ちむたんのつぶやき
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もうすぐ年賀状の受付が始まりますね。 11月中に早期申込み割引で印刷を頼んでおきましたが、まだ1枚も書いていなかったので今日から書き始めました。
自分の住所・名前・電話・メールアドレスは印刷してあるので、一言書き添えて、あとは宛先を書きます。以前は筆まめを使って宛名印刷したこともありましたが、基本的に宛名書きが大好きなのと、そんなにたくさん出すわけでもないので、ここ数年はずっと手書きです。 宛名を書いていると、相手の人が住んでいる場所に思いが飛んで楽しいんですよね。そこへ行ったことがあってもなくても。
ただ、字は年々とめどなくヘタになっていっておりますので、私から年賀状を受け取る方は…覚悟しといてください(苦笑)
3日間めそめそした日記を書き続けてさすがに飽きましたので(…付き合わされる方々の身にもなれよ)、本日より通常運転に戻りたいと存じます。 突然ですが、今日総務から私のいるオフィスに勤務する全従業員宛に届いたメール。
「各位 12月29日(土)〜1月6日(日)までは年末年始のお休みとなります。 28(金)には大掃除をするため、前日の27日(金)には冷蔵庫/冷凍庫の 整理を始めていきたいと思います。
封が開いているもの、賞味期限が切れているものはどんどん捨てていきます。 名前がついている場合は確認をとってから処分致しますが、ない場合は 申し訳ありませんが総務が処分に踏み切りますので予めご了承くださいませ。
年を越して保管したいものについては必ず名前を明記しておいてください。 名前がないものは冷蔵庫/冷凍庫内の整理をする為に処分してしまいます。 ご理解とご協力の程、宜しくお願い致します。」
第一段落の曜日の間違いが惜しいところですが、それより何よりこの固い決意に満ちた文章が妙にツボに入ってしまい、あわてて冷蔵庫に入れていた野菜ジュースを取りにいってしまいました。 ちなみに入れたのは今朝ですので私は無実です。
このメールの後に、2008年の休日一覧表も届きました。 …って、ちょっと待て。
最終営業日が12月29日(月)になってる!!!???
28日が日曜なら、最終営業日は26日(金)じゃないのー?(涙) 前の会社はそうだったなぁ…。
ということは、29日夜に帰省して、年越しまでまる2日しかないって!!? 少なくとも掃除は無理だな。<心なしか開き直ってる
って、今年もまだ終わっていないというのにもう来年末の話ですか。鬼が笑うわ。
| 2007年12月10日(月) |
挫折しかけながらもよかった探し |
メロウな日記が続いてしまいます。すみません。 これ書いて浮上したいです。
土日の出来事と日帰り実家往復が心身へのけっこうなダメージになってしまい、ヘロヘロの状態で出社。 気分的にかなり落っこちていたので、仕事が忙しくなかったのをこれ幸い、コアタイム終了の3時でフレックスして帰りました。
首から肩から腰からバキバキにこわばって痛むのでマッサージを受けに。担当の人になかばあきれられながらほぐしてもらい、おかげでだいぶ楽になりました。
マッサージで揉まれている最中や、買い物をしているときや、電車に乗っている間も、うすぼんやりした悲しさがこみあげてきて気がつくと涙ぐんでいたりしてちょっといかんなあ、という感じでした。
なにがこんなに悲しいんだろう。
帰宅してしばらくして、相棒のお母様が今年も送ってくださったりんごが届きました。 せっかく早く帰ってきたからりんごジャムの第一弾を作ろうと、6個分の皮をむいて刻みはじめました。 単純作業をしていると、いろいろ考えますよね。
