金色の夢を、ずっと見てる

2005年02月24日(木) 目標は3月初旬発送です。

招待状作成が大詰めに入ってきました。文面は、双方の両親とブライダルプランナーのY川さん、ホテル『K』のU尾さんに確認してもらったのでばっちり。

しかしこれ、やり始めてみたら想像以上に面倒だった・・・・。

だってまず、文面が3パターンになっちゃったんですよ。
・親の名前の招待状で、挙式時間から書いてある人
・親の名前の招待状で、披露宴の時間だけ書いてある人
・私達2人の名前で出す人

うちのお父さんが直前になって
「やっぱり親戚と親関係の招待客は親の名前で出してくれ」
と言い出したせいでそんな事態になったわけですが、そうすると当然返信ハガキの宛先も親にしないといけない。

結局返信ハガキも
・次郎君のお父さん宛
・うちのお父さん宛
・次郎君宛て
・私宛て
の4種類。

封筒の差出人も、親バージョンと私達バージョンの2種類。


誰にどれを入れるのか間違えないようにしないと・・・。なんでこんな面倒な事になっちゃってるのかなぁ。いや、うちのお父さんのわがままのせいだとはわかってるんですが(苦笑)



まぁ結婚祝いとして冷蔵庫を買ってもらう事になったので妥協しましょう。(ちなみに次郎君ちからは洗濯機を買ってもらえるらしい。ラッキー♪)


とりあえず印刷だけ終わらせといて、折りたたんだりセットにしたりは土曜日に電話当番出勤する時に会社でやろう(^^;


いよいよ両家の顔合わせが土曜に迫りました。どうなる事やら・・・・。あれこれ考えてると心配のあまり具合悪くなりそうなので、考えないようにしてます。それよりも日曜に指輪を買いに行く事の方が私的には重要(笑)



2005年02月23日(水) 本日のトリビア

『入院用のベッド数が19床以下だと“診療所”(または“医院”)、20床以上だと“病院”





・・・・・・え、それって常識じゃないの!?とテレビの前で驚愕。さらに驚いたのは、あのタモリさんまでが『へぇ〜』を押していた事ですよ。あの雑学王みたいなタモリさんが!

「でも私は医療関係で仕事をしてた事があるから常識だと思ってるだけかもしれないな〜」
と思い、ちょうど風呂から上がってきた妹にそれを話したら
「は!?それトリビアなの!?そんなん私でも知ってるよ!?」
と言われ、あぁやっぱり。

自分が知ってる事が出てくると損した気分になるよね、トリビアって(笑)




今日は、両親の結婚記念日でした。なんと30周年!パチパチパチ!!(拍手) えーと、30周年ってなんでしたっけ。ルビー婚式?あ、違う、真珠婚式だ。

妹と電話で相談して、手分けしてケーキと花を調達。お祝いに2人でご飯をおごる予定もあるんだけど、やはり当日にも何かお祝いをあげておこうという事で。でもいつもよりちょっと豪華な晩御飯を作ったのはお母さん本人ってとこはまぁご愛嬌(^^;


30周年って・・・・・・見当もつかないよなかぁ。今から30年後だよ!?それまで無事結婚生活が続いてるかどうかも不安なのに(笑)まぁとりあえずはスイートテンダイヤモンドを目指して・・・・ってその前に招待状仕上げろ、自分。しかし今日はもう眠いのでこれにて失礼。



2005年02月22日(火) 音楽の先生って共通して苦手だ、そういえば。

小学校の頃、音楽の授業で自主発表のコーナーがあった。内容はなんでもいい。人数も何人でもいい。1人で歌うも良し、友達と2〜3人でハモるも良し、1人がピアノを弾いて1人が歌うも良し、数人で楽器を手分けして何かを演奏するも良し・・・・・・とにかく、何か音楽を発表するコーナー。おそらく音楽の先生は、この企画を通して生徒の自主性や企画力を高める目論見だったのだろう。


しかもこれ、壁に貼られた名簿に出演回数の分だけシールが貼られて、それが成績に影響するのだ。


で、ここでもう1度最初の1文を見てほしい。
『自主発表のコーナー』
そう、自主的に出るコーナーだ。
となると、当然の事ながら『出る人は何回でも出るが、出ない人はさっぱり出ない』という状況が発生する。それはもともと引っ込み思案で積極的に人前に出るなんてできない〜という理由であったり、一緒に出るような友達がいない・・というちょっと切ない理由であったりはまぁ人それぞれなんだけど。

ところが、前述したようにこれは成績に影響する。そうなると、いくら引っ込み思案だからって1回も出てないのはさすがにマズイ。

そこで、先生は荒技に出る。すなわち、自主的に出るのが前提であるこのコーナーなのに
「来週は○○さん出てね」
と指名をするのだ。



ちなみに私は
“指名されたときだけ仕方ないから出る”
というタイプだった。あと、誰か友達に誘われたら出る。別に引っ込み思案でも友達がいないわけでもなかったけど、ただ単に『自分から前に出る』のが好きじゃなかっただけだ。

歌うのは好きだし、楽器は下手だけど嫌いじゃなかった。ただ、だからと言って積極的に人前で披露するほどうまいわけでもないのに、半強制的にそれをさせられるのがとても苦痛だった。しかも先生が指示するのは『出る』事だけで、『出て何をするのか』は自分で考えなきゃいけなかったのだ。出たくて出るわけでもないのに、なんでこんな事考えなきゃいけないんだろう・・・・と本当にイヤだった。

自主性を育てるのはとても大事な事だと思うんだけど、向き不向きってものはある。現に私は、音楽の授業でそうやって歌わされたりするのは嫌いだったけど、国語の授業で教科書を読まされるのは好きだった。



なんで急にこんな事思い出したのかな〜。


披露宴のカラオケの件で揉めたせいかな。


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咲良 [MAIL]

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