ちむたんのつぶやき
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| 2009年03月25日(水) |
言われたらキツいこと |
最近の楽しみのひとつである日曜朝放映の『侍戦隊シンケンジャー』で、先週の回に出てきた敵が「本人が内心気にしていることを読み取って指摘しダメージを与える」というイヤーな能力を持っておりました。 たいへん面白く見たあと、さて私なら何を言われたらいちばんキツいかな?と考え、わりとすぐに思いつきました。でも本当に言われると切ないので伏せます(笑)
ちなみにお話では、敵が繰り出す悪口(しかも図星)攻撃に他のメンバーが次々とダメージを受けていく中でひとりだけが、子供の頃からのろまで悪口ばかり言われていたから自分には効かない!と雄々しく戦うのですが、相棒いわく自分はこの子の感覚に近い、のだそうです。そうなのか… 思わず学生時代に無神経な発言などを相棒に向かってやらかしてなかったかしら、と回想してしまいました。(でもそれはきっとあったと思う…)
ダメージを受けた中のひとりは「ファザコン」「マザコン」と言われてガックリ来ていたのですが、親離れできてないって意味だったら私もそうかも?と思い、そもそもファザコンとかマザコンって世の中でどのように定義されているのか、とWikipediaなど見てみましたら、読解力不足でどうもよくわかりませんでしたが該当してると言われても抗弁できないかもしれませぬ。 まあもし言われてしまったら大事な人のことが力いっぱい好きで何が悪いのかしら?と開き直ってみようと。
拍手ありがとうございます。
>mさん
貴重なアドバイスありがとうございます!参考にさせていただきます。 兄がやや不動産関係なので、話が具体化するようなら相談してみようと思います。 と思っていたら不動産屋さんから「お隣さんから問合せがきました」と連絡がありました。本当に本気だったのかー!といまさら驚いております。
相棒の日記が更新されております。 忘れたころにふと書かれるので、どうぞお見逃しなく(笑)
で、ナイトキャップのお話。 『戦国BASARA』のアニメ、4月3日金曜26時25分からって…(注:関東エリア) いくら週末とは言え、リアルタイムでは見られそうにありません。 最近のテレビアニメは夜中の放映がほんとに多いですね。『ささめきこと』や『青い花』も深夜なのかなあ(後者は特にそれっぽい)。昭和育ちのわたくしにはちとハードルが高うござりまする。
たいへん遅くなりましたが、拍手ありがとうございました。
>N島さん
『プ〜ねこ』面白そうです♪ もともとは少女マンガ出身なのですが、ジャンプに載ってる作品にすごーく長い周期でときどきハマります…って、最初がキャプテン翼、次が幽遊白書、その次が銀魂なので周期長すぎですね!
>Hちゃん
腰痛復活ですか(涙) おばあさんのような歩き方って、大丈夫!?再来週はうちに車を置いてもらって歩いて街に出ようと思っている(街中はお祭りで大渋滞になるので)のだけど、いかがなものかしら…
| 2009年03月22日(日) |
家売るぞ日記(その7)ひょっとして? |
昨日の日記はあまりに感情的すぎる…のですが、正直な記録ということで残しておきたいと思います。ご容赦くださいまし。 まあ、上がったり下がったりするのは仕方ないかなと。<開き直ってるし…
2階はだいたい見終わって、作業は1階に移ってきております。来週最大の難所である台所に着手してやっつける予定。 それにしてもそこらじゅうに45リットルのごみ袋や束ねた本やら戸棚から出した食器類やらが積み上がってえらい状況になってます。今のところ、4月の2週目か3週目に廃棄業者さんを頼んで一気に持っていってもらう見込み。 ただ再来週、お花見にきてくれるH&S夫妻をお泊めする予定があるのですが…こんなゴミ屋敷にお客様を連れてきて本当にいいのだろうか…(涙)
23日から1週間の予定で例の雨漏り対策工事が入ることになったので、両隣と裏の家に菓子折りを持って挨拶にいきました。売りに出すこともまだ伝えていなかったし、いろんな人が出入りしているのを心配されるといけないですし。
この日は長兄がやってきて手伝ってくれました。前回同様いろいろ持って帰ったので、家庭争議の種にならないかと心配です(苦笑)。姪1号が大学を卒業して帰ってくることになりあちらはあちらで片付け中なのに、文学全集とか持ってったからな…。くわばらくわばら。
天気が荒れて帰りの電車のダイヤが乱れてしまいどうしようと思っていたら、長兄が家まで送ってくれて本当に助かりました。おかげで自宅に持っていく荷物も少し運べたし。こういうとき車があるとやっぱり便利ですね。
