2007年01月11日(木) |
ブッシュ大統領、イラクへの米軍2万2000人増派 |
今日の夕刊、アメリカ・ブッシュ大統領がイラクに米軍2万2000人を増派するとのニュースが1面トップです。まさに泥沼化、ベトナム化です。昨年の11月中間選挙で惨敗した共和党、最後の賭けに出たといえます。
静岡空港での民間運営会社への出資のみならず、リージョナル航空への航空機購入など公的関与を前面に打出している石川知事、ブッシュ大統領のように「空港の泥沼化」に入り始めています。
こうした中で、ある意味、「和平協定」提案ともいえる山林部分の「衝突の回避」策が示されているのです。ところが、知事は「ありがたいこと」であるといいながら、権力本質=弱いものは叩けとばかりに、本日、代執行請求行いました。
これでは、円満解決どころか、「我々を北朝鮮のようにしないで」とかたわごとを述べているそうですが、まさに、反対派を追い詰めるものでしかない代執行請求です。請求は、余裕を見てなどとの発言が、全くのウソであった事になります。
県民の会総会の「地権者の意思を尊重する」とした今回の決定を揺るがすような知事の対応です。制限表面区域での裁決がどのような内容になるのか、現段階では想定できませんが、反対派もこうした状況を十二分に認識せざるを得ない所です。
今日は、松本吉彦さんの土地の明渡し日、檜林耕作さんと同じ神式の祭壇を設けての「お別れの会」が行われました。私は、県庁での住民グループ「空港はいらない静岡県民の会」の抗議の申入れに立ち会っており、現地にはいけませんでした。
松本さんは、立木の自主伐採を「開港反対に向けた長い闘いの通過点としての代執行、この闘いで反対運動のダメージを最小限にする」ための選択、と提案しました。檜林さんは、運動の拠点を県によって壊されたくないという想いからです。
まずは18日13:00の裁決取消訴訟、28日の現地集会となります。
※※ 今日、長女がドミニカ共和国に成田空港から出発しました。見送りにはいけませんでした。「いろんな支えがあって、今、自分がいろんな経験ができるので、感謝して、貴重な経験を生かしたいと思います。父も母も元気で! またニ年後たくさん話しましょう」と携帯メール。
2007年01月09日(火) |
今日から1月の街頭演説をはじめました |
今日から1月の街頭演説を始めました。 かなり寒い朝でした。 手がはじかみ、寒さで震えました。 腹の底から大声を出して冷たい風を吹き飛ばしました。 大企業では今日から仕事始めの方々が多く、新年はじめての挨拶になりました。
選挙告示日まであと79日、1日1日が大切な時間となります。 夕方、市商連の新年会に始めて声をかけられ参加しました。 県議会議員は、天野一県議、天野進吾県議、佐野康輔県議の参加。
近代協の代表の方が、県議会議員は政令市になって、仕事が無くなっているとの発言があり、天野一県議は、県の施設ー県立3病院、グランシップ、草薙運動場などあり、市に移管する事になれば、まだまだ県議の役割があると反論。
天野進吾議員は、昨年の県議会議員と市長との意見交換会で、駅前再開発での美術館問題に触れ、美術品の無い美術館はない、ポーラの所蔵品を展示することもアイディアであると、問題はこうしたアイディアをもてるかどうか、と発言。
佐野康輔県議は、商店街の発展には、リーダーが必要、リーダーがいる所、いない所、いてもまだ力が発揮されていない所等、割りと硬派な発言をしていました。私は、初めての参加でしたので議会活動の紹介と政務調査費について発言。
