2002年05月25日(土) |
◆「命もいらず…」の補足 |
西郷隆盛の言葉に関し補足しておきます。
■「生命も要らぬ名声も要らぬ、官位も金も要らぬという人間はどうにも始末に困るものだ。この、始末に困るような人間でなければ、艱難を共にして国家の大問題を解決してゆくことはできるものではない。だが、こういう人物は凡俗の眼にはなかなかわからないものである。」
西郷はある時、このように言います。それに対して、
「では『孟子』のなかに『天下を広い住居として、天下の真中に立って、天下の大道を歩む。目ざす地位を得れば、人民とともに道を実現し、目ざす地位が得られなければ、自分ひとりで道を実現する。富貴にも迷わされず、貧賎にもくじけず、威武をものともしない。こういうのがほんとうの大丈夫なのである』とありますのがいまいわれたような人物でしょうか」と質問され、
「その通りである。しっかりと道に立った人でなければこのような気象はうまれないものである」と答えます。
この問答は元々は敵対関係にあった荘内藩(現、山形県鶴岡)の人達が、明治三年、西郷に心酔して鹿児島を訪れ、百余日を彼の身辺にあって過ごした際、言動を記録したもの/『南洲翁遺訓』の中にあります。
■ 歴史小説作家の故海音寺潮五郎氏は「…戦前の右翼の人々や、豪傑ぶった人々は、“始末にこまる者”を“世のもてあまし者”の意に解釈し、大いに愛用し、従ってまた一般の人にも西郷を誤解させるよすがにしてしまった。“始末にこまる者”とは、“誘惑の手だてなき者”の意だ。死をもっておびやかしても、名利をもって誘惑しても、心をゆり動かすことのできない者という意味だ。」と憤慨し、訂正しています。
■『南洲翁遺訓/岩波文庫』から抜粋しておきます。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。去れ共、かようの人は、凡俗の眼には見得られぬぞと申さるる…」
■ 参考書籍
『南洲翁遺訓/山田済斎』〜岩波文庫〜
『史談と史論/海音寺潮五郎』〜講談社文庫〜
『西郷隆盛語録/奈良本辰也・高野澄 編』〜角川文庫〜
『人類の知的遺産・孟子/貝塚茂樹』〜講談社〜
開祖は「強い」とはどういうことと思っていたのでしょう。
■「富貴も淫する能わず。貧賎も移す能わず。威武も屈する能わず。此れを之れ大丈夫という」― 孟子
開祖は古今の名言を教範の中で紹介されています。開祖の感性に余程に響いた言葉だったからでしょう。この言葉はご法話でも引用し、「…名誉にもつられない。貧乏も恐れない。脅しも効かない。こういうことが“強い”(勇気だったかな?)ということなのだ」(要旨)と話されたと思います。
西郷隆盛も、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るなり。しかし、その始末に困る人でなければ天下国家の大事を成す事が出来ない」(要旨)とある時、話し、「それは孟子の言葉と同じ意味ですか?」と質問され、「そうです!」と答えています。
■ 薩摩の武士ほど死ぬことを恐れなかった武士達はいなかったそうで、「臆病者!」と罵られることを死ぬほど嫌ったからだと、何かの本で読みました。そういう教育を極端に施した結果でしょう。しかし、これはやはり極端で、だから“猪武者”“匹夫の勇”などと言う戒めの言葉が他方あるのです。
