某社の「自由と自己責任」というスローガン。現場はこれを「好きなことをしてもよいが、自分で責任をとれ」という意味に受け取っている。一方管理側は「自己責任と自由」だと主張。「自己責任を果たした上で初めて自由が許される」の意味だ。イラクからの帰国者に「自業自得」と冷笑する人がいるが、前者の発想。リスクの高い活動には「自由と自己責任」より「自己責任と自由」の考え方が必要だ。
結婚10周年を記念してダイヤを贈るなどというCMがあったが、利用者は多いのかしらん?私も今年結婚10周年。が、新婚のときに調達した冷蔵庫が先頃壊れ、今またウォッシュレットが機能不全。昨年は電子レンジ、PC、洗濯機もいかれた。おまけに最近はこれらを廃棄するのにコストがかかり、PCなどプリンタと合わせ1万円以上!こんなに買い換えていたらとても記念ダイヤどころではない。
イラクから3人が無事帰ってきた。何よりだが、彼らはまだイラクに残って仕事がしたと主張したという。戦地に仕事場を求めている彼らですら「国」という概念は希薄らしい。その使命感にはただ脱帽するばかりだが、アエラが先週号で「人質になった日本」とタイトルを付けていたが、このタイトルは的を得ている。ひょっとしたら日本国民ほど国家という概念が乏しい民族はいないのかもしれない。
郊外の駅前にできたマンション。住人へのセキュリティは当然セコムか総警と連携したサービス?と思ったら、タクシー会社と提携しているという。タクシーの運転手は夜、終電までえきで並んでいる。何かあったときそこから駆けつけるというから、セコムよりもずっと早く「たった5分」でできるというのだ。このシステムはCVSの防犯強化にも使えそう。実に目の付け所がシャープである。
犬山市長と対談した。「選挙という試練を経験すると、どんな人でも成長します」。「選挙で当選するにはハッキリとした『選ばれる理由』が必要。そのため、他者にはない自分ならではの約束を訴える。それをほんの僅かな選挙期間中に行う。だから試練であり、実施した人は確実に成長する」。市長の話に経営も同じだと思った。優秀な社員ほど流動的な今日、経営者にも選ばれているという自覚が必要だ。
巨人の阿部が好調だ。大打者ばかり並んだ後、投手の緊張が緩んだところにガツンとやっている。阿部が打ってもつまらないが、打ったら面白い清原、江藤といった一流選手は出番なし。これはプロ野球界にとっての損失だ。もし他チームで4番なら、今頃清原2000本安打達成!ともっと賑やかになったはず。開幕でも満員にならない後楽園。衰退の一途を辿るプロ野球再建は、唯我独尊体質の否定からだ。
コンサルタントとエコノミストは違うけど、世間から見たら同業者だ。その最も有名な一人が痴漢行為で逮捕されショックだ。警察官がストーカー、寺の住職が隣の寺の賽銭泥棒、タクシーの運転手が飲酒運手したり。修行を積んだはずの人が、プロとしての本分を踏み外す。共通しているのは「人の痛みが分からないこと」。プロは誰かの期待に応える存在だが、「誰か」が見えていないのだ。
イラクの16歳のストリートチルドレンが、ナオコさんが拘束されたことを知り、自分が身代わりになりたいと願い出たという。彼女が当地でいかに自己犠牲を払い、徳を積む生き方をしてきたかよく分かる。赤の他人が「身代わり」を申し出てくれる人がいったい何人いるだろう。この少年はストリートチルドレンを集め、解放要求のデモを行うそうだが、そういう声が届くことを願わずにいられない。
御柱祭に参加したときに、地元の人に死者が出るのにどうしてそこまで夢中になれるのかを聞いた。「諏訪人のDNAですか?」と聞くと「DNAって人類誕生以来のものでしょう。そんなに古くないです」「では諏訪人のアイデンテティですか?」「そんなに新しくはないですね」「では諏訪人のルーツですか?」「それでも古すぎますね…」。1200年の歴史と伝統を語る言葉が見つからない。実に意外な気がした。
3人の日本人がイラクで拉致されて、自衛隊の撤退が要求された。この3人はイラクの復興のボランティアに尽力していた人たち。各国政府は、イラク問題を市場や資源を自国有利に得ることを主たる目的としていた。つまり「利益」を得ることである。対して彼らは人としての使命と愛を持って生きている。利のために愛み満ちた輝ける市民が犠牲になるのはなんともやるせない。何とか救出して欲しい。