ちむたんのつぶやき
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2008年02月04日(月) 「しか」なのか「も」なのか

日記書かずにいて申し訳ありません。

父が亡くなってから二週間が過ぎました。
二週間「しか」なのか二週間「も」なのか、よくわからない気がします。
ただ、命日の1月20日から二週間さかのぼってみれば、私はそれなりに心配しつつも名古屋に行っていたんだと思うと、やはりこの展開のすさまじさに慄然としてしまいます。

悲しみは、間欠泉のようだなあ…と思います。
ふだんはそれなりに普通に振る舞えていますが、仕事の手がふっと空いたとき、なにか思い出したりしたとき、たかぶった感情が嵐のように押し寄せてきて、洗面所に駆け込んだりしていました。
亡くなった直後は、やるだけのことはやったから後悔はないと思っていましたが、日常に戻っていろいろ考えていると、あとからあとから父に申し訳ない思いが爆発するように湧き起こり、苦しくなります。


いま最大の後悔は、亡くなる前の晩、病院に泊まってあげなかったことです。
私がちょうど病院から引き上げようとしていた19時過ぎ、それまでいた6人部屋から4人部屋にこのあと移りますと看護師さんに言われたので父に話したところ「それなら広くなるから○○(私の本名)も泊まれるね」と安心したように言いました。
泊まりでの付き添いは母のときに経験し、体力的に実にきついものだと知っていた私は、これからまだ先があるのだし、よほどのときでなければ泊まりは避けたいと考えて「うん、でも今日は帰らせてね。私もバテちゃうからね、ごめんね」と言って帰ってしまったのでした。
…それが最後の夜になると知り得なかった、神ならぬ身のどうしようもない悲しさです。一生抱えていく切なさだと思います。




そんなことを言っておいて、いきなり俗っぽい話になってしまうのですが。
一家の主が亡くなるというのは大変なことですね。母のときには母名義の預金の解約と生命保険の請求程度で、それほど困った記憶はないのですが(父が元気だったのももちろんありますけど)。

相続はもちろん、年金や公共料金など、さまざまな手続きが気が遠くなるほどたくさんあります…というか、あるようです。
父は書類の整理などがあまりきちんとしていなかったので、何をすればいいのか洗い出すのも五里霧中といった感じです。お葬式の翌日、きょうだい三人で「お父さん、こんなの自分でやってよ!」とかいいながら探し物をしました。生命保険に入ってたのかもどうもわからないありさまです。
一体何から手をつければいいものやら。もちろんいくつか済ませたものはありますが、気ばかり焦って進みません。

元気だった頃に私がいろいろ聞いておけばよかったんでしょうが(実際、書類を入れてある引き出しなどを見るにつけ、このごたごたぶりでは何かあったとき大変そうだなあ、と思いもしていたのですが)やはりそれは聞けなかったですね…。

私がもう少しちゃんと把握してると思ってたのかなあ。ごめん。
でも、考えたくなかったんだよ、お父さんに何かあるなんて。


いえ、相続はこうする、という遺言状と、そのほか亡くなったらこのようにせよ(母の眠っているお墓に必ず葬れ、とか)という手紙はちゃんとあるのです。
どちらも指示はわりと大雑把ですけど…頭を働かせてがんばれという父の愛なのかも。
遺言状は自筆なので、実家のある街の家庭裁判所に相続人全員で出向いて、検認という手続きをしなくてはならなかったり…。
法律家でありながら、一体全体なんで公正証書遺言にしなかったのですか、おとうさま。
知り合いだからこそ、頼むのがめんどくさかったのか。


その遺言状には、家は私に遺すとあります。
これからどうするのがいいんだろう、と思います。住めないのだから処分するのか、それとも残すのか。
残すにしても空き家にしておくのか、貸すのか。
兄たちと一緒に相続の手続きを進める中で、だんだん方向は見えてくるのでしょうが。


何はともあれ、この週末は実家で父の部屋の片付けからはじめました。病院から持って帰ってきた荷物などで、だいぶ散らかっていたので。
着道楽の父は、それはそれはたくさんの洋服を持っています。どの服にも、まだ父のぬくもりが残っているような気がしました。


2008年01月28日(月) すべりだす時間

先週金曜から出社しています。
朝、未読メールが300通ほどあって昏倒しそうになりました。4日間休むと、さすがにいろいろな人に迷惑をかけていました…。

土日は近所のスーパー銭湯に行ったくらいで、あとは自宅でゆっくりしました。

そして今日は月曜日。いよいよ通常モードでスタートです。今週は月末週なので、気合を入れて仕事しなくてはなりません。


いつも通りの光景の中に、ひとりだけが欠けています。

平日は毎朝6時過ぎにおはようコールがかかってくるのに。
実家にいかない土日は、9時ごろになると「もう起きた?」というメールがくるのに。
毎週はじめには、Yahooの週間天気で、父がゴルフにたいてい行く月・水・金の予報をチェックして、寒そうだなあ、とか心配していたのに。
テレビの話題への雑感や、野球や大相撲の結果や、庭に花が咲いたよという報告、そういうメールがしょっちゅう届いていたのに。
英語のクロスワードパズルを、丸善で買って送っていたのに。
父の好きそうなつぶあんのお菓子を見かけるといつでも、今度買っていこうと思っていたのに。

