そんな一日 |
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2009年08月23日(日)<<<ちょっと無理してしまったかな
今日は以前から楽しみにしていたあるイベントがあって、退院して間もないけど、自己コントロールして無理しなければ良いかと思いちょっとだけ。
しかし、炎天下の中での疲労は半端じゃなかったですね。(しかも何千人という規模だし) そのイベントの中で某お笑い芸人さんがいらして、それを楽しみに。美味しいものを食べながら。 時間的には大していなかったんですが、やっぱりちょっと無理したみたいで……
でも、久しぶりに人が多いところに行って、疲れはしたけど楽しい時間を過ごすことが出来てよかった。 先生からも日常生活にはまったく問題が無いとおっしゃっているので、これからどんどん外に出て行こう。 この調子なら冬の某イベントも大丈夫そうかな。
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2009年08月21日(金)<<<買い物
今日は自分で車を運転して買い物へ。 買い物と言っても、本屋やちょっとしたものを買いに行っただけですが。
こうして多少なりともとの生活に戻っていくんだなぁと思うと感慨深いものがありますね。
先生からは、日常生活には全く問題が無いといわれているので、もっと活発になっても良いんですが、始のうちはやっぱり自重してしまうもの。
入院してから、日記を書き始めたのが7月12日。(ここからは、7月のところに記入)
それまでは書く元気も無かったのかも。ご飯も水分も取って良くはなってはいたんだけど、やっぱりね。
7月8〜11日 ず〜とベッドの上で過ごしてましたから。(正確に言うなら、13日に一般病棟に移るまでベッドの上。歯磨きも洗面も全てベッドの上)
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2009年08月20日(木)<<<体内時計がまだ病院になっている
退院して2日目―――まだ何だか落ち着かないkazuです。
落ち着かないというよりは、まだ退院したという実感がないというか、なんと言うか…
病院での大まかなタイムテーブル通りに、まだ身体がなっている所為かもしれないですね。
9時に寝ることはないですが、9時前後になると眠くなってくるし、6時には目が勝手に覚めてしまう。
以下、簡単なタイムテーブル(in一般病棟)
6:00 起床 6:30〜7:00 体重/体温/血圧/脈拍/酸素供給量測定・問診・薬の受け渡し等(all看護師) 8:00 朝食 8:30〜9:00 ドクターの回診 12:00 昼食 18:00 夕食 21:00 消灯
こんな感じになっていて、退院しても時間になると『あぁ、そろそろ○○の時間かぁ』と思ってしまう(笑って良いのか、泣いていいのか)。
↑の時間以外に検査等色々入ってきて、ご飯の時間が遅れることもしばしば。
7月4日に救急で入院し手術したのですが、4日の心カテ(心臓カテーテル)途中で意識がなくなり、次に私がはっきりと意識を取り戻したのは、7月8日。
この約4日間は、完全に記憶が無いわけではないんですが、最悪の記憶があって、二度と思い出したくも無いです。 もっともその状態も意識が戻る1日前とからしいですが。(現実と夢が半々になっていたそうです。良くあることらしいです) 人工呼吸器を付けられたり、動かない様に拘束されていたり…さすがにこの辺りに関しては全く記憶がありません。(当たり前ですよね、意識がなく、呼吸が止まったから人工呼吸器を付けられたり、全身麻酔をしてるんだから…)
でも、意識が戻ってドクターに「今日何日かわかりますか?」と聞かれて、声が上手く出なくて首を横に振ると「7月8日です」と。 この時の私の驚きはなんと言っていいか。言葉に出来ない。
それから暫く問診があって、CCU(Coronary Care Unit)へ。(この時点ではまだ自分がどんな状態でどこに居るのかさえ判りませんでした。後に聞いて判ったこと)
CCU…つまり24時間完全監視体制の処に。そこは全てがそろっていて、全室個室のところ。
始は気づかなったんですが、監視カメラまでばっちりで、常に様子を見られている状態でした。(ベッドの真上にしっかりありました)
身体が少し動くようになって、集中力が持つようになってから日記を付けていたんですが、まだこの時点では無理で、日記を書くということも思い浮かべることさえ出来ませんでした。
ただこの時思ったのが、口の端が切れてるし、どうしてこんなに声が出ないのか。出ることはでるけど、出すと痛いしかすれているし。 理由は、後々わかりましたが、この時点で聞く気力が無かったんですね。 まして、酸素マスクをしている状態では益々声がこもるというわけです。
このCCUは、もしかしたらHCUの方かも…どっちが先か後か判らない…
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2009年08月19日(水)<<<1ヵ月半(48日間)
I am set freedom !!
長かった一ヵ月半強。
7月4日から今日8月19日までの48日間 ず〜と入院していたkazuです。
いや〜、長かった。今年の夏は病院で終わりました。折角の夏が〜。
思わず、私は自由だ!!と叫びたくもなります。
7月4日の早朝というか、3日の深夜といった方がいいのかな…
TVでテニスの試合(ウィンブルドン)を見ていたら、突然、本当に突然胸が痛み出して、息をするのもまともに出来なくハカハカなってしまい、ちょうど母と一緒にTVを見ていたので、これはおかしいとなって(夜間救急)という夜間専門の病院に。
そこで、担当の先生が暫く様子を見てくれて、県で一番大きな病院「○○大学付属病院に行って下さい」と。
そこでも暫く様子を見てみると、一向に痛みが治まる気配もなく、心電図を取ったりと検査して、「もしかして…でも……」と先生方で話し合い。
結果、心臓カテーテル検査をやりましょう。となりました。
この心臓カテーテル検査。 検査という名がついてますが、殆ど手術です。 だって、裸になるし手術室みたいなところでやるし、先生は術着だし、局部麻酔はするし…
手術をする前に、「おそらく○○症だとは思うのですが、最悪の場合心筋○○かもしれません」と、説明。 このあたり痛みが強くて、全ては覚えていないのですが。
心臓カテーテル検査にはいり、足の付け根の局部麻酔なので意識ははっきりあるので、先生が話しかけてくるし、何を言っているかわかります。 そして、検査をして最悪の結果がまってました。 つまり心筋梗塞。
そのまま心臓カテーテルで、手術に移行。 カテーテルを使って、出来てしまった血栓を溶かすもの。 暫くは大人しくされるがままの、まな板の鯉の私。 しかし、どうも身体がおかしい。気持ち悪くてしかたがない。 でも、動くことは出来ない。 先生に訴えて、先生もなんとかしようとはしてくれるんですが、私のほうが限界に。 動いてしまいそうになり、麻酔を。でも、なかなか利いてくれない。
おそらくもうこの辺りからおかしくなっていたんでしょうね。 徐々に効き始めて、ここからは意識は全くありません。
気づいたら………
という7月4日の様子でした。
あぁ、因みに、この時点で私自身は、心筋梗塞だとはきかされていませんでした。ただ、「このまま続けて処置するから」としか聞かされていましが。
母が代わりに状態を聞いて、同意書にサインしたそうです。 当たり前ですよね、こっちはまともに息が出来ないんですから。
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