ふつうっぽい日記
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2020年03月31日(火) 「だからこそ」

いつからだろう。
「だからこそ」という言葉の響きが好きになったのは。

先日、誕生日を迎えた。
その時に友人からもらったメッセージ。
「こんな時だからこそ、明るい気持ちで……」
奇しくもこの友人とは同じ誕生日である。
というか、同じ誕生日であったからこそ、繋がり続けている縁ともいえる。
メッセージに同梱されてあったのは、春の花のアレンジとお菓子。
花は、ケーキみたいに洗練されていた。

誕生日の日、「卒業証書」も届いた。
本来ならば、卒業式的なイベントが予定されていたのだが、ご時世である。
11年間の在籍であった。
いろんなことが思い出される。

別の友人から、生涯学習の意義みたいなものを感じると伝えられた。
厳密には言葉は違うけれど。
労いの言葉だった。
そのことに感謝しつつ返信したメッセージはこんな風。

日々学習ですね。
目的や目標は色々変動しつつも、ひっくるめて学習、そして人生。
いろいろありつつも、よく頑張った「わたし」
苦手だった物理も泣き笑いしつつも履修して。
不合格や再履修も経験して。
転勤で学習拠点も異動しながら、頑張った。
いや、転勤生活だったからこそとも言える。
引っ越しを伴う異動は、不安や疲労がついてくる。
学習が気分転換の助けにもなった。
不安や病気的な心理や現象も自分で学習と関わりながら探求していったっけ。
これからは転勤生活ではないけれど、いや、だからこその穏やかな日々を堪能していきたい。

ーーーーー

元気にしていますか。
「わたし」も「私」も元気にしています。
ふと、「わたし」に別の名前を付ける人がいるんだなと思いました。
「わたし」も「私」が「わたし」の存在に気づいたころ、別の名前を誕生させたくなって、「私」と「わたし」の境目が微妙に、暴走した時期がありました。
「わたし」の誕生は、頼もしいものでした。
このことは、誰も教えてくれないのです。
「おいら」「あたし」「ぼくちん」……
「私」は「わたし」と書き、女性的です。
「わたし」の誕生の前は「私」と「私」であって、その境目がないことに辛さを抱えていました。
いつかのもくじにも書いたと思うのですが、男性は「私」と「僕」や「俺」と、なんだか簡単に分離できてしまえることに憧れがありました。
なかには、女性でも「私」と「僕」で生きていく人もいます。
わたしは、「私」と「わたし」なのです。
一人の人間の中で、ほぼ同じような人格を持ち合わせながら、呼び方を変えねば乗り越えられない状況。
無意識なる自分のような愛すべき他者のような存在なしには、納得できない状況があるのです。
誕生日。それは、「私」が「わたし」を迎え入れる日なのでしょう。
本当はそれで十分なのだと思います。

足るを知る。
たぶん、そういうことなのでしょう。

もう少し、落ち着くまで、ボチボチと過ごしてまいります。
それでは、お元気で。
また、会いましょう。


KAZU |MAIL