Howdy from Australia
←|目次|→
マンリーに住む友人のクリスマス会に招待された。親族と限られた友人だけという特別なもので、クリスマスの時期は大体日本にいた私にとって、初めてともいえるオーストラリア流のクリスマス。ただ、曇りがちで涼しかったので、「真夏のクリスマス」という感じではなかった。プレゼント交換、BBQ、花火、クリスマスキャロルの合唱、にせものの雪スプレー(頭にかかるとふけにしか見えない!)、クラッカー、部屋の中でのクリケットごっこなどなど、夜遅くまで盛り上がった。
お母さんにプレゼントされたズボンを、意地になって試そうとしない照れくさそうな友達の弟の姿を見ると、やっぱりクリスマスは家族の行事なんだな〜と、ほのぼのとするのであった。
木曜夜日本発、金曜朝シドニー着、その足で卒業式に行き、土曜はブルーマウンテンで山歩き、日曜はぶらぶら買い物をして、月曜には帰国…と、母にとっては目が回りそうな5日間だったに違いない。今回は父が一緒に来られなかったので、母だけ長期滞在するわけにもいかず、強行な日程となってしまった。また、私も多忙な時期に雇われた契約社員の身で長期休暇はちょっと無理。月曜日の朝、母を空港まで送って行った後、午後から出社しなくてはならなかった。
短い間でも母を独占できたので私にとっては大満足だった。これまでと違って自分のお財布から食事代が出せたのも、嬉しかった。「いいから、いいから、収入もあるんだし、私が出すから」と母に言うのも、なかなか気分がよかった(←正確には、母が帰国する前の晩に「いいから、取っておきなさい」と日本円を渡されてしまった)。普段外食をしないので、ここぞとばかりに、夜景が綺麗な和食レストランに行ったり、北京ダックを頼んだりした。
ただ、最後の晩は、「もう二度とこのお店には来ません」と断言できるぐらい最悪だった。
最初予定していた「ステーキ」はちょっと重たかったので、軽めの夕食にしようと近場の居酒屋風の和食レストランに行くことになった。黒板に書かれたメニューから、野菜の炒めものや揚げ出し豆腐、カキフライなどを頼む。ここまではよかったけれど、問題は、普通の白いご飯。まるで保温で炊いたかのように芯が残っていて、これをお店で出すのは非常識なんじゃないかと思ったほど。
しかも、その日は宴会が行われていて、年齢層の高い日本人グループなのに、狭い店内で大騒ぎをしていた。居酒屋と銘打っているのだから、もしかしたら、この騒音も店の売りなのかもしれない。会話もできないような騒々しさの中、苦笑いをしながら食事を済ませ、逃げるように店を後にした。何でこんな店を選んでしまったんだろう…。母とのシドニー最後の夜は台無しだった。
今回の旅行では母とも色々な話をしたが、母は私のシドニーでの生活がどうにも快適には思えないようだった。いわゆる日本人が夢描く「あこがれの海外生活」とはかけ離れているのだと思う。家賃も物価も税金も高いし、住環境のいい場所に一戸建てなど夢のまた夢…。
また、私が今住んでいる場所は、緑豊かで静か、治安も交通の便もよく、映画館も図書館も百貨店も徒歩圏内にあり、自分の中ではかなり評価が高いのだが、母にとっては、建物は古くて、部屋は狭い、最上階なのに階段しかなくて、玄関も靴箱も無い、しかも最寄の駅まで10分以上も歩く不便な場所にしか思えないらしい。つまり、母にオーストラリア生活の良さを実感してもらうには、私が出世するしかないらしい。
ちなみに、母が滞在中で一番嬉しそうだった瞬間は、果物売り場で真っ赤に色付いた巨大マンゴーを見つけたときだった。
母が日本から到着するのが卒業式当日というのがそもそも強引な日程だったのだが、空港まで迎えに行って母と再会を果たし、いったん市内のホテルに荷物を預けて、サーキュラーキーで朝食を済ませ、それから大学まで向かい、卒業式の会場に衣装をはおって飛び込むまで、何もかも計画通りだった。
教会にはパイプオルガンの音が響き渡り、厳かな雰囲気の中、式が始まる。指示に従って起立し、脇の通路を前進、一人一人名前を呼び上げられて壇上に上がり、証書を授与される。自分の番になって卒業証書を手渡された時は、やっと終ったんだ!と晴れ晴れとした気分になった。実際に最終論文を提出したのは6月であったが、式が終って初めて精神的にも区切りがつくというもの。卒業生の中には赤ちゃん連れのお母さんの姿もあり、彼女が証書を授与された時は拍手が一段と大きかった。
式の後は、教会裏手の中庭部分で学科のスタッフや指導教授、研究室の仲間たちと一緒に写真撮影。Mが気を利かせてシャンパンをボトルで買ってくれ、皆で乾杯した。朝から快晴だったので、冷たいシャンパンは格別だった。卒業祝いにとMから豪華な花束までもらう。実は、事前に「花束の一つもないと格好悪いから、駅前の花屋でいいからお願い!」と頼んでおいたのだ。あんまり期待はしていなかったのだけれど、シドニー五輪でメダル受賞者がもらっていたような、オーストラリア原産の草花を中心としたセンスのよい豪華な花束だったので、驚いた。
「結構、値段したよ。聞いて驚くよ。」
そ、その一言が無ければ、もうちょっと感動に浸れたものを!何かの折につけ「そういえば、卒業式の花束贈ったの誰よ?」と持ち出されそう。
それから、場所を変え、タウンホール駅近くのイタリア料理のお店で、総勢9名で昼食を共にした。平日だというのに、指導教授も友人も時間を割いて集まってくれて、とても嬉しかった。ここのコース料理は値段の割にボリュームがあって、味もなかなか。お世話になった方々を昼食に招待しよう!と思いついたときから、ここにしようと決めていたのだった。道が混んでいて到着が予約していた時間より大幅に遅れてしまったのだが、お店の人も感じがよくて助かった。
母は英語が全くできないけれど、それをカバーしてしまうほどの持ち前の明るさと度胸で、その場になじんでいた。私の指導教授とも言葉を超えて伝わる何かがあったようだ。家族、友人、指導教授、研究室の仲間たち。たくさんの人に支えられて、ここまで来たことを実感する一日だった。
|