虎視牛歩
なんとなくまた帰ってきてしまった。 と思ったら、去年も帰ってきている。 引きずってる恋人みたい。 いやそんな人いないのだけれど。 ----- あんまりに久々だから デザインを変えてみようかと思ったけれど 今のに直せそうもないのでやめた。 タグとかよく調べて作ってたなあ。 なんとなく思い描いていたとおり、絶賛IT系の仕事をしているよ。 でも金融会社に行くなんて思わなかったけど。 何しろ数字の嫌いな理系なんで(理系じゃないな)。 ----- 働く場所も住む場所も変わって 変化が苦手で新しいものが怖い自分は どこに行ったんだろう、と思いつつどこにも行ってない。 何も変わらず、それでも新しい場所に立てるようになった。 勇気と呼ぶか、目をそらしていると呼ぶか。 自分が自分を騙すのはハイエンドだとは言うけれど 一番騙しやすいのも自分自身だ。 だって、いつだって一緒にいる。 ----- 誰かに期待しすぎるのをやめた。 その方が生きやすいと知った。 それでも誰かに期待するのをやめたとは言わない。 今年もきっとそのまんま。 ----- 虎のように鋭く、牛のように慎重に。 異なる性質を併せ持つことができるほど、有能であれば。 もしくは、何かを割り切ることができるなら。 そんな風に思った頃もあったねと。 割り切らなくても、まだここにいる。
2022年01月03日(月)
|
まだ生きてるよ
十年経つ前に、こんばんは。 もう十年、まだ十年。 元気でいますか、どうですか。 家が変わり、会社が変わり、家族が増え、知人が増え、 さて何が変わらなくて、何が減っただろうか。 --- ホームページのプロフィールに書いた 好きなものを見返しても実はあまり変わらない。 日々をつづることは幸福を数えることか、 それとも現実から目をそらすことなのか。 --- 最近はローカルで日記を書いたり、 アプリで日記を書いたり、結局日記を書いている。 あの時、日記を削ったのが正しかったのか、 今となってはわかりません。 1つに集約していたほうが見返すにはよかっただろうけど なぜ見返したいと思うのか、にもよるわけだし。 --- 元気でいますか、どうですか。 僕は、まだ、君と君といるときの僕がどちらも好きなので、元気です。
2021年05月09日(日)
|
久々立寄
IDとパスワード、忘れてなくてびっくり。 さすがに1年経ちましたね、でも2年は経たなかったかあ。 この期間でいろいろ変わりました。変動の年。 まだ見ぬ誰かを思って、という歌が槇原さんにあるのだけど、この日記を振り返るとそうだなあと思う。まだ見ぬ誰か、一生涯のうちに出会う確率を低く設定していた誰か。やっぱりここは逃げ場だったんだろうなあ。 大事にしたい人が増えて、大事にしたい時間が増えました。結果、逃げてる時間がなくなった。宇宙は膨張しているけれど、日常はそれに追随できない。何かを得れば、何かを削る。それが金だろうが時間だろうが身だろうが。削るに値する何かを得たならば。 逃げ場は当分いらないようです。さよなら三角、また来て四角。また、そのうち。
2012年02月19日(日)
|
|