火花が散っています。
3連休の最後、1日目は大雨、2日目は強風、3日目はどんと焼き日和りでした。地元町内のどんと焼き−もちつき、事務所のある鷹匠3丁目町内でのどんと焼きーもちつき、民団の新年会と大変忙しい午前中でした。
午後は、県民の会総会、非常に緊張した会合でした。というのも、1月10日山林部分の明渡し日、代執行に対してどのように対抗するのかを決定する場であったからです。開港に反対する今後の2年間の闘いの展望も大きな課題でした。
総会は、昨年の活動報告、会計報告、訴訟など一通りの報告のあと、方針提起に関する議論が行われました。本来地権者の檜林さんから「闘いの拠点」=オオタカの森の小屋の自主移転提案、松本さんから立木の自主伐採提案がなされました。
参加者から、反対、やむ得ない賛成、賛成など様々な議論が行われました。最終的には本来地権者の意見を尊重するという所におさまりました。こうしたことを前提にした今後の2年間の方針についてはもち越されました。
本来地権者の大井さんは、自らの制限表面区域の裁決がでていない段階での松本さんたちのような気持ちの整理がつかないが、代執行の面積も広く自主撤去はできない、別な法的闘いも含めて考えていきたいとの表明がありました。
いずれにしても、空港反対運動は土地を媒介にした闘いから新たな展望を切り開いていかねばなりません。今後、空港反対運動がどのような形で展開していけるのか、大きな転換点となる今日の総会でした。尚18日裁決取消訴訟を提訴します。
2007年01月07日(日) |
新年のあいさつ、政治家の集団移動 |
今日は恒例の消防の出初式がグランシップで開催され、来賓として参加しました。1700名ほどの消防署員と消防団の皆さんが集まり、新しい年の門出を祝い防災に向けての決意を新たにしました。
昨年と違ったのは、蒲原町消防組織の参加と、舞台上に主催者側席に市議会議員の方々が大勢参加され、来賓紹介では県議会議員、市議会議員、両方の名前を紹介するコーナーがなくなり、県と政令市の関係の現状を見た思いでした。
それにしても、商工会議所の賀詞交換会でも、消防出初式でも、様々なジャンルの新年の会にこうして政治家が来賓として参加していますが、社会的にはどのようなものとして受けとめられているのか、吟味が必要のように思います。
だったら行かなければ、も、一つの答えです。市議会議員の頃は、こうした行事にほとんどいきませんでした。その後、考えが変わり、こうした慣習が続く以上は、私は出来るだけ、そうしたところに出るようにしようとしています。
行政組織の政策施策や財政の担保は、議会の議決が必要となっています。諸行事に来賓として参加し、与党的立場の政治家は、そうした場面が自己アピールの場になります。この現実を考える時、その場にいる事にも意味があると判断しました。
※※ 今日、偶然にある町内会のもちつきで上川陽子衆議院議員と顔を会わせ、一臼、一緒にもちつきをしました。上川さん、意外に腕力がありそうです。
2007年01月06日(土) |
新聞社の連載がなかなか面白い |
元旦社説を読むで、7新聞社の年頭連載について若干触れましたが、徐々に面白さが、見えてきました。朝日新聞が「ロストジェネレーション 25−35歳」、毎日新聞が「ネット君臨 失われていくもの」、中日新聞「いじめと生きる」。
