思いつき日記
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2002年03月26日(火) いやはや

どうにもこうにもまこっちゃん。
今回のインフルエンザ君は強力!

のどがまだ痛いなとは感じていたのですが…また熱が出まして。
だましだまし仕事をこなしていたのですが、部下が出来ると大変であり。

つくづく一番下で働いていたころの気楽さを思い知っている今日この頃。

祖母が家にきまして。
せっかく歓迎会をするために予約まで入れていたのに、私のおかげでお流れ。
まったくもって申し訳ない。

祖母は今年88歳。久しぶりに会ったのですが、心なしか小さく見えた。
でもまだまだ元気みたいで安心しまして。

……

うーん調子悪い。もっと書くべきことがあるのに。


2002年03月24日(日) 色々

この頃、色々人生において大切なポイントに差し掛かり、自分がその中に
いるのだと自覚出来るようになって、さらにそこから自分の意見を言ったり、
人の意見を聞いたりと勉強になることばかりで。

摩擦が起きたり、ぶつかり合ったり、問題としている所が表面化したり。
人生あはは、おほほ、出来る事なら楽しく暮らしたい。
しかしそうばかりはいかないのであり。

問題が発生した時。その時こそいろいろな人の知恵を借りたり、
一番良いと思われる所を求めて。いつかは切実に慎重に決定しなければならない。

そういう時の対処の仕方を見ているだけでも違う。
また実際問題にあたった人は一番より良い解決法を見つけることが出来る。

もしそれが間違ったものであったとしても、修正できるようなフレキシビリティー
は持っていなくてはならない。

……

★S

彼女とプラネタリウム行けなくて終わったと思っていたら、
ちゃんと繋がっていたらしい。流石だ。

久しぶりに飯を食べた。
…とそれが原因というのは当たらずも遠からずで彼女とトラブってしまった。

私との約束のほうが先で、彼女からその後誘われた。午後からにしようと
提案したにもかかわらず怒ってしまった…

A型の女の人の典型例だなぁと思った。
取るに足りないことで怒ってしまう。

私はSに諭した。私との約束は後回しでもいいんだと。
ドタキャンしたからってそんなことで怒るような私ではないんだよと。
付き合い始めて大切な時期なんだから…

しかし、私としてはこういう女の人はパスかなぁ。
こういうことが私からA型の女の人を遠ざける大きな理由のうちの一つである。

でも“天才”AB型を作るのなら必要な血だけど…やはりパスかなぁ。

なんてこんなこと考えているうちは本気で人を愛していない証拠なのかも
しれない。


2002年03月23日(土) うれしかった日

★手紙

手紙を送った。返事はこなかった。
 体の中の何かが欠落して、そのあとを埋めるものもないまま、それは純粋な
空洞として放置されていた。体は不自然に軽く、音はうつろに響いた。
 前にもまして読書に励むようになり、仕事の役割が増えた。ますます他人とは
深いかかわりを避けて、家族に安らぎを求めた。


なんだか遠い自分を見ているような文章…

あれからどれくらいたったのだろう。
あの人は順調に着実に一歩ずつ歩いている。
そんなあの人の生きてく証みたいなものを見ることができた。

もう関わらないと誓ったからにはもう二本の線は一生平行線のままだけど、
陰ながら応援している今日この頃。

元気になってきているみたいでうれしい。

……

声が出なくなってもうた。言い過ぎ。変な声になってもうた。
人のことを言っている場合では無かった。
こんなことは初めて。しかしだいぶ元気。

仕事が楽しくて仕方が無い。
『営業は普通職よりもやりがいが二倍』
人生の先輩の言葉。

そのことを実感するまでは絶対に辞められない!例え辛くとも!


2002年03月22日(金) 死亡遊戯

昨日は一日中寝ていた。墓参りもせず‥

にもかかわらず。
まだ絶不調。痛い目を見ないと分からない人間の悲しい性。

欠かさずお茶を飲むべきだった‥

明日一日仕事に耐えれば休み!

携帯から書き込むのはやはり面藤テくさい‥。

早く寝よう!


2002年03月20日(水) インフルエンザ?

熱が出た。前日まで予兆と言うべきものは全くなかった。
大体調子が悪くなってくるのが分かるようになってきたはずなのですが、
今回はいきなりだった。

今考えると確かにのどがちょっと変かな?という違和感があったような
無かったような…とちょっと曖昧だった。

そう言えば、ここしばらく仕事的に大変で無理をしつづけてきていて、
気を張り詰め過ぎていたので自分の体調にまで気が回らなかったと言うのが
本当なのかもしれない。

また仕事関係で少しホッとしたことがあった。
ピーンと張り詰めていた緊張の糸が切れてしまったのだろうか。

昨日、朝起きたらとてもだるかった。
この時点で調子が悪いことに実はまだ気が付いていない。

仕事をしているうちに、だんだんおかしいぞ?と思い始めまして。
やはりダル過ぎる。さらに寒気がする。
あれ?これ風邪かな?なんてのんきに考えて仕事をこなす。

あまりにも頭が痛く、背中やら、腰やらが痛い。
体温計で熱を測ってみた。37.9度!あれ熱あるや…

仕方が無いので早帰りして、病院へ行った。

もうインフルエンザは下火らしくすぐに診察してもらえた。
というかこの病院、院長先生はいいのですが、下で働いている医師がダメ医者で。
また不運にもこの医者に見てもらうことになった。

