せきねしんいちの観劇&稽古日記
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芝居が終わるとなんでもない日常のことしか書くことがないのかもしれないと気がつく。 ここ数日、出しそびれていて燃えるゴミを盛大に捨てる。大きな袋で2つ。 台本を何本か読む。日程の調整でどうなるかわからないのだけれど、なんとか出演できるといいなと思いながら。 大門さんから、差し入れで何度もいただいたモツ煮込みを、僕もつくってみる。 以前、臭みが抜けずに軽く失敗したので、今日は、生姜と一緒に下ゆでをきちんと。 例によって作りすぎる。野菜や豆腐を投入しながらのアレンジで、明後日くらいまでは煮込み三昧の予定。
芝居の後の片付けをようやく始める。 部屋一杯の荷物をそれぞれの場所にしまい、洗濯を今日は5回。 今回の衣装も、思い切って洗ってしまう。ネットに入れて洗濯機に。トラブルもなく終了。 その後、仕事に出かけるが、千代田線を乗り過ごしてしまう。 下北沢までのりっぱなしだった、ここしばらくの習慣が身についてしまったのだと思う。 あわてて電車を降りて、無事に仕事場へたどりつく。 歩きながら、ぶつぶつセリフをしゃべっては、あ、もう終わったんだと思ってやめる。 夜、早い時間に寝てしまい、朝方に目を覚ます。明日の舞台のことを考えないで、眠ることができるのは、久しぶりなのだけれど、ちょっと淋しいような気持ちにもなる。 芝居が終わっても、それはそれ、淋しくなったり懐かしくなったりという気持ちには、このところあまりならないのだけれど、今回は、キャストスタッフ、すべての人と一緒に過ごした時間が、いとおしく懐かしい。 夏の公演の準備を始める。2006年に上演した「ムーンリバー」の続編にあたる新作。 改めて読み直して、あれこれとプロットを考える。 久しぶりのOFFOFFシアターで何ができるか、それも楽しみ。
2009年02月02日(月) |
ご挨拶(当日パンフより) |
PCサイトの「「ジェラシー 夢の虜」「ミッシング・ハーフ」のページにはアップしたのですが、こちらにも載せておきます。どうぞご覧ください。 「ジェラシー 夢の虜」
川島芳子のことを初めて知ったのは、有吉佐和子原作のテレビドラマ「開幕ベルは華やかに」だったと思う。川島芳子が主人公の舞台のバックステージで起こる殺人事件を描いたミステリー。といっても、2002年の正月特番のドラマとして放送された、浅野温子と風間杜夫が主演して、加藤治子が川島芳子を演じる大女優を演じたものではなく、1983年に原作が出版されたのとほぼ同時に放映されたドラマの方だ。主演は、中村敦夫に白川由美、川島芳子を演じる大女優は高峰三枝子だった。僕の中では「川島芳子」というとどうしても高峰三枝子が演じる姿が浮かんでしまい(!)、なかなか実際の川島芳子の顔はイメージできなかった。 今回、ほとんど初めて様々な資料にふれ、川島芳子の写真を見た。思ったのは、一枚ごとに全然違う顔をしているということだ。ほぼイメージどおりの男装している写真、日本髪に結った着物姿、モンゴル式の花嫁衣装を身につけた姿、そして、晩年の質素な普段着、同じ人物とは思えないくらい、バラバラだ。 1932年、「男装の麗人」という小説を書くために、村松梢風という作家が、上海の屋敷で川島芳子と一緒に2ヶ月暮らした、という事実は、ほとんどの資料に書いてある。でも、そこでの暮らしがどんなものだったか、どんなことが起こったのかは、どこにも書かれていない。 「ジェラシー 夢の虜」は、その書いてなかったことを存分に書いてみた作品だ。史実には、ほぼ忠実に沿いながら、いくつもの大きな嘘を盛り込んだ。歴史年表からは絶対にうかがい知ることのできない、人物の息づかいや足音と一緒に。 1932年の2ヶ月を誰もがちゃんと書いてくれなかったことに、今ではとても感謝している。おかげで、年表を追うような一生の物語では描けなかった彼女に出会うことができた。 最近、川島芳子が生きていたというニュースが報道された。処刑されたのは身代わりで、本人はひっそり戦後を生きていたというのだ。嘘か本当か、すでに彼女がなくなってからの報道なので、真偽のほどはわからない。 いずれにしろ、今はもうこの世にいない川島芳子が、僕にはとても身近に感じられるようになった。どれが本当かわからない彼女の顔、そのわからなさこそが、彼女なのだろう。だが、そのどの顔の裏側にも、底知れない寂しさが透けているように思えてしかたない。