必ずしも、死ぬことが良い結果を生む(強さの証)とは思えません。しかし、これも難しいことです…。第二次大戦末期、神風特別攻撃隊は建前は志願制だったのですが、誰も進み出ない者は無かったと言われています…。薩摩隼人と同じ心境だったのでしょうか…。ちなみに私の死んだ父は回天特別攻撃隊員で、すんでのところ終戦に命を救われたそうです。
ですが…孟子の言葉を注意して見聞きすると、「命」に関して「捨てろ」とか「いらない」とは一言も言っていません。ここのところの解釈。聖人や英雄が勇気を発動するのに際し、心底には死の賛美より生への賛歌があるのです。私はそう確信します。
西郷にしても「敬天愛人」という彼の言葉/思想からすると、「命もいらず」と言ってはいますが、真意は「大事を成すには命を捨てる(無私の)気持ちで掛かれ」でしょう…。
■ 昔?何かの折に、ホテルに宿泊されていた開祖のお部屋にお邪魔させて頂いたことがあります。何人かいたと思いますが、太田達雄先生以外は覚えていません…。その時、開祖が「…私だって“恐い”と思う時はあるのだよ。でもそれは一瞬で、次には元に戻っておる…」と話されたことがありました。当時、「開祖でもそんな瞬間があるんだ!」と少々驚きました。しかし、今思えばそれは当然な事で、むしろ一瞬で元に戻る“強さ”に逆に驚かされます。
人間愛・生命の尊重に立脚した正義感、行動力、勇気、慈悲心を持った人。生を尊び、生きている限り負けたと思わない心。そういう人なり精神の存在を「真に強い」と開祖は思われていたのでしょう。
追伸:西郷の言葉について23日午後5時10分に訂正。
2002年05月22日(水) |
◆強者は強者を知る! |
前回、「強者は強者を知る」と書きましたが、このことをもう少し書きたいと思います。
■「黄金背」というコオロギがいるそうです。中国ではコオロギを闘わせることが古くから盛んで、現在でも庶民の娯楽となっており、代々の皇帝も興じたといいます。
黄金背は金色の羽根を持ち、足腰?と攻撃の武器である口/顎が強く、古来から幻の最強コオロギと珍重されているそうです。一匹で、彼の地のカラーテレビが買える値段というから驚きです。その貴重なコオロギを大金をはたいて手に入れた一人の道楽者?の男性が、喜び勇んで仲間と共に名人である老師に見せに行くのです。
すると老師は、「(このコオロギ/黄金背を誉めようとせず)もっと本質を見る目を養いなさい!」と弟子を諭すのです。案の定、トレーニング/スパーリング?の最中に、なんと片方の足が取れてしまいます。「アイヤー!」。あっけない結末に師匠の言葉を思い起こしたか、なんとも情けない顔が印象的でした。(NHKテレビ放映)。
やはり…判るんですね!
■ 『史記』刺客列伝、秦王の暗殺を図る「荊軻」の中にある話です。
万全を期す為に頼りになる相棒を待っていると、燕の太子に臆したかと疑われます。それを潔しとせず、太子の推薦する若くして人を殺した男(名前は失念)と出立するのですが、荊軻は「…そんな者は本当の勇者ではない。大事を決行する頼りになろうはずがない」と残念がります。
これも案の定…(燕の)地図の中に毒を塗った短刀を隠し、その男に持たせて秦王に拝謁する途中、男は顔を青ざめ、ガタガタと震え出します。周囲は怪しみますが、荊軻は悠然と「この者は田舎者で、大王を前にして恐れ入っているのございます」と言い放ったと言います。おそらく、全くの平常心から発声したのでしょう。凄く強い、肝がすわった男ですね! 真似出来ません。というのは危ないですか…。もし荊軻が頼りになる相棒と決行したら…歴史/世界史は変わっていたでしょう。
それはともかく、やはり…判るんですね!
