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2005年08月13日(土)
『佐原真の仕事4戦争の考古学』 

『佐原真の仕事4戦争の考古学』岩波書店 佐原真
わたしが考古学はじめたきっかけは佐原真氏の次ぎの言葉である。「人類の歴史300万年を仮に3mとすると、日本の場合最後の3mmで武器や戦争を持った。殺しあうことが人間の本能ではない。戦争は人間がつい最近作り出したものだから必ず捨てることが出来る」。氏がこれを言いだしたのが1985年の『家畜・奴隷・王墓・戦争』らしい。わたしは氏の大ファンであるから、氏の著作は比較的よく読んでいるほうなのだが、このシリーズは嬉しいことに既刊の著書に載っている論文は載せない方針らしい。よって初めて接する論文ばかりで大変嬉しかった。

念願の香川県紫雲出山遺跡の発掘報告書「石製武器の発達」も読むことが出来た。西日本における弥生時代の石矢じりの形と重さを丹念に調べ、狩猟のための矢じりから戦争のための矢じりに変わっていったことを証明して見せた記念碑的な報告書である。この論文がどこにも無かったので、わたしは高い瀬戸大橋を通って調べに行こうかと正直何度も計画したものである。

縄文時代にも確かに殺しあいはあった。しかし、本格的な戦争は無かった。氏の主張をわたしは支持する。

以下印象に残ったこと。

・弥生時代中期に、深くつきささりやすい形の石矢じりが近畿地方に出現し、高地性集落の出現とともに大量化している。
・朝鮮北西部にも投弾がある。
・沖縄も北海道も自らは本格的な武器は創らず、本土から入手していた。死の商人もいただろう。
・石矢じりは革よろいを貫かないが、骨は貫く。
・弥生、当時大陸に在りながら伝わらなかったもの。牧畜。陶製用ろくろ。戦車・車。乗馬の風習。城壁をめぐらした都市。のこぎり。文字。高度な科学知識・思想。
・縄文文化から伝わらなかったもの。大多数の摩製石器。耳飾り、腰飾り。石矢じり固定用の角製ネバサミ。呪術にかかわる特殊石器。ただし石剣、石棒はいくつか例外。又条研歯。
・弥生文化で固有の発達を遂げたもの。どうたく・武器形祭祀器。巴型銅器。貝輪の形をした銅製腕輪。打製石槍。ガラスまが玉。方形周溝墓。分銅型土製品。投弾。
・朝鮮半島南では食用の家畜は飼わなかった。こは日本にとって大きい。
始皇帝の兵馬ヨウはすべて去勢馬。日本はすべてオスの馬。義和団の変、向こうがメスの馬を放つものだから、日本の馬が騒いで収拾がつかなかったらしい。
(05.07.15記入)



2005年08月12日(金)
『中国怪食紀行』 小泉武夫

『中国怪食紀行』光文社知恵の森文庫 小泉武夫
食の薀蓄を語らせて雄、なおかつ古今東西のうまいものを食べつくしてきた著者であるが、その自信にはこのような『げてもの食い』の素地があった、というとたぶん著者には失礼になるのだろう。『げてものを求めたのではない。その証拠にすべて現地の人々はうまそうに食べているものばかりだ。ただ、わたしの舌はその度ごとに天国に上ったり地獄に落ちたりはしたのではあるが。』著者はおそらくこんな風に反論するに違いない。

いや、私とて卵かけご版が世界の人々にとっては『げてもの食い』の部類に入ることぐらいは知っております。(生の卵を好んで食べるのは日本人だけらしい佐原真『戦争の考古学』)だから彼が彼が虫を食べようと蛇を食べようと一向に驚かない。むしろ、彼が『おいしい』といっているものについてはぜひ食べたいと思う。わたしもだから『げてもの』好きなのである。別の言葉でいうと、好奇心が旺盛なのだ。だから小泉さんの著書をわたしは好む。

以下印象に残ったこと。

韓国木浦の「フクサンドホンオフェタク」(黒土産のエイの刺身と濁酒)の強烈な臭いはしかしおいしいらしい

蛇の肉はいつも動いていて、筋肉の固まりだからおいしいらしい。

木浦で魚醤を作っていた。ドラム缶で豪快な創り。

世界で最も臭い缶詰。スウェーデンの「シュールストレンミング」。ニシンの醗酵物。輸入不可。途中で爆発してしまうから。

『どうして中国人はたって食事をするのか』食べていることは豊かなこと。人に見られたいという気持ちからではないか。

「食い残しは豊かさの象徴」しかし、料理するとき残飯が出るのは嫌う。

スッポンが食べ始められたのは江戸時代から。別名「マル」これは中国ではスッポンを『団魚』(トンユイ)と書くから。中国では昔は亀を八徳を忘れた無道者として食べることは無かったが、今は中国南部ではよく食べられている。

