思いつき日記
DiaryINDEX|past|will
憂鬱な人に言いたいことはただ一つ。「遠くをごらんなさい」。 憂鬱な人はほとんどみんな、読みすぎなのだ。 人間の眼はこんな近距離を長く見られるようには出来ていないのだ。 広々とした空間に目を向けてこそ人間の眼は安らぐのである。 夜空の星や水平線を眺めている時、眼はまったくくつろぎを得ている。 眼がくつろぎを得る時、思考は自由となり、歩調は一段と落ち着いてくる。 全身の緊張がほぐれて、腹の底まで柔らかくなる。
今の自分にジャストフィットな言葉。 ホント遠くを見にあの場所へ行こうっと。 疲れているんだよねー。最近。 よし。晴れたら明日は海か、山へ行こう。
でも最近は春霞が強くて遠くまで見渡せないのですよね。 桜はもう咲ききってしまって後は散るばかりの状態だし… 緑萌える山を見ることが出来るようになるのもあとほんの少しばかり。
| 2002年04月07日(日) |
人生はビスケットの缶 |
「ビスケットの缶にいろんなビスケットがつまってて、好きなのとあまり 好きじゃないのがあるでしょ?それで先に好きなのをどんどん食べちゃうと、 あとあまり好きじゃないのばっかり残っちゃうわよね。私、辛いことがあると いつもそう思うのよ。今これをやっとくとあとになって楽になるって。 人生はビスケットの缶なんだって」
「若いうちに苦労は買ってでもしなさい」よく言われたことですが、 こんな文章に例えられると納得してしまう…
私はどちらかと言うとある面については自分にとても甘く、ある面については 比叡山の修行僧?ってくらい自分に厳しかった…
これからはある面においては、死ぬほど苦労するのだろう。 またある面においてはウハウハなことが待っているのかもしれない。
一昨日のとても四月とも思えない温かさから一転昨日今日と肌寒いくらいの 天候!いかがお過ごしでしょう。
雨が降った。折角の満開の桜が散ってしまうのではないかとハラハラドキドキ。 外国産の花のように『ピンク』とはっきりとはしていない、まさしく日本の 奥ゆかしさを体現したような色使い!←最近の人ときたら奥ゆかしいとは…
誕生日ころに満開だなんて今まであっただろうか…とにかくこの28という年は いい年になりそう!
今日は仕事面において追っかけ引っ掛け問題が続出しまして。 いい経験させてもらってます。
鬱憤を晴らすかのごとく水泳へ。 人も多すぎず少なすぎず。がむしゃらに泳いだ。
夕食。きしめんを食べた。 そしたら自分の肉まで食べてしまい …つまり口の中を思いっきり噛んでしまった… これ以上食べる気が無くなって来た。だって昨日噛んだ所をまた噛んでしまった… これはもしかして肥満の道への生体防御反応か?(考えすぎ)
ゆったりお風呂。そこで今日一のびっくりした事!
なんと左腕の内側にいつのまにかほくろがぁ。
今まで何で気付かなかったのだろう?不思議。 ほくろが出来る瞬間っていったいいつなのだろうか? とても気になる…
私は顔にホクロがあるのですが、それが何時出来たのかは全く未知の世界、 あなたの知らない世界、未知との遭遇…つまり幼稚園のころは無かったのに いつの間にか出来ていまして。
顔に出来たのに全く何時出来たのか分からないって(私ときたら。てへ)
ホクロにはいつもビックリさせられる…
| 2002年04月05日(金) |
PCを使えば可能か? |
ある本を読んでいてこんなことが書いてありまして。
コンピューターミュージック創生期、パソコンにバッハの曲を後ろから 演奏させたりして遊んだ…
ピーンと来た。閃いた。はっちゃけた!これだ。
CDの楽曲提供においての話題作りにもってこいなのでは。 つまり、シングルを出すのに、A面を普通に製作そしてA面の後ろから 演奏したものをB面の曲に使う。(もちろん歌詞は変える)
どうでしょう?この戦略。もちろん製作側からのコメントは一切なし。 誰かが初めて気付き、そして噂が口コミで広がり売上が加速してゆく… そう上手くはいかないかなぁ?まあ、噂を意図的に流すのもアリでしょう。
天才でもない限りこんな楽曲を作ることは難しいか? うーん、作ってみたい。無理か?
