金色の夢を、ずっと見てる

2006年06月23日(金) ブラジル戦、負けちゃったね。

朝から、なぜか5時ぐらいに目が覚めました。

とりあえず隣で寝てるユウの様子を見て、ぐっすり寝てるようなので一安心。トイレに行って、さてもう1回寝ようかな・・・・と横になりかけて思い出しました。
「あ、そういえば今ブラジル戦やってるんじゃ?」
というわけでテレビのスイッチON。

後半15分、ちょうど高原と巻が入れ替わろうとして・・・・え?巻?今から出るの?引っ込むの?



・・・・引っ込むのか!しまった〜!!もうちょっと早くテレビ付けてれば、巻がプレイしてるところを少しでも見れたのに!!


やはり地元出身の選手ですから、せっかく試合に出てたんなら見たかった。前の2戦がまったく出番なしだったから余計に。んー残念。ちなみに同じく地元出身の土肥選手(GK)もやはり出番はナシ・・・・・まぁ川口が調子良かったもんなぁ。こないだのクロアチア戦のPKを止めた瞬間なんて本当にすごかったもん。

結局ブラジルにも1−4で完敗。決勝トーナメント出場はならず残念。試合終了後、いつまでもグラウンドに横たわって顔に掛けたブラジルのユニフォームの下でこっそり泣いてた(よね?)中田ヒデ選手が印象的でした。


『キャプテン翼』でサッカーのルールを覚えた世代ですが(笑)また久しぶりに読みたくなったなぁ。レンタルコミック借りてこようかな。←同じ事考える人が絶対たくさんいる。




早いもので、ユウも生後3週間を過ぎました。早くも来週の日曜には日明けしてお宮参りに行く予定です。お宮参りが済んだら、うちで両方の家族を招いてささやかにお祝いの席を設けるのだそうです。


・・・・・え、うちで?


はい。今私がいる実家ではなく、今は次郎君が1人で寂しくお留守番してるあの家で、です。

「・・・・でも、その時まだ私は家に帰ってないよね?」
と言ったら
「でも料理は仕出屋さんに頼むし、両方の母親がいるんだから大丈夫だろ。家族だけだし」
との事。


・・・・・・・まぁ最初は両家の親戚まで呼んでやるって言ってた事を考えると、そこで妥協するしかないんだろうな。(自分の家でやるのに、いくら日明けしたばっかりだからって、親戚の手前、私が何もせずに座ってるわけにはいかないでしょうが。親戚まで呼ぶのならどこかの店とか外部でやってくれ。どうしてもうちでするのなら家族だけにしてくれと次郎君を説得したのです。しまいには義両親に“親戚まで呼んで大規模にやるのはちょっと体力的に自信がないので・・・・”と直訴したさ。っつーかそもそも、お宮参りの後の食事ぐらいで親戚まで呼ぶか!?聞いた事ねーよ)


もっとも、
「家に帰ってきても、昼間はどっちにしてもユウと2人だし、ユウが一緒じゃ買い物に行くにも一苦労だろ?俺も毎日決まった時間に帰れるわけじゃないし・・・・・日明けしたからってすぐに帰ってこなくてもいいよ。お前が多少自信がつくまで実家でゆっくりしてこいよ」
という次郎君の言葉に甘えて、7月半ばまでは実家にいようかな〜と計画中です。お義母さんも
「初めての子供は大変だから、咲良ちゃんもちょっと長く実家にいた方が安心でしょ」
と言ってくれてるそうなので遠慮なく。

でも正直言うと次郎君はちょっと寂しいようなので、あんまり長居もしてられないかな(苦笑)



2006年06月19日(月) 入院ドキュメント

さて、本日は産後の入院中の話など。

産後の入院は、出産した当日を含めて1週間。経産婦さんだとこれが1日短くなるらしいです。



まずは出産当日・6月1日。

最初に病院にやってきたのは義両親でした。お義母さんは夜働いて昼間寝てるので、来るとしたら翌日とかだろうと思ってたのですが(そしてお義母さん自身もそのつもりだったらしいのだけど)、むしろお義母さんよりも盛り上がっちゃったお義父さんによって連れて来られたそうです(苦笑)生後3時間ぐらいの孫の顔を見て、
「咲良ちゃんも疲れてるだろうから」
と10分もせずに帰っていきました。

そして夕方には私のお母さんと妹。お父さんは夜まで仕事のため面会時間に間に合わず。


それにしても、産まれたての赤ちゃんって・・・・・・みんなそうだというわけではないのかもしれないが、寝顔が土偶に似てると思うのは私だけ?(苦笑)



6月2日(金)

午前中、赤ちゃんはお風呂のため看護師さんに連れて行かれる。そしたらその間にお父さんが来ちゃった。仕事に行く前に孫の顔を見ていこうと思ったらしいんだけど、これがなかなか帰ってこない(笑)そろそろ行かないと間に合わないんだけど・・・とソワソワし始めたあたりでようやくユウが帰ってきました。待ち時間40分、面会時間10分。でも初めての孫を抱っこできて満足したようです。