私は父が46歳、母が39歳のときに生まれた子供なので、同級生のご両親と比べて自分の両親がずいぶん年配なのは授業参観などで理解していました。 なので、その頃からずっと怖かったです。 両親が倒れる日、離別する日を、一般的な同年代の人より早く経験することになるんだなと。
実際に母は、私が22歳のときに発病して25歳のときに逝ってしまいました。母が脳腫瘍にかかっており、余命はあまり長くないと診断されたとき、来るべき時、恐れていた時がとうとうきてしまった、と心底思ったのをよく覚えています。
でも理解できていることと、覚悟ができていることとはまた違うんですね。 幼い頃から親との離別の日を思って怯えていたというわりには、精神的に自立できてない自分をひしひしと感じます。 ああ、自立できてないから怯えるのでもありましょうが。
でもねえ。 怖いのは、私が両親をそれだけ愛しているからで。 両親がそれだけ私を愛して育ててくれたからで。 母はほんとうに、今でも思い出すと胸がつまって泣けてくるほど、こんな私を慈しんでくれたし。 父の愛はなんというかそのややベクトル違ってる?みたいな気もしばしばしますけれども、喧嘩ばっかりしてた時期もかなり長くありましたけれども、今でも一緒に暮らしたらあんまりうまくやれる自信ないですけれども、それでも愛されているのは感じますし。
そういう愛情にどう応えるかといえば、それはもう、悲しさも怖さも焦りも疲れもひっくるめて、私の全力で行くしかないんだろうし。
もうちょっと人間がドライにできてればいろいろ楽だったのかもしれないなあ、と正直思いますが、ウェットなところも両親からもらっちゃったものだから仕方がない。
そんなふうに考えていたらすこし気分が明るくなってきたので、いわゆる「よかった探し」をとつおいつしてみました。
父がもし一人でいたときに土曜日のような状態になっていたら、取り返しのつかないことになっていたかもしれない。 (そもそも今回東京に呼ばなければこういう事態も起こらなかったかもしれないんだけど、そこは目をつぶるとして) それに、まだ東京でよかった。もっと遠い旅行先だったら簡単に帰れなくて大変だった。 次兄や相棒が一緒にいてくれてほんとに心強かった。私一人で何もかも背負っているわけじゃないと思えた。
そんな感じで考えているうちに、りんごジャムはまあまあ美味しくできました。
ちなみに今日、父はゴルフにいったのでございます。 しかも一人で。 わたくしどものブーイングをものともせず。
お昼すぎに無事帰ってきたよ、というメールをもらったので相棒に伝えたら「いつも通りの行動がちゃんとできたことで、ご自分としても一安心なさったのではないかしらね。」といわれました。
至言なり。
| 2007年12月09日(日) |
家族忘年会だったのですが(その2) |
※前日に引き続き、重めの内容ですのでご注意くださいませ。
朝7時すぎ、父が起き出しました。けろんとしています。 ワインが口当たりがよかったのでハイペースで飲みすぎて脳貧血を起こしたんだ、と主張しています。(と言ってもグラス半分も飲んではいなかったのですが) 昨日の晩私がコンビニで買っておいた干し梅がえらく気に入ったようで、どんどん食べています。 そりゃ、戻したあとだし胃の調子はよくないだろうから、すっとしそうなものがいいかなって買ってきたんだけども。 こっちは昨晩寝たような寝てないような感じで、入稿前のシュラ場明け並の消耗ぶりなんですけども。
その後も朝食に出たデニッシュが美味しいといって、小ぶりながら4つも食べました…。 ややハイテンション?という感じ。いやいつもこんなもんか?
10時にチェックアウトして上野へ。親子三人で電車に乗るなんて本当に久し振りでした。次兄はちょっと離れたところの一人掛けの席で、私は父の隣で、それぞれ爆睡しました。元気なのは父だけ?