ていうか話題にはなるだろうけど、曲、詞、アーティストすべてに何か 訴えかけるものが無いならミリオンは無理かなぁ。
…連想力を鍛える!それが今の課題!
続き
「あーあ、よく寝た。」 背伸び、アクビ。
「どれそろそろ帰ろっかな。」と思った時はそろそろ薄暗くなる6時半くらい?
1人でキコキコ、マイぽるしぇを走らせる私。帰宅途中、何故か父親が すぐそこまで迎えに来ていました。
「どこ行っていたんだい?」 父はニコニコしながら聞いてくる。
「ブーブ。」「あっち。」 (いや、あっちの車置き場で遊んでてさ)
「何してたの?」 ほっとした表情だ。
「ねんね。」 (だから、車置き場で昼寝してたんだって)
「そうかー。うちに帰ろうね。」
「うん。」
皆と一緒に行ったのが2時過ぎくらい(ちょっとここらはあやふや)で、 6時半までいなかった訳で。周りでは私が行方不明になったということで 大騒ぎだったらしい。父によると私があまりにもニコニコして満足げに 帰って来たので怒るどころか、笑ってしまったそうです。 警察に行くかと言う一歩手前まで話は進んでいて。
私は当時、県営住宅に住んでいたのですが、住人皆で探していたそうで。 O君たちも始めは分からないと言っていた(そりゃそうだわな、だって私が勝手に ついていって勝手に遊んで勝手に昼寝してたんだもの。O君たちは行方など分かる わけ無いよね)そうですが、「そういえば俺たちについてきたな」と言ったから 父が私の近くまでやって来ていて会話部分になったらしいのです。
実はこの話は私が2歳3ヶ月の時の話でして。 最後の会話の部分。実は自分ではカッコの中の言葉を言っていた つもりでした。最近この話になって、聞いてみたら全然会話してなかった らしい。(そんなはずじゃなかったのに。てへ) 初めて自分の意志で外に遊びに行った日。 後で、どこかへ行く時はちゃんと言ってからにしてね。と言われた。
しかし、この話を人にすると信じられないと皆、口をそろえて言います。 こんなに昔のことをはっきり覚えているのと言うのはおかしいのでしょうか? ていうか、うちの家族は私の話、話半分で聞いていてムカツク。(なんてね)
私も覚えていると言う人、今すぐテレホン、メール、糸電話。よろしく。 イイやあんたは変だと思う人、今すぐ交換日記、伝書鳩、飛脚。よろしく。 感動したよと言う奇特な方、今すぐ…思いつかん。
小さい頃の方が今に比べて断然大人っぽいのはどうしてだろうか? 私はどんどん、悟りきった聖人から子供へ戻ってきている気がする… イカンイカン。幼児帰りしないように気をつけるくらいなら出来るかな。
……
今日とうとう28才になってしもた。
最近仕事において充実している。 一生懸命全力でぶつかった時の爽快感。 責任を与えられて、それをこなしてゆく充実感。 今は結果は全くと言っていいほど現れていないが、やっと社会に貢献している 気分になれている。今まで誰かの陰に隠れどこか依存していた自分よさようなら。 やっと独り立ちできて辛いが楽しい。
今後の抱負。 子供の頃から自分の未来というものは想像できない人だったけど、 社会でどう評価されようとも、自分の信念は曲げず生きてきた。 とにかく品格を下げるようなことはしたくない。
他人に自然に動物に自分以外のものすべてに誠実でありたい。
| 2002年04月02日(火) |
疲れているけど充実している今日この頃 |
続き
当然廃車の中へ。 ハンドルを握って運転している妄想をする私。 アクセルを踏んで…届かない。クラッチを切って…届かない。 ギアを動かすふりをして…どうするのかよくは理解していない。
しばらくそんなことをしているうち、眠くなってきました。 初夏の気持ちイイ天候の中、ポカポカとした車内は絶好の昼寝ポイント。 寝ちゃったね。速攻。(もちろんのび太君並スピードで)
続く
……
四月に入ってから忙しすぎる。 せっかく昨日はエイプリルフールだったというのに、ウソ全然つかなかった… ていうかウソ日記書きたかったなぁ。(といっても抜群の書き込みは無理)
疲れた体を持て余しながらふと目に入った桜はもうほぼ満開。 やけに綺麗で。今日一日の中で受けた他人のやさしさの数々を思い出しながら ついつい感傷的な気分になってしまった…
| 2002年03月31日(日) |
