うちにやってきてやがて1年4ヶ月になる2匹の猫、クロとハチ。その名の通り、黒猫とハチワレ猫です(笑)
で、その2匹。実は去年の去勢手術の術前検査で、猫エイズと白血病が陽性である…との診断を下されていました。もちろん、猫エイズと言っても人のそれと同じで、陽性反応が出たからって即病気になる訳ではありません。ウィルスを体内に持ってる、いわゆる『キャリア』の状態で、将来的に発症するかもしれない、という事。しかし発症してしまったら進行は早いらしいので、できるだけ発症しないように、栄養状態を良くしてやったり体調の変化に気を付けておくしかないな〜という状況で1年やってきました。
生後半年の時点でキャリアで、でも生まれてからずっと室内飼い。つまりどこかで感染してきたわけではなく、おそらく母猫からの母子感染なんですよね。もしかしたら母猫じゃなくて父猫なのかもしれないけど、2匹を譲ってくれた元の飼い主さんとは私は直接知り合いじゃないので、そこまでは確認できず。
でね、その1年前の検査の時に言われてはいたんです。 「子猫は、生後半年ぐらいの間は母乳の影響でウィルスが体内に残ってるだけで本当に感染してる訳じゃないってケースもあるので、来年の予防接種の時にでも再検査してみるといいですよ」 って。で、先日その予防接種に行ってきまして。
接種の前に 「再検査します?」 って聞かれました。聞いてみると、検査料は4000円…やる予定の予防接種が5000円だから、合わせて9000円。それが2匹(苦笑)検査して『やっぱり陰性でした!』ってなる可能性が高いのならそりゃやるけど、わざわざ4000円(×2)払って『間違いなくキャリアです』ってだめ押しされるの辛いな……とちょっとためらっていると、先生に言われました。
「検査してやっぱり陽性だったらもう確定なので、その時は、月イチぐらいでインターフェロンの注射に来てもらった方がいいんですよ。発症を抑制できるから」
あ、なるほど。運が良ければ陰性の結果が出る可能性もあるけど、陽性だったらだったで、そういう対策もできるのか。そのためにもはっきり診断したいのね。じゃぁしょうがない、やるか!
というわけで再検査。そしたら。
「…陰転してます!」
え、マジで!?
猫エイズも白血病も陰性。どうやら本当に、前回の検査では母乳の影響で陽性が出てただけだったようです。うわ〜本当にこんなことあるんだ〜!
驚きつつも喜んでいたら、先生がカルテに書き込みながらボソッと 「本当にあるもんだなぁ」 と呟くのが聞こえました(笑)え、先生も驚く?それってつまりかなりのレアケースだって事?
何はともあれ一安心。その日の夜はお祝いに猫缶を開けてあげました(笑)←普段はカリカリで、猫缶はたま〜にしかあげないのですげぇ喜ぶ。
その後ちょっと調べてみましたが、陽性と出たのが後から陰転する確率がどのぐらいなのかってのは判りませんでした。一般的にはその境目は生後半年だそうです。つまり母猫の母乳の影響が消えるのがその頃って事ね。でも病院や検査キットのメーカーによっては4ヶ月とか8ヶ月とか結構マチマチ。うちの場合、去勢手術のために検査したのがちょうど生後半年の頃だったので、まだギリギリ移行抗体が残ってたって事なのかなぁ。
なぜかハチの方が1kgほど重いという体重差には驚きましたが、2匹とも健康体ですよ〜とお墨付きをもらってホッとしました。順調にいけば娘が成人するぐらいまではいてくれるはずだけど、なんならもう猫又になるまでいてくれてもいいのよ?
2016年09月04日(日) |
ブレーカーに手が届かないから面倒なんです。 |
4月に引っ越してきてもうそろそろ5ヶ月。
………その5ヶ月の間に、3回ブレーカー落としました(-_-;)
1回目は、炊飯器と電子レンジとトースターをいっぺんに使ったら落ちたんですよ。だから 「あぁこの3つを同時に使っちゃダメなんだな」 と思ったんです。
そしたら最近になって、炊飯器と電子レンジを同時に使ったらそれだけでまた落ちた!えー2つだけでもダメなの?そしたらご飯炊きながら冷凍してたお肉をレンジでチン、てのができないじゃん!
