改革を担う某大手の部長と面談。と、カバンから取り出したのは拙著『なぜ社員の意識は変わらないのか』。見ると付箋が随分貼ってある。そこを開いて「ここはこういう意味に解釈したのですがよろしでしょうか?実は自分にはこんな経験がありまして…」と、次々と質問してきた。過去を振り返りながら、自分のやり方は正しかったと確信が欲しかったようだ。こんな質問はまさに著者冥利につきる。
中日の落合監督がキャンプのインタビューで「私の仕事は環境を作ることだ」と語っていた。「育てることは(自分で考え自分で判断し、自分で行動できるような)環境を作ること、教えることはその環境に従わせること」という名言があるが、落合監督は本当に選手の潜在能力を10%引き上げるつもりなのだ。管理者の仕事も突き詰めていけば「目標達成に挑み達成できる環境を作る」ことなのだ。
特殊な店舗を経営している会社。初期投資は4億かかるが確実に5億になる。出店の引き合いは多いが、残念ながら自前で4億調達する力に乏しい。そこで「私に4億円を投資してください。5億にします」と資本家を訪ね歩いた。すると、ある大物経営者はこう切り替えした。「4億→5億じゃ魅力ないね。こんな店を10店舗やって40億を50億にします!なら話は別だが」。大きく儲ける人は発想もデカイ。
ビジネスマンの世界では、一度ミスをした人にもう一度チャンスを与える敗者復活は稀である。年功序列型の社会では、少ないポストを争うのが通例だからだ。ところが最近は成果主義のい浸透で、「あいつなら結果が出せるかも」と、左遷した人材を突如呼び戻す人事が増えてきた。成果主義の典型はプロ野球。そこにカムバック賞があるように、会社にも実力次第で返り咲けるシステムが欲しい。
よく「らしさのある経営」という言葉を耳にする。独自性を築き「××社らしい」と言われる商品を供給しようとするスローガンだ。しかしそんな意図ならば「××ならでは」とした方が賢明だ。「らしい」は「男らしい」「女らしい」のように、言う側が一方的にイメージの押し付けるときに使う言葉である。自社の個性を尊重するのなら「当社ならでは」の方が、社員を奮い立たせることができる。
某社に3つの部があった。2年前、社内の改革が行われたとき2部署は方針を変えた。どれぞれの得意分野を明確にし、人材を育成し、安定して受注できる仕組みを作った。しかし、もう1つの部署は改革前のマネジメントをそのまま踏襲した。結果、その部署は昨年は何とか±0を維持したが、今年は大きな赤字に転落。放置すると、アッという間に崩壊する。凋落の速さはゾッとするほどだ。
企業が変革する場合、変革を企画し変革を促すのは本社である。本社は現場を変えようとし、なかなか定着しないと嘆く。それから数年、ようやく現場が自分の力で稼げるようになる。すると現場は、今度は自分がしたいことをするために、本社を動かすようになる。本社が現場を動かそうとする時期と、現場が本社を動かそうとする時期。コンサルタントにはこの流れを見極める眼が必要だ。
吉野家はじめ牛丼屋の牛丼が豚丼等を変わるという。一方、米国産を国産牛に代えても牛を提供し続ける店もある。吉野家は「美味い・安い・早い」がお客様との第一の約束だから、商材を代えてもこの約束は守れる。一方牛を出し続ける店は、「牛を出す」ことがお客様との第一の約束だったのだ。危機に瀕したときに、それでも守り続けようとするお客との約束は何か。そこに企業の基本姿勢が映る。
もうすぐバレンタインデーだが、いつの間にかどうでもよくなった。「女の子が好きな人に愛を告白する日」という間は良い習慣だと思っていた。それがいつの間にかホワイトデーという「返礼する日」が誕生して、嫌になった。これじゃあ単なる消費交換で、そこに存在するのは「特別なこと」ではない。それでなくともこのご時世、OLが義理チョコ配りするようなノンビリした職場はあるのだろうか?
洗車機の洗車代がオイルショックまではタダだったと聞き驚いた。有料化したのはオイルショックのとき。不況で売れなくなった洗車機メーカーが新たにワックス塗布機能を付加し、300円/回で展開。これが大当たり。少しでも売上が欲しいGSがワックス対応機を積極的に導入し、有料で提供しはじめたのだ。不況期はいかに安く売るかより、値段を上げても売れる方法を考えるチャンスなのだ。