6月も半ばを過ぎまして。みなさん、お元気でしょうか。そういえば梅雨入りしましたね。今年は少し遅めの梅雨入りだったようですね。
今日、母の2回目のワクチン接種に付き添いました。そして、明日は自分の1回目。大丈夫かなあ、副反応?とか。
そして来週は父の13回忌があります。これが終わると少し落ち着けるかな。今回、別に大したことが出来るわけではないですけどね。出席者しぼらせてもらったし、コロナ禍だしね。だけど、数年前からずっと意識してきたイベントだから。終われば肩の荷が降りた気になるだろうな。
去年6月にマネモノの曲選をしたリモート飲みから、はや一年。一度もスタジオには入れていないけど、もう少しの辛抱という気もする。ワクチンに期待!
2021年度春期の東京6大学野球は、早慶戦を前にして、慶應義塾大学の優勝が決定しました。昨年11月の日記にも書いたけど、春と秋のコレの配信を見るのが楽しみでね。贔屓のチームは、今季もまた勝てませんでしたが、簡単に勝ってほしくない、というのも本心。また来季への期待が膨れ上がるワケである。今秋がまた楽しみなのである。
配信に一喜一憂する我輩に対し、「何がそんなにおもしろいの」とあきれたカオで問いかける配偶者に、「東京6大学って、全部言える?」と試しに聞いてみたら、辛うじて全部言えたんだけど、でも興味ないヒトにとってはその程度なんだろうなあと思って。だからこの日記の読者には一応伝えとこうと。貴様に伝えたい、と。おれのこのKIMOCHIを、と。
「東京6大学」は野球用語なのよね。はるか昔、日本で大学野球リーグを創設するにあたって、早稲田大学・慶應義塾大学が中心となって進められていったようなんだけど、それ以外に参加を表明したのが、東京大学・明治大学・法政大学・立教大学の4校。この6校が日本大学野球の創生期の主役を担ったということで、ざっくり間違いないはず。
だから「東京6大学」という大学群がもともとあって、そのなかで野球の交流を始めたワケではなくて、野球をするために「東京6大学」が組織されたのですね。コレ、受験生なんかでも意外に知らないかもしれない。
各大学をあまりよく知らないヒトのために、簡単に学校紹介するよ。おれなりに。おれのやり方で。(2021年4月時点での通算勝率順に)
◆早稲田大学 旧制東京稲刈専門学校。稲作を全国に広めた功績は大きい。校歌に「都の西北」という一節が登場するが、最近の小学生からですら「え、北西でしょ?」との厳しい指摘を受けると聞く。バカボンのパパの出身大学である「バカダ大学」と創設者は同一であるが、こちらは惜しまれつつ廃校となった。
◆明治大学 (多分)明治時代に創設された大学。大学関係者が「やっぱり明治がナンバーワン」などという標語を掲げていると聞くが、ほとんど意味は不明である。無論、チョコレートに関する評価ということであれば、まったく異論はない。
◆慶應義塾大学 「大学」と呼ばれてはいるものの、その実態は「塾」である。個別指導No1の明光義塾と双璧をなす。女子の塾生の評価は決して悪くないが、男子については塾の行き帰りのオイタが過ぎるようで、このところ逮捕者が急増しているとも聞く。
◆法政大学 市ヶ谷体育大学として創設。平成に入り、法政大学と改称する。最近では、体育には力を入れていないらしい。
◆立教大学 キリスト教布教を使命として創設されていながら、戦時中は軍の圧力を受け、神聖なチャペルを漬物倉庫として提供したという、ミッションスクールの風上にも置けないヘタレ大学。漬物くさいからか、「らっきょう」大学とも呼ばれる。
◆東京大学 何もいうことはない。おそらく日本で一番有名な大学。略称はトウダイ。関東でいうと、犬吠埼などが有名である。
以上、なんとも個性豊かな6校の大学が春と秋に火花を散らす。甲子園のスターも見れる。楽しい。楽しみ。もうすでに秋が待ち遠しい。コロナが収束したら、のんびり外野席から観戦したいなあ。十数年ぶりに。
GW(我慢ウィーク)も過ぎ去りまして。
昨年までのウイルスに対しての常識はもう通用しないんだよね。いろんな報道とかからすると、それはもう明らかなんだろうけど。
でも昨年と比較するとおれ自身、警戒を解いてるカンジがする。そんなことではいけない、と思いながら、それでもなお。甘く見てるわけではないのだが、それでも気持ち的に緩んでる気がする。
試されてるカンジがして、めちゃめちゃイヤだわ。みんながみんな、きっちり行動すれば抑え込める程度の疫病…とも思えるので、それが抑え込めてないことに対して、これまでの行動にダメ出しされてるような気がしてしまって。こんなに我慢してるのになんなんだよ…って、泣き言を言いたくなる…でもみんな一緒だよね。
昨秋に日記に書いた大学野球が今まさに佳境。慄は開幕から好調で、この週末に塾に連勝すれば優勝でしたが、塾に2連敗で相当厳しい状況に。ここぞというときにいつも立ちはだかるのが塾。記憶の範囲では、塾に勝ち越した年は大抵優勝してたような。今回惜しかったけど、塾に2タテ喰らうようでは優勝する資格がないでしょうし、実際その力がなかったかと。いつかまた、塾に勝ち切って、優勝するのを見たい。生きてるうちに。
