+上記のセリフは某TV局が朝の7:20ごろに流していたCM(?)の子供のモノ。答えるのは大人。その大人たちが必死になって答えを探す。『友達がいないと淋しいよ』『一人で遊んでもつまらないでしょう』『大人になって家族がいなくなったときうれしいよ』(正確なセリフではありません。でもこんなカンジ)。いつも朝ごはんを食べながら聴いていますが、「そうか?」と、どの答えを聞いても思います。
+私の答えは『自分が要らないを思うなら必要ない』です。とても冷めた言い方かもしれませんが、『作らなければならない』理由はないし、『いなくてはならない』ワケでもない。自分が『要らない』と思うなら『必要ない』と思うのです。この時代。「一人で遊ぶおもちゃ」が増えているので、「遊ぶ」という行為の中に「友達」の存在って重要視されないですよね。TVゲームなんて一人のほうが都合が良いし。
+でも私は「友達がいてよかったな」と思います。「友達」っていう存在がウザイ時も正直ありました(ヒドイ・・)。しかし、今は「良かったな」と思います。友達がいなかったら、外との交流がまったくない人間になっていたと思います。自ら外に出て行くタイプではないので。
+「作らなければならない」というよりは「いたほうがいい」といったほうが正しいと思います。「こんな時友達がいれば!」と思ったときに振り返ってみたら「いなかった」では遅すぎるから、とりあえず作っておけば後悔しないでしょう?(・・・って、またヒドイいいかただなぁ・・・)。よって。「友達がいれば!」というセリフを一生吐かない自信がある人には「必要ない」のです。
+「作る」という言葉も不適切な気がします。「作ろう!」と思っても出来るものでもないでしょう。「友達になろう」といって友達になるのって、なんかウソくさい気がします。と、いうのも「友達になろう」といって友達が増えたことが、私の記憶の中にないからです。今の友達との「友達になったきっかけ」なんて覚えていません。とくに小学校のころからの友達なんて。そんな感じでいいと思います。友達に「存在理由」なんて必要ない。「作らなければならない」という大人からのセリフに、どれだけの子供たちがプレッシャーを受けているか・・・・なんてこと大人はわかっていないんでしょうね。自分も何十年か前は子供だったのに・・・・。
+私はものすごい臆病者です。人間に対して・・・なんですが。自分でもイヤになるぐらい。人と話す時「これいったらなんて思うかな」とか「こんなこといったら嫌われるかな」とか言葉を口にする前に考えてしまうのです。なので心で思ったことの半分ぐらいしか言葉に出来ません。いや。半分も言葉にできたら上出来かも。
+「言葉を知らない」っていうのもあるかもしれません。思っていることを言葉にしてあらわせないことが時々あります。自分の中で知っている言葉を並べてみても、どの言葉にも当てはまらないのです。だから結局黙ってしまうのです。
+感情表現も下手くそです。「喜怒哀楽」が出来ないんです。と、いうか。自分の中ではかなりの表現をしているつもりなんですが、人に言わせると「伝わらない」そうです。
+自分で思うには、私の中に「自分を客観視する私」がもう一人いる気がするのです。冷めた目で自分を見てしまうので、感情を表している自分が何だかとっても恥ずかしく思えてしまうときがあるのです。とってもひねくれた性格なのかもしれません。かも・・というよりも、ひねくれているのです。
+「笑う」事が一番、正直にあらわせる感情です。「喜怒哀楽」でいうと「楽」でしょうか?「喜」は下手です。「喜び」の表現の仕方をあまり知りません。「怒」はきらい。「怒ること」にエネルギーを使うのが嫌いなので。一歩引いてとにかく感情を抑えることに集中します。「哀」は苦手。泣くことって一番恥ずかしいです。とくに人前。めちゃめちゃ感動屋サン(笑)なのですが、隠そうとします。一人の時はボロボロないていますがね。「悲しくて泣く」事は最近ありません。マンガやTVでの「感動」が多いかも。
+心で思ったことを行動にする。というのが本当に苦手。心で考えたことを一度、頭の回路を通過して行動に変換するので、「感情表現が下手」って言われるのかも。いろいろなところを通っている間に冷めちゃうんですね。きっと。
+別にある「家族」と似るかもしれませんが、あしからず。「親子」について考えてみました。
