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2005年08月03日(水)
「一人分・電子レンジレシピ」 村上祥子

「一人分・電子レンジレシピ」長岡書店 村上祥子
この春より自炊と弁当をはじめました。調理道具はカセットコンロとレンジしか持っていないわたしは、これまでのところは冷凍食品、レトルト、一人鍋、レンジの卵理料理くらいしか「レパートリー」はなく、それを広げるためにこの本を紐解きました。

「さわらの味噌焼きとキャベツとがんもどきの煮物」「小松菜の中華ソテー」「にら玉とトマトスープ」「キャベツとひき肉のいためもの」「肉じゃが」「かぼちゃ、サトイモの煮物」「さばの味噌煮」「ミネストローネ」「たたききゅうりのラー油サラダ」とりあえず、試してみようと決心している料理の一覧です。
(05.07.06記入)



2005年08月02日(火)
『顔』 横山秀夫

『顔』徳間文庫 横山秀夫
横山秀夫氏の「直木賞騒動」とはいったいなんだったのだろう。調べたら分かることなのかもしれないが、わたしはひとつ確信した。結局あれは氏の『誇り』の問題だったのだ。

「男が、自分の中の男をより際立たせようと競い合う警察社会。そうした男たちの誇りを傷つけないように常に神経をピリピリさせながら、婦警は心の片隅で、自分たちもれっきとした組織の一員なのだと声無き声で叫びつづけている。必死で戦っている。」テレビ番組にもなったこのシリーズだし、このシリーズの前の短編も読んでいたので、全編似顔絵婦警平野が活躍するのかと思えば、シリーズ当初から平野は似顔絵担当から外されている。そんな平野が自分の『誇り』を取り戻す。これはそんな物語だ。

横山秀夫氏は常に『誇り』を描いていた。自らは記者として警察署内の『新聞社へのサービス』『新聞記事のコントロールのため』設けられた『記者クラブ』に常駐しながら、きっとも自らの『誇り』を磨きつづけていたに違いないと思う。
(05.07.06記入)



2005年08月01日(月)
「物忘れを防ぐ28の方法」 米山公啓

「物忘れを防ぐ28の方法」集英社文庫 米山公啓
記憶力を鍛える本はたくさんあると思うが、中年を過ぎると物忘れがひどくなってくる、アルツハイマーではないか等要らない心配までしだす。そいう心配に答え、かつ記憶力を高めるコツを教えてくれる本ということで、この本は中年以上の人にお勧め。

以下、記憶すべきコツをいくつかメモ書き。
○小脳に『回路』をつくるくらいに何度も繰り返すこと。
○関心のある単語、文章から覚える。
○普通なら覚えた言葉は海馬の中で10数秒で忘れる。印象的な記憶が必要。
○エピソード記憶、意味的記憶、体を使って覚えた記憶の順番に忘れやすい。
○リラックスを心がける。笑顔や昼寝も記憶には効果的。わたしなら他に、コーヒーを飲む、達成可能な目標設定にする、というのも効果的かもしれない。
○糖の摂取も効果的。休憩時間は甘いものを食べる。
○忘れ物が多くなる病気はアルツハイマーだけではない。脳卒中、脳腫瘍、慢性硬膜化血腫、甲状腺機能低下症、うつ病。正しく症状を把握し、医者に相談する。
(05.06.03記入)



2005年07月31日(日)
「吉野ヶ里」佐古和枝 早川和子

「吉野ヶ里」草思社91年刊 佐古和枝 早川和子
漢字にルビを振っているので、小学生・中学生の学習用として企画したのかもしれないが、内容的には1991年までに分かっていた考古学的知識が総動員されている。学術的にも最先端のことが書かれてあると思った。

しかしこの本の特徴はそれだけではない。学術的用語は極力使わず、会話体を多くし、隣の中国の動きを常に視野にいれながら、まるで吉野ヶ里という『弥生都市』を舞台にした大河小説のダイジェストみたいな体裁を持っている。読んでいてイメージが次々と沸く。

そのためにはいくつかの『冒険』もしている。一般に考古学者というのは、こういう解説書では定説しか書かなかったり、定説になっていないところはさまざまな説を紹介した上で自説を展開して『難解な文章』になりがちである。佐古氏は一番意見が分かれる邪馬台国の場所やら吉野ヶ里の国の名前などは、「筑後平野の一角に邪馬台国」「吉野ヶ里は弥奴国の中心地」だと決めて話を進めてしまっている。いろいろと反論のあるところかもしれないが、わたしは『分かりやすくて』とても良いと思う。今大切なのは弥生時代とはどういう時代だったのかイメージを広げることだ。ここにはちょっと前の教科書(今もか)では思いもつかない、ダイナミックで豊かな日本の黎明期が姿を現す。興味を持った人はさらに難しい学問の世界にはいればよいだろう。

