2006年12月21日(木) |
『14才の母』最終回 |
これまた昨日録画してたのを今日見たわけですが。
なんか・・・・・
う〜ん・・・・って感じの終わり方でした。いやもちろん、そらちゃんがちゃんと生き延びて元気に退院してくれたのはいい事だし、本当に良かった良かったと思うんだけど、ある程度ハッピーエンドになってしまった事が腑に落ちないというか。
産まれた子供を見て急に父性に目覚めたのか、18才になったら結婚したいと言い出した桐ちゃん。なんだかんだ言いつつ、未希を受け入れ始めている元クラスメート達。同じくなんだかんだ言いつつ、2人を認める方向の静香ママ。
でも本当に大変なのはこれからなわけですよ。育児って大変だ。ご近所さんを始めとする『世間の目』と戦うのも大変だ。中卒で働いて高校や大学へ行くための資金を貯めるのも大変だ。
結局ドラマの中で、未希の通院費や出産のための入院費用、そらちゃんがNICUにいた間の費用について、未希は一度も両親に何も言わなかった。産後の生活費やいつかは進学したいための費用については 「自分で働いて貯める」 と言っていたけど、産むためにかかった費用については考えが及んでいないという感じ。ずっと気にしながら見てたけど、そこはスルーなのか?と苛々してたけど、終わってみれば 「それもまた14才ならではの甘さと言うか、考えの浅さなのかな」 と思えました。金銭的にも精神的にも、自分が『子供を産む』という選択をしたためにどれほど家族に助けられたかという事を、未希はまだ完全には理解してないのだろう。
だって自分が14才の時の事を思い返してみるとねぇ・・・・体調を崩して病院に行けば、その費用は当然親が出してくれてた。病院で払う費用だけじゃなくて、健康保険料を月に何万も納めてる事なんて、知りもしなかった。物語の前半で未希が産婦人科に行った時、受付で 「保険証は?」 と言われて戸惑っていた、あれが14才の実態。保険証がないと医療機関にかかれない事、保険証を持つために親が何万もの保険料を払ってくれてる事、そんな事も理解してない。それが『14才』の現実。
働き出した桐ちゃんも、やがて気付くだろう。中卒というのは社会において大きなハンデだという事に。未希も、いつか気付くだろう。オムツやお尻拭きや粉ミルクなどの消耗品にどれほどお金がかかるのか。勉強するためのお金を貯めたい、そのために働きたい、でも働くために保育園に預けたらどれだけお金がかかるのか。中卒でできる仕事で、保育料を払いながら高校や大学に通うための費用を貯めるのがどれほど大変な事なのか。
救いは、未希が言っていた 「5年経っても、私まだ19才だよ。桐ちゃんだって20才だよ」 という言葉かな。まだ若過ぎるほどに若い2人。死ぬ気で頑張れば、無限の可能性があるという事。そして、産まれた子供に恥じない親になりたい、そのためにはいつまでも親に甘えてるわけにはいかないと考えた、2人の精一杯の自立心。
無理だとは思うけど、何年か後に2時間枠でもいいから続編を描いてくれないかなぁと思います。主役の2人が実際にもうちょっと大人になってから、その後の2人(というか、そらちゃんを含めた3人)がどう生きてるのかを描いて欲しい。
完全に納得いく終わり方ではなかったけど、じゃぁどんな結末だったら納得いったのかと考えると思いつかない。そうやって見る人の心に『何か』を残したという点で、あの結末は正解だったのかもしれませんね。
これまた、いろんな事を考えさせられたドラマでした。とりあえず志田未来ちゃん好きです(笑)
2006年12月20日(水) |
『僕の歩く道』最終回 |
昨日録画してた分を今日見たんですが。
なんか、しみじみする終わり方でした。テルを取り巻く環境がゆっくり変わっていく様子が、丁寧に描かれてました。
最初は『動物に愛情があるフリ・障害者に理解があるフリ』だった園長も、実は自分も自閉症児の父親だった古賀さんも、最初はテルにイライラしてた三浦君も、ゆっくり時間をかけてテルの事を知って、知るにつれて受け入れてくれるようになった。
障害者の弟を持つ事できっといろんな辛い思いをしてきたお兄ちゃんも、結局なんだかんだ言っても弟テルはかわいい存在で。同じように障害者の兄を持つ事でいろんな辛い思いをしてきたりなちゃんも、やっぱりお兄ちゃんテルの事が大好きで。
こんな風に社会全体が障害者を受け入れる事ができたら、きっともっといろんな人が住みやすくなるんだろうな〜と思えました。
個人的に、真樹さん(兄嫁)の存在がしれっと大きかったですねぇ。真樹さんとか三浦君って、いわゆる『一般人』の代表みたいなスタンスだったと思うんです。異質さが怖くて反射的に拒否してしまう。自閉症ってものをよく知らないから、対応できなくて拒絶してしまう。でもいろんな出来事を通して少しずつ自閉症の事をわかっていって、最終回にして真樹さんは 「輝明さんには感謝してる」 とまで言ってくれた。
本当は、あのシーンで真樹さんが 「輝明さんと一緒に住んでもいいよ」 とか言うんじゃないかと思ってたんですが、さすがにそれはなかったですね。そりゃあんまり劇的過ぎる。
ただ、このドラマの感想をいくつか読んだら、みんな結構同じ所でひっかかってるな〜って気がしたんですが、最終回にして都古ちゃんがなんかちょっとおかしくなかったか?