固体醗酵によって白酒は出来る。だからアルコールは50〜60%。マオタイチュ、フェンチュ、ウーリャンイエチュ、シィフォンチュ、。など。薬用酒もこれに漬けて作る。曲とは麹。
(05.07.05記入)




2005年08月11日(木)
『吉備・山陽道』(日本の道シリーズ) 

『吉備・山陽道』(日本の道シリーズ) 毎日新聞社
昭和46年第一刷
文章のほうは池田弥三郎が『吉備の中山は津山のことだろう』とかとんでもないことを書いていて、つまらないが、この本の大部分をしめる写真のほうは貴重である。観光写真的なものも半分くらいはあるが、まだ高度成長の波に襲われていない田舎の風景を偶然にも写し取っている。いくつかある航空写真や何でも無い角の土塀は今では失われてしまった古代の姿を写し取っている。
(05.06.21記入)



2005年08月10日(水)
「韓国語はじめの一歩」 小倉紀蔵

「韓国語はじめの一歩」ちくま新書 小倉紀蔵
この本は発行と同時に買った。2000年1月のことである。それまで一回韓国に行っていたから、「カムサmニダ」とか「イゴジュセヨ」ぐらいの言葉は知っていた。いやそれぐらいの言葉しか知らない段階でこの本を読むと、最初の韓国語講座でつまずき、文化的な面の叙述に行く前に挫折したのである。ーーそれから5年。

『語学』の部分は出きるだけ軽く流して読んだほうが良かったのかもしれない。もともとこの本で韓国語の基礎を学ぼうと思ったほうが悪いのである。この本は韓国語に触れていく過程で起こるあれこれのエッセイなのだから。

その中で韓国語の美しさや文化に少しでも興味を持てば、この本の目的は達成するのであろう。例えば韓国の鶯はこのように鳴くのだそうだ。「モリコpケコpケピッコシジpカゴジゴ」。なるほど美しい言葉である。意味なんて知らなくても良いが、いちおう。「髪をきれいにきれいにすいてお嫁さんになりたい」。

儒教の国の筆に対する想いは特別である。「日本のもののふは刀で死んだが、朝鮮のソンビ(士)は筆で死んだ。」つまり理屈によって死ぬのである。黙して語るということは出来ないのだ。その辺りの事はお互いの国民は分からないといけないだろう。

この著者は一貫して朝鮮半島のことを『韓(から)くに』と書いてとおした。思うに、この著者も充分(日本人ではあるが)『文強の士』である。

(05.06.18記入)



2005年08月09日(火)
『手紙』東野圭吾

『手紙』毎日新聞社 東野圭吾
犯罪者の家族に焦点を当てた作品。心ならずも強盗殺人を起こしてしまった優しい兄、そして残された一人きりの家族の弟はどのように生きていくのだろうか。

わたしは当初、弟に何らかの事件がおきるのだろうと考えていた。しかし半ば過ぎても何も起きない。しかしそれが現実というものだろう。そして『現実』とはなんと厳しいものか。殺人犯の家族は常にこういう試練に逢わなくてはならないのだろうか。わたしは差別をすることはないだろうと、思ってみる。うーむ、分からない。

ラストは少し涙ぐむ。
(05.06.15記入)





2005年08月08日(月)
『闇先案内人』(下)

『闇先案内人』(下)
著者の描くキャラクターは、登場場面からすでに過去を背負いながら、しかも光彩を放ちながら出て来る。よって忘れがたい人物が多い。主人公の葛原は、その典型であるが、話が進むうちにどんどん隠れていた「タフさ」や「優しさ」や「賢さ」や「頑固」さが出てきて、どんどん魅力的になっていく。そうして、いつも女性のキャラも魅力的である。読み終わったあと、葛原や咲村、彼や彼女の今後はいったいどうなるのだろうと想いを馳せた。
(05.06.08記入)



2005年08月07日(日)
「闇先案内人」(上)  大沢在昌

しばらく更新するのを怠けていました。
まとめて更新します。

「闇先案内人」(上)文芸春秋  大沢在昌
葛原は関東で一番優秀な「逃がし屋」のリーダー。ある日、河内山警視正が彼に接触を持ち、「某独裁国家の政変を握る人物が日本に来ている。その人物には関西一の「逃がし屋」成滝がついている。その人物が某国に帰るまでに探し出して欲しい。」と依頼を受ける。葛原はチームの将来を守るため難しい仕事に着手する。

