Howdy from Australia
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卒業式を二日後に控え、母との再会を待ちわびていた私に一通の恐怖とも言える手紙が移民コンサルタントから届いた。「日本語のレベルが上級である」ということを証明するために、「日本で卒業した大学の授業が日本語で行われていた」ということを証明する書類が必要なのだという。1月12日までに提出できなければ、申請書類が揃わないまま審査されてしまうという恐ろしい事態になり、永住権もこれまでの努力も水の泡になってしまう可能性が出てきた。
翌日、会社から戻ってきてすぐに、日本の大学に電話で問い合わせてみる。夕方6時に電話したのだが、日本時間はまだ4時。この時ほど、日本とオーストラリアとの時差が2時間あることをうれしく思ったことはなかった。
比較文化学部など国際的なイメージが強い大学なので、前例がないわけでもないだろうと簡単に考えていたのだが、あまり柔軟な対応はしてもらえなかった。私としても可能な限り丁寧な表現を使ってお願いしたつもりなのだけど。
「授業が日本語で行われたことを証明する必要があると言われても、日本の大学なんですから、日本語なのは当たり前でしょう?」
確かに。それはこっちも承知の上なのだが、移民局というのはそういう不思議なものを要求してくるのである。私が在学中に英語・ドイツ語・韓国語を履修していたということも原因のようだ。移民コンサルタントには大学の便箋を使って公式な文書を作成してもらうようにと言われていたのだが、大学側はそれに応ずることは出来ないと言う。
しかし、ここで、「あ、そうですか。」と引き下がるわけにも行かない。書類の重要性を説明し、再度お願いしていたら、ようやく、代替案を示してもらえた。英文成績証明書の発行を申請すれば、その際に付記として、「使用言語は日本語である」ということを付け加えてくれるらしい。
ただ問題は発行手数料と送料を郵便定額小為替で支払う必要があるということ。自分一人で物事が解決できないのは歯痒いが、日本にいる姉に頼まなければどうしようもない。証明書発行に必要な詳細(生年月日、学部学科名、学生番号、卒業年など)と大学宛の手紙を添付して、緊急のお願いメールを送る。一年でも特にせわしない時に、寒くて家から一歩も出たくないこの時期に、しかも幼い子供を二人抱えている姉に用事を頼むのは本当に申し訳なかった。お姉ちゃん、本当にありがとう!
12月20・21日までに届けば、その週の金曜日にあたる24日の午前中には発送してもらえるのだが、それまでに届かなければ休暇に入るため、発行の手続きは1月7日以降となるらしい。書類の提出期限は1月12日。
どうか、間に合いますように。
先週の日曜日のこと、近所に住む友達にずっと借りていたDVDを返しにお邪魔したら、
「実は最近分かったんだけど、妊娠したの〜!」
と、報告されて、びっくりした。つわりもあるんだって。
おめでとう〜!といいながら、お腹の方にも手を振って挨拶をしてみる。研究室の友達で昨年結婚した彼女は、まだ博士課程在籍中。これから執筆というときだったので、本人も戸惑いと喜びが半分半分のようだ。一緒に冗談を言っていた友達が、来年にはいよいよお母さんになるなんて。感極まって、思わず彼女を抱きしめてしまった。指導教授には近いうち知らせるそうだが、五人の子供を授かった指導教授のこと、自分のことのように大喜びする姿が目に浮かぶ。
それで今日、他の研究室の友達と電話で話をしていて、「ちょっと聞いてよ!」と言ったら、彼女の妊娠をすぐに言い当てられてしまい、最近の大ニュースだったのにもったいぶることすら出来なかった。ちなみに電話の用件は私の卒業式に来られないということだったのだが、病院の研究職を最近得たばかりなので、お休みをもらうのはちょっと難しいとのこと。新しい職場でも大学の頃にやっていた実験などを任され始めたようで、かなり充実している様子。職場の先輩科学者から、「あら、飲み込みが早いわね」と言われ、「これまでずっと人に教える立場だったんですけど・・・」と、内心かなり可笑しかったらしい。
今の仕事にも慣れてきてそれなりに居心地もよいけれど、やっぱり目指すは研究職。契約もそろそろ切れるので、間髪いれず次の仕事を見つけなければと思っていた矢先、久々に体の中が熱くなるような研究職の求人を発見。
これまでの知識が生かせ、まさに自分が夢見ていた通りの仕事内容。まぁ、この手の研究職は公に出した時点ですでに内定者がいるということも少なくないし、英語が母国語でもなく永住権も申請中の私はもしかたしたら門前払いかもしれないけれど、挑戦しても何も失うものはないし、とりあえずやってみないことには何も分からない。今の仕事の多忙さに身を任せて、人生の目標を見失いかけていた今、この応募に巡りあえたこと自体幸運なことかも。やっぱり、はりきる何かがあるのって嬉しい。
12月は両親も忙しく都合が悪いので、卒業式は来年の5月に延期しようと思っていたのだが、卒業式の日程の変更は不可能だという返事が大学側から返ってきた。出席できなければ卒業証書が自動的に送られてくるらしい。後で式にだけでも参加したいという場合は申し込むこともできるそうなのだが、卒業証書が手元に届いてから、式に参加するというのも、何だかなぁ…。
ということで、考えた末、12月の卒業式に参加することにした。今年中に終らせてしまうのも一つの区切りになるし、お世話になった方々や指導教授にもちゃんと挨拶もできる。あいにく父は来られないが、母だけはるばる日本から来てくれるというので、呼び寄せ航空券なるものをこちらで購入して贈った。
初給料が出たらその時は家族に大盤振る舞いをしよう!と前々から思っていたので、こういう形で実現できてよかったが、両親揃っての参加だったら財政的にかなりきつかったかも…。航空券は旅行会社の方から直接日本に送ってもらえて、観光ビザの手続きもたったの10ドル。余計な手間も省くことができ、なかなか便利だった。
仕事の方はと言うと、最近は残業もできるようになった。今までは上司の指示を仰ぐ事が多すぎて、残業の許可すら下りていなかったのだ。残業すると時給は通常の1.5倍つくし、夕食代として20ドルが支給される。これは、かなり大きい。ちなみに、残業がつくのは下っ端の証拠で、会社の規約によると上役たちには残業手当はないようだ。
そして、本日初めて土曜日出勤を体験。休日は時給が2倍なので、これを見逃す手は無い。でも、出勤したのがうちの部だけだったせいか、かなり陽気でリラックスした雰囲気。平日より楽しく感じられるほどだった。普段はそれぞれがもくもくと業務をこなしていて、笑い声があがるなんてことはまずない。
しかし、貧乏暇無し、稼げる時に頑張ろう!と意気込んでいた矢先、まだ5年しか使っていない掃除機が壊れた。保障期間はとうに過ぎているとはいえ、モーターが焼け焦げたのか、轟音と共にすすをそこら中に飛び散らし、息絶えてしまった。部屋中がけむい匂いに包まれ、絶句。オーストラリアの電化製品はやはりあなどれない。あぁ、どうしてこうも出費の予定ばかりが先行してしまうのだろう…。
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