ちむたんのつぶやき
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2006年06月17日(土) Gonna make a sentimental journey(その1)

計画当初は「へへっ、また山形に行っちゃうんだもんねっ」としか思っていなかった、もう何度目になるのかよくわからない山形旅行です。
去年は5月末、さくらんぼが実る直前に天童に行くというお笑い旅行でしたが、今回はさくらんぼのトップシーズン、新幹線は混んでおりましたよ。

なんとなく先週から胃の調子が悪くて、おまけに頭痛も起こしていて、うっすらとした吐き気に始終悩まされつつの旅立ちとなってしまいました。
新幹線に乗り込んでしばらくしてぐったり眠ってしまい、目を覚ましたら米沢の少し手前。
眠い目に飛び込んできたのは、鮮やかな緑の山並みでした。
半年前に来た時に目に映ったのは一面の白銀、雪また雪。
季節の移り変わり、時間が流れていることを、この上なくはっきりと認識させられた一瞬でした。

旅行にいくとひたすら食べまくるのが常ですが、今回はその方面はいまひとつでしたね。でも食べたけど。
だって、山形駅に着いてその足で向かったのは池田屋さん。去年12月に行った時に品切れで食べ損ねたくるみ餅をいただきに。体調の悪さにも負けず、とっても美味でした。

しかし山形は今年初の真夏日だった由。蒸し暑くてかなりダメージを受けつつ、今夜の宿である月山志津温泉「仙台屋」さんに向かいました。

山形駅から、鶴岡・酒田行きの高速バスに乗ります。走るうちに車窓からはるかに見えてきたのは舞鶴山。
ああ、あそこが天童の町だ。
胸がきいん、と鳴るような心持ちでした。

あそこにはもう、トモさんはたぶんいない。
さくらんぼが紅くまるく実る緑の国に、トモさんの姿はなくなってしまった。

それはひどく寂しい思いでした。
でも、トモさんのおかげで私は山形という国の美しさを知ることができて、何度も旅して、その都度忘れられない思い出をもらってきました。
この先も自分でもきっと訪れるだろうし、どこに旅しようかと迷っている人がいたらきっと薦める、山形はいつの間にか私にとってそういう場所になっていたのでした。
だからいいんだ、だからいいんだよ、と何がいいんだかよくわかりませんが心の中でつぶやくうちに、舞鶴山は遠ざかってゆきました。

高速バスを西川バスストップで降り、そこから階段を下っていったところにぽつんとあるバス停で日よけもないまま20分ほど待っていると、町営のマイクロバスがやって来て志津温泉まで連れていってくれました。
自動車がないとなかなか大変なのが山形旅行の特徴です(山形に限らず地方はみんなそうだろうけどさ)。

山にはまだ雪があるんだねえ…(ちなみに月山では7月まで夏スキーが出来るそうです)と思って眺めていたら、バスを降りた足元にも残雪があってびっくりしました。融けかけて黒ずんではいたけど、けっこうな量がまだありましたね。
宿のお部屋は木がふんだんに使ってあって、居心地がとてもよかったです。
お風呂がちょっと狭いのが残念でしたが、清潔だったし。
お食事は山菜ざんまいで最高でした!
しかし、おなかがほんとうに一杯になってしまって悔しかった…量がそんなにバカ多かったわけじゃないのに(いわゆる温泉旅館の食事としてはごくごく普通の量だと思います)、食べられない自分がなんというか信じられない感じ。

快適なベッドでぐっすり眠りました(ヤクルトも連勝したしな!)。


2006年06月16日(金) 手羽先ナイト

会社のお昼仲間のみなさんと飲みにいきました。
金曜夜の新宿…人が、人がたくさん…(昏倒)

メンツの中の名古屋出身者リコメンド、世界の山ちゃんを初体験。
安くて美味しくて、こういう大勢で行く気の置けない飲み会にはうってつけという感じですね。
オタクな話題こそ出ないものの、命がけでバカ話してお腹がよじれるほど笑う、というノリが馴染み深い雰囲気で、居心地よかったです。

そして、交流戦の文字通り優勝決定戦、ロッテvsヤクルト3連戦の初日はまずヤクルトが取りました。やっほう!
このまま明日あさってと三タテじゃー!!