まぁ仕方ないのでそこは気を付けながら使ってたんですが、なんと昨日、炊飯器とトースターだけでまた落ちたんです。
…………ウソでしょ?確かに『熱を発するものは意外に電気を食うから、できるだけ同時に使わない方がいい』って旦那には言われたけど、炊飯器とトースターだけで落ちるってどんだけアンペア数少ないの?
驚きすぎてちょっとムッとしながら(苦笑)ブレーカーを上げたら…え、ちょっと待って。
ブレーカー上げた途端、炊飯器・LDKの照明・テレビ・流しの上の蛍光灯・換気扇・換気扇についてる照明・廊下の照明・脱衣所の照明…がついた。
ついでに自動で復活はしなかったけど、この時はトースターと洗濯機も動いてました。確認しなかったけど、もしかしたら冷蔵庫も1回消えてたのかもしれない。
つまりそのブレーカースイッチ1つで、クーラーを除くLDKの電気を使うものすべてと廊下とお風呂場の電気まで入切するって事?スイッチ1つで担当する範囲広すぎない!?
いや、そんなあっちゃこっちゃつけっぱなしにしてた私も悪いんだけど(笑)でもうちの廊下は窓がなくて昼間でも暗いので、家にいる間はつけっぱなしにしてる事が多いんですよ。廊下に猫のご飯と水を置いてるってのもあるし。台風来てて天気が悪く部屋が薄暗かったので昼間だけどLDKの電気もつけてたし、お昼ご飯を食べたら洗濯物を乾燥機にかけにコインランドリーに行こう…と思って、洗濯しながらご飯を作ろうとしてたわけです。
これはちょっと不便だな〜と思って旦那に「なんとかならんのか」と聞いてみたところ 「なんともならん」 と言い切られてしまいました。そもそも昔の家はブレーカーのスイッチが少ない(=どうしても1つのスイッチで担当する範囲が広くなる)ってのと、どのスイッチでどこまで担当するかってのは家を建てる時に配線するので今さら変更のしようもないんだそうです。
そ、そうか〜、じゃぁこっちが気を付けながら使うしかないのか…(- -;)
まぁ普段は炊飯器と洗濯機を同時に使う事ってほとんどないし、とりあえず炊飯器と電子レンジとトースターに気を付けておけばいいのかな。…いつか家を建てる時はできるだけ小分けにしよう。
早くも今年の半分が終わろうとしている6月も後半。この3ヶ月はなかなかのトラブル続きでした。
まずね、4月の7日になんとか引っ越したんですよ。
昨年8月末の台風で屋根が飛ぶというまさかのアクシデントに見舞われて以降私の実家に居候してた我が家ですが、なんとか元の校区内に手頃な借家を見つけたのが2月。まぁ若干の手直しは必要で、それも踏まえて3月下旬の連休に引っ越そうね!(=それまでに手直し終わらせてね)と旦那を急かしてたんですが、またこれがなかなか進まなくて。
床や壁の張り替え、一部の部屋の塗装、入居前にはプロの清掃業者さんにお願いして…と予定してたんだけど、それ全部旦那の知り合いの大工さんとか同業者を通じてつてのある人とかにお願いするわけです。そうなると、大工さんとか後回しにされちゃうのね。だって『正式な仕事』じゃなくて『知り合いに頼まれた仕事』だから。本来受けてる仕事の合間に時間をつくってやってくれるような状況で、私が 「ねぇ本当に(予定してる連休に)間に合うの?」 と急かしても 「いや〜あいつも忙しい中でやってくれてるから、あんまりしつこく言えないんだよ」 と濁され、結果、間に合わなかったっていうね…orz
引っ越した直後に家の中の片付けをがっつりやるつもりで、連休の後に続けて休めるよう他のパートさんにお願いしてシフトの調整までしてたんですよ。なのに結局その連休には引っ越せなくて。業を煮やして、 「(娘の)新学期が始まる前には引っ越すよ!」 と宣言。まだ手直しが済んでない部分もあったんですが、半ば無理矢理、始業式の前日に引っ越しを決行。
