リゾートホテルでリフレッシュ。こうした空間で人や自然から気持ち良いもてなしを受けると、「ああ、自分も同じように人に気持ちのよいことをしてあげよう」と気付き、次の仕事への真摯な意欲が生まれる。これがないと「あ〜もう、忙しい!→適当に手を抜いてやっておこう」とお役立ちの精神を忘れてしまう。潤いは顔にで出る。ホテルで味わった朝のようにいつも清清しくありたいものだ。
御柱祭は6年に1回の開催だが、その準備は2年前から始まる。その間練習を重ねた氏子たちは3年目にそのエネルギーを爆発させる。以前、サザンの桑田が「いろんな意味で(一定の活動を続けるのは)3年が限界なんですよ」と語っていたことがある。ひとつのプロジェクトは3年周期でやりなさい、終わったら休んでまた再開して…と1200年間巨木を曳(ひ)き続けた先人たちが教えてくれるようだ。
諏訪の御柱祭に参加した。奇祭に挑む地元の人たちを見て驚いたのは、長い列にも携帯電話や無線を使うことなく、手旗のみでコントロールしていること。そして明確なリーダーが居ないことだ。1200年もの間変わらぬ行事は、飛び道具もリーダーもなくたって誰もが理解し合い、阿吽の呼吸できる。逆を言えば、変化が激しい環境では絶対的なリーダーと飛び道具が必要だということを痛感した。
客先まで余り時間がないのでタクシーに乗る。無理を承知で急いでくれと頼むと、交通規制ギリギリのタイミングで狭い路地をガンガン飛ばす。乗っていてドキドキしたほどだ。そのおかげで途中まで予定よりかなり早く来たので「もう間に合うからゆっくり走ってもらっていいよ」というと、今度は静かな安全走行に移行。お客様の要望に、嫌な顔をせず巧みにモードチェンジできるのは一流の証か。
大手携帯電話会社のホームページで毎週コラムを連載することになった。現在月刊誌に連載、メルマガを月数回発行しているが、これに毎週の連載が加わってネタ不足が心配だ。初めて新聞連載を持ったときは溢れるほどネタがあり「どれでいこうか」と嬉かったが、今回は一発必中の覚悟。同じネタを使いまわす手もあるが自分の成長が止まるようで気が進まない。要は現場でセンスを磨けということか。
ドラゴンズの開幕投手はなんと川崎だった。どんなつもりで落合監督は川崎を指名したのか。そしてドラゴンズ選手にどのような心理的な影響を与えるのだろう。自分が監督になったつもり、あるいはドラゴンズの同僚なったつもりでいろいろ考えた。温情とは違うが、この選択には合理性を超えた何か暖かいものを感じる。心と技を磨き続けた者に報いるサムライ魂、というものかもしれない。
MLB開幕第2戦で活躍した松井選手にトーリ監督は「映画スターのようだ」と誉めるのを聞いてビックリした。日本人でここまで部下をベタ誉めする上司はいるだろうか?この言葉は監督というより、観客の言葉だ。主従関係を忘れるほどの喜び方だからこそ重みがある。松井の顔はNYの一員となってから穏やかだという。正しく評価してくれる上司の下で働くと輝くのは凡人も大リーガーも同じなのだ。
自分が書いた本が二冊とも中国語に翻訳され、中国で各5000部出版されることになった。日本企業のダメ!っと思う部分に浮き彫りにする内容を書いてきたから、敵に塩を送るようで何だか複雑な気分。が、自分の手作り商品が海外へ輸出されることにちょっと感動している。ちなみに現地では物価を反映して日本円にして290円で売られるらしい。ということで、印税はスズメの涙ほどもなし。
家族の疾病のことで隣町の皮膚科へ。ホームページ(HP)が充実ぶりから良い医師と判断したのだが、診断は素っ気無く何を聞いても「HPをよく読め」の一点張り。そのHPには先生の書籍が載っており、読んだ人のみに熱心な診療するとある。既に本の購入を申込んだ旨を伝えたら医師も看護士も態度が一変。出す薬も変わった。患者を選ぶ態度も分かるが、医者の本分を疑う変貌振りだった。
昨日と同じイオン内の目抜き通りに下着専門店がある。通りをカラフルな演出をするのはブラジャー。女の子の間では「見せブラ」と呼ばれているもので、よく見ないとブラジャーだと気が付かないほどカラフルだ。かつて男はデパートなどの女性下着売り場の前を歩くだけで変態視され私も慌てて立ち去ったことがあるが、目抜き通りで堂々と眺められるとは今や下着はエンターテイメントなのだ。