鬼怒無月(g)+壷井彰久(v)DUO>ライブ
OPEN 午後6時 START 午後7時
チャージ 3000円(1Drink付き)

当店では2度目のERAです。
ボンデージフルーツ、Coilなどの様々な自己バンドを率いるギタリスト鬼怒無月。そのギターテクニック故、数多くのミュージシャンと共演している。
壷井彰久はエレクトリックバイオリンを駆使し、バイオリンという楽器の新たな可能性を追求し続けている。
その2人によるDUO、ERAは、とてもDUOだとは思えないほどの音の厚さと広がりを持っています。CDも良いのですが、ライブはそれ以上にずっとずっと良かった、と去年のライブで感じました。
リリックな楽曲にエモーショナルな演奏。それから奇妙な間を持つ鬼怒さんの喋りも楽しみの一つ! 非常に楽しめるライブです。

※ライブは限定30名様となっております。必ずご予約お願いいたします。
当日の緊急連絡先と人数をお知らせくださいませ。
電話 052-451-8533 (ロジウラのマタハリ 春光乍洩)
またはメールでどうぞ。




2005年03月05日(土) 田中もQさん、追悼。

2005年3月5日。もQさんが亡くなられた。享年47歳。胃がんだそうです。

私たちが最後にもQさんに会ったのは昨年秋のネッド・ローゼンバーグのライブだった。それ以前にがんのために入院し手術を受けたという話を伺っていた。この日のライブはネッドとニューヨークでレコーディングをした臼井さんの他、ゲストとしてもQさんも出演してネッドとのDUOを果たしたのだった。がん手術を受けたもQさん、という先入観があったかもしれないが、私はこの時のもQさんの演奏が良かったと感じた。何か「命がけ」みたいな、そんな空気を勝手に受け取ってしまったのだ。演奏の後、いい感じで笑い、ネッドと握手をしていた。以前と変わらぬ心優しき豪快さに安心して、ライブのあと、もQさんに声をかけた。
「入院してたんですってね」
「うん! 見る?」
もQさんはにこやかに笑いながらTシャツのすそをまくしあげた。おなかに、そのまんま子供がいたずら描きをしたような手術痕があり、言葉に詰まってしまった。その日のライブの時に配られたフライヤーの束には、もQさんのライブの情報に関するフライヤーも幾つかあった。これを完全なる全快と見るべきか、それとも・・・、とそんなことを心に浮かべたものだった。

2月半ばにもQさんがゲスト出演するライブがったそうだが、入院することになって出られなくなった、という話を聞いた。うわって感じ。やられたって感じ。心に浮かんだことはその時、言葉に出せなかった。こんなことを思ったのだ。「もしも私かTAKEDAがそんなに遠くない先に余命を宣告されたとしたら、頭の中でもQさんの顔を思い出すだろうなあ。もQさんがつぶらな瞳で笑ってるところを想像したら、ちょっとは恐さが薄れるかもしれないな」と。
まだ「入院した」という話を聞いただけで、それががんの転移のためかそうではないのか知らないうちから、もQさんの死を想像するなんてあまりに不謹慎で、そう思ったことをTAKEDAにも言えなかった。


もQさん、という名古屋の名物男。スキンヘッドのサックス吹き。
20代の頃、梅津和時さんがラブリーなどでライブをするのに行くと、大抵もQさんも聴きにきていた。また、30代の頃、大友良英さんのライブに行くと、そこにももQさんは来ていた。ちなみに私達はまだもQさんに面識もなく、だから私達だけの会話の中で勝手に「もQ」と呼び捨てにしていた。
「私達が行くライブに必ずもQがいるね」と。
もQさんは私達を知らず、こっちが勝手に認識していたそんな頃。
それがいつしか、もQさんと知り合うことになったのだ。

私は、TAKEDAが今のTAKEDAであるために、数人の男性がTAKEDAを助けてくれた、と思っている。手を差し伸べてくれた方は、それほどのことと思ってないかもしれないが、その手を掴んだ方にとっては、それは忘れられない記憶となる。
TAKEDAは心身の健康を僅かに損なっていた頃があった。
そのことに関して何も言わず、急に、路上で即興演奏のDUOをやろうと声をかけてくれたのが、ベーシスト鈴木茂流さんだ。これがTAKEDAにとって初めて他人と一緒にやる即興のライブだった筈だ。お客は私と、それから時折立ち止まる通りすがりの人だったけど。
その後、何の当てもなくただ楽器を持って遊びに行った今池春祭りで、一緒にやらないかと声をかけてくれたのが、ギターのガイさんだった。そこに松本健一さんや「なんや」のぷよさんや、そしてもQさんがいたのだ。その後しばらく、本当に気持ちよく流されるままにTAKEDAはいろんな人からの誘いを受けた。いろんなライブの場所を用意し、いろんな人とのセッションに呼んでくれた人、それが臼井さんであり、そしてもQさんだった。鈴木さん、ガイさん、臼井さん、そしてもQさん。TAKEDAはこの4人の人たちにものすごーく救ってもらったんじゃないか、と私はずっとそう思っている。

