せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2009年02月18日(水) |
富士見丘小学校演劇授業 |
3、4時間目の授業。 篠原さん、渡邉さんと早めに待ち合わせをして、体育館のセッティング。 平田さん、馬場先生と一緒に。 体育倉庫側の仮設ひな段を組み立て、客席と通路の位置を決めて、パイプイスを置く。 劇中に登場する「海」の見え方を確認する。動かし方をあれこれしてみて、おお、これでいこうというプランが決定。キャストの誰にお願いするかも決めた。 4年生の保護者の方が、魔法使いの衣装をつくって持ってきてくれる。とっても、いいかんじ。 魔法使い役の女子たちがやってきて、フィッティング。デザインを検討する。おもしろいアイデアがまた生まれてくる。感謝。 本番の記録映像を撮影してくれる吉野さつきさんと青山学院大学のみなさんが今日は下見ということで来てくれる。 吉野さんとは、AGSの「ゴッホからの最後の手紙」に客演したときにお会いして以来、十年ぶりにご挨拶する。 子供たちがやってきて、授業開始。 今日は、先週やった中クラスと外クラスそれぞれの位置と動きを、全体で確認していくのが目的。 この広い体育館全体を使った演技エリアにどんなふうにいるのか、どんなふうに登場するのか、退場するのかを確認してもらいたい。 先週の授業のあと、子供たちが自分のセリフについて「こんな気持ち」と台本に書き込んだものを、馬場先生が抜粋して送ってくれた。 とてもおもしろく読ませてもらったのだけれど、今日はそのことについての返事はできないかもしれない、それは来週の稽古でと先に説明をして、まずはこの体育館で何をしなくてはいけないのかを確認していってほしいと話す。 まず、冒頭のダンスから。一度、踊ってもらってから、その前に歌うオープニングの歌を歌ってもらう。この歌とダンスのつながりについては、要検討。今日は、まずはこんなかんじで・・というところを演じてみてもらう。 その後は、本編を冒頭からラストまで。途中、出はけが曖昧になったところを、ちょっと止めて確認修正しながら、最後まで行ってみる。 中クラスチームは、前回、時間がなくて、ラストまで行けなかったのだけれど、ラストまでいっている外クラスチームにひっぱってもらう形で最後まで演じてもらう。 そして、その場でエンディングの歌を歌ってもらった。 初めての通し稽古終了。 子供たちから感想を聞く。 先週は見ることができなかった別チームを見ることができたのが、いい刺激になったようだ。 僕は、みんなが一人一人工夫して演じてくれたことがとてもうれしいとまずは話す。でも、自分の役がどんな人か工夫することも大事だけれど、言葉を相手に伝えることも大事だと。ボールに色をぬったりきれいにしたりすることはとてもいいことだけれど、まずちゃんと投げなくてはいけないねと。そのためには、誰に話しているのかをもう一度考えてみてください。それじゃだめだから、こうしてほしいという言い方は、僕はしないつもりです。それもいいけどもっとこうしてみてくれる?というふうなことを言うと思います。もっと、もっと。どうしたらもっとおもしろくなるのか、どうしたら、自分が満足できるのか、その「もっと」の部分を今度の授業までにいろいろ考えてきてください。 篠原さんは、本番まで自分を大事にしてくださいと話した。 50人全員でつくりあげないといけない、この舞台。一人が一役を演じているので、誰がいなくても、芝居が成立しない。 今日は、風邪で休んでいた子が二人いた。一人休んでも大丈夫なようにつくるやり方もあるかもしれないけど、それじゃおもしろくない。一人一人が、全体にとってかけがえのない一人なんだということを、実感してほしい。そのための演劇授業だと思うから。 その後、給食をいただきながら、今日も振り返り。今日の子供たちの様子について、演出プランについて、あれこれ話す。 次の授業は、来週の月曜。馬場先生に、それまでにやっておいてほしいことを、それぞれの役ごとに伝える。 月曜日は、後半からの芝居づくり。火曜は、前半二時間をチームに分かれての練習、後半を全体で通しということにした。 あとは、リハーサルを入れて、4回の授業。さあ、どうなるか。稽古の進め方、限られた時間の中で、これだけは伝えないとということを、ちゃんとリストアップしておこうと思う。