会陰や産道の縫合をしなかった人は産後24時間経ったらシャワーを浴びて良いそうで(縫合した人は3日ぐらいダメなんだって)、午後になると看護師さんから
「シャワーいいですよ」
と許可が出る。お母さんにシャンプーとリンスを持ってきてもらってからにしよう、と待ってたら結局行き損ねちゃった。

縫合はしなかったものの若干の傷はあったので、これがトイレに行くたびに沁みる・・・・(;;)円座なしじゃ座れないし。あと、産んだからってすぐにお腹がぺたんこになるわけじゃないんですね。じつはまだ入ってるんじゃないの?って感じですよ。



6月3日(土)

産後初の体重測定。産前に比べると・・・・・お、4kg減。


・・・・・・・・・それって、きっちり出した分(ユウの体重+胎盤+羊水&血液)しか減ってないじゃん。残りは全部私の体に付いてるわけか!?

午前中、ユウがお風呂に連れて行かれてる間に私も産後初のシャワーに行く。そしたらボディソープだけじゃなくてシャンプーとリンスもシャワー室にあったよ・・・・。だったらお母さんが持ってきてくれるのを待たずに行っても良かったじゃん・・・・。



6月4日(日)

怒涛の面会ラッシュ日。

と言うのも、この病院では
『母体の体力回復のため、産後3日間は家族以外の面会は御遠慮ください』
って事になってるんですね。しかも看護師さんの
「でも、自分の両親ならともかく、お姑さんやお舅さんが来てる所で平気で授乳できるお母さんってあまりいないんですよ。だから旦那さんに協力してもらって、3日間は旦那さん以外の面会は禁止って事にしておいた方が良いですよ」
というアドバイスに従って次郎君がうまいこと義両親に言ってくれたから、(初日はともかく)本当に義両親は3日待ってくれたんです。次郎君はもちろん、私の家族はほぼ毎日来てましたけどね。

しかしその結果、その“3日間”が過ぎたこの日曜日に面会が集中してしまったんです(--;


まずは妹でした。デパートでやってた『北海道物産展』に行ってきて、リクエストしておいた富良野デリスのミルクプリンとかいろいろ買ってきてくれました。ロイズのチョコがけポテチもおいしかった。しかしまぁ妹は初日から来てたのでノーカウントとして(笑)

しばらくして、最初にやってきたのは大学時代の友達・ミナ。ほんの何日か前に一緒にランチしたんだよね。産まれたよとメールしたら
「え、でもついこないだ会ったよね!?」
とビックリしたらしい。そりゃそうだよな。お祝いに布製の子供用ボーリングのおもちゃとスタイ(よだれ掛け)のセットをくれました。

ところが、ミナが来てほんの10分後。またノックの音が。入ってきたのは・・・・・・あ、次郎君のイトコのアイさんとそのご主人、そして1歳半の双子のお嬢ちゃん達・・・・・・・・・・ともう1人、高校生ぐらいの女の子。誰?

新たなお客さんの出現に、ミナは気を使って入れ替わりに退場。あぁぁぁごめん!まだちょっとしかしゃべってないのに!!(泣)

アイさん一家とは親戚関係の行事などでもう何度も顔を合わせてるんで、お馴染みといえばお馴染みなんだけど・・・・・・普通、イトコの子供ってわざわざ病院にいる間に(つまり生後そこ何日かの間に)見に行く?出産した本人がイトコってんならわかるけど、今回の場合はアイさんから見たら“イトコの奥さん”の出産なわけだし・・・・・・。すごく親戚付き合いが密なのか、アイさん達がよほどヒマなのかだよなぁ。(次郎君いわく、両方らしいけど)

まぁ次郎君側の親戚ではユウにとって唯一“年の近い同性の親戚”がいるおうちになるので、やっぱ仲良くしておいた方がいいよなぁ。アイさんが次郎君のイトコだから、そこの双子ちゃんとうちのユウはハトコになるわけですよ。親戚としては結構遠いんだけど、住んでる所が近いせいか会う回数は多くなりそう。しかもアイさんは自分の子供と年の近い親戚が産まれたのが嬉しいようで、いろいろ赤ちゃん用品とかを譲ってもらえる予定なのだ。


気になったのは、一緒に来てた高校生ぐらいの女の子。聞かなかった私も悪いのかもしれないけど、結局紹介してくれなかったので誰だったのかわからないんだよ。後で次郎君に聞いたら、アイさんのお兄さんであるヒロさんとこの長女じゃないかという話。ヒロさんにも、その奥さんであるユキコさんにも私は面識があるんだから、なおのことちゃんと紹介してくれたらよかったのに・・・・・っていうか、普通は初対面の人間を連れてお見舞いには行かないだろうし、もし連れてくるならちゃんと紹介するよな?


