Howdy from Australia
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「病院の研究職だから」というただそれだけの理由で、ろくに下調べもせず応募書類を送ったのが2月2日。その後2月16日に面接に呼ばれ、翌日には採用の電話があり、2月最後の今日が初出勤だった。
職場までバスで片道10分、電車でも一駅の距離なので、通勤はかなり快適。今日も約束の時間より40分も前に着いてしまった。バスの時間を一本遅らせても余裕かも。
今日は初日ということで、施設を見て回ったり、実験を見学したり、今後予定されている研究について簡単な説明を受けたりした。広大な敷地の中には図書館や郵便局を始め、大学のキャンパスもあり、まるで迷路のよう。建物は古いけれど、機材や施設はかなり充実していた。相部屋ながらも自分専用の机が用意されていて、ここで働くんだ!という実感がわいてきた。
ようやく研究者として歩むことができるかと嬉しく思う反面、肥満研究(生化学)から今度は周産期医学(分子生物学)と、研究分野があまりにも違うので戸惑いや不安もある。
しかも、重大な役割を担わされる割に安月給なのだ!
再就職先が決まって日本にいる家族もとても喜んでくれ、指導教授も「ここで認められれば次につながるから。」と祝福してくれたけれど、まだまだ下積み生活から脱却できそうにない。
面接の前の晩、5歳になる姪っ子から「明日テストなんでしょう。ゆ〜み〜、がんばってね。」という激励の電話があった。日本との時差が二時間あるため、電話が鳴ったときすでに床に入っていた私は、暗闇の中受話器を取り、かすれた声で「もう寝てたよ」と言うのがやっと。電話を切った後、姪の言葉にじ〜んときて励まされるどころか、荷物まとめて日本に帰ろっかな…と弱気になってしまった。
準備期間が1週間あったので、その間に自分なりに組織や面接官の出版物などを調べて臨んだ面接だったけれど、質問事項は想像以上に難しかった。
面接の前に15分ほど時間が与えられ、別室でA4用紙一枚分の質問に目を通す。時間になったら面接室に通され、三人の面接官を前に自分の考えを述べる。
「組織にどのように貢献できると思うか」「これまで携わった研究はどのようなものか」といった質問にはまだ何とか答えられるけれど、「医者に健康増進計画の成果を評価する方法を助言しなければならない場合、あなたならどうするか」という質問には頭を抱えてしまい、その場から逃げ去りたい衝動にかられる。
しかし、実際に面接官を前にすると気持ちも落ち着いてきて、そこまで緊張せずに全ての質問に答えることができた。
面接が終った後は達成感を感じるほどで、それほどまでにストレスだったのかなと思う。今となっては、「あの時、こういうことも付け加えておけばよかった」などと色々反省点も出てくるけれど、これはこれでいい経験になったのではないかと思う。もうすでにあきらめの境地!
友達から「夢の仕事に一歩近付いたね」と言われて、いい気分になっていたけれど、実際問題、夢は手の届かないはるか彼方にあるのだということを思い知らされた。
さてと、次はどの仕事に応募しようかな。
日本の無犯罪証明を申請してから二ヶ月と二日が経過した。
年末年始が入るから三ヶ月かかるかもしれない、と前もって言われていたので、どうせまだだろうな・・・と期待もしていなかったのに、電話で問い合わせてみたら、すでに届いていてびっくり!
大慌てでシドニー領事館に行き、無犯罪証明の入った封筒(開封無効)を受け取る。その足で移民コンサルタントの所に行って、その日のうちに提出することができた。
こんなにすんなりと行くなんて。 もしかして、結構前に届いていたのかも?
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