鹿殺し「ベルゼブブ兄弟」を見に、赤坂レッドシアターへ。 昨日から体がだるく、今日は仕事が休みだったので、昼間はずっと横になっていた。 出がけにふらふらするので、熱をはかったら、あららという数値。 二日続けてハードな芝居だったら・・と思いながら、えいっと気合いを入れて出かける。 父が亡くなったので十数年ぶりに集まった四人兄弟たちのお話。それぞれの子どもの頃のせつねい思いが語られる。 前回の「電車は血で走る」もそうだったけれど、子どもの頃の夢をいつまでも持ち続けて大人になった主人公たちというのが、今回も登場。 その中で、一人、完全に「大人」として登場する父親役の今奈良さんが圧倒的な迫力と存在感。 鹿殺しのメンバーは、今回もいいチームワークで芝居をつくりあげているなあと思った。 終演後、今日もそのまま失礼して、チョビちゃんにメールを送っておく。 このあと、神戸、大阪、福岡とツアーがつづく。行く先々で思い切りはじけて、熱い芝居をくりひろげてほしいと思う。
スロウライダー「クロウズ」を見に、シアタートップスへ。 今日は、ゲストで日下部そうくんが出演だそう。思いがけず、とてもうれしい。 開演してすぐに、「僕はホラーが苦手だ」ということに気がつく。 感染すると一度死んだあとゾンビとして生き返ってしまい、カラダが腐らない限り生き続けてしまうという疫病が流行した日本。防腐剤の処方を禁止したため本土では流行はおさまったものの、ある島ではウロコと呼ばれる女医が防腐剤をつくりつづけているため、ゾンビたちは共同体をつくり生き延びていた。その島に、県の職員がやってきて、ゾンビ達を退治しようとする・・・というお話。 以前、フライングステージに客演してくれた數間くんが、県の職員を演じている。エリート意識の固まりだった彼が、感染してゾンビになり、最後には犬のようになっていくさまが哀しい。部屋から閉め出されたことを受け入れられず、ドアを叩きながら、自問自答しつつ死んでいく様子がとても見事だった。 芝居としては、前回、スロウライダーを見たときと同じように、これはコメディなんじゃないかと、コメディとしてつくった方が、こわいんじゃないかなと思った。今回のように、ホラーとしてつくって、おかしみがあるというのも、もちろんありなのだけれど。 そうくんは、ゾンビたちの一人で、たんたんとゲームをしているキャラクター。当たり前だけれど、フライングステージに出てもらっていたときとは全然違っていることに、ドキドキする。 ラスト、やっぱりそうなるか・・・と思いながら、それでも、やはり救いのない(ように思える)ラストシーンに、とどめをさされたようになり、ふらふらと立ち上がり、劇場をあとにした。 數間くん、そうくんにも挨拶できず・・。申し訳ない。 家に着いてから、二人にメールを送る。
午後から、石関くんと一緒に大門伍朗さんのお宅へうかがう。 着なくなった着物を下さるとのことで、公演終了後のご挨拶をかねてお邪魔する。 稽古場、劇場でほんとうにありがたかった明太サンドのフランスパンを今日もいただく。 着物を見せていただきながら、芝居の話をたくさんする。いい午後のひととき。 こんなものまでもらっちゃっていいの?というような着物までいただいて(石関くんは、公演終了直後に一度うかがって、すでに振り袖や打ち掛けを大量にいただいている)、「この着物が着られる芝居、きっとやりますから!」と宣言する。大きな柄のなかなか見たことのないような、いかにも大門伍朗という人が仕立てたというような着物たち。おもしろい舞台を、いつか企画してみようと思う。 大門さん、どうもありがとうございました!
