今日は“桃の節供”ですね。
江戸時代初頭の三月節供の雛人形にかかわる行事が、寛文(かんぶん)年間(1661〜1673)以降に雛祭として定着したとみられています。
当初、宮廷や幕府で行われていた雛祭は都市から農村へと波及し、一般化したのは明治時代以降なのでそうですよ。
↑ 楊洲周延(ようしゅうちかのぶ)画『千代田之大奥 雛拝見』 三枚続 1896(明治29)年 江戸東京博物館蔵
| 2011年03月02日(水) |
リスター式石炭酸噴霧器 |
“日本歯科大学新潟生命歯学部・医の博物館、展示品ギャラリーから”・・・ 第33回目の今日は、「リスター式石炭酸噴霧器」です。
19世紀半ば、痛みと傷口からの感染を麻酔法と消毒法により克服したことから、近代外科学は急速に発展した。
麻酔法は1840年代にアメリカの歯科医ウエルズが笑気麻酔で、モートンがエーテル麻酔により無痛抜歯を行ったことから始まり、苦痛なしの手術が大きな救いとなって複雑で時間のかかる手術を可能にした。
イギリスのJ.リスター(1827−1912)は、外科手術のあとに傷口が腐敗するのは大気中の細菌(微生物)だと考えて、石炭酸(フェノール)による防腐法(消毒法)を開発した。 空気中の細菌を死滅させるため、熱で気化した石炭酸を手術時に噴霧したが、1867年に採用したこの防腐法により手足の切断術を行った患者の死亡率が激減する。
石炭酸の噴霧により手術室内が耐え難い臭気に覆われたため、流水による手洗いが頻繁に行われたことが消毒や滅菌法の発展につながったと言われている。
| 2011年03月01日(火) |
東京スカイツリー、600mを突破 |
建設中の東京スカイツリーが、午後1時29分に高さ600mを突破し、自立式電波塔では“世界一”となりました。 地上デジタル放送用のアンテナを取り付ける最上部の鉄塔「ゲイン塔」を塔本体部から突き出す作業を行い、前日までの594mから背が伸びたのだそうですよ。
今月内には最終到達点の634mに達し、年末に完成し、内装や周辺の商業施設などの工事を経て、来年春には営業オープンするのだとか。
これまでの自立式電波塔の世界一は、昨年6月にオープンした中国広東省の「広州タワー」(600m)。 これを2008年7月の建設着工から、未完成ながら、約2年7カ月で抜き去った訳ですね。 当初は2月28日に達成する予定だったのだそうですが、悪天のため、外部工事が中止され、お預けとなっていたのだそうですね。
スカイツリーは、09年4月に地上での鉄骨の組み上げ作業が始まり、昨年3月29日に東京タワー(333m)を超え高さ日本一を樹立。 今年1月16日には559mに達し、カナダ・トロントの「CNタワー」(553m)を抜き、世界2位になっていました。 ↑ photo by 時事通信
“634m”が、東京の旧国名「武蔵」にちなんでいることは、皆さまご存知ですよね♪
東京の・・・ 昨日の日中の最高高気温は、18.7℃。 日付が変わった辺りでは9.5℃あった気温が、時間と共に下がっていき、午後4時ごろには 2.2℃にまで。 雨に、ミゾレが交じったりもしました。
ちょっと大げさに言えば、1日で“初夏→真冬”に逆戻りしたような感じでしたね。
↑ でのせたがや梅まつりに行きました。
野点では、煎茶をいただき
所用で船橋市&習志野市に出掛けました。 途中で立ち寄ったケーキ屋さんでは、ウ・フ・フ♪
でも、帰りの首都高速の工事には、チョッとうんざりでしたぁ。 どうも、2月後半から3月にかけての工事が目についてしまうような気がするのは、私@小林だけでしょうか!?
気象庁が、関東地方に「春一番」が吹いたと発表しました。 昨年も同じ日に吹いたとのことです。
各地の最大瞬間風速は、午後3時までに東京で16.3m/s、千葉18.8m/s、横浜18.3m/s。
ちなみに、今日の東京の最高気温は20.8℃。 4月下旬並みの陽気となりましたね♪
私たち@小林歯科クリニックのアロマも、急遽、ユーカリを投入しましたよぉ。
昨日の“プリンタ不調”事件から開放されて、ヤレヤレと思っていた矢先、今度は、私たち@小林歯科クリニックの近隣で「ボヤ騒ぎ」が勃発しました。
はしご車を含む緊急車両が、消防・警察・ガス会社など、延べ20台近くも出動して参りました。
お怪我をされた方などは、いらっしゃらなかったようなので、不幸中の幸いです。
私たちには、何ら類焼などなかったのですが、お見舞いのご連絡をたくさん頂戴したり、厚くお礼を申し上げる次第です。
昨夜までちゃ〜んと動いていたプリンタから、動作時に異音を発するようになり、真っ直ぐ紙を巻き込まなくなり、要は、斜めにしか印刷できなくなってしまいました。
急遽、しまっておいた別のプリンタを登板させてみたものの、今度は、トナーが出すぎてしまい、かなり“黒い領収書”になってしまいました。
本日ご来院いただいた皆さまには、大変なご迷惑をお掛けしてしまいました。 お詫び申し上げます
明朝の診療開始までには正常化させたいと思います♪
| 2011年02月22日(火) |
東京三十六会席 柳橋しち 大代地 巴屋 |
“日本歯科大学新潟生命歯学部・医の博物館、展示品ギャラリーから”・・・ 第32回目の今日は、「豊原国周(とよはら・くにちか):東京三十六会席 柳橋しち 大代地 巴屋」です。
東京の柳橋は神田川が隅田川に注ぐ手前にある橋で、江戸時代中期から花街として栄えた。
柳橋芸者は唄や踊りなどの芸事で立つことを誇りとし、プライドが高かったと言われ、成島柳北の「柳橋新誌」には、明治初年の当時の様子が描かれている。
豊原国周(1835−1900)は豊原周信と三代目歌川豊国(国貞)の弟子で、二人の名前の一字づつをとって、「国周」と号した。 大胆な色と筆使いで、役者絵をはじめ美人画を得意とし、「明治の写楽」と評判になった。
「東京三十六会席」シリーズは、日本橋の萬屋孫兵衛が版元となった明治3年の連作で、中央に芸妓の半身、左上のコマ絵に評判の料亭を描く。 バックには鮮やかな赤地に麻の葉の模様をあしらっている。
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