■ 話は異なりますが、物理的な「強」は武術の技を含めて、数量で逆転します。例えば徒手空拳の武術を何年修行していても、相手が刃物やバットを持った瞬間、条件はたちどころに対等か、それ以上に距離を詰められてしまいます。あるいは複数で掛かられても同様です。
開祖が見抜いた「強」。開祖が目指した「強」。本当の「強さ」を…武道/少林寺拳法の修行を通して理解したいですね。
2002年05月16日(木) |
◆K1・中量級世界大会観戦 |
4月27日に行われた同世界大会/TBS放映は面白かったです。なんですか「ムエタイのヒクソン(?)」と言われるくらいに強い、ガオラン・カウイチット選手(23)・タイ=が出るとのことで期待して見ました。
■ この大会で驚いたことがありました。それは試合前、ヒクソン選手が参加選手8人の戦いぶりのビデオで見て、誰が勝ち名乗りを上げるかを予想したのです。大方の声は、ガオラン選手が優勝するという中、Aブロックは優勝したアルバート・クラウス選手(21)・オランダと、Bブロックからはガオラン選手を差し置いて“手から稲妻を出す男”と恐れられる張選手の名前を上げたのです。その理由として、「この試合は3R制という短期決戦なので、パンチ力が強い選手が有利と思う。特に、(中国散打チャンピオン)張選手は大変危険な選手だ」(要旨)と言い、予言したのでした。
まあ、張選手は一回戦、ガオラン選手に判定で敗れてしまいしたが、そのガオラン選手をクラウス選手は予想通りIR、パンチの連打であっけなくKO。これには驚きました…。解説していた元WBAライト級世界チャンピオンの畑山隆則氏も、「ガオラン選手はアゴがあまり強そうでないので、クラウス選手、行けそうな感じがするんですけれども…」とコメントした直後のあっという間のKO劇でした。
強者は強者を知る…。たいした洞察力と観察力です。敵の得意技とか弱点を見抜けるんですね。だから「百戦(四百戦?)して危うからず!」なのでしょうね…。
■ 後、気が付いたことを述べます。小比類巻選手は一回戦、アンディ・フグの直弟子と言われる選手と対戦し、IR、ボディーへのカウンター左膝蹴りでKOしましたが…崩れ落ちる選手にとどめを刺す如くに突進し、手を着いている選手に蹴りを放ちました。真にフェアーではない不快な行為でした。彼は過去のビデオでも同じシーンがあります。本人曰く「格闘技はスポーツではない!」とのことですが、それとルールの順守ということは別次元の話でしょう。さらに驚いたのは石井和義氏/KIプロモーター・正道会館館長のコメントで、
「とどめを刺す。この気持ちがイイんですよ。本当はダメなんですけれど、やはり相手を殺すつもりで、というのは言葉悪いですけど、本当に行ってますから…」(放送ママ)と肯定する発言があったことです。
少林寺拳法とは明らかに感性が違いますね…。倒された選手にしたって石井氏にしてみれば、同じKI傘下の選手でしょう。駄目押しの、しかも反則の攻撃が無抵抗の選手に入って怪我をしても、心配ではないんですかね。それと、他の選手が真似をしたらどうするのでしょう…。
■ 印象的な場面。2回戦準決勝、クラウス選手VS魔裟斗選手のダウンシーン。肘が浮いた横拳の魔裟斗選手の左ストレートと、肘をしっかり締めたクラウス選手の縦拳の左ストレートとの相打ちでした。肘が浮いた分、相手の入り身を許し、クラウス選手の体がスルリと拳と共に向かいます。魔裟斗選手の拳は虚しく空を切り、対して体重の乗った拳が魔裟斗選手のアゴに炸裂したのでした。
クラウス選手は決勝戦の対戦でも曲と直の突きを巧みに使い分け、ガオラン選手を粉砕しました。後日の談話でガオラン選手、今度はムエタイルールでの再戦を希望していました。
ルールが違えば、その時は勝つでしょうね…。
2002年05月10日(金) |
◆示唆に富んだ番組の紹介! |
連休中の4月28日、NHKテレビ、『Ride the Waves of Gods/神の波に乗れ 〜ハワイ・伝説の大波に挑む〜』を見ました。とても感動しました。今、この「書きたい放題」で「演武論」を始めましたが、示唆に富んでいると思われたので(掲示板にも書きましたが、記録の意味もあり)、こちらにも紹介しておきます。
■ 20mを超える高さの波というのは想像を絶します。城ヶ島に釣りに行くと、早朝、荒れた海に出くわす事があります。もちろん海が収まるまで釣りなんか出来ませんので、恐々先端に見に行きます。すると、ドドーンという物凄い音と共に砕けた波のシブキが顔に飛んで来ます。まだ薄暗い磯に私一人、なんだかとても恐ろしい。ですが…大自然の脅威の一端を垣間見るようで、感動の気持ちも、湧き上がってきます。