2009年02月10日(火) |
富士見丘小学校演劇授業 |
2、3時間目の授業。授業の前に、篠原さんと待ち合わせをして、富士見ヶ丘駅前のドトールで、今日の授業についての打ち合わせ。 今日は、特活室と視聴覚室、二つの教室に子供たちは分かれ、僕と篠原さんがそれぞれの教室で授業というか、演出を担当する。 今回の舞台、「お芝居をつくろう」は、演劇を作ろうとする小学6年生たちが「どんな芝居がいいだろう」とディスカッションをするお話。彼ら(便宜上「外クラス」と呼ぶ)が考えた芝居が、舞台上で次々と演じられる(これら劇中劇に登場するクラスを「中クラス」と呼ぶ)。この芝居の中には、さまざまなキャラクターが登場する。転校生、火星人、魔法使い、先生や役人たち。 今日から、本番まで成田独歩さんこと、渡邉力さんが見学に来てくれている。彼は、今年の六年生を去年、一度教えている。「どんな授業をしたの?」と聞いたら、「絵を元に芝居をつくってもらった」とのこと。1年ぶりの再会だ。 初めに、特活室で子供たちに、今日の授業の目的について説明する。今日は、前回の授業で、おおざっぱに伝えた位置と動きを、細かくていねいに、劇全体を通じてやってみる。前回の授業からの変更点もあるのでよろしくと。 篠原さんは特活室で「外クラス」、僕は、視聴覚室で「中クラス」プラス、劇中劇の登場人物たち全員を相手にしての授業を始める。 最初に、部屋全体を自由に歩いてもらう。ゆっくり、速く。そして、僕が手を叩いたら、ストップモーション。今回、「中クラス」のみんなには、このストップモーションを何度もやってもらうことになる。まずは、そのためのウォームアップ。 冒頭から、出はけと位置についての説明をして、演じていってもらう。子供たちは、セリフが全部入っているので、どんどんすすむ。誰も台本を手にしていないので、いちいち書き込んで覚えてねということもあえて言わない。今、この場で覚えてもらう。わからないことがあったら、僕たち(関根、篠原)や先生方に聞いてくれれば、わかるからねと言いながら。そのために昨日まとめた演出プランの共有なのだ。 稽古をしながらの細かい修正は、今日、僕の方にずっとついていてもらうようお願いをした馬場先生に書き留めていってもらう。同様に篠原さんの方には、平田さんがついていてくれる。担任の先生、田中先生と金丸先生は、両方の教室を往復して全体の様子を見ていてくれる。 4時間目は体育館が空いているので移動しようという予定だったのだけれど、稽古が白熱してしまい、また移動すると時間が足りなくなって終わりまでたどり着けないかも知れないと思ったので、そのまま、視聴覚室で続行(特活室も同様)。 劇中のストップモーションの場面、さっきのウォームアップではあまりぴんと来なかっただろうこの動きが、劇中に何度も登場するうち、子供たちの表情が変わってきた。 「かっこよく止まるにはどうしたらいいんだろう?」「止まるためには動いてないといけないね」などと細かく、ダメ出しをする。 ストップ、解除、ストップという連続の動きも登場する。順番にセリフを言うだけではない、カラダも一緒にそこにあるおもしろさが、どんどん生まれてくる。 中クラスの子供たちの一人一人が何を思うか、人の話をどう聞くか、それが、どんな行動になるかなどなどを次々明確にしていく。わかりやすい人間関係が立ち上がると、俄然、一人一人が生き生きとしてくる。大人っぽい女子、子供っぽい男子、少しクールな男子などなど。あちこちで、魅力的なキャラクターが生まれてくる。また、そんなお互いを見ることで、自分のキャラクターが逆に見えてもくる。 今日は、中クラスだけ、つまり、外クラスのみんなが考えている想像の世界の登場人物たちだけの場面をつくっている。 中クラスの登場人物の様子を、少し離れたところで、外クラスのみんなはずっと見ている。今日は、そのこともきちんと説明して、出番の終わった、またはこれからのキャラクターにその位置にいて見ていてもらうことにした。 外クラスの人物は、中クラスには混ざってこないで、演技エリアの外から見守って、セリフを発するのだけれど、劇の終盤、その構造がくずれていく。外クラスのみんなが、中クラスの中に入ってくるのだ。 ただ、中クラスの人物からは彼らは見えない。外クラスの人物は、中クラスのみんなが見えている。二つの全然違う次元が同時に存在するのだ。子供たちに、その説明をする。今はいない(となりの教室にいる)外クラスの人物の役を僕がやって、その場面をつくってみる。子供たちから「かっこいい」という声があがった。 この子たちは、次元の違う場面の重なりあい、舞台ならではの演出のおもしろさを知っている。