しかし私は神宮に足を向けることなく、山形は月山志津温泉に行ってまいります。山菜ざんまいです。

拍手いただきましてありがとうございました。

Mちゃん、うちの母の話聞いてくれてありがとう。母が最初に入院・手術した時にMちゃんからもらった手紙に「あなたが三人目に女の子として生まれてきたのは天のめぐりあわせのような気がします」と書いてくれていたのが今でも印象深い私です。

Pさん(ですよね?)、抱きしめてください〜(笑)

ベテランが語る心構え(笑)に反応してくださってありがとうございます。少しでも慰めになったなら、こんなに嬉しいことはありません。


2006年06月13日(火) まーけーたー

まことに残念ながら7-9で敗戦でした。
今シーズン、今日で3試合目の観戦になりますが、黒星先行であります。疫病神なのかオレ<マイナス思考

今日は会社を出るにあたってややひんしゅく気味(いえ、やれることはやってあったんだけど、雰囲気的に…)だったので、勝ってほしかったな。くすん。

9回裏2点ビハインド、二死満塁(つまりシングルヒットで同点、長打でサヨナラ)というところまで盛り上がったので面白かったことは面白かったんですが…。
まあしょうがない、明日からまたがんばってほしいし、応援するさ。

それにしても、米野&青木の同級生コンビにすっかりやられて帰ってまいりました。
もう完敗です。
いろんな意味で負けた一日でした。


2006年06月12日(月) 四年前

世間はワールドカップ一色でしたが、私の心は匠色だった<よせって
四年前のこの時期の自分の日記なんか読み返しちゃうと、あまりのいじらしさに泣けてきちゃいますぜ。
それにしても、ワールドカップが来るたびに好きな人が去っていくという展開にハマるのは避けたいものであります。三度目はありませんように…(不吉だからやめれ)


で。世間は今またワールドカップ一色ですが(そうでもないか、四年前は日本でやってたからもっとすごかった)、明日は神宮に行ってまいりますよ。
だって宮本慎也が「平日のナイターに来てください」って言うから…しかたなく…<ウソつけ
雨は降らなさそうでよかったです。


2006年06月11日(日) いついつまでも

トモさんの引退発表から、かれこれ2週間が経ちました。

拍手のコメントで「大好きな人の引退てのを初体験中。苦しい・・この気持ちの行方はどうなるのでしょう」とお書きくださったかたがいらっしゃいました。
お気持ち、心よりお察し申し上げます(レス遅くなって申し訳ありません)。

ではその問いに、愛する人の旅立ちを見送るのもはや3回目、既にベテランの域に達した(言ってろ)わたくしめがまことに僭越ながらお答えいたしましょう。


大好きな人にまつわるもろもろの想いは、心の中で星になります。

花になります。


身内でも知り合いでもない、自分とは何一つ関係のない人の一挙一動を見つめ、心躍らせ、時には胸を痛めて過ごした日々。
なんの得にもならないのに、ただひたすらに自分の心が、その人を見ろと命ずるからというだけで。
こんなにも打算から遠く純粋な感情には、人生において、特に大人になってからはそうそう出会えない、そんなふうに思うのです。

そして巡る季節に、折に触れ想いはよみがえるでしょう。
ワールドカップの秋に、Vリーグの冬に、黒鷲の春に、オリンピックの夏に。

さわやかであたたかな記憶として。

いつまでも、いついつまでも。


2006年06月10日(土) ばらのお花見

実家から車で30分くらいのところにある公園で撮りました。
暑すぎず、なかなかいい日でした。



2006年06月03日(土) 母の夢

今朝方はなんだかたくさん夢を見ましたが、その中に亡き母の夢もありました。
母が車を運転しており、私は助手席に座ってハラハラしていました。
なぜハラハラしていたか、というと。