その波など到底及ばない地球最大の(神の)波。7階建てのビルを一気に呑込むといわれ、襲われた者は命を失うことから「ジョーズ!」の異名を持っています。番組は大波に魅せられたビッグ・ウエイバー/大波乗りの男達を紹介して行きます。
■ 並のプロでは乗る事が出来ない大波ジョーズは、世界大会の優勝経験者達が挑みます。しかし彼等トップ・プロにとってもたやすいことではありません。
私が感動した場面を抜書きします。そのジョーズがやって来るハワイ・マウイ島の一月に、ブラジルの企業が大会のスポンサーとなって破格の一千万円の賞金を、一番大きな波に乗った者に与える大会の場面です。
午前6時、波の高さは20mを越え、大会が始まる昼頃には25m!?にも達します。画面からでも鳥肌が立つような大波です。次々に挑む男達。それを丘の上から見守る一団がいます。サーフィンを始めて3年でプロ世界大会を制し、初めてジョーズに乗った男、カリフォルニア出身のデーブ・カラマ・36歳とそのグループです。
【ナレーション】 「…誰が一番大きな波に乗るかで賞金獲得を競う大会には、(デーブ達は)参加したくないという」
【デーブ】 「…みんな、誰が勝ったのかを決めたがるんだろうね…。勝者に賞金を与えたがる人がいれば、誰が負けたかを決める、なんらかのルールを考える事になる。どの波が一番大きかったかを決めるのは意味がないよ…。僕は、ただジョーズに乗りたいだけで、波の大きさを競おうなんて思わない。どんな波でもイイ、その時、来た波に乗るよ!」
【ナレーション】 「…デーブにとって、ジョーズは他人と競争する場所ではない。胸を借りるのは圧倒的な力で立ちはだかる大自然だ!」(カッコ内は要約無し)
■ 一千万円という賞金に魂を動かされない姿勢もカッコイイ! 極めて驚いた彼/デーブの発言でした。同じ様な感性の存在が嬉しかったです…。普通はあの大会をドキュメント風に取材するのでしょうが…さすがNHK!? 目の付け所が違いました。
もし、座禅の大会なんかあったら…やはりナンセンスですよね。座禅の姿が美しいとか、どれだけ長い間、座禅したとかを競うとしたら…問題点が良く判ります。
まあ、少林寺拳法には体育・運動の面がありますから…。しかし競技、特に採点種目は、オリンピックでさえ不正が発生します。少林寺拳法でそれがあるとは言いませんが、演武の採点は本音を言えば、極めて難しいです。
番組の紹介ですから、ここまでにします。
私の演武論を展開したいと思います。
■ 演武の「演」という字が長いこと気になっていました。近年、ある大女優(誰でしたか…思い出せません。岩下志麻さんだったかな…?)が“役”を演じる過程で起きる“憑依”という現象を述べている記事を見て、“演じる”という言葉の深い意味が理解出来ました。得悟したのです。
興味深い話で、例えば、お姫様役の舞台が長く続くと、そのお姫様の人格が自分に乗り移ってしまい、家に帰ってからも威張ったり、わがままな態度になってしまうので困るということでした。ですから舞台が終わって、しばらくは心のリハビリ?をするのだそうです。そう言えば、恋愛をテーマとした映画や舞台で、主役を演じるカップルが結婚したりします。これも、役柄の恋愛感情が実生活の本人達に乗り移る憑依現象のひとつなのでしょう。
このように、演技することが自身の心=意識、無意識に大きな影響を与えることは間違いないようで、したがって、演技、演劇を医療、例えばカウンセリングなどの精神領域に活用しようとする発想は容易に辿りつけたのでしょう。世阿弥になると演劇、芸道論ですか…。
■ 今、手元に1972年に行われた日本武道祭のパンフレットがありますが、各武道団体の全てが、相対形、単独形の「演武」を公開しています。演武は少林寺拳法に限ったものではない事が分かります。ただし、少林寺に関しては単独形は一切行われませんでした。また、試合形を行ったのは…確か剣道だけだったと記憶しています。
演武は総じて神事、儀式、祭典に関わりがあります。我が国の国技である相撲も豊穣の神事に関わりがあり、横綱の土俵入りはその名残と言われています。雲龍型、不知火型と、(単独形)演武と言えましょう。少林寺拳法では正しく入門式、鏡開き式などの儀式、大会などの祭典に“奉納演武”が行われます。
以前、千代の富士が地方巡業で土俵入りすることに関する記事を読みました。「…しめ縄を付けると彼/横綱は神になる。途端に顔付きが厳しくなり、それ以前、観客は気安く触れたが、今度は、酔客が触ろうものなら『触るな!』と怒声が飛んで来る…」(要旨)と言う記事でした。で、土俵入りするのですが、その時、横綱は誰を意識しているのでしょう。正面を見据える目は誰を見ているのでしょう。観客?違うでしょうね…。
■ 演武は様式上、人が集まる場所で行われます。ここのところが演武を判り難くします。演武者は武を演技をしている訳ではないのです。いや…表現が難しい!