カルテを見た。病院へ来たのは昨年の同じ時期だった。
私はかなり健康になったものだなぁと実感した瞬間。
というのは昔は季節の変わり目に一回くらいはお世話になっていた気がするので。

熱を測った。38.5度だった。なんだかフラフラすると思った。

「だいぶ高い熱ですねー」
「明日も(今日)仕事なんですよー(泣)」
「じゃあ、注射打っていくかい?」
「お願いします」

ここでこの病院には恐ろしい看護婦がいまして。Sの。
患者のことを患者とも思ってなさそうな、まるで機械にでも接しているような
冷酷人間が!

頼むからこの人だけには注射を打って欲しくない…

大丈夫だった。おカマっぽい男の人だった。
でも下手で痛かったりしたのですが。

とにかく調子が悪いです。現在も抗生物質を飲んでいるのでこんなことを
書き連ることが出来ているのですが、何時再発してもおかしくない状況です。


2002年03月18日(月) 思いつきとは我ながら的を得たタイトルだ。

★山田太一氏のエッセイを読んで

言語化して整理出来るような作品は…没。そしてなんだか分からない
けれどある魅力があり、自分の世界が伝わるのが一番。
『多面的で、自分が全然思っていないところで何かを読み取って下さるような』
球体としての作品が書けたら素敵。


彼の発言に興味をもった。こんな考え方いいな。
自分の思惑外、または知らないところで、何かに影響が及ぼされる。
面白い考え方だなぁ。

この感動を知ってか知らずか、家に山田太一氏の本があった。
読んでみようかな。(って未読の本がまだまだありまくりだけど)

★雷

夕方雨が降った。
それに付随するように雷もなった。
春の嵐。

こんな時期に雷って発生するんだっけ?
梅の花が散ってしまった。

儚くも素敵なこの一瞬(いや数日間)イメージとして焼き付けておけて、
好きな季節が始まる。花粉はうざいけど。

自分の生まれた季節が嫌いな人っているのだろうか?
ふと思い立ったこと。


今日のBGM
ビートルズ「ザ ビートルズ1」レンタル。速攻焼きの一枚!


2002年03月17日(日) お蕎麦

一日が暖かい日差しとともに始まって(つまり寝坊)気持ちのよい目覚め。
すっかり春めいている今日この頃いかがお過ごしですか。

何はともあれ、今日はやるべき事がというかやらなくてはどうにも仕方がない
ことがあったので、たくさん動きそうな一日。

そして、今日のメインイベントと結果的になったお昼ご飯。
最初はラーメン(小池さんか?私は)にしようと思ったのですが、駐車場が満車
だったために諦めて、他の所へ向かう。

運転している横目に蕎麦屋の看板が見えた。「う〜ん蕎麦も悪くないな」と
探しに入る。今日は新規開拓の意欲が満々。今日は“えねるぎっしゅ”だなぁ。

二・三ほど目に入った中で、100%そば粉使用の文字に惹かれてある店に決めた。

とにかく異様というかちょっと変わっている雰囲気だ。
何せ入店しても“いらっしゃいませー”でもないし。
ペットボトルの水がたくさん並んでいるし。
とにかく変わっている。

店員らしき人が(後ほどそれはお客さんだということが判明)蕎麦湯(梅干入り)
を勧めてくれる。で、メニューが盛り蕎麦の中と小しかないということを告げる。
とにかく店内にいたお客さんも?な顔。しきりにメニューは?とかひそひそ話して
いる。

ここだけ時間がゆったり流れているみたいだ。
ほかのお客さんも年を召した方ばかりで。
こんな時間をかけた食事。贅沢な時間の使い方。
蕎麦茶をすすりながら読書したくなるような素敵な空間。

にんにくたっぷりのそばがきが出てきた。
とにかく辛い。しかし美味しい。美味しすぎ。

ついにきました。蕎麦中盛り。
結論から言いましょう。今まで食べた中で一番美味しかった。
ちょっと変わっている店だったけど、ここは気に入った。
ところで、蕎麦が好きだなんてやはり私って爺くさいなぁ。

のど越し香り食感。すべて素敵。こんな美味しいのは初めて。
まあ、このレベルに似たのは食べたのあったけど、やはり一番だなぁ。

ご馳走様をありったけの笑顔で言って店を後にした…。


2002年03月16日(土) サボり

私の興味の対象っていうのは、周期がある(前に書いたかな)