アイさん一家(+謎の女の子)が帰ってしばらくしたら、やはり大学時代の友達・キョーコちゃんが来ました。さっきミナも来てくれたんだよ〜なんて話す。お祝いにかわいい帽子とミトンをもらいました。

夕方近くになって、ミヅキとチビ1号(もうすぐ6歳)が登場。子供達は置いて、旦那のショージさんと一緒に来ると聞いてたのであれ?と思い聞いてみると
「車の中で2号(4歳)が寝ちゃったから、車で留守番してる」
との事。あらまぁ。

最初は、子供を預けて夫婦2人で来るつもりだったんだけど、たまたま夜にミヅキの弟君夫婦の家に行く用事が入ったんだって。だったら、まぁ2人いるんだから子供達も連れて病院に行っても大丈夫だろう・・・・と一家4人で来ようとしたら、途中で2号が寝ちゃったと(^^;
「ケーキとかよりこっちの方がいいと思って」
とミヅキが差し出したのは和菓子。授乳中は、あんまり乳脂肪分の高いもの食べると乳管が詰まったりして良くないらしいんだよね。

ショージさんを車で待たせてるからとミヅキ達は15分程度で撤収。


それからしばらくしてまたノックの音。入ってきたのは・・・・・あ、次郎君の叔母さん夫婦。


そしてここからがきつかった。



5分もしないうちに、今日来ると聞いてた別の伯母さん夫婦が到着。わ〜、この2人いっぺんに応対するのはキツイな〜・・・なんて思ってたら、それからさらに5分後ぐらいに義両親+おばさん1人登場。このおばさんは確か、次郎君の実家の“隣のおばちゃん”だ。以前法事の時にも来てたから、遠縁ではあるんだろうけど。

最終的に、決して広くはない病室に7人!まぁ男性陣はほとんど自販機前の談話コーナーみたいな所でおしゃべりしてたから、部屋にいたのはほとんどおばさんばっかりだったんだけどね。

でもお見舞いっぽくユウの話で(かわいいね〜、とか)盛り上がったのは最初の10分ぐらい。後は
『親戚のおじさんがもう85なのにこの前両足を骨折してどうのこうの』
とか(しかもよく聞いてたら、伯母さんの旦那さんの伯母さんのご主人の話らしい。私から見たらどう考えても他人だっつーの)
『この前阿蘇方面にドライブに行ったらどうのこうの』
とか
『相模原から熊本に引っ越してきたら、市県民税とか介護保険料がすごく高くてビックリした』
とか、なんかもう
「あの〜、雑談なら帰ってからにしてもらえませんか?」
と言いたくなるようなどうでもいい話ばっかり。

やがて私の夕ご飯が運ばれてきたんだけど、おばさん達気にする気配なし。
「咲良ちゃん、遠慮しないで食べていいのよ?」
と言われたけど、ここで食べちゃったらマジでこの人達いつ帰るかわからん!と思ったので
「いえ、後でいただきます」
と断る。遠まわしに『帰ってくれなきゃ食べられない』と主張したつもりだったんだけど、全然通じませんでした(泣)

途中で顔を出したお義父さんが
「おまえ達がいつまでもしゃべってたら、咲良ちゃんがご飯が食えないだろうが」
と3回ぐらい言ってくれて、ようやくおばさん達も腰を上げました。最終的な滞在時間、約1時間!もう勘弁してくれって感じです。

話の途中でユウ(ほとんど寝てた)がなんかむにゃむにゃ言った時も、
「あら、なんか周りがうるさいな〜とか思ってるのかな」
と盛り上がり、
「こっち(次郎君側)の親戚は外野がうるさいのが特徴みたいなもんだから」
と明るく言われた時には
「わかってるんなら静かにしてくれよ」
と言いたくなりましたね。悪気はないんだろうけど、産後3日目の体にはキツかったです。


そこでぐったり疲れてしまい、とりあえず夕飯を食べて横になってたらまたノックの音。今度は誰だよ・・・と思いながら見たら、あ、次郎君♪

次郎君のお友達の堺さんご夫婦が一緒でした。旦那さんの方にはもう何度も会ってるし、奥さんとも結婚前に1度会った事があります。しかも奥さん、つい先日2人目の妊娠が発覚したそうで、産まれたら同級生になるねと喜んでくれました。お祝いに子供服を頂きました。

10分ほど経ったところでまたノックの音。マキが来てくれました。さらに1分もしないうちに今度はサヤカが。同じ“お客さんがかぶる”という事態でも、さっきのおばさん達の襲撃に比べると全然苦にならないのはなんでだろう(苦笑)

そのタイミングでうちの両親も来ちゃったんだけど、お客さんが多いのを見て
「私達は明日もまた来れるから」
と洗濯物だけ取って帰っていきました。

しばらくして堺さん夫婦が帰り、マキとサヤカは面識はなかったものの特に気にする様子もなく、ユウを抱っこしてくれたりして盛り上がり、最終的に帰っていったのは・・・・・・8時ぐらいだったかな。これにて本日のお客様すべてお終い。


・・・・・・・・・つ、疲れた・・・・・・_| ̄|○



6月5日(月)

うってかわってゆっくりした1日。ユウのお風呂の入れ方を習いました。看護師さんがやってるのを横で見てたんだけど、できるかな?