役者が「迫真の演技!」と批評/賞賛されることがあります。上述した通り、役になりきるなどという生易しいものではなく、役が憑依するのでしょう。役者の技量が大前提なのは言うまでもありません。
最近、中国の京劇に関するテレビ番組を見ました。「女形」の名優/男優?の紹介と、後継者の育成に苦労している内容でした。その中で、「女性は女性であるが故に女性らしい演技/研究を怠っている」(要旨)という発言を興味深く聞きました。確かに、女形一族には男が女を演じる様々な技が受け継がれていました。
つまり私が述べたいことは、演技とは技を演じる/行うことで、真剣な技を行うからこそ、その過程で男に女が乗り移り、時空を超えて虞美人が目の前の観客に現れるということなのです。もちろん役者個人の努力、例えば歴史書を読んで当時の時代背景を理解するなどの見えない努力も必要です。
役者と武道修行者では技の意味が異なりますが、迫真の技を演じることでなんらかの精神作用が起こる事に、大きな共通点を発見したのでした。(続く)
注:気になりましたので…、「試合形を行ったのは…確か剣道だけだったと記憶しています」をきちんと調べました。プログラムによれば、相撲、合気道、柔剣道、空手道、なぎなた、剣道が「試合」「試合形」(原文ママ)を行っていました。以上、訂正します。02.5.8.
2002年04月25日(木) |
◆(続続)乱捕りに関する資料を読んで |
書いて行くうちに問題点がはっきりして来ました。
■ 深層心理というものを自覚したことはありません。心理学では言動や行動からそれを推測します。最近の若い人達、カップルの相性テストや性格判断などが大好きのようです。
少年部に入門を希望する父母(多くはお母さん)と電話でお話しすると、時々こう言われます。「…少林寺って守りの武道ですよね?」とか「…お寺と関係があるんですか?」などなどです。解答は省略しますが、世間一般の少林寺拳法に対するイメージ/深層心理?は、武道であるけれども攻撃的な武道ではない、と認知されているようです。
■ しかしこれは近年の事で、少林寺拳法では開祖ご存命の時から、(特に学生拳法界では)二元教義?がまかり通っていたのでした。「…私はカッパブックスなどで“少林寺拳法には勝敗を争う試合というものが無い”と書いてあるのに、学生大会に来ると、乱捕りを見た後援者の方々から『なんだ!? 試合があるではないですか!』と言われて、恥ずかしい思いをする」(要約)と、ある時期から開祖は学生の大会に出席されなくなりました…。私が大学二年生以後は記憶にありません。一年生の頃はどうだったでしょう…。
教範の変遷を眺めますと、開祖の思想が大きく飛躍するのは昭和30年から昭和40年の間(カッパブックスはこの間に刊行)で、ついには40年度版で「不殺不害」から「不殺活人」という哲学の境地に到られました。そして、競技乱捕りが廃止となった翌年の48年度版に「組み演武について」が加筆され、ようやく少林寺拳法は教義の一元化を果たしたのでした。(ここら辺の事情は、また改めて述べます)。
■ さて、話を今に戻して、「武道を学んでいる以上、顔面への当身は避けて通れない」は、“徒手空拳の武道”ということでしょうが全く同感です。それで今回のセーフガードの開発ということになったのでしょう。しかし、
◆ 試合で防具を付けて打ち合えば、所詮は日本拳法?防具空手?の亜流でしかないでしょう。修練方法を提示したのでは不足なのですか…。資料中、試合の評価法を読んでも、攻者、守者に分けてはいますが、攻者の攻撃技を得点にしてしまうと、結局は双方攻撃なのですか? それなら、なおさら上述の通りです。
二元教義の道をまた歩むのですか…。