そして。 明けて月曜の朝、携帯に見知らぬ番号から電話がかかってきました。 日曜に挨拶まわりをしたうちの1軒からで、伺ったときは奥さんがお留守でだんなさんに家を売りに出すことを伝えていたのですが、電話をくれたのは奥さんでした。 どこの不動産屋さんに頼んでいますかと訊かれたので、何か苦情でもあるのかと慌てましたが、よくよく聞くと、だんなさんのお兄さんが独り暮らしになり、お隣だとちょうどいいので不動産屋さんに購入の問合せをしようかと思う、ということのようです。 おおおお。 まだ家の中をいっしょうけんめい片付けている状況なのですが、ご縁があったらぜひ…と言って、不動産屋さんの連絡先を伝えました。不動産屋の担当さんにも、こういう話があったのでもしかすると問合せがいくかもしれません、と連絡済み。 もちろん決まったわけではありませんが、声がかかったのはありがたいことですね。なまじ知り合いだとかえって難しいのかな?という心配もありますけど、具体的なやりとりは不動産屋さんを介してする(そういう契約になっていて、私が希望者と話を勝手に進めることはできない)わけですし。 ひょっとしてひょっとするかしら。
| 2009年03月21日(土) |
家売るぞ日記(その6)さようなら、ピアノ |
幼稚園のときはオルガンを習っていました。 小学校にあがった頃にピアノにかわり、それにあわせて両親がヤマハのアップライトピアノを買ってくれました。 私と同じくらいの世代の女の子がいる家には、かなりの割合でピアノがあるのではないかと思います。
ピアノを弾くのは好きでしたし、可愛い洋服を着せてもらえる発表会も楽しみでしたが、幼い頃から今と変わらず怠け者だった私は地道な練習がとにかく大嫌いでした。それでもまだ小学校低学年のころは持ち前のハッタリでなんとかなっていましたが、手が小さく1オクターブ届くのがやっとだったこともあり、少し難しい曲を弾くようになってきた4年生くらいの頃になるともうやめたくてやめたくてたまらず、どうやって週1回のお稽古をさぼろうか、と頭を痛めていた記憶があります。 結局、せっかく両親ががんばって買ってくれたピアノも、お稽古に通ったのはたったの5年間でした。母はさぞかしがっかりしたことでしょう。
中学、高校時代は時々思い出したように昔教わった曲を弾いてみたり、ニューミュージック(今となっては死語ですが)の楽譜を買ってきてたどたどしく弾き語りをしてみたり、でした。 大学は合唱団にいたので、音取りや伴奏の練習でそれなりに弾いていました。 でも社会人になってからは蓋を開くこともなくなり、二度の引越しについてきてくれたピアノは物置と化していました。
いま住んでいる部屋にこのピアノを持っていくことはできません。 楽器店に電話して、引き取りにきてもらうことにしました。
古いものですし、国内では売れないそうです。今はこういう中古ピアノはもっぱら海外に輸出されるのだそうですが、昨今の円高で輸出も止まっているとのこと。 てっきりこちらがお金を払うのだと思っていましたが、逆に2万円支払われました。買ってから33年も過ぎているのに、と驚きました。 たぶん明日引き取りに来られると思います、と楽器店の人が言って帰ったあと、ピアノに突っ伏して泣きました。
両親がどれほど私を愛していてくれたか、今ならこんなに胸が張り裂けそうなほどわかるのに、私はどこまで愚かなんだろう。 今さらこんなふうに悔やんだって、もう何も償えない。その上私は、両親の思いがいっぱい詰まった家や品々を、どんどん捨てていこうとしている。
約束どおり翌日には運送業者さんが来てくれて、私のピアノはほんの10分足らずで運び出されていきました。
| 2009年03月20日(金) |
家売るぞ日記(その5)戸棚から出てきたもの |
おお、だいぶごぶさたしてしまいました…
三連休を控えた木曜の夜、ひょっとしたら日曜は休日出勤!?という事態になり慌てましたが幸い免れ、結果的には実家でどっぷり過ごし、たいへん濃い三日間となりました。
初日、土曜日のことです。
一階リビングのキャビネットにどっさり入った書類や手紙などの類を片付けていたところ、封筒に入った何かの本のコピーらしき紙の束が出てきました。 中を見てみると、公に出版された本ではなく、幼くして亡くなった子供ふたりの追悼記を親が自費出版したもののコピーのようです。
登場してくる人名や地名などから推測するに、どうやら書き手は私の母方の祖父母(私の母の両親)と大伯父(祖母の兄)。 そして亡くなった子供ふたりというのは、私の伯母(母の姉)にあたる人たち。 母は五人きょうだいの末っ子で、お兄さんとお姉さんが二人ずつだと思っていましたが、実は長女と長男の間にもう二人女の子がいて、七人きょうだいだったのですね。 早く亡くなったお姉さんがいたという話は母から聞いた覚えがなかった(兄たちにも訊いてみたけどやっぱり知らなかった)のでちょっとびっくりしました。