午後から高校時代の友達・キリネが来る。今回病院に来たお客さんの中で唯一、私へのお祝いを買ってきてくれました。
「赤ちゃん用品はよそからいっぱいもらうだろうから、これはあんたに。だって出産で一番頑張ったのって絶対“お母さん”じゃん」
と。・・・・・確かに。ちなみにくれたのはかわいい授乳用の服。サンキュー♪



6月6日(火)

お風呂の入れ方・実習。昨日見てた事を思い出しながらなんとかやってたら
「うまいですねぇ・・・・・本当に今までやった事ないんですか?」
と驚かれた。友達がやってるのを見てた事ならあるけど、自分でやるのは初めてですよ?

午後から、退院前のサービスとしてアロマテラピー。ちゃんとプロの方に来てもらって、アロマオイルを使って胸から上のマッサージをたっぷり30分。いや〜これがすんごい気持ちよかった!

その後、退院前の診察に呼ばれて行こうとしたら、お義兄さん夫婦がお見舞いに来てくれました。今から診察なんだけど・・・と思いつつ追い返すわけにもいかず、かと言ってどのぐらいかかるかわからない診察の間待っててくれとも言えず、内心オタオタしながら10分ほどしたところで妹が登場。それをきっかけにお義兄さん夫婦退場。一安心して、妹にはちょっと待ってもらうことにして診察室へ。でもユウの診察と私の内診が終わったらそれで終了。え、先生と何もお話しないの?


診察が終わって部屋に戻ったらお母さんも来てました。この日は退院前最後の夕食ということでフルコースのディナーが出たんだけど、おいしいんだけどどの料理も味付けがかなり濃くてビックリ。そりゃ確かに病人じゃないけど、病院食でこんなんアリなの!?と思うぐらい、すべての料理が濃い味でしたよ。でも完食(笑)


夕食後しばらくしたら、義妹のマミさんが来ました。息子君2人も一緒です。5年生の長男君は興味津々で、マミさんに
「俺は産まれた時何gだったの?」
「俺は産まれた時何cmだったの?」
「俺が産まれたのって何時だったの?」
とマミさんを質問攻め(笑)3年生の次男君は、気になるけど照れちゃって近づけない・・・って感じでずーっとマミさんの後ろから見てました。

マミさんが帰ってしばらくしてお母さんと妹も帰り、入れ替わるように大学の友人・アヤノが来ました。2歳半の長女・姫ちゃんも一緒。実はアヤノも妊娠してて10月ぐらいに出産予定なので、
「予行練習じゃないけど、姫に赤ちゃんを見せたいから連れて行ってもいい?」
と事前に連絡をもらってたんですね。お祝いに子供用の音が出る絵本をもらいました。



6月7日(水)

いよいよ退院。午後の診察時間の一番最初に先生とのお話があったんだけど、そこで言われました。

「まず一番大事なのは、赤ちゃんがそこにいるという事です」

・・・・・?意味がよくわからなかったのですが、先生の次の言葉で一気に泣きそうになりました。

「それはつまり、あなたが10ヶ月間いろんな事を頑張ってきた結果が、そこにあるという事です」




あぁ、そうだ。

初期には切迫流産と言われ泣きまくって会社を休み、しばらくしたらつわりに悩まされ、お腹が大きくなったらなったでいろんな不自由があって、最後には今まで経験したことないような痛みを乗り越えてやっと会えたユウ。

私が体験したいろんな大変さを、逐一リアルに知ってるのはこの先生ぐらいなんだよなー。一番そばで見てたのは次郎君なんだろうけど、やつはイマイチ他人事みたいにしてたからな(苦笑)


決して誉められた妊婦ではなかったかもしれないけど、でもこの10ヶ月頑張ってきた事をちゃんと認めてもらえた・・・と思うと涙が出そうになりました。


他にも30分ほどいろんな話をして、病室に戻ったらお母さんが来てました。仕事で退院に付き添えない次郎君の代わりに来てくれたのです。1週間ぶりに服を着て化粧をして、ユウにもちゃんとかわいい服を着せて、無事退院です。


一旦自宅に帰りました。なんせ急な出産・入院だったもんで、里帰りの準備を何もしてなかったんですよ(苦笑)急いで準備して、改めて実家へ。これから1ヵ月ほどお世話になります。

夜は次郎君もうちの実家に来てくれて、ささやかにお祝いのご馳走。っつーか、本当は『お七夜』っつってちゃんとお祝いしなきゃいけない日だったんですよね。後で思い出しましたよ。



入院中を通して感じたこと。

私がいた病院は、初日から完全に母子同室だったんですよ。お風呂に入れるために連れて行かれる時間以外は、四六時中一緒。これ、友達とかには
「きつくない?」
って言われたんですが、私は却って良かったと思います。

寝てても微妙に変わるユウの表情や、ほとんど寝てばっかりのユウがたまに起きてる時の大きな目とか、なんのかんの言いながら毎日病院に来てくれた次郎君の嬉しそうな顔とか、そういういろんなものをすぐそばで見れたっていうのはすごく良かったなって。