◆ 具体的な問題にしても前回述べましたように、叩くルールが当て止めという力加減のみでは、精神性が欠如した“新たな問題(実際に行使した場合、相手の傷害・死亡事故)”が浮上して来ます。反撃者/拳士は面を叩いてはいけないのです。不殺活人拳を具現した乱捕り修練法でなければなりません。
◆ 対衝撃性能は何キロでしょう。体重百キロの人の当て止めと、五十キロの人のでは当然、力が違います。したがって、対衝撃性能の具体的な数値を示す必要があります。同時に、その何キロの衝撃例を実際に示すべきです。それにしても…頚部の、いわゆる鞭打ち症を起こす過重は、人によって大きな違いがあります…。
◆ 「書きたい放題/2001.11.8」で述べている様に、「…少林寺拳法の剛法、特に対蹴りの技法は“受け技有り”のようなんですね。(中野)先生の(頭の)中では…。確かに、足を掛け手で取ったり、流して倒したりすると、金的を蹴ったり、倒した後、蹴ったり叩く形となり、悲惨な戦い方になる恐れがあります。受けられたら痛い、中段攻防の法形は痛くて正解だったのです。ウーン、良く考えられていますね! でも、修練する時は、気を付けましょうね。」カッコ内は今回加筆。
少林寺拳法の法形に沿った攻防の技を真剣にすると、足を傷付けやすいのです。中野流?の中段返し、半転身蹴り、払い受け蹴り、十字受け蹴りなど、蹴りに対する受けは極めて攻撃的な受けです。フェイス・ガードに匹敵する足・肘のプロテクターを開発して下さい。
◆ それとも、新たな法形/掛け手、流し受け攻防の法形を創作しますか?
◆ スポーツ・チャンバラという新しいスポーツが脚光を浴びています。たまたま本部が横浜にあり、発想に感心しています。少林寺でも徹底的に痛くない、安全なスタイルで、とことん殴り合う方法も一方です。しかしそれは、まさしくスポーツですね…。
■「行」について、少林寺拳法では「苦行」ではなく「養行」という言葉で表現されます。これは、誰にでも楽しく出来る修行方法という意味です。したがって昇段試験において、「乱捕り」に年齢制限があることが問題点を象徴しています。つまり、誰にでも出来ない科目/修行方法であることの証明となるからです。二元教義なのです。
一見、学生の問題であるようですが、乱捕りの問題に限らず、財団法人の拳士、宗教法人の拳士などという区別はありません。事実、私は道院長でありながら学生支部の監督であり、彼等を教育していかなければなりません。最近も、新入学した拳士が大学に支部を作るのだと言っています。
地域、人種、世代、性別、職種を超え、あらゆる拳士が共に修行している少林寺拳法。もっと広い視点からの論議を望みます。
開祖は教範中に、「新しい」という言葉を随所で使用されています。しかしこれは、武技としての新しさではありません。開祖没後、何をもって「新しい道」と表現されたのかを、拳士の叡智を集めて深く掘り下げようではありませんか。
2002年04月22日(月) |
◆(続)乱捕りに関する資料を読んで |
続きです。
■ きわめて驚いた記述(目を丸くした!)は、11ページ中にある“フェイスガードを使う前に”で述べられている以下の文章です。
「武道を学んでいる以上、顔面への当身は避けて通れない。そして、武道を志す以上、顔面に当身をしてみたいという気持ちがあるのもまた自然なこと。でも(当たり前の話だが)、顔面への当身は危険極まりない。ちょっとでも間違うとたいへんな事故につながりかねない。」(以下省略)。
いかがですか? 私はふたつの疑問が湧いて来ます。
■ ひとつは、「…武道を志す以上、顔面に当身をしてみたいという気持ちがあるのもまた自然なこと」と、私の心?まで勝手に決めつけていることです。