家に着いてお茶を飲んだりして少し休んでから、次兄が父に病院で検査をしてもらうことを再び勧めてくれたのですが、前より穏やかな反応ながらやはり返事はノー。 ただ、いつもかかっている内科で先日血液検査をしており、その結果を来週あたり聞きにいくというので、そのときに昨日起こったことを先生へ報告してください、と頼んだらそれはとりあえず了承してくれました。 次兄がそのとき一緒に行って先生と話したいと言ったところ、平日なんだし大げさになるからやめてくれ、と言われてしまいましたが。 次兄は去年はじめに糖尿病と診断され、数値を落ち着かせるために入院した経験をしたことから、健康管理にはかなり敏感で実体験に基づいた考えがあるので、私が話すより父もずっと真剣に聞いてくれた印象ではありました。
死ぬのはこわいし元気でもっと長生きしたいから無理はしない、でも病院でいろいろ検査されたりするのはかえって不安になるからいやだ、という姿勢は不動のもののようです。 それはそれで正しいのかもしれない。
理想は、友達とゴルフに行ってティーショットを打ったとたんにふっと意識がなくなってそのまま、だそうです。 それはそれで素敵なことです。皮肉でなく。
私はいまどうすれば一番いいんだろう。 いくら考えても、答えは出ません。 どんな成り行きになっても、ひとつも後悔しないなんてことは絶対にあり得ないのだと、母の死を通じて知ってはいるのですが。
悲しいのは父に対してではなく、いつか父を失う自分が悲しいのだと。 怖いのは、その日が確実に近づいていることを強く実感させられたからだと。 焦りを覚えるのは、そういう事態になったとき、うまく動けるか不安だからだと。 なにひとつとして、父のことを心配しているのではないんじゃないかと。 そんなふうに思えてなりません。 私の人生が父とは別に続いてゆくものである以上、それはある意味仕方のないことだと、わかってはいても。 これからどういう方向にがんばればいいのか、なんだか見えない気がするのです。
| 2007年12月08日(土) |
家族忘年会だったのですが(その1) |
この土日にあったことを、細かく思い出そうとすると胸が苦しいような気分になります。日記に書いておきたいのかどうかも、正直よくわからないのですが…。 以下、不快な表現を含むかもしれませんのであらかじめお断りしておきます。
ずいぶん前から予約や手配をして楽しみにしていた週末でした。 夕食は5月に行って父が気に入っていた銀座の「みやちく」の鉄板焼きのコース。ホテルは新橋の第一ホテル東京。
4時半、上野に父を迎えに行ってその足で新橋に向かい、ホテルで次兄と落ち合ってチェックイン。 父は部屋で休んでビールでも飲むよというのでそうしてもらって、6時過ぎに徒歩でお店に向かいました。 和やかに食事が始まり、父がふだんはあまり好まない上品な前菜も、なぜかここのお店のはけっこう喜んでくれるなあと思っていました。話上手な次兄もいたので、会話も弾みました。
これからお肉を焼きますね、ときれいにさしの入ったお肉を見せてもらい、うわあいいお肉だねえ、と歓声をあげ。 ふと左隣の父を見たら、様子がおかしいのです。 座ったまま両手をだらんと下げて、視線はうつろ。というよりほとんど白目をむいている状態でした。 傍に寄って呼びかけると、最初はうう、というような声がかえりましたが、大丈夫?どうしたの?聞こえる?と矢継ぎ早に声をかけるうち、返事がなくなりました。額にはびっしりと冷や汗が浮かんでいて、唇から今まで食べていたものが覗いていました。 最初に次兄が車を呼んでホテルに帰ろうと言ってから、父のただならぬ様子にいやこれは救急車だ、と二人で思い直すまでどのくらいの時間が経ったかはっきり覚えていませんが、1分もなかったように思います。
汗をぬぐい、必死に呼ぶうちに、父が意識を取り戻しました。どうしたのかな、ちょっと生あくびが出たと思ったんだけど寝ちゃってたかな、といいます。 そしてこう言いました。
悪いことをしたね、大丈夫だからみんなは食事を続けなさい、まだメインディッシュが出てないだろう?
ショックで無感覚になっていたのでそのときはなんとも思いませんでしたが、あとで思い返すとおかしいやら切ないやらで涙が出ます。
いま救急車が来るからねといったら、そんな大げさな、タクシーでホテルに帰ればいいよとかえって父が慌てたそのとき、ちょうど救急車が来ました。ずいぶん早く来てくれるんだなあと思った気がします。 血圧を測ったら120/110でした。
このあたりの受け答えはあまりはっきり覚えていないのですが、父はこの時点ではほぼ普段どおりに戻っており、救急隊の人に、私たちはお医者さんではないのでなんともいえませんが、病院に行ってもらったほうがいいと思いますよ、といわれてもいやいやそんな必要はありません、私は病院嫌いなもんで、と断ってしまいました…。 ご本人が署名してください、と差し出された書類(内容は確認できませんでしたが、おそらく救急車を呼んだのに搬送してもらわなかったことに対する証明のようなものだと思います)にもしっかりした字でサインをしていました。