日本経済新聞が「イエコノミー ニッポンの家計」、読売新聞が「日本 再生への道」、産経新聞が「美しい国」、静岡新聞が「心のままに 静岡の寄り添い人」(4回で終了)です。新聞社の問題意識が如実に表れます。
ところで、今日の連載で、毎日新聞、日経新聞、産経新聞がそれぞれで携帯電話を材料にしています。毎日が「ケイタイ無しで生きられますか 空白 余裕 対話 距離」、日経が「ケイタイ生活 銀行のATMもう要らぬ」。
問題意識が全く逆です。そして社会論として、産経が「支え合う人間関係 昭和30年代」で「携帯もパソコンもTVもなかったのに、どうしてあんなに楽しかったのだろう」のリード。1面には「おサイフケータイ 普及元年」のトップ見だしです。
私自身、携帯の効用は十分に活用させてもらっていますが、予測もしなかったこの普及状況と、それが社会や人間関係にどのような影響をもたらしているのか、観察が必要であると言う点で共通です。
私が一番感じるのは、昔は一家に、電話1台、ガールフレンドからの電話を家族を気にしながらかけていた、これは不自由と言えば不自由ですが、そこに個人と家族と言う緊張関係が生まれることで、自分を自覚するチャンネルがあります。
今、街中という大勢の人がいる前で、若者が携帯、メールで、個人と個人が直結し、そこの社会規範という堤防が無くなっています。だから復古主義だいう保守主義は極めて単純過ぎますが、この若い世代の感覚をどう分析するのか。
連載が楽しみです。
石川知事の昨日の仕事始めの発言が各誌に舞い、今日の読売新聞支局長の年頭知事インタビューで、昨年の防災船・希望同様のリージョナル航空で「県が航空機を買う場合もあるし、(購入のための)連合体を組むこともある」と妄言。
「採算ベースに乗せるまでに3〜5年かかり、20億から30億円といわれる機材購入費など初期投資も大きい」と必要性を強調したとあります。12月議会で伊豆へのリージョナル航空支援をはるかに超えている発言です。赤字の拡大です。
反対派はつぶせたと勘違いをしているのか、中日新聞の総局長元旦知事インタビューでは代執行に「自分で撤去した方が安く上がるので、代執行に至らない可能性を期待している」といいたい放題の感があります。
昨日の静岡新聞によると空港管理は指定管理者制度の導入するとのことです。その場合の着陸料はどのような範囲とするのか、利用料金制とするのか。これまでの民間運営論からすれば、需要予測にもとづく利用料金制になるはずです。
迎え撃つ反対派は、1月8日に県民の会の総会で対応策を協議します。
※※ 今日は、朝の5:30から初競り、水産関係は始めての参加で、近海もの本マグロがキロ7500円で1本50万、迫力満点。小嶋市長とも久しぶりに会い、路面電車LRTの調査費について意見交換できました。
11:00から静岡・清水の商工会議所賀詞交換会に参加しました。来賓としての知事、選挙を控えた小嶋市長へのエールか、草薙運動場公園の整備問題についてリップサービスしきりでした。小嶋市長も、気をよくしてか選挙アピール。
その後、国会議員参加者の一言メッセージ、乾杯、県議会議員の紹介がありました。少しお腹にいれようとうろうろしていると富士ロジテック会長の鈴木威雄さんとばったり。「松谷さん、こういう場はゆっくり食事する所じゃないよ」。え!。
「名刺を配って知り合いにならなくちゃ」。さすがです、企業人。食べることを中断して名刺交換に入りました。知らない人ばかりと思いきや、意外や意外、ポスターで見た、あの人の友人だよ、とか、知っている、という人が結構いるんです。
鈴木さんのアドバイス、スゴイ!