遠き日の思い出(会話によって思い出したもの) |
私はその日、近所のガキ大将O君とともに遊んでいました。 正確にはまざっているふりをして、自分の好き勝手にやっていたのですが。←B型 でも当時は皆にまざって遊ぶのは常識であり、ルールであり、ステイタスであり。 家でゲームとか(無かったけど)なんて情けないもののすることでありました。
近所のガキ大将その他もろもろは自転車。 私は足こぎ車。(それも、高級車ぽるしぇ)
「おう。そっちいくぞー。」号令をかけるO君。 「へい。」と言ったかは忘れましたが、従う皆の衆。←皆の衆って…
私は一人前の振りをして、皆について行きました。 実は私なぞ、そのグループにとってアウト・オブ・眼中でしたけど。←伏線
一生懸命、私はついて行きました。でも橋の途中(急斜面)停まってしまい、 のぼれなくなってしまいました。 「おまえみたいなアブラムシ、ついて来るな」と言っていたO君も この時は後ろから押して助けてくれたり。 (昔の子供のガキ大将はガサツだったけど優しさもあったなぁ) でも足手まといな私は途中で置いてきぼりを食いました。 まあ、最初からこうなることは薄々気付いていた…仕方がないので 私は一人で大好きな車(当時から好きだった)がある、廃車置場へ向かいました。
続く
……
出会いと別れの季節。 5分咲きの桜がやけに胸に心に響く今日この頃。
……
http://www.recruit.co.jp/chanto/index.html これ面白そう。
今晩の食卓は方言話で盛り上がりまして。
祖母と母親の会話の端々に出て来る方言の数々。 面白い。
とそんな中、母親がこんなことを言い出した。 小さい頃、作文を書く時にどうにもこうにも書けなくなる時があったらしく。
それはこんな言葉です。 「おどっつぁ(父親のこと)」 これは確かな表記なのかは実は分かりません。 どうにも表記するのが難しい発音なのです。
そんなことを話しているうちに私も小さい頃、作文を書く時に違和感が あったことを思い出しました。
そこから私は標準語と私の話している言葉の違いというものを理解していった のかもしれません。いやむしろ余計分からなくなっていったのかもしれない…
ほんとに、その昔、自分の日常使っている言葉を作文に書こうとすると変に なってしまいまして。標準語の表記と実際の言葉との乖離。
ここから導かれたのはわが地方の人達は小さい頃から頭の中で自動翻訳が なされていたのでは?ということであります。
例えばこんな会話文。 「遊びにいぐべっつったんだけどもー、いっきあえなくってよー…」 という方言丸出しの会話文を文章にする時に、 「遊びに行こうと言ったのですが、(偶然)会うことが出来なくてさー…」 と自動的に頭の中で翻訳していた…
よく考えると凄い。英語の同時通訳並み!
そういうことが自動的に為されてしまっている現実!
自分で「標準語との違いを分からない」というわが地方の人にありがちな状態は こういう小さい頃からの自動翻訳の積み重ねが頭の中であまりにも自然に なされるので何が標準語か分からなくなってしまっているのではないのだろうか?
これが今日気づいたことであります。これがわが地方に蔓延している方言を 方言とも感じない脳内麻痺症状の元凶なのではないのだろうか!
♪ちゃちゃらちゃんちゃんちゃちゃららら ららーんらん♪ キンモクセイ「二人のアカボシ」
職場で着メロにしている人がいまして。 それが、周りを気にしない人で音が大きい。 まあ、そんなことはどうでもいいことですが。
ちなみに歌詞
夜明けの街 今はこんなに 静かなのにまたこれから始まるんだね 眠る埋立地(うみべ)と 化学工場の 煙突に星が一つ二つ吸い込まれ 沢山並んだ 街の蛍達も 始まる今日に負けて見えなくなってゆく 君とも離れることになる
あの高速道路の橋を 駆け抜けて君つれたまま 二人ここから 遠くへと逃げ去ってしまおう“か”
消えそうに欠けてゆく月と 被さる雲はそのままに 二人のアカボシ 遠くへと連れ去ってしまおうか
橋の継ぎ目と 二人に届く 電波には懐かしいあのメロディーが 聞こえてるかい? みだれ髪に しみるようにミヤウジヤウ ハルカカナタへ 見渡せば青く続く信号機が 二人の想いを照らせばいいのにな 明日の僕らは何処にいる?
