せきねしんいちの観劇&稽古日記
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とってもブルーな気持で目を覚ます。 いやな夢をいっぱい見る。山に登ってるんだけど、頂上までいけなくてイライラしてたり、なんとか歩き出したら、道が水びたしで靴下がびしょぬれになったりとか。 起きてから、よせばいいのに夢の中身を反芻してしまって、さらにぐったりする。
ファミレスで台本その他に向かう。ランチを頼んで、これっぽっちも食欲がないことに気がつく。無理矢理つめこむ。
目の前が字でいっぱいで吐きそうになったので、気分をかえて、iTunesに入れてあった音をいろいろ聞いてみる。 これまで舞台で使った音楽。お気に入りの何曲か。 なぜか入っていた森山良子の「幸せのすきま」を聞いて、あまりの「トーチソング感」に涙する。泣いた分だけ元気がでたような気がする。まさにそんな歌。
体調が悪いとき、気持が沈んでいるときは、自分から何も出ていこうとしないことに気がつく。 送り手でなく、受け手になっている。 いろんな面で。 受け取るばかりで、こちらから何かを送ることに臆してしまう。 日記も書けない。 メールも書けない。 台本も……
何もないわけじゃない。 自分の中から「出していく」その作業は、とても勇気と力のいることだと思う。 元気なときは、そんなこと何とも思わずにやれているのにね。 とにかく、出していくことだ。そのうちに、それが当たり前になっていくんだから。
| 2004年05月05日(水) |
「おやすみ世界の子供たち」 スタッフ会議 |
「非戦を選ぶ演劇人の会」ピースリーディング「おやすみ世界の子供たち」 13時から、「非戦を選ぶ演劇人の会」実行委員のうち合わせ。 16時にのぐと宇田くんがスタッフとして来てくれる。その他のボランティアのみなさんも大勢来てくれている。 16時開場、16時半開演。 今回のえり子さんの構成は、今のイラクの問題からベトナム、太平洋戦争、南京大虐殺、広島・長崎まで盛りだくさん。 人間の犯してきたたくさんの愚かな行為と、その犠牲になった弱い物たちの苦しみを丹念に拾っていく。 舞台上には、子供達がおおぜい座っている。自分で書いた、戦争についての作文を読んだ。 まっすぐに届く言葉について考える。
考えたこといろいろ。 お客さんがもう少し来てもいいんじゃないかなということ。 このイベントが、演劇好きのためのお楽しみ会のようなものになってしまっているんだったら、つまらないなと思う。 今回、前回と、スズナリの狭い客席で、「ここでもできる」というアットホームな雰囲気でやれたのはとてもいいことだと思う。 でも、これだけ豪華な顔ぶれが集まってるんだから、もっと大勢の人が来てくれたっていいんじゃないのかな? 広報がいきとどいてなかったというのもあるかもしれない。 でも、どうなんだろう? 大事なのは、この場にいない、そして、こんなイベントになんか行くもんかと思ってる人に、どうやって伝えるかということなんだと思う。 そのためには、今日、見に来てくれた人が、今日の話をどんどんしてくれないといけない。 で、もっと大勢の人に知ってもらえるように。 フライングステージで芝居をしていると、一度だれかに誘われて来た人が、今度は別の人を誘ってきてくれる、そういうふうになっていってほしいといつも思う。 演劇人の会のリーディングは、どうなんだろう? 広く訴えるというときに、どうやって広げていくかということはとても大事なことだと思う。 閉じたお楽しみ企画にならないようにするにはどうしたらいいんだろう? 終演後、カンパのお願いをして、僕とノグは、そのまま失礼させてもらう。 新宿で、「思い出の夏」のスタッフ会議に参加するため。
トップスに少し遅刻して到着。 音響のあゆみちゃん、照明の福田さん、舞監のさっこさん、制作のなべちゃん、高市氏。 装置、照明、音響のプランについて話し、もろもろの確認。
15時、阿佐ヶ谷でさっこさんと待ち合わせ。 のぐと三人で舞台のうち合わせをする。 稽古までの時間、ファミレスで台本。 まとまらなくてわたわたする。
夜は稽古。新しい場面を読んでみる。 帰り、青山さんにラーメンをごちそうになる。 篠原さんから電話をもらい、明日のリーディングに急遽出演することになった。 北千住まで送ってもらう。 連休の道はとても静かで空いている。 東京の真ん中をまっすぐに走り抜けていった。 夜遅く、篠原さんから明日のテキストが届く。 4月11日のファルージャの現地からの報告。 あまりの重たさに圧倒される。