このときどうして無理にでも病院に連れていってもらわなかったのか、ともいま思うのですが、私も動揺が最高潮だったのか、親の言うことには従わねばならないというような刷り込みがあったものか、強く言えませんでした。 実はこの週の火曜に会社に消防署の人が来て防災講習が開かれ、人工呼吸や心臓マッサージの手順などを教わったばかりだったのにもかかわらず、全く頭から飛んでいました。せめて呼吸をしているかどうかの確認くらいとっさに出来なかったものかと思います。
救急車が帰り、ふたたびタクシーを呼んでもらって来るのを待ちました。 父はまだかなり汗をかきながら、何があったんだろう、さっき飲んだワインが回ったんじゃないかな、とさかんに不思議がります。少し胃が重いともいいます。 いつもより多少ぼんやりしているような感じではありますが、それほど変わりはありませんでした。 ところが、そろそろタクシーが来るだろうから玄関まで行こうかと立ち上がったときに、食べたものを戻してしまいました。 このときが、救急車を帰してしまったことを一番悔やんだ瞬間でした。
しかし、戻したことでむしろ楽になったのか、父はさっきよりしっかりしました。次兄が腕を取って支えていましたが、見送ってくれるお店の人に謝りながらエレベータに乗って1階に下りるのも、タクシーに乗り込むのも、ちゃんと歩いていました。 タクシーの中では「12月の土曜日の銀座なのに、あんまり人が歩いていないねえ。車はたくさんいるけど」と父が外を見ながら言い「金曜日のほうが人は出るんじゃない?」と応えたのを覚えています。
ホテルに着いて部屋に入ると父は「もう大丈夫だよ、私は休むからみんなはちゃんと食事をしてきなさい」といいながら着替えてベッドに入り、ほどなく寝息をたてはじめました。この時点で7時半過ぎくらいだったでしょうか。
ごはん食べろっていわれても。
と、窓際の椅子に座り込む次兄と相棒と私。
しばらくして次兄に手招きされ、二人で廊下に出ました。 明日の予定を聞かれたので、上野発11時の特急を取ってあると話したところ、車で帰ったほうが楽なのかな、いったん次兄が神奈川の自宅に帰って車を持ってこようか、という話にもなったのですが、それも大変だしここは新橋。上野まではすぐだから、かえって電車でさっと帰ってしまったほうがいいのかも、という結論に達しました。 それにしても一人で帰らせるわけにはいかないから二人でついていこうということで、次兄が新橋駅まで行って同じ特急の指定席を買ってきてくれました。その間に長兄にも電話を入れてくれたようです。
部屋に戻ると父は静かに眠っていました。 次兄がほどなく新橋駅から戻ってきて、自分がついているからごはん食べてきていいよ、と言ってくれたので相棒と二人で部屋を出ました。 お店に入る気にはなれなかったので、ホテルの前のコンビニで調達。 さっきのお店でそれなりに食べていたこともあり、ヨーグルトを1個食べるのがやっとでしたが。
今晩は父の泊まっている部屋で寝ることにしたので(たまたまツインのシングルユースにしててよかったです…)、寝る支度をしてふたたび父の部屋へ戻り、次兄と交代しました。やはり食べる気がしないというので、コンビニを教えておきました。
相棒が11時くらいまで一緒にいてくれて、そのあとは父と二人きりになりました。 ベッドに入ると、今日一日のことがどっと思い出されて、息苦しいようでした。
父はときどきいびきをかいたり、乾燥肌なのでかゆいのか身体をかいたりしていましたが、起きる様子はなし。 3時に起き上がったので、気分が悪いのかと私も飛び起きましたが、時計を見るためでした。そのままお手洗いに立って、次に起きたのは7時でした。 と言っても、8時から3時までずっと眠っていたので、その後はうつらうつらした程度だったようです。
長い長い夜でした。
月島にあるもんじゃ屋さん「まぐろ家」の銀座店(といっても新橋のほうが近いけど)で、HちゃんSさん夫婦とクリスマス会兼忘年会。 なんだか、バレーボールネタでえらく熱く盛り上がってしまいました。
近年、天然ぶりにますます磨きがかかってきている感のあるHちゃんのボケにはたいへん和ませてもらいました。Sさんはサンタさんのようにすてきなプレゼントをくれたし。ありがとうございました。 相棒があげた「かわいいコックさん」の形の箸置き、使ってね(笑)
実はこの日の日記を飛ばしていたのでございます。 今となっては何があった日なのか全く思い出せませぬ。 小学校のときのクラスメートのA子ちゃんの誕生日だったな(中学で別のクラスになったし私が1年生の終わりに転校したのでそれ以来会ってません)。
今年の6月から毎日日記を書き続けていたのに、ようやく半年経ったここで中断してしまうのもくやしいし。 というわけでこれでお茶を濁したいと思います。きっと誰も気づくまい。フフフフ。(12/13記)
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