イメージ創りに大きな役割を果たしているのは早川和子氏のイラストである。早川氏は弥生時代のイラストを描いたらおそらく日本で第一人者であろう。優しい線に似あわず、考古学的知識は第一級で、この人のイラストなら文章の中にはでてこない人々の髪型、服装などはもちろん、子供や老人の表情まで信頼できる。またイラストには、吉野ヶ里の俯瞰図や、アジア地図も在り、手書きイラストならではの分かりやすさがある。
(05.05.26記入)



2005年07月30日(土)
『テロリストのパラソル』藤原伊織

『テロリストのパラソル』藤原伊織
アル中の男が公園にねそべっている。少女が近づき、少し仲良くなる。男親が心配してやってくる。男は弁解する。「二人で世の中の真理について話していたんです」
冒頭のこの場面を読んでわたしは誰にも聞こえない声で『ビンゴ』とつぶやいた。初めて読む小説家で、最初から魅了してくれる小説にであえる可能性というのは、喫茶店でたまたま隣り合わせになった女性と付き合いに至る可能性よりは大きくはない。

期待通り、アル中の男はアル中のまま、ノーテンキに、粘り強く、男の魅力を振りまきながら、新宿中央公園爆破事件の犯人を追い詰める。途中の展開に少し無理があるのではないかと心配したが、最後は見事に着地した。まさかこれがミステリー小説第一作目だとは。主人公と同じく著者は東大卒の中年のおじさんである。

冒頭、宗教勧誘らしき若者が主人公の中年と一言二言交じわしたあと、肯いて言う。「やるじゃん、おっさん」
(05.05.26記入)



2005年07月29日(金)
『漂白の牙』 熊谷達也

『漂白の牙』集英社 熊谷達也
同じ現代の動物小説であるが、『ウエンカムイの爪』より格段に面白くなっている。ひとつの謎がもうひとつの謎を呼ぶという構成。多人称形式の構成も唯一分からない狼らしき動物の存在があるからうまいこと作用している。ただ、話を面白くするためか、ミステリー形式にしてしまった。雪の中の行進や動物描写は非常にリアリティがあるだけに、謎解き部分で話を創りすぎてしまったかもしれない。その後著者がミステリーから離れたのは正解だっただろう。
(05.05.24記入)



2005年07月28日(木)
「韓国現代詩選」茨木のり子翻訳

たとえばホン・ユンスク(洪充淑)「人を探しています」の詩を読むと、世界のどこでも共通する普遍性を感じる。しかし、一方で彼女は、青春時代が朝鮮戦争のときで、今はもう故郷に帰ることができないという事情を持つ。そういう事を知って読むとまた、別の感情が沸くのである。


カン・ウンギョ(かん恩喬)

「芥子粒のうた」

そんなに大きくなくっても
いい
そんなに熱くなくっても
いい
芥子粒ぐらいだったら
いいの
芥子粒に吹く風であれば
じゅうぶん

チョウ・ピョンファ(趙ぴょん華)
1921−、八方美人(パルパンミイン)万能選手

「たそがれ
 私の自画像」

捨てるべきものは捨ててきました
捨ててはいけないものまで捨ててきました
そして御覧のとうりです

ホン・ユンスク(洪充淑)
  1925− 平安北道 定州郡 出生

「人を探しています」

人を探しています
年は はたち
背は 中くらい
うすももいろの膝小僧 鹿の瞳
ふくらんだ胸
ひとかかえのつつじ色の愛
陽だけをいっぱい入れた籠ひとつ頭に載せて
ある日 黙ったまま 家を出て行きました
誰かごらんになったことはありませんか
こんな世間知らずの ねんね
もしかしたら今頃は からっぽの籠に
白髪と悔恨を載せて
見知らぬ町 うすぐらい市場なんかを
さまよい歩き綿のように疲れはて眠っていたりするのでは
連絡おねがいします
宛先は
私書箱 追憶局 迷子保護所
懸賞金は
わたしの残った生涯 すべてを賭けます