現在はまた車へ興味が向かいつつあり。
また、仕事が面白いことになっていて。

すると日記がおろそかになる。
沈黙している間に、どんどん本を読んで情報を蓄えてそのうちたくさん発すること
が出来るようになるのだろうとは思うのですが。(ってネタ不足かい!三村氏)

★車

車高をいじってから、車の運転が楽しくて仕方が無いです。
意のままに操る瞬間というのを実感する瞬間があります。

速く走れたとか、危険と紙一重っていうのも確かに脳内に麻薬物質が
大量発生して、快感の中に身を置くことが出来るのですが、最近発見した事で、
コーナーを曲がる時、ブレーキとアクセル、ステアリング操作が三位一体となって
つまり減速、旋回、加速という過程において、文字通りテキストに書いてある
ことを実行できた瞬間、僥倖を得られるのであります。

詳しく説明しますと、コーナーの入り口で文字通りフルブレーキング、
コーナーのRの頂点までブレーキを残しつつ、ステアリングを切り込み、
頂点でステアの切角が最大になって、そして車体は行き先が決まって、
フル加速へ…

と言う行程が寸分の狂いも無く、挙動が安定しながら出来るとこれはもう
どうにも表現できないほどの嬉しさというか気持ちよさでして。

それがいつも出来ているのならいいのですが、まだまだ出来ないのが実情です。
だから止められない。とまらない。カルビーカッパえびせん♪(寒)

もう、これで頭がいっぱいいっぱい。だもの他のものが手付かずになるのも道理
って訳ですね。


2002年03月14日(木) 変な日記

サガンの本を読んでいたらこんな文に出会った。

考える自由、常識はずれなことを考える自由、少なく考えることの自由、
自分の人生を選ぶ自由、自分自身を選ぶ自由。私は『自分自身で在る』と
言うことはできない。なぜなら私はこねることの出来る粘土でしかなかったが、
鋳型を拒否する粘土だった。


私はどちらかといえば自由きままに生きたいタイプ。
しかし、いいなぁ。こういう風に自分というものを表現出来るなんて。

私はこの日記でもそうですが、実際において自分の気持ちをうまく表現できない
ことが多々ある。

色々な事を伝えたいのに、うまく言語化出来ないもどかしさ。

日記ではまだ、ましなのかもしれない。
推敲したり間違いを訂正する猶予があるため。

その瞬間ごとに最善の方法を取捨選択し発言するAB型が羨ましい。

今日の日記駄目だなぁ。色々な発想はあったのですが、まとまりに欠けている。
構成が、その発想がうまくまとまらなかった好例(いや駄目例)
疲れているなぁ。ボソッ


2002年03月13日(水) 怒ること

昨日、母親が妹にたまっていた鬱憤をぶつけた。

自分勝手なところもある主張だったけど、妹のこれから生きてゆく上でのことを
思い遣った、愛情あふれるものだった。

私はそれを見て、親離れ、子離れの儀式とみなした。

私はバルザックの『ゴリオ爺さん』のゴリオ氏やモーパッサンの『女の一生』に
でてくるジャーヌ氏みたいに、一口に言えば、親ばかになる気がする。
母親が妹にしたように私が出来るかといえば…今は分からない。

人生を生きてゆく上で、必ず子供を独り立ちすべく準備を親がするのは当然で、
その場面に私が立ち会えたのはとても勉強になった。

もちろん私にもその状況はあったと思うのだが、自身が携わっているといまいち
分からかった。第三者として客観的にその事象を見る事によって、はっきり見えて
くる。

話は飛んで兄貴を見ていると親には何が必要なのかということが少し見えてくる
ような気がする。ちなみに兄は勉強はできない(というかしなかった)けれども、
生きてゆく上で何が大切なのかということを、ありのまま、空気が存在する
のがあたりまえだというのと同様、感覚的に知っている。

兄が自分の娘に接しているのを見ると、私から見ると、厳しすぎるのかな?
と思う気がするのですが、娘(姪)にとってはそれが本当の意味で生きてゆく
上で必要なことなのは明白なのであり。

私がもし子供を持つようなことになるのだとしたら、ゴリオ氏やジャーヌ氏
みたいになるのは避けなくてはならない。兄貴や母を見習わないといけない。

…私は人を育てる上で『厳しくする』という事が出来ない人間であると
思い込んでいたので、先生になるのを(大学時代、教職をとるのを)取りやめに
したのかもしれない。いまだに先生という職業は憧れるが、自分には不適格だと
思っている。

とにかく、いつも笑顔で鞭を用いることなく人を育てるなんて事は出来ない。
それが今回よく身に染みて分かった事である。
それを実行できるかというのはまた別問題ですが。


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