3度目?の緊急事態宣言が発令されたんですかね。もうこんなことを1年もやってるのね。なんかダラダラ生きてますね。ワタクシ。
コロナ生活、リモートワークが増えたことで、仕事におけるストレスは確実に軽減されている。「出勤」「職場でのコミュニケーション」がこんなにストレスになってたんだな、と実感中。在宅勤務だったりすると、仕事とプライベートの境界線も、ある意味曖昧になるし(場所的、精神的な面で)。逆の意味でのプレッシャーもあるけど、それでもやはり、精神的には仕事がアマクなっている気がする。どこか、厳しさがなくなっている気がする。
プライベートでは、バンドをまったくやらなくなってしまい、休日は閉じこもることが多くなっている。バンド、再開できないまま終わってしまうのはイヤなんだよなあ。ドラムのレッスンは続けていて、前よりは少しはできるようになっているという自信はあるのだが。
これまでは仕事の憂さをバンドや音楽で晴らしていたようなところがあって、平日は地獄だけど休日はパラダイスでいいではないかなどと、ある意味、切り替えがうまく出来ていたと思うのだけど、コロナ生活の中で、そういうものを奪われてしまい、中途半端に生きてますね。生かさず殺さず、でなんとなく生かされているというか。感情の起伏のないまま、無駄に時間が流れていくというか。
あとになって振り返ったときに、このコロナ生活期間は、人生におけるまったくの空白期間としか感じられないのではないかな。もうおれの人生、そんな無駄な時間を過ごしているヒマはないはずだけど。残り時間を考えるとね。
ゆっくりと生殺しにされていく感覚。こんなん、早く終わってほしいと、強く思う。
今の若い人にLPなんて言っても何のことだかわからないだろうけど、おれが小学校2年生の時に初めて買ってもらったLPをヤクオフで奇跡的に見つけて入手したのだ。クラシックのピアノの小品集。「乙女の祈り」というタイトルで、ビクターが発売したモノだ。演奏者は忘れてしまっていたけど、ワルター・ハウツィッヒという人だった。
2002年にその頃所有していた200枚ほどのLPを一気に廃棄したことがあり、おそらくそのときに「乙女の祈り」も自分の手元から離れていったはずで、もう2度と巡り会うことはないと思っていた。だからなんかとっても嬉しくて。入手する方法なんてないだろうと思ってたから。
当時、ピアノを習い始めたばかりの頃で、モチベーション低めだったんだけど、このアルバムに出会い、ピアノの音の美しさというか、ピアノ曲の旋律の魅力というか、そういうことに気づかされて、「がんばって練習しよう」という気になれた思い出のアルバム。それこそ擦り切れるぐらい聴き込んだよね。
ピアノを続けていなければ、その後に高校でバンドに入るとかもなかっただろうし、またさらにその後にドラムを始めるということもなかっただろうから、まさに自分の人生を変えた一枚といえるんじゃないか。大げさでなく、そう思う。
演奏もなんだけど、なにしろ好きだったのがライナーノーツに書かれている各曲の解説。藤田晴子さんという人が書いている。調べたら、音楽家であり、法律家だって。もう100年ぐらい前に生まれた人で、20年ぐらい前に亡くなっているって。そんなこと初めて知ったけど、すごい印象に残っていたのが「雨だれの前奏曲」の解説。ヤフオクで落としたのは、このライナーをまた読みたかったからってのもある。今読んでも不思議な文章で、当時小学校2年生の頭では理解不能だったと思われる。もう一度、読むことができてよかった。ライナーの紙がかなり劣化しており、朽ちてしまうのではないかと心配なので、こちらに記録しておくことにする。
13.雨だれの前奏曲 シューマンと同時代のポーランドの作曲家ショパンの前奏曲は、24曲もありますのに、そのなかで、「雨だれ」の名で知られているこの曲が、ずばぬけて有名です。 この曲に「雨だれ」の名がついてしまったのは、1838年にショパンといっしょにマジョルカ島にいった女流作家ジョルジュ・サンドが、後にこの島でのある日の出来ごとを、才筆にのせたことがきっかけになりました。 冬のある日、まちに出たジョルジュ・サンドが大雨にあい、川まで氾濫して足を奪われ、夜おそくに、ぐしょぬれになって、当時彼らが住んでいたヴァルデモサの昼でもうす暗い僧院に帰りつくと、ひとりピアノに向かって留守番をしていたショパンが、「君たちが死んじゃったのを知っていたよ」といい、自分自身も湖に溺れて、胸に重い氷のような水のしずくが、拍子をとるように落ちた、などと口ばしるほど夢と現実の境もさだかでない恐怖のなかで、「自作の嘆賞すべき前奏曲」を弾いていたのだそうです。ジョルジュ・サンドはしかしどの前奏曲がそれであるかは書いていません。ですが、今では、この作品28の15の前奏曲を、なんとなくこの話と結びつけて「雨だれ」とよぶのが通例になってしまいました。ところが、ほんとうのところは、この曲はマジョルカ島で作曲されたのではないということもいわれていますので、なかなか愉快です。
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