カバン、、、プラダとかを初めて売った。
で、濱野のおカバンを購入。
小さい奴なので独りで外出時にしかつかえないけど、小さいカバン好きだ。
この頃大変虚無感にとらわれていたというか、厭世的というか逃げ出したい気持ちにとらわれていた。
で、すぐに環境を変えようとか思い、それはすぐに労働の世界へと目が向けられていた。
こういう時の行動力は素早いので(心は病んでるけど)早速保育所見学へ行ってきた。
区のではないのであるが、そこはなんだか私が想定する以上のワイルドな感じの育児だったので、預けるのには躊躇するのであった。
多分近々ほかの所にも見学に行くと思う。
気晴らしに昔からの友達(子供なし、未婚率高し)に会ったりもした。
元気付けてくれようとしているのだろうけど、色んな言葉がなんだか更に共通言語の喪失みたいに感じられた。
「子供は親がなくとも育つんだからさ」と言う。
自分が子供としての立場からは肯定できる。
親が望む子供像を裏切ってるというか、影響をそんなに受けてない面もあるからだ。
でも今実際独りじゃ飯も食えない、オムツを替えなきゃいけない、独りで時間を持て余してしまう、等々、日常的に他人の手を強烈に必要としてる赤子というか幼児を見てると、どーもそう納得もできないし、ますます孤独感を深めてしまうのであった。
あー世間的にはやはり育児ちゅうーのはしょうもないことで、資本主義と育児は全くねじれの関係にあって、、、とかどんどんネガティブ方向に行ってしまう。
しかし、ここで、「子供はさー」なーんてトークするのは自分の美学上絶対に不可なので、なーんとなく苦しげアルカイックで流してみた。
暗かった。
横森式マタニティ産後編を読んでみた。
失禁はしてないが、あの頃の精神的苦境を思い出した。
1年経ってないのに忘れられる自分が怖い。
公庫の繰上げ返済を決めたが、で紙に捺印とかしたが、当日に入金不足で最初からやり直しとなった。
昔はこういうポカミスやらなかったタイプなので、凄く自己嫌悪に陥った。
えっと、昔1回たりとも将来的資金繰りに不安感なかったんだけど、やはり将来的債務(子供推定1千万円)とか考え始めてしまうと、つい保守的になってみた。