前に友達が、
「おっぱいの時以外は新生児室で預かってくれてるでしょ。お風呂もオムツも全部看護婦さんがやってくれるのよ。だから、退院していきなりそれを全部自分でしなきゃいけないと思うとすごく不安」
って言ってた事があったんだけど、そういう不安は全然なかったですね。だって最初からずっと一緒なんだもん。お風呂は看護師さんが入れてくれてたけど、オムツもおっぱいも、全部私とユウのタイミング。おかげで実家に帰ってからも意外と楽しくやれてます。


実家に帰ってやがて3週間。少しずつ体力も回復し、家の事もぼちぼち手伝えるようになってきました。まぁ毎日パジャマですけどね(笑)



2006年06月15日(木) 出産ドキュメント

ご無沙汰してます。咲良です。

本日、久々のPCからの更新です。

いや、一応実家にも母親所有のノートパソコンはあるんですよ。でも接続がすんごい遅い上に、なんでも産後って目を疲れさせちゃいけないそうで。新聞とテレビはなんとか許してもらってるけど、読書は厳禁。当然ネットなんてとんでもない!という感じで、なかなかPCに触る機会がなかったのです。

ちなみに今は家族全員が仕事に行ってる隙にこっそり書いてます。これ書いたらまた休憩しよう。(疲れやすいのは事実)


さて、遅くなりましたが、出産に際してお祝いのメールまたは日記上でのおめでとうのコメントを下さった皆様、本当にありがとうございます。おかげさまで、7日には無事退院し、今は実家でのんびりしております。

記憶が新しいうちに出産の時の話を書き残しておきたいな〜・・・・というわけで、本日は表題の内容となりました。長いですがお付き合いください。



まずは5月31日。

この日、私は普通に外出していました。月末だったので振込みを次郎君に頼まれて銀行へ。ついでに郵便局で自分の振込みも済ませ、さらに借りてた本の返却のために市立図書館へ。そのままスーパーとコンビニで買い物をして帰宅しました。

夕方、早めに帰ってきた次郎君は何やら書類を作っていました。私は少々疲れたので横になって休憩。そのまま夕飯の時間が近づいたのでそろそろ準備しようかな〜・・・・・とぼんやり起きたところで、次郎君から素敵な提案。

「・・・・なんか疲れてそうだね。今日は夕飯どこか食べに行く?」

え、いいの?じゃぁこないだから食べたかったお寿司を食べに行こう!


というわけで再び外出。まぁお寿司といっても『ちょっと上等な回転寿司』なんですけど(笑)


お腹いっぱい食べて帰宅。テレビ見て、お風呂に入って、いつも通りの時間にはおやすみなさい。


そして運命の6月1日。


朝方、5時ぐらいに目が覚めました。ここ最近はいつも夜中と朝方にトイレに行きたくて目が覚めるので、いつものようにトイレへ。次に目が覚めたのは午前7時。

・・・・・・おかしいな、トイレに行きたくなるにはまだちょっと早いんじゃないか?

と思いながらも、なんとなく水分が染み出すような感覚を覚えたので半ば無意識にトイレに行こうとして・・・・・・え、何コレ。




下着とパジャマの股間がぐっしょり濡れている。



汚い話で申し訳ないんですが、最初は尿漏れかと思いました(苦笑)でもトイレに行って改めて見てみると、色は透明だし別に臭くもない。しかも量がやたらと多い。




・・・・・・・・・これ、もしかして、破水ってやつか?


でもまだ予定日まで11日もあるし、なんたってこの前の診察(3日前)で
「まだまだ産まれそうな気配はないですね」
と言われたばっかり。ちょっと様子を見ようととりあえず着替えて、再びベッドに戻ったのですが、やっぱりなんか水分が漏れてる感じがする。30分もしないうちにまたトイレに行き、また下着とパジャマのズボンだけ着替えて・・・・さすがにこれはただ事じゃないかも、とようやく思いはじめました。


このあたりで次郎君も起きて
「どうしたの?」
と声をかけられたので
「ん〜、破水したかも」
と答える。でも次郎君はその『破水した』がどういう状況なのかいまいちわかってなかったみたいなんですね(笑)とりあえず私が結構落ち着いてて
「ちょっと様子見て、なんだったら病院に電話してみるわ」
なんて言ったもんだから、そのままPCに向かってまた何やら書類を作り始めました。


一方私は、
「確か・・・・・陣痛から来たら、痛みが10分置きになったなったら病院に電話しろって書いてあったけど、破水したらまず電話を入れてからすぐ病院に行けって書いてなかったっけ・・・・でも破水ってこんなふうにおもらしみたいにじわじわくるんじゃなくて、もっと急にパシャって感じで来るものなんじゃなかったっけ?これって本当に破水なのかな・・・・・でもとりあえずおしっこじゃない事は間違いないみたいだし・・・・・・えーとこれが本当に破水だとしたら、病院に行ったらそのまま入院になるよな。じゃぁ・・・・・・・とりあえず朝ご飯を食べておこう」