「ミッシング・ハーフ」
映画「雨に唄えば」は大好きな作品だ。映画がサイレントからトーキーに移り変わる過渡期に、声の悪い大女優の声だけを演じることになる新人女優が、最後には大スターになる。ジーン・ケリー、デビー・レイノルズ、ドナルド・オコナーの演技が楽しい。でも、いつしか、声の悪さでスターの座を奪われる女優リナ・ラモント役のジーン・ヘイゲンがとても気になるようになっていた。 サイレントからトーキーへの移り変わりという話を最初に目にしたのは、市川崑が撮った金田一耕助シリーズ「悪魔の手毬唄」だ(主演は岸恵子!)。物語には、トーキーの登場によって職を失った活動弁士が登場する。そして、映画の中で断片が映し出されるのが、日本で公開された字幕(スーパーインポーズ)付映画第一作の「モロッコ」だった。 日本映画の草創期、映画には女形の俳優が多数出演していた。「女優」というものが生まれたのは、1908年に川上音二郎が帝国女優養成所を作って以来。まだ100年の歴史しかないことになる。1919年9月に花柳はるみが「深山の乙女」「生の輝き」に出演したのが、「女優」というものがスクリーンに登場した最初なのだそうだ。 それまでは当然のように女を演じていた女形たちは、女優が女を演じるのが当たり前になっていく時代の変化の中、どうしていったんだろうか?というのが、「ミッシング・ハーフ」を書き始めた最初にあった思いだ。 女形をやめて成功した人物としては、映画監督の衣笠貞之助がいる。では、成功できなかった人はどうしたんだろう? サイレント第一作の「モロッコ」。モロッコという国の名前には、タレントのカルーセル麻紀さんが性転換の手術を行ったところというイメージも強くある(僕らの世代ならではか?)。 落ちぶれたサイレント映画のスターという存在は、ビリー・ワイルダーの「サンセット大通り」でも鮮やかだ。グロリア・スワンソン演じる女優、ノーマ・デズモンドは、世界的に有名な、ゲイが大好きなキャラクターの一つになっている。 そんなこんなの吹き寄せ、寄せ集め、不思議なつながりが、この「ミッシング・ハーフ」という作品になった。 たしかに生きていたという証はどこにもない、でも、もしかしたらいたかもしれない、いや、きっといたにちがいないと思えてきた大勢の彼ら、彼女たちに、この作品を捧げたいと思う。
本日はご来場ありがとうございました。最後までごゆっくりご覧下さい。
関根信一
14時開演「ジェラシー 夢の虜」千穐楽。千穐楽らしい、落ち着いた芝居になったと思う。 19時開演「ミッシング・ハーフ」千穐楽。今日も開場前に、そうくんと一緒に小返しの稽古をしてのぞむ。「ジェラシー」が終わったせいか、不思議な身軽さが感じられる。そして、本番。ライブを生ききることができたんじゃないかと思う。二度目の「モロッコ」の語りのあと、拍手をいただいた。ラストのそうくんとの別れの場面の「モロッコ」の語り、映画に自分がとりこまれていくことへの戸惑いをこんなに感じたのは、初演以来でも初めての経験。そして、終演。
全員でバラシをして、その後打ち上げ、始発まで。 中国語指導のシム、振付の美弥子ちゃん、衣装の中西さんも朝までつきあってくれた。 今回、キャストのみんなと飲むのは、顔合わせ以来。 あっという間に朝になった。 今回、ほんとうにいいキャストとスタッフに巡り会えたことの幸せに感謝。 この場を借りて、お礼を申し上げます。 ありがとうございました!
戦前の上海という、とっても遠い時間と場所が、演じながらどんどん身近になってきたのは、スタッフのみなさんが創り出してくれた空間で、キャストのみなさんが、まさにその時間と場所を生きてくれていたからだと思います。 一人一人にこの場を借りてご挨拶を。
高山奈央子さん 最高の川島芳子でした。こんなに人間くさい彼女は、これまで彼女を描いたどんな作品にも登場しなかったでしょう。ほんとに迷惑な(稽古場では「たとえるなら『和田アキ子』と言いましたが)彼女のキャラクターが、どんどん魅力的に見えてきたのは、僕にとってはとても予想外なことでした。そして、とてもうれしかったです。劇中、二人きりの場面が二回ありましたが、そのどちらもが、僕にとっては最高に楽しい場面でした。「女優対決」をねらって描いたわけではなかったのですが、俳優としてカラダが喜んでしまう、そんな時間をいただきました。ありがとうございました!
