天国の扉
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2008年01月24日(木)




ほんとに辛い時にしか書きに来ないなぁ。
ここでしか本音が書けないから、仕方ないと言えば仕方ないんだけど。

手術後1年経過。
主人は順調に回復してきた。
術後、先生の「抗がん剤治療のサンプルに」という申し出も受け、1年間、抗がん剤を頑張って飲んできた。
サンプルということもあって、月に1〜2回の検査と受診。
それだけでも安心感があった。

12月でようやく抗がん剤投与が終了。
辛い副作用にも耐えたよね。
あとは薬が抜ければ、お腹の緩いのも少しはマシだろうかって笑って話してた。


そして、いつもどおり昨日も受診日だった。
いつも通りに家を出る主人。
帰ってきて一言、

「腫瘍マーカーの数値が上がってた」

転移?
再発?

前日、遅くまで仕事してた私は、仮眠を取ろうかと、半分うとうとしてた状態だった。
それが一気に目が覚めた。


ついこの間のCTでは、どこにも腫瘍なんて見つからなかった。
内視鏡検査だって、何も問題なかったのに……。

私は土曜日に友達との新年会で、主人が実は大腸ガンだったって話をしたばかりだった。
そうだったんだ……と心配そうにする友達に笑って話せるようになったから話したんだよって言った。大腸ガンはガンの中でも一番タチのいいガンだから、きっと大丈夫って。
まずは1年。ようやく1年。
あと4年、何事もなく過ごせますように。
そう思って過ごしてきたのに。

いろいろと調べて、何かあったら連絡が来るらしいとしか話さない主人。
何もなかったら、次の受診日は3月。
連絡があるんだろうか。それともないんだろうか。
なければいいな。
3月まで生殺し状態。

眠れない夜を過ごした。

ダメだ、今も頭の中をグルグルと不安ばかりが回っている。


2006年11月27日(月)




手術は13時からの予定だったものが、時間より30分早く始められ、終わったのが17時過ぎだった。
実質3時間9分。前後に麻酔をかけたりさましたりの時間があるので、この時間になったらしい。
手術室の前まで見送りに行って、じっと病室で帰りを待っていた。

終了後、先生からの説明。
患部は綺麗に切除できたとのこと。
視認できるリンパへの転移は見られなかったとのこと。
話を聞きながら、嬉しいのと、ホッとしたのとで、泣いてしまった。
こんなおばさんに泣かれて、先生も迷惑だっただろうと思う。

手術日から4日間、泊まり込んで看病をする。
最初は2泊で帰る予定だったのだけれど、微熱が気になり、1泊延ばした。
泊まりの間は朝晩と、主人の実家、私の実家へと定期的に電話連絡を入れていた。
子供のことでよっぱら義母に愚痴られる。そういうことを話すより、早く病室に戻って主人の傍についていたいのに。

傷よりも腸の動きが痛いと言う。
代わってあげられたらいいのにね。
早く良くなるからと、一生懸命に歩く。歩くと血圧も体温もあがっている。
休み休みでいいんだよ、ゆっくりでいいんだよ、と横から口を出してしまう。
経過は今のところ順調。

帰りがけに携帯で写真をパチリ。
息子を実家に迎えに行く。
携帯の画像を見せたら、義母も「顔色もいいし、元気そうだ」と喜んでくれた。
ビールを勧められたけれど、丁寧に辞退して、子供と一緒に帰宅。

たまった子供と自分の洗濯物を洗濯機に放り込んで、回している間に、私の実家に電話。電話後、いつの間にかまた寝てしまっていた。
これからお風呂に入る。その後、軽く仕事。
取引先で、私以外でやれる人がないため、寝る前になんとしてもこれだけはしてしまわなければ。迷惑は掛けられない。それでなくても仕事を休んでいるのだ。


      

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