病院の待合室で見た『プレモ』(マタニティ雑誌)の記事を思い出しながら、まずは朝食(笑)ついでに次郎君にもコーヒーを入れてあげて(爆)しばらく『目覚ましテレビ』を見ながらおとなしくしてたんですが、どうにも気になってようやく病院に電話をしたのが8時過ぎ。

状態を説明して、
「これって破水してるんでしょうか?」
と聞いたら、電話に出てくれた看護師さんは
「とりあえず見てみないとわからないので、病院に来て下さい。9時から診察始まりますから」
という返事。

・・・・・わざわざ『9時から診察始まりますから』と言われたって事は、時間外に行かなきゃいけないほど切羽詰った状況じゃないのかな。

じゃぁ9時頃行けばいいか。


しかし実はこの時点で、なんだか不審な痛みは感じていたのです。久々に味わう生理痛のような腰の痛み。しかも、時計を気にしていると、どうも既に10分置きぐらいにこの痛みは来ている。これってもしかしなくても、陣痛なんじゃないか?(陣痛の痛みは生理痛によく似ている、という話は友達から聞いていた)

8時半を過ぎたあたりで次郎君に状況を説明し
「病院に連れてってくれる?」
と頼む。月初めだったので次郎君は自分の仕事関係の集金に廻るつもりで、偶然まだ家にいたんですよ。これが普通の日だったら、とっくに出勤してる時間です。


病院に到着したのは9時半頃でした。待合室に2〜3分座ってたらすぐに中へ呼ばれ、まずは先生の内診。

「・・・・あ、1cmぐらい(子宮口が)開いてますね」

え、結構痛いんだけど、まだ1cmしか開いてないの?じゃぁ全開になる頃にはどれだけ痛いんだ?

とかなんとか思ってるうちに、奥の検査室へ通され
「じゃぁちょっとモニター付けて様子見ますね」
とお腹に何か機械をつけられてそのまましばらく放置。

この時、私は確か
「10〜15分ぐらい様子を見ますね」
と言われたと思ったんですよ。だから
「なんか痛みがきつくなってきたな〜・・・・・まだ15分経たないのかな〜・・・・・もうとっくに過ぎたと思うんだけど・・・・でも痛いから時間の過ぎるのが遅く感じるのかもしれない・・・・・っつーかマジ痛いんだけど・・・・」
と痛みに耐えながら横になってました。


そうやって痛みに耐えながらどれぐらい経ったのか、やってきた看護師さんがモニターをはずしてくれて、
「じゃぁ中待合室で待っててください」
と言ってそこまで手を貸してくれました。なんとか椅子に座って、あきらかにさっきより間隔が短くなってる痛みにそろそろ限界かも・・・と思い始めた頃、事務員さんがやってきました。

「このまま入院になりますけど・・・・・・立てますか?2階の病室まで行けます?」
ちょうどその時痛みの波が来てたので
「・・・すいません、今はちょっと無理っぽいです・・・・」
と答えたら、車椅子登場。表の待合室に出た時に、待合室のテレビから
『答えてちょ〜だい♪』
のテーマが聞こえて
「え、病院に着いたの9時半頃だったよね?これが始まってるって事はもう10時回ってるのか・・・なんだよーやっぱり15分以上経ってるんじゃーん」
と思ったのは覚えています。

しかし後で次郎君に聞いたら、実はこの時点ですでに11時を過ぎていたのだそう(苦笑)なんと私、1時間以上もモニターにつながれたまま痛みに耐えてたようなんですね。最初に『10〜15分』って言われたと思ったのは気のせいだったんだろうか?

次郎君、妊婦さんばっかりの待合室で1時間半近くも1人で待つ羽目になり、相当居心地の悪い思いをしたそうです(^^;


そうこうしてるうちに2階の入院用個室へ。よろよろしながらベッドに横になり、
「しばらくここで休んでてくださいね」
と次郎君と2人にされました。この頃にはもうはっきりと
「あ〜こりゃやっぱり陣痛なんだわ。って事はこのままお産になるのね・・・うわ〜今から何時間かかるんだろう?この痛みがあと10時間とか続いたら体力持たないよ」
なんて事を考えてました。

次郎君に手を握ってもらい、時々腰をさすってもらいながらどのぐらいそうやっていたのか、あまりの痛みに耐えられなくなり、ナースコールで看護師さんを呼んでもらいました。
「助産師さんが診察に来るって」
という次郎君の言葉に頷き、しばらく待つ。やがてやってきた助産師さんが
「じゃぁちょっと見ますね〜」
と診察して言った衝撃の言葉。


「・・・・・・・・あ、もう全開やんか」(←関西弁の人だったんです)


え、全開!?さっき診察された時にはまだ1cmって言われたんだけど・・・・・そんなにハイペースで全開になるものなの!?