母は私が幼稚園の頃に運転免許を取り、脳腫瘍の手術をする直前まで、15年以上ずっと運転をしていました。大きな事故にあったこともありましたが(相手の過失が大きかった)、なかなか上手なドライバーだったと思います。

1991年、忘れもしないクリスマスイブの夜、大学4年生だった私の下宿に父から「母の様子がおかしい」と電話がかかってきて、私はあわてて書きかけの卒論の原稿を抱え実家に戻りました。
母はほんとうに元気がありませんでした。気付くとソファーにずっと座り込んでぼうっとしていたり、家事をするのもおっくうそうで。
見た目にやつれた感じはそれほどなかったので、父と私はうつ病とかそういった類の心の病かもしれないと考えていました。

その翌日、母と私は買い物に出掛けることになりました。
実家の車庫は狭いので、普段はまずドライバーの母が車を出して、そこで私が乗り込みます。
ところがその日、母は私を乗せるために停止することなく、そのまま走り出してしまいました。
すごく驚き、私は慌てて車を追い駆けました。10mほど走ったところで母が気付いて停まってくれ、やっと乗ることができましたが、母が自分の行動をとりたてて異常だと思っていない様子なのにびっくりしました。
その後も、ガードレールに接触するんじゃないかというくらい左に寄ったまま走ったり、スーパーの立体駐車場に上がる通路でなぜか非常停止灯を点けっ放しにしたりと、明らかにおかしな運転を続ける母がおそろしかったです。
たまりかねて帰りは運転を代わりました(私もずっとペーパードライバーだったのでそれはそれで恐ろしかったですが)。
もしあんな感じでここしばらく運転していたのだとしたら、よく事故を起こさずに来たものだと慄然としたものです。
その晩帰宅した父に今日の出来事を伝え、もう運転はさせてはいけないし、絶対に明日は病院に連れていくべきだと話しました。
そしてCTスキャンを撮ってもらった結果、悪性の脳腫瘍という診断がついたわけです。
結局それが、母が車を運転した最後になりました。

夢の話に戻りますと。
母とは、楽しいドライブもたくさんたくさん経験してきたはずなのに、どうしてもあの日の印象が強烈なんだなと、少しさびしく思いました。
母が夢に出てきても、元気だった頃の姿があまりないんですよね。
あの、病名が分かる前の短い不安な期間を思い出すことが一番多い。
それまで明るくやさしく働き者だった母の突然の変貌に、心からショックを受けたんでしょう、私は。

なんだか悲しい話ですみません。


その配偶者である父は、母より6歳上ですが今日もなかなか元気です。
去年心臓ペースメーカーを入れる手術もしましたし、気管支が少し弱くなっていたり中性脂肪の数値が高かったり、いろいろ心配はつきませんが。なんせもう82歳ですから。

かかりつけのお医者さんにはやせなさいと厳しく言われているようですが、相変わらず食欲旺盛です。甘いもの大好き、果物大好きです。
運動量は大したことないのに(ゴルフに行かなければめったに外出しない)、食べる量はけっこうなものなので、肥る一方です。
でも、昔の写真を見たりして己の変わりようにびっくりし、これは少しやせなくてはと思っているようですが、なかなか難しいところです。

先週の稚内旅行で、土曜の朝に羽田で飛行機待ちをしていたとき、アイスコーヒーを買ってきて渡しました。
そそっかしいのと無頓着なのとで飲み物や食べ物をすぐこぼすので、クリームとシロップを入れてあげようとしたところ、父が「シロップは半分でいいよ」と言いました。
…なんかそれがすごくけなげで。
じーんとして、ちょっと泣きそうになりました。
甘いコーヒーが大好きなのにね。我慢するんだよね。
もう、父の喜ぶことならなんでもしてあげよう、と思いました。

そんな殊勝な気持ちは、その一瞬だけですけど(笑)

父は今日も、私がお土産に買ってきたきんつばを「1回1個にしなさいね!」と私にチェックされつつ美味しそうに食べています。
82にもなって娘に叱られ、好きなものも自由に食べられないとは難儀なことだ。


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