+まず、ウチの「親子関係」について。ウチは、「放任主義(無干渉)」です。小さい頃からうるさいことは一切言いません。しかし、会話が無かった・・・というわけでもないのです。両親は共働きです。一人でいる時間も多かったと思います。しかし、「淋しい」と思ったことはありません。基本的に一人でいるのは好きですし、姉がいますし、近所に祖母も住んでいるので。
+「勉強しなさい」というセリフも聞いた記憶がありません。「人に言われてやっても身に付かない」というのが母の意見です。あまり言われないと「やらなきゃヤバイかも」と自分で思うので、自主的にやるようになるのですよ。と、まぁ、これは私の場合であって「言われなきゃやらない人」にとってはこんな親、致命傷でしょう(笑)。私の性格をわかったうえでの考えだったようです。(と、かってに思っています(笑))
+私の私生活のことについて言うことは「掃除しろ」ぐらいですかね(笑)。さすがに最近は「仕事しろ」ともいいますけど(爆)。昼まで寝ていても「よくそんなに寝ていられるね」と言うぐらい。買い物についても言いませんね。「自分の金」を使っている以上、何も言いません。特に最近は自分で働いているので、まったく無干渉。友達と出かけるのも何も言いません。「え?!いないの?!」と、めちゃくちゃうれしそうだし(笑)。「誰と何処に行くか」ということを伝えて置けば、まったく何も言いません。逆に家に一人でおいて置く方が心配のようです。って、自分に用事があると、とっとと出かけてしまいますが(笑)。
+家族全体的にそれぞれがそれぞれに無干渉です(笑)。働いている時間がバラバラなので、生活時間もバラバラ。全員職種も違うので休みもバラバラ。たまに突然、平日に全員いたりするような家族です(笑)。
+・・・・と。こんなことを考え始めた理由は、とある友人に出会ってからです。彼女の目にコレが触れるとは思いませんが、先に誤っておきます。ココから先に書くことは、私の本心です。気に障ったらゴメンナサイ。
+彼女の家・・・と特定するつもりはありませんが、「親が子供にめちゃくちゃ執着(干渉)する家」ってありますよね。私の親がこんなだから・・・というのもあるかもしれませんが、本当に信じられません。年齢が一桁の小学生・・・とかならまだわかります。こんなご時世ですし、心配するのも。でも。中学生・・・せめて高校生と呼ばれるような年齢の子供に対しての心配の度合いは、変えていかないといけないと思うのです。
+例えば、「遊びに行こう」と言う時。別に旅行に行こうって、言っているわけではないのです。「電車やバスで1時間ぐらいの所に行こう」と言っているだけなのに。「親に聞いてみる」って。「は?」とは言いませんが(一応、友達だし)、ビックリしますね。「仕事の予定がわからない」というのはわかりますよ。社会人だし。仕事が優先というのは。でも。「親」は関係ないだろう・・・と、思うのですよ。「心配性なんだよ」と言い、その「親の意見」に「従ってしまう子供」も理解できませんね。何故、「行動まで親に制限されなくちゃいけないのさ」と思うのですが、私が間違っているのですかねぇ?
+はじめは「他の家庭はそんなものなのかなぁ・・・」と思うだけでした。それがこんな風に考えるようになったのは、そういう友達(Aちゃん)が「親にウソをついたとき」でした。学校帰りに、友達(Bちゃん)とカラオケに行こうという話になったのです。そういう話をしている時にたまたまAちゃんが通りかかったので、「一緒に行く?」と誘うと「行きたい!親に連絡するから待っていて」と。まぁ、突然のことだし、いつもより遅くなることを連絡するのは普通かな・・と思い、ケータイの会話を聞いていると、「授業の課題が終わらないから遅くなる」と言ったのですよ。コレはダメですね。ウソついちゃダメですよ。こういうウソは特にダメ。「カラオケ行くっていうと怒られるから」とAちゃんは言うのですが、「ウソついても怒られないのかなぁ・・・」と思いました。ウチの場合、確実に「ウソをついたこと」について怒られますね。その「ウソ」を聞いた時、「心配しているんじゃなくて、信用してないんじゃん」と、思いました。「子供を信じられない親」も悲しいですが、「親に信じられない子供」はもっと悲しいです。子供の立場として。「信じて欲しい」から「うそはつかない」が私の信念です(おおげさ(笑))。「黙っている」ことはありますね。言わないだけで、ウソは言っていないのでOKなのです(ダメじゃん)!