河原さんとの結婚生活が辛くなったのはわかった。でも、河原さんなりに一生懸命考えて、自分のここがいけなかったと思う、これからは気をつけるって歩み寄ろうとしてるのに、問答無用で離婚届突きつけて出てきちゃってお終い。
テルのグループホーム入所に関しても、戸惑うお母さんの気持ちおかまいなしに積極的で、なんか 「あれ?もうちょっとその辺思いやれる人じゃなかったっけ?」 って感じで少々違和感がありました。
悠然と空を滑る鳶の姿に思うところがあったのか、自分からグループホームで暮らすと言い出したテル。ラストシーンで 「外壁が黄色だったから気に入ったのかな」 と思ったらちょっと笑えました。
話が前後するけど、レースのスタート地点で集中しようとしてるテルの体を支えてるお兄ちゃん。あのシーン、良かったなぁ。あぁ『お兄ちゃん』だぁ・・・って感じで、泣けました。
前作『僕と彼女と彼女の生きる道』の時も思ったけど、草なぎ君ってすごい役者だな、と改めて思います。実はこのドラマが始まる前、ただテルが佇んでるだけのCMを見て、 「・・・・もしかして自閉症の人のドラマなのかな?」 って思ったんですよ。何の予備知識もなく、ただあのCMだけでそう思えた。それぐらい、あのCMの草なぎ君は『テル』だった。
とても上質なドラマだったなぁと思います。終わっちゃったのが寂しい。みんなのその後、みたいな感じの特別編とか作ってくれないかな。グループホームで暮らすテルと都古ちゃんの交流とか、お兄ちゃん一家のその後とか、古賀さんと別れた奥さんと自閉症の息子君のその後とか。
2006年12月19日(火) |
もう半分以上は書いたぞー。 |
ここ数日、暇を見ては年賀状をチマチマ書いております。と言っても基本は印刷してて、そこに相手に応じてちょこっとメッセージを書き込むだけなんだけどね。
でもこの『ちょこっとメッセージ』が意外と大変だったりするんですよ。特に今年はユウも含めた家族3人の写真を使ったもんだから、悩みます。独身の友達とか、結婚してるけど子供の話はまだ聞かない友達とか。運が悪いと、すっごく不愉快な思いをさせたり、傷つけちゃう可能性もあるので。
・・・・・・・・・・とわかっていても写真を使っちゃうあたりが、結局親バカって事なんでしょうね。でもユウだけの写真じゃなくて家族の写真を使った所に、ささやかなこだわりが。自分が『子供だけの写真の年賀状』をもらうのが好きじゃないので。
あと、今のところ宛名は毎年手書きです。まったく個人的な意見なんですが、表も裏も印刷で一言も手書きの部分がない年賀状をもらうと、なんだか手抜きされたような気分になってガッカリするんですよ。ただ単にはがきソフトに相手の住所を登録するのが面倒くさいってのもあるんだけど。
ここ数年はメールが普及したせいで年賀状の枚数が年々減ってると言われてますが、少なくとも私がもらう分に関してはそんな感じはないですねぇ。いや、枚数はその年によって多少変動するんですが、年賀状が来なくなった代わりに年賀メールが来る、って人はいません。
っつーかさ、PCならともかく、携帯のメールって長くても何ヶ月かの寿命じゃない?新着メールが来るたびにところてん式に消えていくんだから、もし年賀状代わりのメールを携帯で送ったりしたら、数ヵ月後には消えちゃうわけですよ。早ければ1ヶ月とかで消えちゃうかもしれない。そんなんでいいの?って思うのは、私がもうオバサンだって事なんでしょうか。
書いてるとユウが奇声を発して『かまってくれ』とアピールしてきたりもするので、なかなか進まないんですけどね(^^; 仕事してない分、去年よりは余裕持って書けてます。
目標は週明けの投函です。がんばろう。
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