「鉄分とカルシウムの多い脂肪0牛乳(グリコ)」を飲んだ。機能性に惹かれて買ってみたのだが、正直言って美味しくない。機能性を追求するために、ミルクならではの「自然の恵み」感が消えてしまったように思う。牛乳はコーラやビールのように人為的に造ったものではなく、元々は牛の乳という「生命の源」をいただいている。天からの授かりものだという有難さだけはかき消したくないものだ。
ばあちゃんの初七日法要の後の食事のとき、坊さんと話した。坊さんによるとばあちゃんは私心のない人で、よく人に「与える」人だったらしい。坊さんによると、仏の教えを説いてくれた人に、お返しをすることを布施と言う。ばあちゃんは、自分の周囲の人が皆、自分に何かを教えてくれる存在で、そのたびに布施をしていたのだろう。私も山菜や漬物、野菜など山ほど貰った。こんな私にいつも布施をしてくれてありがとう。
ばあちゃんへの弔辞では、ばあちゃんの口癖を披露した。村の人はばあちゃんのことを「姉さん」と呼び、村のおばさんたちは「姉さんはいるかな?」とよくばあちゃんを訪ねてきた。ばあちゃんはそのたび玄関に出て行き、一生懸命おばさんたちの話を聞いた。そして、それが危険な話なら「あらま、大騒動や!」とか「あ〜おそがいや」とか、悲しい話なら「お〜かわいや」とか、大きな声で相槌を打った。それが嬉しくてみんなやってきた。類まれな聞き上手な人だった。
白川村に住んでいた祖母が他界した。子供の頃からかわいがっていただき、他人を支える人生、他人のために尽く人生、他人に与える人生を貫いたとても大きな人だった。村民の皆さんの慕い方で誰もが感謝していることがよくわかり、しめやかな葬儀いうよりにぎやかな葬儀だった。祖母は2002年5月13日のこの日記に書いたように84歳とき趣味の刺し子の個展を開き、アーティストの仲間入りをする。老いてからも輝き続けるその生き様に脱帽。大きな器でいつも包んでくれたおばあちゃん、ありがとう。
健康食品販売の会社社長がリッツカールトンに家族で泊まったときの話。子供が風呂の水を出しすぎてフロアが水浸しになった。社長はその光景に弁償することを覚悟したという。しかし、リッツの人は「自分の責任です。申し訳ありません」といい、社長一家を責めることはなく即座に別の部屋を用意。弁償まで覚悟した社長一家は以後リッツの大ファンになったという。矢印を自分に向ける人はファンを増やす。
某社で管理者研修。課長と係長のペアで受講していただき、半年かけて職場内の問題解決に挑む。課題解決の計画は課長が立案し一方的に説明、部下の協力を求めるケースが多いが、示された目標や取り組み内容に納得できない部下は「やらされている」という後ろ向きの想いを強くする。それを避けるために上司部下が一緒に考え、一緒に決める場を作るのがこの研修の趣旨。受講生には知識の習得より場の用意の大切さだとわかってくれればありがたい。
地元の家族が集うパークから経営計画策定を手伝って欲しいとのオファーを頂いた。私自身が子供たちを連れて数限りなく訪れたパーク。その再設計に携わることができるのは望外の喜びだ。近年は財政逼迫や仕分けの影響でマンネリ化したまま更新されない施設や、閉鎖される施設もある。しかし、今日もまた大勢の人が子供を連れて訪れてい。子供たちの笑顔と成長を思い出し恩返しのつもりで企画してみたい。
甲子園で2勝した能代商業の地元の練習グランドがTVで報道された。同校は2年連続出場だが、昨年は鹿児島実業に0-15(相手23安打、能代商3安打)「で大敗している。その屈辱を晴らすべくそのときのスコアボードが掲示されていた。1年間、これを掲げてプレーしてきたのだ。そして今年、再び当たった鹿児島代表校に5−3で勝利した。捲土重来の精神で成長する選手の姿を見て、勇気付けられた。
今年の甲子園の高校野球は本塁でのクロスプレー&タッチアウトが多い。かつてはそれが奇跡のように言われたが、今では当たり前の光景になった。選手がイチローや松井選手のレーザービームを観練習を積んだ成果だろう。イチローや松井選手は内野手の方が優れている、花形といわれた外野手のイメージをガラリと変えた。直接指導することのなくても憧れが存在することは、人財育成上欠かせないのだ。
UFOキャッチャーばかりのゲームセンタを覗く。その店の景品の人形の6割が「ワンピース」キャラだったので驚いた。「麦わらの一味」だけでなく、長い連載の中で一瞬だけ出てきたような敵キャラも多数存在。おそらくUFOキャッチャーでしか手に入らないレアものも多いのだろう。このフィギュアのために何千円と突っ込む中高生が目に浮かんだが、自己投影心を煽るこんな企画を考えた人に脱帽だ。