2007年01月04日(木) |
静岡新聞、憲法世論調査結果 |
国会で、防衛「省」昇格法案、教育基本法改正などが審議されている最中に、静岡新聞が憲法問題で世論調査を行い、その集計結果が、今日の一面トップで掲載されました。何となく、よかった、という気分になる内容です。
改正に向けて積極的に議論すべきが、18、7%→14、9%→11、4%と2年連続で減少、しかし、改正賛成派が減少しているわけでなく、議論後、改正することがあってもよいはは、62、8%→61、6%→63、8%と横ばいです。
一方で、憲法9条について、解釈・運用は限界、改正するは、51、1%→45、8%→37、9%で、改正項目としての、憲法9条と自衛隊も47、2%→42、5%と減少しています。それにしても42%もの方々が改正の意見を持っています。
増えている改正項目として、国際貢献15、6%→16、6%、地方分権7、3%→10、1%、環境権7、3%→8、8%があります。改正に対する意識が多様化してるようです。識者意見もこうした現実を興味深いと述べています。
上野征洋静岡文化芸術大副学長は「人は現実に直面すると慎重になる」、佐藤博明静岡大学元学長は「安倍内閣の発足後、右寄りともとれる法案が相次いで成立し「ちょっと待ってくれ」と県民の間に抑止力が働いたようだ」と述べています。
いい企画だと思いました。この世論調査結果は、静岡新聞社説や誌面にどのように反映して行くのか、「興味深い」ものがあります。
昨日の呉服町スクランブル交差点、本日の青葉公園での街頭演説。正月の晴れやかな人の出の中で、政治の話しがうまく伝わるか、やや心配しながらの新年の挨拶となりました。
今日の朝日新聞一面トップは、水谷建設の中部国際空港、関西国際空港での裏金問題、いよいよ中部地方にやってきました。静岡空港の本体造成工事にまで波及するのか、大いなる関心事です。
訴えは、一つは、中日新聞のドラエモン分析による「いじめ問題」など時代にかかわる主張、そして、静岡県政問題、その中での議会の役割、姿勢としての政務調査費の公開問題です。
青葉公園では、ま向かいに3月開店のパルコメンバーズカードのキャンペーン、横では日赤の献血キャンペーン、迷惑にならないように2者を紹介しながら、交替交替でのマイクの使用でした。
夕方、娘と一緒に長野県で研修を受けたと言うコロンビア派遣の青年海外協力隊員の訪問があり、久しぶりに熱い議論を交わしました。ラテンと日本の融合に夢を燃やすその姿勢にすがすがしさを覚えました。
彼は9日、娘は10日に日本を離れます。青年よ、大志をを抱け、の言葉、贈ってあげたい気持ちです。
2007年01月02日(火) |
映画『硫黄島からの手紙』を観る |
映画公開が始まって既に180万人が観たといいますから、確かにスゴイ映画でした。2部作前編『父親たちの星条旗』は観ていませんが、戦争の本当の姿を描こうとしたクリント・イーストウッド監督の視点のすばらしさなんだと思います。
帝国日本軍隊に栗林忠道中将のような合理主義的思考を持つ指導者がいたという驚きにつきる映画でした。敗北が運命付けられていた硫黄島決戦、一人でも闘い抜いて本土攻撃を遅らせる戦略目標達成の為の地下塹壕持久戦を貫徹した兵士たち。
未だ戦死した2万1千人のうち1万3千人の慰霊が確認されていない「終わっていない戦争」の姿が、残虐で過酷な極限状態を通して、一人一人の兵士たちの人間ドラマとして展開されます。映画のタッチは『ミスティック・リバー」に似ています。
始まりのシーンが「終わっていない戦争」を象徴するように塹壕の中に埋められていた手紙が掘り出される所からはじまり、最後のシーンが、敵に見つからぬように埋められた栗林中将の死体が掘り起こされるシーンと重なり、胸を衝かれます。
「家族のために闘い、家族のために死ねない」迷いある人間・栗林中将と「2度あることは3度ある」とその栗林によって生きのびるパン職人・西郷のような一兵士の祖国に残した家族への想いが織りこまれる糸のように展開します。
この映画の持久戦法にベトナム戦争、そしてイラク戦争の指導者の姿が重なり、「米」「日」双方に正義の戦争は存在しなかった、しかし歴史はこうした戦争によって、多大な犠牲者の血で作られているという重い現実に直面します。
私たちの父や母の生きてきた歴史そのものがこの映画であり、今、世界でこの映画と全く同じ事が起きています。生き延びている私たちが、世界の人々と、父母の世代と対等に格闘する人間としてどのように向き合えるのか、そして若い世代と。
多くの方にこの映画を観ていただきたいと思います。ひょとして、この映画が日本の政治を変えていく一つのきっかけになるかも、などどと淡い夢を見てしまいました。初夢は現実にしたいものです。
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