日下部そうさん 「ジェラシー 夢の虜」では、村松梢風をモデルにした作家、村西敏雄、そして、「ミッシング・ハーフ」では、徴兵逃れの映写技師、大江卓哉を、生き生きと演じてくれました。 二本同時の稽古というだけでも大変なのに、膨大なセリフをよくこなしてくれました。 「ジェラシー」での飄々とした女好きな作家ぶり、「ミッシング・ハーフ」での若々しい一途さ。どちらもすばらしかったです。 「ミッシング・ハーフ」の千穐楽、僕は舞台の上に一緒にいながら、とんでもない高揚感、幸福感に包まれていました。普段はできないことができてしまうのが舞台、だとは、いつも思うことですが、あの時間はまさにそんな1時間50分だったと思います。素敵な旅をご一緒できたこと、とてもうれしいです。ありがとうございました!
加藤 裕さん 川島芳子の愛人、田山少佐を演じてくれました。男のいやらしさ、弱さ、強さ。人物を一色で塗りつぶすのではなく、いろんな面から見たそれぞれを演じてくださいという、僕の要望にきっちり応えてくれました。セリフにも書いたように「人間として最低」なキャラクターでありながら、とっても魅力的な人物として生きてくれました。ありがとうございました。
相楽満子さん 川島芳子の影武者として登場する従軍記者、梅原早苗を演じてくれました。 クロカミショウネン18「祝/弔」を見に来てくれた時に、劇場の入り口で出演をお願いした今回の舞台でした。 「夢の虜」というサブタイトルは、劇中の人物がみんなとりつかれている思いですが、その夢におぼれて滅んでいく、切ない役を存分に演じてくれたと思います。どうもありがとうございました。
遠藤祐生さん 去年の「新・こころ」、そしてクロカミショウネン18「祝/弔」、暮れのgaku-GAY-kaiと、僕の芝居にずっと付き合ってもらっていますね。 今回は、蓄音機の修理をしに来たまま、タンゴを習うという理由で、ずっとマリーさんの部屋に通ってくる健ちゃんこと、木島健太郎を演じてくれました。 物語をずっと外側から見ているという難しい役どころ、まさしく「目という役割」ですが、ていねいに演じてくれたと思います。舞台上でたくさんの心配をさせてしまってすみませんでしたね。どうもありがとうございました。
岡田梨那さん 僕が演じるマリーさんの同僚のダンサー、品ちゃんこと、大槻品子役を演じてくれました。戦前の上海のダンサーという雰囲気をまさに体現してくれたと思います。 みんなが抱えているものがとんでもなくヘビーななか、ほとんど唯一、けろっとしているキャラクター、そのくったくのなさがとてもよかったです。 今回バラシをしながら、出演のオファーをしたのは、共演していた「祝/弔」でおなじようにバラシをしている最中だったと気がつきました。あのときは、ほとんどからみがありませんでしたが、今回、一緒に芝居ができる楽しさを存分に味わわせてもらいました。どうもありがとう!
藤あゆみさん 劇団劇作家の劇読みvol.1、相馬杜孝作「在り処」で演出させてもらったのが一作年。いつか、ご一緒したいと思っていたのですが、今回、出演していただけてほんとうにうれしかったです。 マリーが住む部屋の大家、林美矯(リンメイジャオ)を演じてくれました。 セリフは全部、中国語とカタコトの日本語という大変さというか、ハードルの高さをよくクリアしてくれたと思います。 特に、カタコトの日本語は、中国語指導のシムも絶賛していましたが、胸に迫るものがありました。どうも、ありがとうございました!
石関 準さん 「ジェラシー 夢の虜」では、川島芳子の秘書兼小間使いの千鶴子を、そして、「ミッシング・ハーフ」では、裏方の仕事が大変のこの芝居をささえてくれました。 川島芳子をフライングステージが取り上げるからには、セクシュアリティの面からのアプローチが必要だと考えました。でも、川島芳子について調べれば調べるほど、セクシュアリティのゆらぎよりも、人生を演じてしまう、もてあそんでしまう、彼女のキャラクターに惹かれました。 でも、今回、ごくごく普通の地味な女性をあえて演じてもらうことで、フライングステージらしさ、性のゆらぎのようなものが舞台上に生まれたのではないかと思っています。(僕が、演じているマリーさんも、同様ですが、彼女は設定からしてめちゃくちゃなことになっているので・・)。 お疲れ様でした。
岸本啓孝さん 劇団員になってから初の本公演。田山少佐を密かに慕う部下、山本和人を演じてくれました。 タイトルの「ジェラシー」というのは、タンゴの名曲からとったものですが、劇中に登場する人物が感じる「ジェラシー」の一番、シンプルな形をまっすぐに演じてくれたと思います。 今回の舞台では、戦前の軍隊での同性愛的な感情というものを、なんとか舞台上にあげてみたかったのですが、本人でも自覚していないかも感情がどんどん明らかになってくる過程がとてもおもしろかったです。お疲れ様でした。
大門伍朗さん 「ミッシング・ハーフ」での四役の早変わり。初演以来の、マリーさんの召使い、宦官の手術人、歌舞伎役者四世沢村源之助、陸軍大将甘粕正彦。こんな四役を演じられるのは、大門さんしかいないと、今回、あらためて思いました。 特に、沢村源之助の楽屋の場面、僕にとってはこの芝居でしか使ったことのない七五調のセリフまわしに、よく付き合ってくださいました。 劇中、手を握ったり、肩を抱いたり、近い距離で話したりするシーンが何度かあるのですが、そのたびとっても近い距離で見る、大門さんの目から、暖かい力をたくさんいただいているのをかんじました。どうもありがとうございました!