稽古。なべちゃんが来てくれる。 読みをしようと思ったんだけど、今日は、いろんな話をとにかくしまくる。 人物像が明確になってきた。
東武線に酔っぱらいがいて、若い女の子にからんでいる。 男気のあるお兄さんが立ち上がって、ホームに降りて、喧嘩になった。 僕は黙って見てた。 複雑な気持ち。
初めての外での稽古。 あるところを読んでみる。 この間とはずいぶん違う印象。 どうなんだろう?とちょっと心配になる。
青山さんのお宅で稽古。 台本を読んでみる。 わくわくする。 帰りに青山さんにまた送ってもらった。感謝。
| 2004年04月19日(月) |
「どこかの国の人質問題」 |
夜、タックスノットへ。 青山さんとおしゃべり。 若い男子、浅井くんとエイジングの話なんかといろいろと。若い子について大いに見直し、安心する。 コミュニティの話もいろいろと。マサキさんが昔言われたという、「映画館か二丁目かどっちかにしたほうがいいよ」という言葉が、深かった。
夜、親戚から不幸の連絡が届く。 子供の頃からお世話になった伯母、正確には「母の姉の義理の姉にあたる人」が倒れたとの連絡。 夕方から、母は病院に出掛けていた。 夜中に亡くなったと電話があった。 母親としみじみと話す。 くも膜下出血で踏切の前で倒れてそれっきりだったそう。 寝たきりにならなくてよかったね、いい亡くなり方だったんじゃないのかねと、母と話す、夜中。
朝日の夕刊の高橋源一郎のコラム「どこかの国の人質問題」が、おもしろかった。おもしろかったというより、作家としての、見事な表現になっていて、感動した。 このところの、人質の三人に対するバッシングは、とっても納得がいかない。イラクにいたときより、日本に帰ってからの方がつらそうっていうのは、どういうことよ? 「日本人は、三人を誇りに思うべきだ」ってアメリカのパウエル国務長官に言われるってどういうことだろう。一番わかってないのは、日本人だ。 プライベートの侵害だとして週刊新潮の中吊り広告が札幌の地下鉄で黒く塗りつぶされた。中吊りの広告の惹句は、いつもなんて品性がないんだろうと思うのだけれど、そんなニュースを聞くにつけ、日本人ってこんなにいやな人たちだったのかと腹が立ってくる。 そんな風潮をあおっているメディアにも腹が立つ。もっとも、今の腹立たしさも、メディアからの情報の上に成り立っているのかと思うと、どっちもどっちなのかとも思う。 国民感情のようなものをでっちあげてあおって、どこかに持っていってしまうというのは、こういうことなのか。これまで想像するだけだった、ナチス政権下のドイツの情報操作というのは、こういうことだったんだろうかと、地続きになった恐ろしさをかんじる。 僕は、ゲイの劇団というものを僕らはやってるわけなんだけれど、そのことに対するいわれのない非難や中傷を昔は受けた。レズビアンゲイパレードについてもそう。その時、負けるもんかと向かっていた相手は、ごく一部のわからずやだと思ってたんだけど、日本には、ほんとにたくさんのわからずやがいたんだね。一気に、戦わなきゃいけない相手が増えたような気がした。 「非戦を選ぶ演劇人の会」では、自衛隊のイラク派兵に反対して、小泉政権にノーと言っている。でも、この頃思うことは、ノーと言わなきゃいけないほんとに相手は、小泉政権にイエスと言っている、政治家じゃないたくさんの人たちなんじゃないかってこと。 ピースリーディングの会場に集まってくれる人や、集会に参加してる人じゃなくって、そこにいない、たくさんの人。人質の三人に、事故責任を迫り、謝罪を要求する人たち。イラク派兵に7割の人が賛成し、アメリカのイラク攻撃に7割が反対しているという、わけのわからない日本人というもの。 僕は、日本人のそんなわけのわからなさが悪いもんじゃないと思ってたんだった。でも、今はもう違う。そうはっきり思える。それは、よくないって。もっとちゃんと考えなきゃいけないっって。 そして、僕にできることはなんだろうと考える。 演劇人としてできることは何だろうと。 ゲイとしてわからずやに異議申し立てをすることは、これまでずいぶんやってきた。 でも、今度はちょっと違う。 みんながみんなわからずやじゃないってこともわかってる。そうじゃない人もたくさんいるってことはわかってる。 そうじゃない人をどれだけ信じられるか。見えてこないものをどれだけ信じられるかなんだろうな。もしくは、想像力。人を思いやる心。
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