驚きながらも、
「もう分娩室に行きましょうね。立てますか?」
と支えられて、再び車椅子で分娩室に運ばれたのが12時頃だったそうです。(この辺の時間の経過は後で次郎君に聞いたものです)


ちなみに、病室に入ってから分娩室に行くまでの間に、それまで着てたTシャツとジャージから産衣に着替えてるんですが、いつ着替えたのかは覚えてません。



前にもちょっと書いたかもしれないけど、私が通院していたY産婦人科では『ソフロロジー法』という出産法をとっています。事前にイメージトレーニングをして、陣痛の痛みを“怖いもの”ではなくて“赤ちゃんに会うために必要なもの”とポジティブに受け入れる練習をしておき、息を細く長く吐く事で痛みを逃しながら出産に臨む、という方法です。これだと、母体に余計な力が入らないので産道で赤ちゃんを締め付けたりする事もなく、結果、お産の時間も短縮できるし、母体にも赤ちゃんにも負担がかからない。

助産師さんや看護師さんの
「咲良さーん!呼吸を意識して!吸うんじゃなくて吐く方を意識して!はい、大きく鼻から吸ってー・・・・はい、一瞬止めて!はい、ゆっくり少しずつ吐いてー」
という声かけに合わせて必死で呼吸をコントロールします。時々耐えがたい痛みに襲われて絶叫しながら、とにかく言われた通りにするのが精一杯。

2〜3度そうやって痛みの波に合わせて呼吸法をしたり休憩したりした頃だったでしょうか。ふいに助産師さんが
「あ、そういえばご主人見えてるんですよね」
と言いました。

はい。本当は立会い出産をしたかったんだけど、病院にはまだ言ってなかったんです。せっかく次郎君も一緒に病院に来てたんだけど私だけ分娩室に連れてこられちゃって、ちょっと
「あ〜しまった〜」
って思ってたんですよね。

そんな事を思いながらもさすがに説明する気力はなかったので、とりあえず
「・・・・来てます」
と頷いたら、
「じゃぁせっかくだから入ってもらいましょうか」
と明るく言われてビックリ。え、そんな簡単にいいの?

驚いてる間に看護師さんが
「ご主人、こちらから中にどうぞ〜」
と次郎君を呼んじゃいました。

本当は、次郎君は
「なんか怖いし痛そうだし・・・・あんまりな〜・・・・」
と立会いには消極的だったんですよ。でもその状況では断れなかったらしく、本人の意思とは無関係に問答無用で立会い出産になってしまいました(笑)


そこからどのぐらい時間がかかったのかはわかりません。両側の看護師さんと足元の助産師さんの声かけに合わせて必死で“細く長く”の呼吸をしながら、時々枕元の次郎君が汗を拭いてくれてるのを感じながら、どのぐらい経ったのでしょうか。助産師さんが言いました。
「もう頭がそこまで見えてますよ。あ、赤ちゃん、髪の毛ふさふさですよ〜・・・・・見ます?」



は?


見ます?って・・・・・どうやって?


なんと、足元に鏡を持ってこられました。今まさに赤ちゃんが出てこようとしているその部分が写るように持って
「見えます〜?赤ちゃんの頭」
・・・・・・・関西弁で言われるとなんか妙に和んじゃうんですよ(苦笑)

しかし残念ながら、私はこの時コンタクトもメガネもしてなかったので、実は全然見えなかったんですね(笑)でも見えないと言える雰囲気でも状態でもなかったのでとりあえず頷いておきましたが、次郎君はばっちり見たようです。


・・・・まぁ(下世話な話ですが)次郎君は見た事ある場所だしなぁ(苦笑)



ところが、ここからがまた辛かった。だって考えてもみてくださいよ。赤ちゃんの頭って、男の人の握り拳ぐらいあるんですよ?それが、アノ部分に挟まって止まってるんですよ!?ぶっちゃけ、陣痛の痛みよりも赤ちゃんが産道を降りてくる時の痛みよりも、私はこの『赤ちゃんが挟まってる時』の痛みの方が100倍ぐらいしんどかったです。冗談抜きで
「すいません、そのつかえてる物引っ張り出してください!」
って叫びたくなったもん。





時々痛みに負けて悲鳴をあげたりもしつつ、何回ぐらいそうやって痛みの波を超えたのか・・・・・・・繰り返される
「はい、ゆっくり吐いてー!」
の声に合わせて息を吐き出した時、何かがズルッと出て行く感触がしました。


・・・・あ。


もう1度、同じように細く長く息を吐く。


また何かが、さっきよりもうちょっとラクにスルッと出て行きました。


・・・・・・もしかして?