12時から「ジェラシー 夢の虜」のゲネプロ。駅間劇場いっぱいに立て込まれた、1932年の上海の部屋の中で、この芝居がぐいぐいと立ち上がっていった。キャストとしての視点で芝居の中の時間を生きていけるまで、僕はあともう少し。 キャストの面々が、稽古と大きく違ったことをしているわけではないのに、一人一人の存在がくっきりとしてきた。芝居の輪郭がもう一つはっきりしてきたような。そのことがとてもおもしろい。キャスト一人一人の勇敢なアプローチに感動する。 16時半からは、もう「ミッシング・ハーフ」の場当たり。 同じ空間なのに、芝居のロジック、人物のいかたが「ジェラシー 夢の虜」とは全然違うことになる。その違いに戸惑いながら、僕と一緒に2作に出演の日下部そうくん、そして、この芝居の要、大門伍朗さんと、舞台の上でのいかたをさぐっていく。 終了後、そうくんと2作での息の違いについてを話し合う。1932年と1940年、設定された二つの時間をきっちり走り抜けるためにはどうしたらいいか。 キャストのみんなの俳優としての筋力、しなやかなばね、持久力、そんなものをかんじながら、スポーツを観戦しているようなおもしろさを感じる。 明日は、「ミッシング・ハーフ」の公開ゲネプロと、「ジェラシー 夢の虜」の初日。 気持ちは、大会直前のアスリートに近いかもしれない。
あけましておめでとうございます。 2009年もよろしくお願いします。
午前中、猫がやってきたのを写真に撮ってみる。 夜、妹のところで新年会。妹夫婦、弟夫婦、甥っ子、姪っ子、そして犬と猫と、大人数。 正月休み中、唯一の外出。 さあ、今年も始まった。 「ジェラシー 夢の虜」初日まで、あと23日!
「ジェラシー 夢の虜」の稽古。中央総武線が止まったりして、ばたばたと開始。中国語のセリフにあたふたしながら、新しい発見もいろいろ。くわしくは、稽古日記をご覧下さい(携帯も可)。 終了後、2丁目のタックスノットへ寄り、中国語指導のシムと話す。今後の予定、そして、芝居についていろいろ。 佐野眞一の「阿片王」という、今回とても参考になった本を教えてくれたマサキさん、お久しぶりなミヤシタさんと上海のこと、僕が思う川島芳子について、あれこれおしゃべり。あまり遅くならずにお先に失礼してくる。 部屋に戻って、ベランダに出しておいた猫エサ用の小皿を手に取る。それほど寒くない今夜も瀬戸物の小皿はひんやりと冷たい。 サッシを開けたまま、キッチンでキャットフードを皿に入れる。 と、ベランダに猫たちがやって来た。 おお、待ってたのか、となんだかうれしい。 人見知りしない黒いの(しっぽが短い)とおっかなびっくりのキジ虎の二匹。 キャットフードをベランダに置くと、わしわしと食べ始めた。 先週末から、少しずつ距離が近くなったようで、サッシを開けたままずっと眺めていても逃げないようになった。 きれいに食べ終えたところで、キジ虎は帰って行ったのだけれど、黒いのがそのまま座って懐手をしている(猫が両手を内側にたたんですわっているポーズ)。 なんだろう? こんなの初めてだ。帰りがたいってかんじ? 思いついて、部屋の真ん中にキャットフードを新たに少し置いてみた。まあ、ダメもとで。 そしたら、立ち上がって部屋に入ってきたじゃないか! びっくり。 物怖じするでもなく、普通に上がり込んで、またかりかり食べ始めた。 で、食べ終えるとソファのにおいをくんくん嗅いで、そいじゃ!とでも言いたげなふうで出て行った。 外に出ても、いつものように自転車置き場の屋根をのしのし音をたてて帰るでもなく、ベランダの向こう側に座ってこっちを見ている。 こうなると、窓は閉めにくい。15分ほど、閉めては開けてまだいるのを確認ということをなんとなく繰り返しているうちに、いつしかいなくなっていた。 イブの夜に、なんだか不思議な交流をした気分。サンタは来なかったけど、猫が来たなあと思ったりする。 写真は、やってきた2匹。相変わらず暗い。そして、築35年のマンションのおんぼろさが露呈してる(笑)。
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