|
V字経営研究所・酒井英之の4行日記 DiaryINDEX|past|will
家族が不在なので仕事と家事との両立にチャレンジした。ところがこれが難しい。例えば家事はほとんどがルーチンワーク。一方で仕事は実にクリエイティブだと頭の切り替えが追い付かない。ルーチンとクリエイティブの切り替えが難しい。だからパートさんのような人には、ルーチン業務をしっかりやってもらうよう正確に指示しないといけないし、マニュアルを用意しないと気が付いた。そして、もし改善提案のようなクリエイティブ性を期待するのなら、考えやすい環境を整えないといけないと気が付いた。
江上治さんの「『自分なんて…ダメだ』思っている人は傲慢である」というブログを読んでビックリした。私もよく自己否定をするが、江上先生曰く「それは自分のことばかり考えているからだ。他人の期待に想いを馳せていない。『他人のために何ができるかを考えて、与える。他人を勝たせる』そういう発想を持ちなさい」と。言われてガツンと来た。何を与えられるか、もっと真剣に考えよう。人生を変えるひと言は、こんなふうに突然飛び込んでくるものなのだ。
協豊会をはじめとするトヨタ系の会合の講演講師に私は何度か候補に上がった。しかし、実現したのは本の数回しかない。就職面接も1回戦負けだったし、潜在的にトヨタとかソニーとは合わないのだろうと思っていた。もし、LEADERS2に描かれた理念型経営社風がトヨタの社風なら、自分はミッションよりも数段低い、テクニックよりのところをウロウロしている程度のコンサルタントなのだろう。その点は己が至らぬ点=伸びしろだと反省した。
友人から「LEADERS2が良いのでぜひ見みるように!」と言われたので、見逃し無料放送で観た。情熱が滾る良いドラマだった。資源を奪い合う戦争に負けた我が国が、資源のない国に相応しい車を創るという物語。キーワードは西国銀行の「機(はた)屋には金を貸すが、鍛冶屋には貸せない」というセリフ。当時は「短期的な儲けが見込める事業にはカネを貸す。が、長期的なビジョン、あるいはミッションには金を貸せない」が当たり前だったのだろう。転じて今はどうか。ミッションにこそ投資する時代。それが協愛会や販売店会からの融資という形で描かれていた。ミッションを語る人は今も昔も大馬鹿野郎扱いされるが、ミッションこそ時代を切り開く。その想いが伝わるドラマだった。
滋賀県の草津市で、ベンチャーを立ち上げている女性経営者を訪ねた。彼女は、外来種を駆除するため、外来種の有効利用を考えていた。実際にアメリカミシシッピーガメを大量に捕獲し、それをすりつぶし、それを家畜などの飼料にする生物再資源化に取り組んでいた。その説明を聴きながら、この人は「未来を自分の意思で創る」気概に溢れていると感じた。「次はこうなる」と予測ではなく「次はこうする」と予言し、その実現に向けて強い意思で挑んでいる。ベンチャー起業家でもここまで強い意思で取り組んでいる人はなかなかいない。その意思の風圧は、彼女より1年早く起業した自分にとって大変良い刺激になった。
ニトリの店内を歩きながら、この店は「価格帯」でセグメントしていると強く感じた。全く高級品がない。一方で、いわゆる安物もない。新生活を始めるなら…もろもろで20万くらい…?なんて考えている人向けに品揃えしている。かつての家具屋には「ああ、このフロアには自分の欲しいモノはないな」という高級家具売り場がひとつはあったものだ。が、そんな家具は一つもないので惑わされることがない。この商品の「絞り込み力」に恐れ入る。消費者を研究し、知り尽くさないとこうはいかない。その姿勢はが伺えて売り場を歩きながら感動した。
息子の新生活の準備のためにニトリに出かけたら、駐車場に停めるのに困ったくらい超満員。その後、ニトリになかったチェアマットのみを購入にDCMグループのカーマホムセンターに行ったら、こちらはガラガラだった。この違いに最初は「カーマの客がニトリに取られたのかな?」と思ったが、どうやらそれは違うようだ。ニトリの人気は、値ごろ感が同じ商品が「こんな感じでお部屋をまとめられたらどうでしょう」とパッケージで示されていること。一方カーマは、カーペットの測り売りをするなどあくまでカテゴリー商品を多数品揃えする「部品売り」。一部品が欲しいときはカーマ。ざっくり揃えたいときはニトリ、という感じで消費者は使い分けているのだろう。それにしてもニトリ人気は凄い!
クライアントの業績が底を打って徐々に上向き始めてきた。この1年間地獄の苦しみの中にいた。いろんな手を打つのだが、なかなか見えない活路に悩み続けた。そんなとき、「あの竹中半兵衛でも三木城など簡単に落とせない城があった」と自分に言い聞かせて耐えた。そして今、クライアントは厳冬に耐えて次の蕾を付けつつある。これだけ苦しんで身につけたものは、今後きっと本物になるだろう。あの苦しみがあったから今がある。そう言える日を楽しみに、頑張り抜きたい。
稀勢の里がとんでもない大逆転優勝を果たし、観ていて叫んでしまった。こんなことがあるから人生何事も諦めちゃだめなんだと思う。優勝決定戦のとき、仕切る姿を見て、なんと気力が充実しているのかと驚いた。人間、集中力が滾るとあんなオーラが出るものなのだ。小6のとき、輪島の対北の湖戦の逆転優勝を観て、以来相撲ファンになった私だが、原点を思い出した。あの怪我の中で120%の力を出し切れるのは、それだけ練習の蓄積があったから。ここ一番に弱いと言われた稀勢の里の、ここ一番の強さに苦しみ抜いた人の強さを観た想いだ。
照ノ富士が14日目の琴奨菊戦での立ち合いで変化した。すると会場から「モンゴルへ帰れ」というヤジが飛んだという。立ち合いの変化には感心しないが、このヤジはもっといただけない。私は小5のとき静岡から岐阜に転校した時、「静岡に帰れ」と言われてとても悔しい思いをした覚えがある。人には安心していられる居場所が必要で、それがないというコトはとても辛いことだ。私はその辛さから、自分や人の居場所つくりにその後の人生を捧げていると言っていい。組織の中での自分の居場所を創る。市場の中でクライアントの居場所を創る。居場所を創る方法は、独自性を高めることのみ。私のライフワークは落ちこぼれに居場所を創ることだ。すべては5年生の時の理不尽な「帰れ」から始まった。今回の照ノ富士への容赦ない言葉は、異郷で人一倍頑張っている身にはさぞかし辛いことだっただろう。この悔しさをバネに、彼にも相撲界で帰れなどと言われない居場所を創って欲しい。
|