そして、それを「かっこいい」と言える。演劇授業の積み重ねは、上手にセリフがしゃべれるというようなことではなく、こういうセンスが彼らの中にいつのまにか根付いていくことなのかもしれない。 後で篠原さんに聞いたら、外クラスでも同じ場面で同様の反応があったそうだ。演出家として、こんなにうれしいことはない。 全部の役の位置と動きを確認して、あとは最後の全員が登場するシーン、外クラスと中クラスが一緒になる場面だけを残して時間切れ。今日はここまでにする。それでも、なんとかラストまでたどりつけてよかった。 特活室に全員集合して振り返り。外クラス、中クラス、どちらの子の顔も生き生きとしている。みんなでおもしろい、ちょっと大変だけど、できたらかっこいいことに取り組んでいるということのおもしろさが感じられるよう。もちろん、大人達もわくわく楽しい気持ちでいっぱいだ。 給食をいただきながら、大人達の振り返り。澁谷先生、染谷先生と、衣装、音楽の打ち合わせ。火星人の衣装、いいかんじに仕上がりそうだ。とってもべたな火星人。エンディングの曲が生徒の作曲であがってきたのを聞かせてもらう。これもいいかんじだ。馬場先生、金丸先生、田中先生とも打ち合わせ、今日の感想と子供たちに伝えてほしいことなどを話す。 来週は、2時間合同で体育館での授業。冒頭の歌とダンスから、全体の位置と動きを、外クラス、中クラス一緒に確認して、芝居をつくっていく。 今日はお互いに見ることができなかったそれぞれの芝居が、一緒になるとどうなるのか、子供たちがおもしろがってくれるとうれしいと思う、ラストの場面の位置と動きを、もういちど検討してみよう。もっともっとおもしろくなりそうだ。
夜、なんとかまとめた演出プランをメールで送る。 いつも、その場で思いついたあれやこれやを持ち込んで芝居をつくっているので、台本をもとに、まずはこうしようというプランを決めるのはいつもと違う大変さ。 しかも、全部を書き出すというのは、なかなか大変な作業。でも、いつもと違う頭を使うようでおもしろい。 夜遅く、平田さん、篠原さんと電話で打ち合わせ。 あとは、明日の二時間の授業でどこまでいけるか。このわくわくする気持ちを、子供たちに伝えたい。
両国のシアターΧへ行く。シアターX名作劇場、水上瀧太郎作「地下室」と額田六福作「月光の下に」の二本立て。日本の近現代の短編劇を100本上演しようという企画。演出の川和孝さんは、とてもお世話になった方だ。僕が今、戯曲を書いているのも、彼に「書いてみたらどうですか」と勧めてもらったからだ。 このシリーズを見るのは、実に十年ぶりだ。キャストの宮崎敦吉くんから案内をもらった。彼とは、なぜか阿佐ヶ谷のアーケードでばったり会うことが多い(彼の地元なのだけれども)。 久しぶりに見た、名作劇場は、ああ、十年経ったんだなあと感慨深かった。 宮崎くんは、「地下室」でいやみな男を公演。 もう一本の「月光の下に」は、兄が医師として成功するために身を売って学費を調達した妹が、病院が開業するというそのときに、その過去が明らかになってしまうというお話。 女優さんが多く登場する芝居なのだけれど、セリフが要求する中身がとても濃くて、いまひとつそこまで行けていないようなもどかしさをかんじた。 それでも、終幕、過去が明らかになろうと、私は少しもかまわない、逃げ出さずにここで戦っていくと宣言する妹の姿がかっこいい。もう、感動とかそういうこと以前に、かっこよかった。 この作品は、大正7年に帝国劇場で初演されているそうだ。出演は、七世松本幸四郎に、森律子、川村菊江。帝劇女優たちだ。森律子は、その中でもトップスターだが、女優になったということで、一時期、女学校(跡見)の同窓会名簿から除名されている。また、実の弟が、友人に女優になった姉のことを非難されて自殺してしまう。手元の資料「物語近代日本女優史」(戸板康二)を見たら、大正5年のことだった。なんということだろう。 そんな事実の重みを知ると、この芝居のラストの妹の決意が、ただならぬものに思えてくる。 女が女優が、世間の不当な非難をものともせず、力強く、胸を張って生きていくのだという、高らかな宣言のように思えたラストシーン。 終演後、同じ回を見に来ていた山本健翔さん、宮崎くんとおしゃべり。 もちろん、川和さんにもご挨拶を。 家に戻り、富士見丘小学校の卒業公演「お芝居をつくろう」の演出プランを検討する。 次回、火曜日の授業までに全体のミザンセーヌを全部決めてしまわないといけない。 朝までがんばる。
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