Howdy from Australia
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2005年07月15日(金) |
someone like me |
産婦人科医のSが、「この間、yumiko みたいな患者さんが来たんだけどさ。」と、話し始めたので、どんな妊婦さんかと思いきや、出産前と出産後の心得として、A4用紙2ページに渡ってびっしりと質問する項目をまとめてきて、出産の時は何が必要か?とか、母乳と粉ミルクだったらどちらがいいか?などと聞いてきたらしい。
「まだ生まれてもないのに!色々心配しすぎ!」と、その場にいた皆は質問攻めにあったSに同情していたが、その妊婦さんの気持ち痛いほど分かるかも。生まれる前だから色々情報を集めておきたいと思うのでは。
多分、大抵の日本人にとっては極めて普通なことだと思うのだけれど、実験方法や結果を記録するときに、色ペンで重要な箇所に印をつけたり、修正ペンを使って間違えた所を訂正していたりしていると、「うわー。几帳面!」「授業中一番前の席に座っていた方でしょう?」などと、Sに冷やかされる。そのせいで、皆が抱く私の印象が半ば決まってしまったと言っても過言ではない。
Sは頭の回転が速く、何か言い返そうと思った時には、話題はすでに次のことに移っていたりする。こればっかりは言葉の能力ではなく、センスなんだろうと思う。日本人Y曰く、上手い切り返しが出来るようになって一人前なんだそう。う〜ん、納得。
2005年07月10日(日) |
long distance relationship |
Mと私が北半球と南半球に別れて生活するようになってから4ヶ月が過ぎた。Mが3月にシドニーから日本に向けて発ったときは、こんなに長い間離れ離れでいることになるなんて、全く予想もしていなかった。現時点では再会の目途も立っていない。
離れてはいるけれど、話し合う機会をたくさん持ち、お互いにとって最善の道を模索している。気が付けばいつもそばにいたので、離れて初めて分かることってあるよね〜なんて言いながら。
このままオーストラリア生活を続けるのか、それとも日本に帰るのか。
頭の中で一日何度となく繰り返される質問。
来年の3月で10年目を迎えるオーストラリア生活。
答えは簡単に出ない。
2005年07月06日(水) |
unexpected |
運動をしている時は自分の世界に没頭しているので、あまり周囲が見えていない。この間は、ダンベル運動のクラス終了後に同じ研究所のMに声をかけられて、かなり驚いた。同じフィットネスクラブを利用していることも知らなかったけど、まさか、真後ろにいたとは!
そして、何と先日、キックボクシングのクラスでウーロンゴン時代の友人Tを発見。彼女とは大学の寮に住んでいた時に一緒のユニットだったのだが(5人で居間・台所を共有する形式)、98年のことだから、随分昔になる。
彼女は恐ろしく気分屋で、電話魔。教育が専門だったにもかかわらず掃除当番は結構平気で無視。試験期間中必死になって勉強している時に、彼女のご両親が寮にやってきて楽しげに昼食会などを開いていたこともある。あれは忘れもしない生理学の試験の直前だった。
あまりにもうるさい時は涙をこらえ、勉強道具を抱えてMのいる別の寮まで走って行って、部屋の隅で勉強させてもらったこともあったっけ。
そういえば今更ながら思い出したけれど、私の部屋が居間に一番近くてテレビの音が気になると日本人Yに愚痴をこぼしたら、親切にも一番奥にあった彼女の部屋と交換してくれたのだった。あの時はありがとう!
テレビの音を小さくしてくれと頼んだら、「私たちは楽しむ権利がある」と言われて傷ついたこともあったなぁ…。
地元学生の3倍以上の授業料を払っていたこともあり、一科目でも落第したら卒業が遅れるばかりか、その科目の取り直しに何十万円も余計にかかり、大変なことになってしまう。日本ですでに大学を出ていたこともあって、少しでもいい成績で卒業しなければという思いも強くあった。
あの頃は勉強一筋だったというか、覚えることも山のようにあったし、実験のレポートなどの提出物も人一倍時間がかかったし、とにかく余裕がなかった。
Tだと分かった瞬間に、ウーロンゴン留学時代の思い出が鮮明に浮かび、楽しいことばかりではないので、このまま声もかけずに知らない振りをしてしまおうか?とも一瞬考えた。
ま、でも、やっぱり年齢を重ねたこともあって、それは出来なかった。クラスが終わった後に彼女に話しかけ、手短に近況を伝えて、今度お茶でもしましょうね!と別れた。
あの時のただの勉強の虫だった自分とは違うのだ。
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