著者の本格ハードボイルド系の読み物である。著者はもしかしたら独自の『情報屋』を持っているのだろうか、一部設定がいやにリアルなのである。特に逃がし屋の手練手口、警察の指揮系統、反応がそうだ。読者のわれわれに現代の闇の一端を見せてくれる。情報屋も誰にも言えなかった秘密を打ち明け、小説が売れて小さな満足と喝采をあげているのかもしれない。
(05.06.08記入)



2005年08月06日(土)
『ゲームの名は誘拐』 東野圭吾

『ゲームの名は誘拐』光文社 東野圭吾
宣伝会社の佐久間は日星自動車へのプレゼンテ−ションを突然おろされる。佐久間は自分をおろした葛城社長の鼻をあかすため、偶然見かけた佐久間の愛人の娘、樹理の家出を手伝い、誘拐ゲームをはじめる。完全犯罪は達成されたかに見えたのだが…。
佐久間の頭の良さは認めるが、読者としては裏があると思いながら読んでいるのだから、あれでは途中で気がついてもよさそうなものだと私などは思うのではあるが。
(05.06.07記入)



2005年08月05日(金)
「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか」アレン・ネルソン

「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか」講談社 アレン・ネルソン
原爆被爆者の語りべ、沖縄戦の語りべ、いろんな語りべがいる。その方たちに思い出したくないことを語ってもらうことで、私たち戦争を知らない子供たちは、戦争を『想像力』でもって追体験し、戦争のない未来を築く力を得ていく。

しかし日本に南京事件の語りべはいるだろうか、沖縄の兵士側の語りべはいるだろうか、ほとんどいないのではないだろうか。無理のないことではある。それほど、加害者の側に立つ経験や記憶というものは思いだしたくないことなのだろう。その意味でアレン・ネルソン氏は貴重である。彼はベトナム戦争から帰ってきたあとPTSD(心的外傷後ストレス精神障害)になる。それを克服したきっかけが、この表題作に関連するのであるが、その後、ネルソンさんは「人を殺した経験」の語りべとなる。

一般的に本を読むよりはその人の話を実際に聞いた方がより深く自分の中にイメージが入っていくだろう。話を聞くよりも自分が経験したほうがさらに深く刻みつけれるだろう。いかんせんこの場合、それ(戦争で人を殺す経験)だけはしてはいけない。出来ることならネルソンさんの話を聞いたほうが良いだろうが、わたしはまずは松本ヒロのパフォーマンスでこのエピソードを聞き、涙し、興味を覚えた。そして本を読んだ。話のあらすじよりも、言葉の細部に注目すること。そのことが大切だろう、と思う。子供向けの本であるが、大人にも充分衝撃的である。
(05.06.07記入)



2005年08月04日(木)
「将棋の子」 大崎善生

「将棋の子」講談社文庫 大崎善生
「生きる」ということはどういうことなのだろうか。ひとつの典型がここにあった。ような気がしてならない。

将棋の奨励会の制度は残酷な制度だ。少年時代から青年まで将棋のみに打ち込んだあと、一部をのぞいて去っていかざるを得ない。

将棋の元天才少年たちはいろんな壁にぶち当たり、若くして奨励会を去っていく。彼らの後の人生はどうなるのだろうか。このルポで一番分量を割いている成田英二のように、パチンコの店員になり、借金で追われて日雇いになっていく人生もあるかもしれない。しかし成田は明るい。なぜなのだろう。

世界を転々と放浪し、ブラジルのジャングルの奥で終の住処を見つけ、ふと参加した世界将棋選手権で優勝し、そのニュースだけが伝わってくるような元奨励会会員もいた。

羽生たちの少し前を走っていたために、佐藤や森内、57年組の台風にもろにぶち当たりスランプに陥り、辞めていった米谷和典という青年もいた。彼は、いろんな職を転々としたあと自分の力量だけで不動産会社で一人前以上の仕事をする。しかし、それでも倦怠感が拭いきれない。昔の後悔が蘇ってくる。「甘えというぬるま湯。わずかに緩めてしまった自分自身の手綱。あっという間に襲いかかってきた天才軍団。停滞、苦悩、遊びという現実逃避、そして挫折。」米谷は常人には出来ない集中力で勉強をして、1年後一発で司法書士の国家試験に合格する。私にはこのエピソードと成田のエピソードが同じ土俵に思えた。『生きる』とはどういうことなのか。ここにでてくる元天才少年たちはみな将棋からかけがえのないものをもらっていた。それは駒のように小さい、しかし重い『誇り』と呼ばれているものである。
(05.07.06記入)