押し入れの床がベコベコのままだから物も入れられないし、脱衣所の壁には大穴開いてるし(あ、もちろん外まで貫通するような穴じゃないですよ。内側の壁材がはがされ、中の断熱材や木材が見えてる状態)、カーテンレールとか買っただけでまだついてない所があったり。普通に考えたらまだ手直し終わってないよねってレベルなんですが、とにかくもう1日も早く娘が自力で学校に通える所に移りたかった(苦笑)
おかげで新学期から娘は近くの友達と同じ登校班で学校に通えるようになり、帰りも自分で歩いて帰ってきて自分で鍵を開けて家に入って、私が仕事終わって帰るまでちゃんと留守番できるようになりました。朝から送らなくていいし、夕方も学童保育に迎えに行ったり、自分は休みでも学校に迎えに行ってやらなきゃいけないから…とか気にする必要もなくなって、本っっっっ当にラクになりました。
………と、喜んだのもつかの間、引っ越した1週間後に熊本地震ですよ…。
4月14日夜の前震の時、我が家は家族3人そろってリビングにいました。娘にそろそろ寝なさいよなんて言ってたタイミングで震度7。
揺れが収まって一段落したら、地元消防団に所属する旦那は地域の安全確認のために出動。夜中に帰ってくるまでずっとニュースを見てました。引っ越して自分の部屋が出来てからは1人で寝るようになってた娘も、さすがにこの日は怯えて自室では寝られず、3人でリビングのソファで夜を明かしました。(家の中でリビングだけが上に2階が乗ってない構造なので、万が一余震で2階が落ちてきた場合に備えて)
16日未明の本震の時は、1階で3人一緒に寝てました。普段は夜中に震度3程度の地震でも起きない私ですが(それもどうなんだ)この時はさすがに飛び起きました。
ただ、これは後からわかった事なんですが、どうやら私達が新しく引っ越した家の辺りは山沿いで地盤が固いところだったようで、うちはそれほど揺れなかったみたいなんです。確かにすごく揺れたとは思ったんですが、直後のニュースを見て 「え?震度6?(※最初は6と発表されました)そんなに揺れた?4か5ぐらいだと思ったけど」 なんて言ってて。
幸い…と言っていいのかどうかわかりませんが、同じ熊本市と言ってもうちの辺りは震源地から離れてました。実家や妹の家では食器棚から食器や瓦が落ちたりもしてたし、2〜3日は余震を恐れて車中泊もしてましたが、数日後には家で過ごせるようになって。うちもしばらく断水はしたけど、ガスと電気は問題なく使えてたのでずっと自宅で過ごせてました。不便ではあったけど、もっと被害がひどかった地域で避難所生活を送る人の事を考えると文句は言えないな〜、と。
結局GW明けまで小学校は休校になり、その後もちょこちょこと余震は続いてますが、とりあえずうちの生活はもう落ち着きました。でも震源地に近かった方の伯母の家は半壊だし、そのそばにある母の実家はおそらく取り壊しになるそうです。他にも避難所暮らしや引っ越しを余儀なくされた友人知人も複数います。
自分の住む土地が『被災地』と呼ばれるようになるなんて夢にも思いませんでした。でもその一方で、いろんな事を考えた2ヶ月でもあります。遠方の友人が 「物流が再開したら何か送るよ!何が必要?」 といち早く連絡をくれて本当にミネラルウォーターや無洗米を送ってくれたり、前震の翌日にはウツのファンクラブから安否確認の電話が来て思わずホッとして泣いてしまったり。
普通に暮らせるってありがたい事なんだなぁと思います。あとは、脱衣所の壁を早くなんとかしてほしいかな(苦笑)←地震の影響で大工さんがさらに忙しくなってしまって、まだやってもらえてない。
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