+今、親子関係が問題視されていますね。虐待とか家庭内暴力とか。どうなっているのでしょうね。今の世の中。ダメですね。過剰すぎる愛情が重荷になってしまうのでしょう。とある方が「最大限の愛情は最大限の暴力に変わる。人間の感情は振り子と同じ。」とおっしゃっていました。ご本人は冗談っぽく言っていましたが、私は心に残りました。(振り子は、支点をはさんで同じ大きさで振れるからです)
+それぞれの家に家庭があって、家庭の中には規則があって、それぞれルールが違うからいろんな考えをもった人がいるのですね。こういう友人に出会わなければ、こんなこと一生考えずに過ごしていたのでしょう。「私の家」が「普通」だと思い、「他の家庭も同じ」なんだと思っていました。「普通」なんて実はなかったりするのです。考えるきっかけをくれたことを感謝します。
+今はそうでもないのだけど、昔"家族"が大嫌いな時期がありました。人間の成長過程に一度はあると思うけど、本当にイヤでたまらなかったのです。反抗期っていうほどのものじゃないと思うのですが、とにかくイヤ。 ――「反抗」しているわけじゃなく勝手に嫌がっていました。なので多分こんなこと考えているなんて家族は、知らないかも。たまにぶち切れて勝手に怒っていましたが(笑)――。何がイヤって、全部イヤ(笑)やることなすこと本当にイヤ。そばにいるのもイヤ。我が家の人間はみんなビックリするぐらい自己中なので(笑)家では自分勝手。だけど外面がめちゃくちゃ良い!外の顔しか知らない人はウチに来てはいけません、驚きますよ(笑)
+一番ヒドイのは「人の話を聞かない」。本当にヒドイ。誰も誰の話も聞いてない(笑)家族4人でいて、まったく違う話をそれぞれがしていたりするからね。それはまだ私自信もそうなので(笑)どうでも良いのですが、他3人が私に向かって違う話をしてくる時。「俺は聖徳太子じゃなぇぇぇええ!」といった感じです。頭悪いので、わっけわかりません(笑)
+それでも母親は尊敬しています(恥)田舎人間なので・・・って言い方は間違っているかもしれませんが、学歴はありません。でも、「母親」としてはすばらしい人です。基本的にウチは放任主義(無干渉っていうのかな?)ですが、ちゃんと「子供」のことをわかってくれます。・・って、これは当たり前なのかなぁ・・?
+「自分勝手な家族」に、今はもう慣れましたのでなんとも思いませんが。なんとも思わないので、笑いながらこんな話書けるのだけど。今もたまにイヤになりますが(笑)
+「友達」ってなんなんでしょうね。一番簡単なようで、一番難しい存在だと思います。某マンガのセリフに『"友達"と"知り合い"の境界線はどこにあるのかな?』というのがありました。まさにその通り。何が何処までいったら「友達」で、何処までの関係だったら「知り合い」なのでしょうか?「友達」と「仲間」はまた違うのでしょうか?人間関係って難しいですね。
+一番難しいのは「親友」。どうなんでしょう?よくTVとかで「親友は何人います?」って言う質問に、「10人」とか「20人」と普通に答えている若者がいるけど、10人も親友がいたらかえってウザイだろう(笑)と思います。だって、「親友」ってそんな生半可な気持ちじゃ付き合えない関係だと思うし、安易に呼ぶものでもないと思うのです。堅く考えすぎなのか・・・と思いますが、私の中での「親友」の定義は、「一緒にいて楽な人」です。いろんな意味で。「友達」の定義も似たようなモノなので自分自身でも区別をつけづらいのですが、私自身が「壁を作るタイプの人間」なのでその「壁」がなくなった瞬間が「親友」の入り口かもしれません。