さて、もQさんは怒ると恐い人、という話をよく聞いていた。根が真面目で怒らすと恐い、ケンカっぱやいなどという噂だ。しかし私達は怒ったもQさんを見たことがなかったのだ。小さな目をくりくりいわせて、笑ってる顔しか見たことがなかった。明日はお通夜だそうだ。祭壇の写真は、私達がこの顔しか知らない、というような笑顔なんだろうなあ。そう思っただけでつらくて泣けてくる。

私達はもQさんのことが好きだけど、付き合いはそれほど長くも深くもない。最後に会ってから3ヶ月ほども経ってるし、病気について深く聞いた事もない。そんな立場で無責任なことを言うのは甚だ失礼なんだが、残された人間の一人としての気休めでもあるけれど、勝手な推測を書いておきたい。
ありきたりの言い草だけど、もQさんはやることやって満足したよね、きっと。私はそう思いたい。そう言うとTAKEDAは「まだまだこれからだったよ」と言うけれど。
柳川さんとのCDを出し、退院後にいっぱいライブをやって、「さあ、老後はどうしたらいいんだ」なんて思い悩むこともなく、みんなより先んじてさっさとあの世にいってしまったのは、もQさんらしい、なんて思ってしまうのだ。いや、私なんぞの知らない苦悩や苦痛や孤独があったかもしれなくて、「アホか。簡単にキレイごとにするな!」と怒られるかもしれないけれど・・・。けど、もQさんの47年間は、きっとあの世とこの世の境界線でもQさんが振り返ったとき、「まあまあ満足やな!」と言うような、そういったものだったろうと思うのだ。



2005年02月23日(水) 応援! くものすカルテット!

来る2005年3月8日(火)、今池TOKUZOにて、くものすカルテットのライブがあります。
それを個人的にめっちゃ応援している今日この頃のワタクシでございます。

去年秋、K.D.Japonでのライブに行きました。これが私のくもカル初体験です。ホントにねえ、いいライブだったねえ、あれは。K.D.Japonというお店は中央線の高架下にあるお店なのですが、ライブの途中も容赦なく電車が走りすぎていく音が聞こえてきます。ガタタターン、ガタタターン、という音と振動。それがまた、合うんだよなあ、くもカルの音に。
たとえ初めて聴いたとしても、ちっとも初めてじゃない感じのするくもカルの音楽。メロディだとか彼らの持つ世界観が、どっか私たちの心の奥底にインプットされているものを突き動かすんだよなあ。
とにかくあの日のライブは、きっと来てた人の殆どの人が楽しくって愉快な気持ちになったに違いないって思ったね。そして私は心の中でこっそり思ったんだ。「このバンド、応援するぞ!」とね。きっと彼らはいろんな所を旅して、その様々な場所できっと、私とおんなじことを思う俄かファンが増えていくに違いないなとも思ったよ。

ユダヤ系の民族は、いろんな土地を流転し、その土地その土地で彼らの音楽を作っていったそうだよ。そこで彼らの音楽とその土地の音楽が融合していったそうだよ。そんな音楽をクレツマーと言うんだけどさ、くものすカルテットの音楽がクレツマー、というよりは、精神がクレツマーって感じがするのね。しかしまったく不思議だよ。ユダヤの音楽は日本の風土にもぴったりしっくり来るんだから。そこが流浪の民の力強さか。

くもカルの音楽もまた、様々な時間と空間を、バイオリンやアコーディオン、サックスなどの音色にのって流浪していきます。音楽を聴きながらどこかの港町が、またはどこかの荒野が見えてきます。流浪の旅だから、その音は愉快だけど切なげ。けれど哀愁だけじゃ流浪の足が止まるから、笑って踊って歩き出す。本当にメンバーはみんなとっても楽しそう。聴いてる私たちも幸せになります。

歌とバイオリンを担当するのは片岡正二郎さん。まるで弁士のような軽妙で洒脱な喋りを披露してくれますが、なんと彼は吉田日出子の「上海バンスキング」で有名なオンシアター自由劇場の役者さんだったそうです。
アコーディオンとクラリネットは坪川拓史さん。なんと映画監督もしているそうです。でもね、そんなんでホントに映画が撮れるのって思っちゃいます。だってアコーディオン上手過ぎなんだもん。こんなに立派にミュージシャンで、そんで映画まで撮れるんかねと、変な驚き方をしてしまいます。
サックスには梅津和時さんのこまっちゃクレズマでもお馴染みの多田葉子さんも参加です。メンバーはそれぞれに個性豊かな総勢8名。

火曜日で休みなんで、待ってましたとばかりにわしは行く!
皆さんもどうぞ行こうじゃないか。前売チケットも、主催者の方から強引な愛情で分けていただき、マタハリにて販売中! みんなで行こうよ!絶対に楽しいから!

くものすカルテット



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