亡くなったのは大正十三年、母が生まれる六年前(ちなみに父が生まれた年)。お盆の頃、暑い盛りのほんの十日ほどのうちに、立て続けに疫痢にかかってあっという間に亡くなってしまったのでした。わずか六歳と四歳だったそうです。 祖父はいまの慈恵医大で学んだ眼科医だったので自身はもちろん専門外だったでしょうが、つてを頼って当時としてはおそらくかなり高いレベルの治療が施された様子でした。 祖父が綴った、医学の徒でありながら我が子を救えなかったことへの嘆きと後悔、祖母が娘たちの生前の愛らしい仕草や言葉のかずかずを大事に大事に思い起こし悲しみに暮れている様子、いずれも涙なしには読めませんでした。
祖父は昭和十二年、祖母は私が生まれた昭和四十四年に亡くなっています。今まで、昔話には聞いたことがあっても本当にいた人たちなんだという感覚は全く持っていなかったのですが、こうして祖父母がしたためた文章を読んでみて初めて、確かに生きていた、自分と血がつながった生身の人々であることを実感した次第です。
子供の頃買い食いしたくて母にねだると「ママが小さいとき、おばあちゃんは“疫痢になる”って絶対買ってくれなかったのよ」と言われるのがお約束のようになっていました。単におばあちゃんは衛生観念が厳しい人だったんだなあ、と思っていただけでしたが、そりゃ厳しくもなりますよね、二人続けて子供を亡くしていれば…。まさかとは思いますけど、祖母は母にお姉さんたちのことを話さなかったのでしょうか?それとも母が、私を怖がらせたくなくて言わなかったのでしょうか。今となっては確かめようもないことですが。
母方の祖父母は愛児の死を一冊の本にまとめて悼みました。 両親は手帳やノートのあちこちに日記めいたものを書き残し、そしてだいたい挫折しています。父が死の間際までパソコンで書いていた日記はかなり長期間続いていますが、そのほかの日記帳や手帳はあまりにいろいろなところにあるので、整理する側としては大変にきびしいものがあります…。 私もこの「つぶやき」をはじめ、小学校のころから長短織り交ぜ日記の類を書いています(今のところ挫折していないのはここだけ)。
日本人は記録好きの人種だとはよくいわれることですが、この記録癖みたいなものも、血のつながりの証なのかもしれません。
今日は休みを取って美容院に行ってきました。 けっこうばっさりと切ってもらい、ここ10年で一番短くなりました。洗ったあと速く乾きそうです。ここのところなんとなくくさくさしていたので、さっぱりすっきりしました。
先週木曜に病院にいってきた腹痛はいちおう治まってきております。薬が効いてくれたのかな。
拍手ありがとうございました。
>Pさん
私は占いを気にしないと思いながら気にするほうなので、あえて見ないようにしています(笑)お互い大事にしましょうねー。
この土日も実家で引き続き片付けを進める予定にしておりました。
先週の金曜夜7時少し前、上野駅に向かっていた山手線車中にて。
車内ドアの上に小さなモニターがついていて、ニュースやCMのほか、首都圏の路線で遅延などが発生した場合、「ピンポンパンポーン」という小さな音のチャイムとともにお知らせが流れるようになっています。 座って携帯を見ていたらそのチャイムと同時にわたくしの携帯にもメール着信。う、イヤな予感(普段通勤に使っている路線と実家にいく路線が遅れたとき、メールでお知らせがくるように設定しているのです)。 案の定実家にいく路線でほんの数分前に人身事故が発生し運転見合わせ中とのこと。うわーん、21時の指定席持ってるんですけどー。
こちらも仕事を終えて上野にやってきた相棒と合流して様子を見ていましたが、なかなか運転が再開されず、見込み時間が発表のたびに少しずつ繰り下がっていく状況。 21時半頃ようやく19時半の特急が発車するということになり、これでは当初予定の21時の特急がいつ出るかわからないし、それより早く出る列車に乗るとしたら自由席争奪戦は必至。にわかに「今週は行くのやめようか」という気分が私の中で優勢を占めてきたのでした。普通にいけるならともかくこの状況、ここで一週休みを入れて、来週からまたがんばろう!と相棒と相談し、自宅に帰りました。 少なくとも土曜は外に出なくてすむようにしっかり買い物をして、バッタリ寝ました。起きたら11時半すぎてました。やっぱりけっこう疲れてたみたいです。
ちなみに土曜朝にいくという手ももちろんあったわけですが、その根性はなかったですし、土曜も早朝から強風でまさかの連日運転見合わせ。再挑戦しなくてよかった…。 こじつけのようですが「今週は来なくていい」と誰かに言われているような気分になりました。
かくして土曜は一歩も家を出ずにだらーんと過ごし、日曜は近所に出かけてビール飲んできました。 予定は遅れちゃったけど、今度は三連休だし、また気分新たにがんばろうと思います。
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