この文章を書いた方はずいぶんと攻撃的(良く言えば積極的?)な性格なのでしょう…。それとも部外者/業者の方ですか? 旧乱捕り経験者としても、当時、そのような気持ちは持っていませんでした。上段の当身…それは練習しました。しかし現在でもそうですが、人の顔を叩きたいとは一度も思ったことはありません。多分、多くの拳士は同じ思いでしょう。
深層心理の中で、剣道を習ったら人を切りたい気持ちになるのですか? 弓道を習ったら動物を射たい気持ちになるのですか? 射撃の訓練をしたら人を撃ちたい気持ちになるのですか? 違いますよねー。性善説、性悪説、白紙説に例えると、武道修行/修業者は性悪説に立ってしまうのでしょうか。恐い事を言います…。
■ 顔を叩いてみたいという気持ちをスポーツとして発散させるのがボクシングで、これは一つの選択肢です。一方、その気持ちを克服する為にさらに厳しい修業を積み重ねるのが寸止め派・伝統空手です。また、日本拳法では防具を着用して上段を含めて打ち合うことで積極的な性格を造るとしています。これも選択肢です。ユニークなのは、フルコンタクトと上段寸止めを組み合せる流派もあります。
対して少林寺拳法では、入門時(武道を志したその日)から上段の当身は極力避ける。あるいは三日月、目打ちに止めるように指導されます。私の道院ではそうしています。
武道を習う人の殆どの動機は、「自分の身を守れるようになりたい」からで、少林寺拳法でも「強くなりたい」という入門の動機の意味は、ケンカに強くなりたいと思う人はまれで、実は護身なのです。もしケンカに強くなりたいのなら、昨今の潮流では馬乗りになって人を叩く格闘術を習うでしょう。なにか…心の出発点が違うようです。
■ 二つ目。「でも(当たり前の話だが)、顔面への当身は危険極まりない。ちょっとでも間違うとたいへんな事故につながりかねない」と安全に配慮しています。これは結構なことです。しかし、この大変な事故とは相手の拳士のようであり、拳技/上段突きを行使される側の安全は考慮されていないようです。
練習相手への安全の考慮は、乱捕りに限らず当然です。そして、叩いた(相手への)結果も同様に考慮されなければなりません。これが欠落していませんか…?
上策の拳技と下策の拳技の違いを、開祖は良く学生拳士に説かれていました。「乱捕りの様に相手の顔を叩いて、鼻血は出るわ、服は破れるわで、もうワヤや! こんな殴り方をしたらいくら相手が悪かったとしても、君等の方が捕まってしまうことがあるのだよ」(要約)。
それくらいで済めば良いのですが…叩いた相手が死ぬ事があります。実はこれを心配しています…。相手が死ぬということは、現在の日本では自分が死ぬことと同じだからです。
■ 昔の友人(少林寺拳法三段)の話をしましょう。彼は小柄でしたが気が強い人で、上達と共に?ケンカを良くしていました。その性格を社会人になってからも引きずっていた様で、ある時、会社の慰安旅行で酔って別のグループといさかいになり、一人を殴ってしまったそうです。
ところが深夜、ドアを叩く音で目を覚ますと、そのグループの人達が立っていて「お宅に殴られた者が目を開けないから来てくれ!」と告げられたと言います。付いて行った部屋にはケンカ相手が横たわっていて…幸い事故にはならずに済みましたが、「俺は…あの時ほど肝が冷えたことは後にも先にもなかった…」としみじみと述懐し、その後、プッツリとケンカをやめてしまいした…。
武道を教育する場合、不慮の事故はこの問題も大変なのです。ですから、無意識のことを考えると、少林寺の乱捕りは上段は止めるで良いと思います。(続く)
2002年04月19日(金) |
◆運用法(乱捕り)に関する資料を読んで! |
久しぶりにアップしました。かなり重大な問題です。
■ 先月、本山合宿に行って来た学生が乱捕りの指導要領のコピーを持って来てくれました。全部で16ページ、かな? 表紙がありません…?
