|
V字経営研究所・酒井英之の4行日記 DiaryINDEX|past|will
トヨタの7つのムダをポスターにしている会社があった。備忘録的にメモしておく。1.加工のムダ 2.在庫のムダ 3.造りすぎのムダ 4.手待ちのムダ 5.動作のムダ 6.運搬のムダ 7.不良手直しのムダ これらを「ぼーっと作業してんじゃねーよ!」というチコちゃんの怒った顔の下に描いてあった。思わず吹き出してしまった。
「かがやき」で話を聞くうちに、次世代の聴診器の話を聞いた。聴診器がスマホと繋がって、データ(音)を飛ばすことができ、離れた場所でも心臓の音を聞くことが出来るという。もちろん、自分自身でその音を聴くこともできる。今の遠隔医療は、カメラで表情を見るだけだ。が、ここに心臓の鼓動が加わり、医師から「綺麗な音ですね」と言われたら、患者はどれだけ安心するだろう。遠隔医療もカメラで写しただけではつながってる感に乏しいが、音が伝わるのであればその安心感はとても強くなるだろう。このような医療機器が早く開発されればいいなと思った。
経営の中で最も大事なことの一つが「やらないことを決めること」だ。やらないことを決めておくと、やるべきことに集中できるからだ。その点、医療法人「かがやき」はとても明確だ。「他の人ができることはやらない。必要なのに地域にないことをやる」。これこれも平凡な言葉ではあるがとても深い。同法人が目指しているのが、「法人の利益の最大化ではなく地域の資源(しあわせ)の最大化」だ。地域のしあわせを最大化するには、前述の地域交流のように、「必要なのに地域にないことをやる」ことが大切なのだ。
医療法人「かがやき」は、建物3/4を地域に開放している。半年間の土日合計50日のうち、43日でイベントが開催され、そのうち25日で地域の人が主催するイベントを行なっている。休みの日の鍵の管理は、地域の人(キーマスター)に任せている。また、月に1回の「子ども食堂」や年に1回の「かがやき秋祭り」など、地域の住民であれば誰でも参加できるイベントを開催している。健康な地域と人との接点を持つことは、短期的な利益にはつながらない。が、将来的にこのイベントに参加した人たちが「かがやき」で働き、地域医療に支えてくれる可能性がある。200年構想はそうした想いを育んでいる。
医療法人「かがやき」で教えてもらった言葉で、とても印象に残っている言葉がある。それが「健康第一、家族第二、仕事第三」だ。確かに健康あってこそ、仕事に打ち込むことができる。また、家族あってこその仕事である。家族に不安があるとき、仕事に集中することは難しい。同社の医師は大変に忙しい。その医師も年に2回9連休を取れるような体制を整えている。優先順位を明確に示しそれが体感できる体制を整えているのは大変に素晴らしい。
医療法人「かがやき」では、プロフェッショナルの自律性を生かすために、研修に関しては常勤20万円、非常勤10万円の研修費を支給し、自ら学びたいことを学ぶ原則を貫いている。研修費は学会や医療に携わる研修だけでなく、法人の活動に資するもので個人が必要と考えるものであれば、事前申請なしでも使うことができる。活動後にはその学びを全体にメールで報告する仕組みとなっている。この自由な研修制度を活用して、事務スタッフがヘルパーの資格を取り、看護師の訪問に同行したり、海外からの視察受け入れや海外助成金獲得につながっている。各スタッフの学びの機会を主体的に獲得し可能性が広がっている。このような自由な活動を通じて全国の有力な事業所との交流が深まり、交流を通じての知恵の交換・業務改善が可能になっている。
医療法人「かがやき」には評価制度はがないため、出た利益の分配方法は極めて単純だ。利益は全員で出してもだから、利益の1/3は決算賞与としてスタッフで山分けしているのだ。全体がチーム一体として良い結果を出せば、それが個人にリターンされる。そうすることで一人一人は自ずと全体最適を求めて行動をするようになる。ところがもしここに評価制度があると、社員は最も高く評価される項目ばかりに走ってしまい、結果的に部分最適の追求ばかりで、全体最適を追求することがなくなる。全体最適を追求するために、あえて評価制度入れないのだ。
院長曰く「評価は『核心的な』発言を抑制してしまう。ひょっとしたら他のメンバーから歓迎されない耳の痛い話であっても組織としては拾い集め、改善に活かすべきである。評価されることになれば評価者に対して厳しい提案をすることができなくなる。活発な意見交換を促すのであれば、その発言も含めて評価がされない安全な場所が提供されなければならない。評価をやめることは、自由な意見を言うことの出来る重要な要素である」。人は忖度する生き物だ。誰にでも同じように発言できる人は限られている。評価者の報復を恐れて発言できないのは、当たり前のこと。黙り込む会議の愚をなくすために、評価をなくす。英断だと思う。
院長曰く「評価基準がプロフェッショナルの仕事を損なう。評価の基準を設ければ、それが見えやすい形で追求されてしまい、本来のアウトプットに必要な項目がおろそかになることがある。そういう形式的な評価指標は、知識労働者が行う複雑な現場には向かないと考えている」。これも慧眼だ。例えば受注金額を評価基準としたら、必要ない薬を飲ませてしまうに違いない。また入院が必要な人を無理やり退院させることもあるだろう。私たちコンサルタトとも同様に受けたくもない仕事を受けることをしかねない。大変すばらしいと思う。
院長曰く「そもそも評価が困難である。それぞれの職種がプロフェッショナルとして取り組んでいることは、複雑な背景によって最適解としてそれぞれが提案している活動である。それを他の職種や上長が一つ一つ判断することは困難である。また多くのプロフェッショナルは外から評価できない部分(陽の当たらない部分)に腐心し、準備している。それを正しく評価することもまた難しい」。これを聴いて、知的労働者の端くれである自分は密かに感動した。「日の当たりらない部分に腐心し、準備してくれる」。そういうところに考えが及ぶのは素晴らしい人間力だと思う。
|