ついこの間まで当たり前だった数々のこと…。


いつもの時間の流れ、そこに織り込まれた習慣の中に、父だけがいない。
仕方のないことだとよくわかってはいても、その事実が、ほんとうに寂しいです。


2008年01月25日(金) 帰ってきました

ゆうべ帰ってきました。
先週金曜の夜に実家に戻ったのが、あまりにも昔のようです。

メールや拍手のメッセージをくださったみなさま、本当にありがとうございました。とてもうれしかったです。
個々にお返事できず申し訳ありませんでした。


おかげさまでお通夜・告別式と滞りなく済み、その日のうちに父の遺骨を母が眠っているお墓に納めました。
二人とも喜んでくれているのではないかと思います。けんかしているかもしれませんが。

きょうだい三人で、たくさん話をしました。貴重な、貴重な時間でした。両親の贈り物のような気がします。
私が生まれる前の両親について、今まで知らなかったことをたくさん聞くことができました。


もう少し気持ちが(仕事も…)おちついたら、記憶が薄れないうちにここまでの日々の記録を書きたいと思っています。これからの自分のために。


たまらなく寂しくはありますが、悔いはまったくありません。
父が、母が、この胸の中に確かにいてくれるからだと思います。


2008年01月20日(日) ありがとう、また会おうね

今日14時38分、父が逝きました。
83歳、2月7日の誕生日まであともうわずかでした。
入院から5日で、最期までがんだと知ることなく、あっという間に逝ってしまいました。

いまは自宅に戻ってきています。眠っているだけのような、つい声をかけたくなるような、とてもやすらかな顔です。


昨日の時点で余命はおそらく2、3週間、でも急変も起こり得ます、と言われていたのですが、まさにその言葉どおりになりました。
朝9時半に看護師さんから、呼吸が危険な様子になってきているので家族を呼んだほうがいいと勧めていただいたおかげで、きょうだいと父の妹、みんな揃ってみとることができました。病院のスタッフの方々には本当によくしていただき、心から感謝しています。

相棒は最後に少しだけ父と言葉を交わせましたし、臨終に立ち会ってもらうことができました。この巡り合わせに感謝します。


おとうさん。

今日まで、本当にありがとう。可愛がってくれて、大事にしてくれて、本当にありがとう。
お父さんの娘に生まれ、お父さんとたくさんの時間を過ごせて、私は幸せでした。


お母さんと一緒に、また会いましょう。
ありがとう。


2008年01月16日(水) 嘘をつく

父には、今までたくさん嘘をついてきた。
ほとんどが、知られたらなんとなく都合のわるいことを隠すための嘘だった。
友達と温泉にいくとか、ご馳走をたべるとか、一人暮らしの父に対して私ばかり楽しい思いをするような場合が多かった。


これから私は、父に一番大きな嘘をつかなくてはならない。

胃がんが肝臓にまで転移していて、もはや快復は望めないこと。
あとは、なるべく苦痛を緩和するための治療を行っていくしかないこと。

これらの事実を、病気をあれほど怖がっていた父に、最期までなんとしても隠し通すために。


大好きな父に少しでも安らかな眠りを。どうか。


2008年01月15日(火) こもごも

復活の「ヤッターマン」。昨日が第一回放映日だったんですね。チェックしていなかったため見逃しました。リアルタイムで旧作を知る者としては初回はとりあえず見ておきたかったので残念です。ひょっとしたらYoutubeとかには上がってるのかもしれないけど、そこまでの熱意はない(笑)
あ、こんなことを書くともしかしたらDVDを焼いてくださるありがたいお友達とかいらっしゃるかもしれませんが(いないか)、現在留守が多く荷物の受取がはなはだしく困難な状況なので、お気持ちだけお受けしておきます。全くもって念のため。
…そういえば主題歌は旧作と同じなのであろうか?