と思った次の瞬間でした。

「はい!赤ちゃん出てきたよ!!」
助産師さんのその声と共に、温かくてやわらかいものが、私のお腹の上に広げられたパラフィン紙のような紙の上に乗せられました。

「まだ直接は触らないでね。紙で赤ちゃんを包むように抱いてあげてください」
看護師さんにそう言われ、その小さくて温かいものをそっと抱いてみました。



・・・・・・・赤ちゃんだ。


さっきまで私のお腹の中にいたあの子だ。


突然目の前に現れた赤ちゃんに気を取られてる間に、胎盤もスムーズに出てきて後産も無事に終わったようです。看護師さんが赤ちゃんを一度取り上げて簡単にささっとキレイにして、改めて、今度は直接抱かせてくれました。

「じゃぁお母さん、最初のおっぱいをあげてくださいね」
と言って、看護師さんが赤ちゃんを私の体の横に置きました。背中にクッションを入れてもらって私も横向きになり、看護師さんが手伝って赤ちゃんの口におっぱいを含ませます。


・・・・・すごい、ついさっき私のお腹から出てきたばっかりなのに、ちゃんと吸い付いてる。一生懸命口を動かしてる。

いつのまにか次郎君が隣の椅子に座ってました。何度も目元を拭いながら、
「よく頑張ったな・・・・・お疲れさん」
そう言ってくれた時、初めて涙が出ました。


ちゃんと産めたんだ。やっと私達の赤ちゃんに会えたんだ。
「・・・・・・・疲れた〜」
思わず呟いた私の汗を拭いてくれながら、次郎君がうんうんと頷いてくれて、また涙が出そうになりました。


そうしてる間にも、周囲では慌しく職員さん達が動き回っています。ふと気づくと、先生がいました。そういえばさっきまでいなかったよね?


後になってわかった事ですが、このY産婦人科ではお産には先生は立ち会わないみたいなんですね。というのもここは個人病院で、先生は1人しかいないんです。何時間かかるかわからないお産のたびに先生が立ち会ってたら、外来が回らないんですよ。なので、お産の時は助産師さんと看護師さんだけで、お産が終わってから産後の処置の時だけ先生が来る、というスタイルをとってるようです。


ついでに言うなら、こんな日記を書いてる事からもおわかりかと思いますが、お産の間中、基本的に私の意識はハッキリしてました。痛みで我を忘れた瞬間はあったんだけど、痛みのあまり覚えてない・・・というのはほとんどない。


だから覚えてますよ。分娩室に入ってきた先生の最初の一言が
「もう終わったの!?」
だった事もハッキリと(爆)

私が分娩室に入ったのは12時前後。そして産まれたのが午後1時ちょっと過ぎ。つまり、分娩室に入ってから1時間ぐらいで産まれたんです。そりゃ確かに早いわ。先生も予想外だっただろうなぁ。


赤ちゃんに初乳をあげながら先生の診察。ここで、出産の時に会陰や産道(まぁ要するに膣ですね)が切れてたり裂けてたりしたら先生が縫合してくれるわけですが・・・・・

「きれいなもんですねー!」

・・・・・・はい?

「咲良さん、聞こえます?あのね、入り口近くの内側にちょこっと擦り傷程度の傷ができてるだけで、全然切れても裂けてもいないんですよ。これ、縫ってもいいんだけど、縫うと却って縫う時も抜糸の時も痛い思いする事になるから、縫わずにおきますね。軟膏だけ出しときますから」

・・・・はぁ。


診察もあっさり終わり、
「おっぱいあげながら、しばらく休憩しててください」
とそのまま次郎君と3人で1時間ほどそこで過ごしました。その後、赤ちゃんは体重などの計量のために別室へ。次郎君は両方の母親に連絡を入れてから昼食を取りに行き(そう、彼はまさかこんなにいきなりお産になるとは思ってなかったので、朝からコーヒーを1杯飲んだだけ。後は飲まず食わずで立ち会う羽目になったんです)、私は助産師さん達による産後の処置。入院のスケジュールなどの説明を受け、また小1時間授乳して、ようやく病室に戻ったのは午後4時過ぎでした。


朝から破水したかもと気付いてから6時間、病院に着いてからだと3時間半という、初産とは思えない安産だったようです。助産師さんに
「初産でこれだと、次のお子さんの時はもっと早く出てきちゃう可能性ありますから。あれっと思ったらすぐ病院に来て下さいね」
と真顔で注意されてしまったほど。




でもさー。いくら安産だったとは言っても、やっぱり痛いもんは痛いんですね、当たり前だけど(苦笑)安産だっていうのはようするに『短時間で済んだ』っていうだけであって、痛みの度合いに変わりはないんですよ。そりゃ痛い思いをする時間が短くて済んだってのはありがたいけど、いや〜やっぱり痛かった!本っっっ当に
痛かった!赤ちゃんは2,500gちょっとだったんだけど、あれであんなに痛かったんなら3,000g超えてたりしたら死ぬかもしんない(^^;


予定日よりかなり早かったけど、偶然にも次郎君が家にいた時でよかったです。じゃなかったら自分で運転して行ってたかもしれないな、私(笑) 本人の意思はともかく、結果的に私が希望した通り立会い出産もできたし、安産で母子共に健康。いやぁ良かった良かった。


次郎君は予定外に仕事を休む羽目になり段取りが少々狂ったようですが、実際に立ち会ってみたら泣いちゃうぐらい感動したようです。本人は
「ちょっとじわっと来ただけで泣いたってほどじゃない」
なんて言ってましたが、後日お義母さんに聞いたら
「やっぱり泣けてきたって言ってたよ」
だって(笑)



以上、覚えてる限りの出産の記録でした。入院中のあれこれはまた後日改めて書きたいと思います。


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咲良 [MAIL]

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