中身を拝見しました。言葉になりません…というより、私の考えと大きな隔たりを感じてしまいました。これを論じる前に素朴な疑問として、何故この文章が先に学生に渡ってしまうのでしょう。監督、指導者へ事前に配布されてしかるべきと考えます。そうしたら、ここの表現、あそこの疑問と、より良い意見が吸収されたでしょうに…。
■ さて、本文の始めのページに、演武についてこう記されています。「少林寺拳法のすべての要素を取り入れ、相手と共に上達を楽しむ『自他共楽』の精神を学ぶプロセス」と…。
そうでしょうか? 私は「(演武は)少林寺拳法の精神を具現したもの」と考えます。演武を、乱捕りの指導要領の冊子中でこんなに簡単に規定してもらいたくありません。なにより、演武の指導要領/研究をこそ、先に作成すべきでしょう。
ご承知の通り、『自己確立』『自他共楽』『理想郷建設』は少林寺拳法の掲げる三大スローガンです。この目標を、少林寺型の人格を通じて達成しようとするのが開祖の目指されたもの/金剛禅であり、つまり、個人格の理想像と組織の目指す理想は不可分の関係なのです。もし、それに乱捕りが大きく貢献するなら、開祖は教範中に4ページにもわたっての警鐘は書かれなかったでしょう…。
本文からは、法形・演武が主行という位置付けが感じられません。もっとも、現在では「基本→法形→乱捕り→演武」という位置付けですから…こうなるのでしょう。
■ 対ロシア外交における基本政策/四島返還論に、いつのまにか二島先行返還論が浮上し、それがロシア側から二島返還で決着になりかねない事態を引き起こしています。S代議士は論外として、国家を思うもうひとつの政策であったせよ、二元外交はしてはならないのです。それでも基本を変えるなら、全国民の意志を反映させることに、どなたも異論はないでしょう。
法形・演武を主行とする修行形態/人格完成の行はどの武道にも見られないもので、乱捕りに偏重しかねない「基本、法形、乱捕り、演武」という修練論は、我々拳士に大きく関わる重要な政策変更であると強調しておきます。(続く)
昨今の政治スキャンダルから、負けることを考えてみました
■ 私は五冊プラス復刻版一冊の教範を持っています。その中に、「九転十起」という開祖の直筆を頂けた一冊があります。これは、私が増徳道院で修行していた頃、多分、皆勤賞を出すほどの拳法バカぶりに、二代目道院長となった広木一隆先生が呆れて、ついつい(?)「渥美君これ上げるよ!」と下さったものです。その教範に、当時、道院に通われていた元東大少林寺拳法部監督/OBの滝田清臣先生が「管長のサインを貰ってきて上げる!」という事になって、今、手元にあります。
さて、先生のこの「九転十起」という言葉はご法話でも話されています。「…九という数字は一番最後という意味であり、十はそれが元に戻ることを表している。私は七転八起どころではない、もっと多くの失敗をしたが、不屈の精神で戻る/克服して来たのだよ!」(要旨)。確か…このお言葉は、黒板に書きながらご法話されたと思います…。
■ 「死なない(生きてる)限り負けではない!」「負けたと思わない限り負けではない!」と、開祖は勝つことよりも負けない精神を強調されました。ですから、この「書きたい放題」の中で石田三成のことを、
『石田三成は、非常に生/生き延びるのことに執着しました。これも史書を読んで、古今の英雄たりといえども何度も死地に追いやられ、でも、危機一髪ギリギリのところ、生を諦めないで生き抜いて勝ちを得た故事を学んでいたからでしょう。三成は結果こそ得られませんでしたが、死ぬまで負けを認めなかった態度は、少林寺の拳士魂と通じるものがありますか…。』と書いたのです。2001.11.15
■ しかし、昨今の政治スキャンダルを見ていますと「(案外)負けっぷりも大事かな…」などと思ってしまいます。
日本歴史の英雄の中で、負けっぷりが良いのは誰でしょう? 私は信長を推します。「是非に及ばず!」と言い放ち(叫んだのか、静かに言い放ったのか興味があります)、奮戦後、自害しますが、骨一片も残さずに歴史の舞台から消え去ったのは見事です。光秀の緻密さを良く知っていた信長は、敵を知った瞬間、「これは…逃れる術がない!」と死を悟ったのでしょう。
将棋で面白い話があります。「これまで!」と投了し、ではと検討の段になったら自分の方に勝ちがあり、それはそれは悔しがったという実話です。
■ どうも…負けについての諸説を紹介し過ぎて(?)混乱している帰来があります。勝敗はあざなえる縄の如しと表現できますか…。時間という尺度で勝敗を論じたら、訳が判らなくなります。武家社会では、平氏と源氏の政権が入れ替わるのだという説が信じられていたと言いますから…。
掲示板にも書きましたが、起き上がり小法師としてのダルマは、倒れる形が良いから起き上がれるのです。「殺される!」などという例は例外として、人生一般的な負けでは、次に通じる負け方を心得ておいた方が良いようです。
これなら開祖の教えと相反しませんね!
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