また今日も汚れていく街は 蝕む煙を吐き出す 君の知らない遠くへと連れ去ってしまおうか 瞬かない星が一つ 夜明けの街に消えてゆく 二人ここから 宛てのない明日を探そうか
僕の決意と伝えきれない 想いが街の音に消えないうちに 朝焼けの水蒸気が 隣の空を彩る 懐かしいメロディーは 風と共に終わる 君の髪の毛が震えてる
あの高速道路の橋を 駆け抜けて君つれたまま 二人ここから 遠くへと逃げ去ってしまおうか
さようなら街の灯りと 月夜と二人のアカボシ 最後の想いは 君が振り向く前に話そうか
夜明けの街…
その着メロ音のうちの上記太字のところなんですが、どうしても気になって…。 その作成音が半音下なのでありまして。 とても気持ち悪いのです。彼の携帯が鳴る度に気になる…
話はちょっと変わりまして。 “絶対音感” 最相葉月 著 この本を読んで、その中より“そう、そう”と思えた部分を書き出してみます。
NHK交響楽団の首席フルート奏者の小出信也さんより
「(音楽が)ほかの調子にアレンジしてあるならかまわないのですが、 レコードの回転数が狂っていると、もうお腹がよじれそうになります。 細かいことは気になりませんが、知っている曲の場合は頭の中に 何調ということがインプットされているわけですから、調が狂うと ものすごく気持ち悪い。………」 これ、ものすごく良く分かります。私もそうです。私の場合は調が変わっている のも気持ち悪いのですが。分かりやすく例えを挙げると、 “咲いた咲いたチュウリップの花が…” という曲ありますよね。これはドレミドレミソミレドレミレ… という音なのですが、これがソラシソラシレシラソラシラ… と調が変わっていて曲的にはオッケイなのですが私はダメ。違和感ばりばり。 ホント気持ち悪くなります。
ましてやレコードの回転数が狂っているだなんて、信じられません。 昔、よくこういう嫌な音に出会った場合「気持ち悪ーい。」 と私は主張するのですが、周りの人は全然平気みたいで「何いってるの」 みたいな顔つきで私を見ているだけでした。 ほんと何故耐えられるのか私には全く理解できませんでした。 変かなぁ。良かった。同じ感覚の人がいて。
ちょっとでも違う音だと違和感が発生してしまうこの耳って…
たくさん寝た。びっくりするくらい。 調子悪い時は何はなくとも睡眠。
起きたら12時過ぎてた。寝すぎ。 今日は休みだったので、祖母も来た事だしご飯につれて行くつもりだった… 時計を見て正直焦った。12時を過ぎている!もう祖母はご飯を食べてしまった だろうか?
飛び起きて(と思ったけど少しフラフラしている)現実にはのそのそと起き出し、 下へ。
「おはよう〜」 「あら起きたのかい?体はどうなんだい。」 「うん、大丈夫。」
自分より他人。そんな思いやりのある発言。心の琴線に触れる。
「飯は食ったの?」白々しく。 「まだだよ」
ラッキー!心の中でガッツポーズ。 ということで早速お昼ご飯へ。
「どうする?ジャガイモの店と蕎麦とどっちがいい?」
祖母とはジャガイモの店に二回行っている。 そして今日はこの前に私が見つけた蕎麦の店を勧めてみることにした。
「蕎麦にしようかね」 私の強い勧めもあったからか、蕎麦にすることに決めた。 というか多分私の連れて行きたい方を見抜かれてそちらに決めたのだろうと 今になって思っている…
おいしそうに食べる祖母。 この笑顔を見れただけでもう満足。
「あの人も蕎麦が好きでねえ」 亡き祖父もどうやら蕎麦が大好きだったらしい。 私は自分でも他人にもよく言われることだが祖父に似ていると思う。
「よく『ばあさん打ってくれや』といっていたもんだよ」 祖母は昔、蕎麦を打てたらしい。もう最近は体力が落ちて辛いらしいが…
「ねえねえ、じいやは嫌いな食べ物あったの?」 「なかったよー。」 やはり似ている。
想像以上に喜んでもらえた。 たくさんお世話になった祖母。 こんな笑顔を見れたのはとても嬉しい。かけがえの無い笑顔。
|