三連休は実家にこもりっきりで、食料品の買い物に出たくらいでした。寒かったし、父からあまり目が離せなかったですしね。
13日はすごい強風の中、消防の出初め式をやってました。実家のある市は消防本部が今月下旬から新庁舎に移転するので例年より気合が入ってたのかもしれませんが、あの強風ではせっかくの出初め式も大変だったろうなあ。会場に向かって歩いていた制服姿の職員の人が、帽子を風ですっ飛ばされて一瞬呆然としていたのを目撃しました。

父は朝はまあまあ元気で、ジュース・ヨーグルト・食パン半分くらいは食べられるのですが、昼や夜はアイスクリーム、おじやや温かいおそうめんなどをほんの少し口にするくらい。体力が落ちているのに食べられないというのが見ていて心配なところです。
吐いたりおなかがこわれたり、ということは今のところないのですが、食後しばらくして背中がなんとなく痛むそうです。ふと気づくと座ったまま眠ってしまっていることも頻繁になりました。
寝室は二階にあり、日中も二度くらい昼寝をしにいくのですが、階段を上がると傍で見ていて怖いほどひどく息切れしてふらふらします。着替えや洗面、お手洗いなど身の回りのことは一通り自分でこなしますが、いちいち消耗がひどいので思わず手を出したくなるくらい大儀そうです。

疲れてぼんやりしてきて、1〜2時間くらい昼寝をして下りてくると少し元気になっている、という感じ。
13日の夜は7時くらいに寝てしまったあと、9時半に下りてきて、昔の仕事の思い出を1時間ばかり話してくれました。話しぶりを聞いていると、声に少し力がありませんが話の流れはよどみなく、内容もしっかりしています。
テレビのニュースにコメントしたりもしますし、趣味のクロスワードパズルやPCのトランプゲームも少しずつながらやっています。頭の働きのほうはほとんど鈍っていないですね。むしろ私よりしっかりしているかも(苦笑)。

どこか病気はあるだろうけど、薬でどうにかできて、入院するほどではないんじゃないかね、と本人は言います。
私も病気自体が今すぐ命があやういほどの状態だとは思わないのですが、体力がかなり落ちているので、そういう意味で入院を勧められる可能性はあるかな?と考えています。
明日の診察で、先生がなんとおっしゃるのか…。


2008年01月13日(日) 帰省中です

三連休はバッチリ帰省です。これから先、土日はないんだ…。
明日の夜帰って、火曜は会社行って、その晩また実家です。はー。負けないわっ。

父はだいぶ弱ってしまっていて食事の量もめっきり落ちており、先月の今頃と比べると愕然とするほどですが、なんとなく入院にはならないんじゃないかな…という気がしています。ほんとに勘ですけど、そこまで重態ではないよなあと。
入院しないとウィークデイはこの状態で一人でいてもらうことになるので心配は心配なんですけども、なるべく家にいさせてあげたいと思いますしね。

先週金曜に、いつも外出の多い上司が珍しく本社に来たので、状況報告をしました。
密かに狙っていた、メール送受信+基幹システム&共有ファイルサーバへのアクセスを実家でできるようにしてもらって在宅勤務…という夢はあっさり破れてしまいました。セキュリティ上、メールの送受信はOKだけどそのほかは許されないのだそうです…。ケチー。
それがダメだと、基幹システムとサーバからデータを取る作業を出勤している同僚に全部頼まなくてはならないので、かなり迷惑度が高くなってしまうのですよ。
上司はわりとイージーに、他のふたりに頼んで…と言ってましたが、できれば迷惑は最小限にとどめたいんだけどなあ。ふたりともとてもいい人たちですが、ひとりは小さなお子さんがいるお母さんだから残業は絶対できないし、もうひとりは派遣さんなので、あまり負荷が大きくなると辞めてしまう心配があるし。難しいなあ。

ひととおり事情を聞いてくれたあと、私に辞められたら困るし、誰にとってもいつかは他人事じゃないので出来る限り協力するから、と上司に言ってもらえてありがたかったです。

あとは時短勤務を許してもらって、実家から通うことも考えようかなと。けっこうキツいけど、出来なくはない感じなので。
などなど、長引いても辞めずになるべくみんなハッピーに両立させる手段をいろいろと思い巡らせております。ここを辞めたら、次は正社員の口はないしな。(鼻息荒く)


拍手やメールでお見舞いメッセージをくださった皆様、ありがとうございます。勇気がわいてきます。

A様(ですよね?)、本当に相棒がいてくれてよかったと思います〜。この三連休も一緒に来てくれてるんですが、昨晩寝る支度をしてるとき、いまこの瞬間一人だったらどれだけ辛く心細いことだろうとつくづく思いました。

「患者さんに接する時の一言一言がどんな影響を与えているのかと思うとコワイ」とお書きくださった方、言葉がたりず申し訳ありません…。
母が入院していたときのスタッフの皆さんにも、私は今でも心から感謝しているのですよ。入院中は忙しいなかとてもよくしていただきましたし、在宅看護するにあたっては往診してくれるお医者さんや保健婦さんを紹介してくださったり、本当にありがたかったです。
病気という切ない事態の中では、看護する側もされる側もどうしようもない辛さはありますが、それでも必ず伝わるやさしさ、残るやさしさがあるのだということは、あの時心から実感し、その思いに今でも支えられています。


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