李海仁(イヘイン)
釜山の修道院の女性。

誰かがわたしのなかで

誰かが わたしのなかで
咳をしている
冬の木のようにさびしくて
まっすぐな人が ひとり 立っている

彼はしわがれ声のままで
わたしを呼ぶのだが
わたしは気軽に応答できず
空ばかり眺めている もどかしさよ

わたしが彼を
寂しがらせたのだろうか
彼がわたしを
疼かせているのだろうか
謙虚なその人は
わたしのなかで
つづけざまに咳こみ

わたしはさらに語るべき言葉を失っていく
あてどない悲しみよ

ファン・ミョンゴル(黄明ゴル)
1935−平壌出身  1970年代東亜日報解雇

「焼酎のように冷たく熱く」
たとえ酒を呑もうとも
焼酎のように冷たく熱く
この世を生き抜いてゆこうとした
ところで今日はどうしたわけか
何杯かの酒にしどろもどろ
酒までこぼすていたらく
とうとう通りでぶっ倒れた
星もさむざむふるえる夜
町は隅々まで切り裂くような刃の風で
ごたつていた今日の昼の
うそ寒い事態のように
すべてのものが氷りつく
硬くこわばってゆくからだ
寒さが血を凍らせて
風が皮膚をえぐってゆく
しかしだ、しべりやの極寒も
血の流れを止めることはできず
皮膚を切る氷の刃いくら深くたって
熱い内臓は取り出せないだろう
それは星がいくら寒さにふるえても
落っこちてこないのとおんなじだ
おもえば、あんなにも活発にいきいきと
廻っていた輪転機
あんなにも元気よく声をはりあげて町を
走り出す新聞売りの少年
彼のように起き出さなければならない
彼のように走り出さなければならない
のんだくれ 冬の酔っ払いめが
氷点下のこの町で
よしんば酒を呑むとしてもだ
浮世や 焼酎のように
冷たく熱く 生きてゆこう
冷たく熱く 生きてゆこう



2005年07月27日(水)
「それぞれの『戦争論』」 川田忠明

「それぞれの『戦争論』」唯学書房 川田忠明
先日ね著者の講演を聞く機会があった。川田氏が平和運動にかかわったのは、大学時代、原水爆禁止世界大会に初めて行って被爆者の話を聞いたとき、ショックを受けたのがきっかけであったという。「知識と実際に体験した人の話の間には大きなギャップがある」
この本を作る時、小林よしのりの『戦争論』が念頭にあったという。「結論は同であれ、その出発点には肯くことが出来るところがある。小林氏は知識で反戦を唱えるものを批判している、戦争をしたものは人生を賭けて命がけで戦ったんだと。若者は(こいつ真剣にものを言っている)と捉えたのではないか。」私は別の面からアプローチしてみようと思う。戦争の加害者、被害者の生の声を載せて、戦争の実態を両方の目から見てみよう。その上で読者に判断してもらおう。」とのことでした。この本のまえがきには「戦争を議論するための知識ではなく、それを想像するきっかけを提供する」ために書いたとある。
この本には、南京で何人死んだか、原爆で何十万人が死んだか、ベトナムで、イラクで、パレスチナで何人死に、殺されたかを問題にしていない。どのように殺されていったのか、殺した人の気持ちはどうだったのか、を問題にしている。
本で編集上落としたことで印象に残っている言葉として、もとベトナム帰還兵のアレンネルソン氏の言葉を紹介していた。ネルソン氏は帰還後PTSDを患ったのであるが「自分は人を殺したんだ。」と認めない限りは、立ち直ることが無いという。『日本全体がPTSDを患っている。アジアに何をやったか認めない限りは決して直らないだろう。」もちろん『認める』ということは言葉で「ごめんなさい」といった舌の根も乾かないうちに、殺した側を神として祭りあげることではもちろん無いだろう。
(05.05.15記入)



2005年07月26日(火)
『ドリームバスター』 宮部みゆき

『ドリームバスター』徳間書店 宮部みゆき
夢の中の『怪物』と戦うドリームバスターとD・P(ドリームパーソン)たちの物語である。SF好きの人間から見たら、それほど奇抜な物語ではない。語り手が時にはドリームバスターだったり、D・Pだったり、他の人だったり、いつもの宮部特有の『しかけ』があるわけではない、とそう思っていた。しかし、さすが語りのうまさもあって、ぐいぐいと最後まで読ませる、人の心の中にあるトラウマと戦う物語なのかな、とそう思っていた。最後の1行までは。 なんだか一筋縄では行きそうに無い。もしかしたら、第一巻は大長編の序章に過ぎないのではないか、そんなことも思わせる本であった。
(05.05.13記入)



2005年07月25日(月)
『ルポ戦争協力拒否』 吉田敏浩

『ルポ戦争協力拒否』岩波新書 吉田敏浩
二つの特徴がある。ひとつは、この間加速度的に現実味をを帯びてきた『戦争のできる国』の背景を非常に良く勉強しており、これ一冊だけで簡単なレジメが出来るような内容になっている(91年PKO協力法から04年有事法制の内容、政治家の問題発言、自衛隊装備の紹介等)。ひとつは、昨年末までの情勢、ならびに背景、ならびに当事者の声を精力的にひろっていて、まさに速報性が重視される『ジャーナリズム』の要請にきちんと応えているということである。

自衛隊員や、企業の従業員は『命令』を拒否できるのか、出来るとしたらその根拠はなにか、学者の研究を待つようでは遅すぎる。法律家や運動家に聞いて、『拒否できるのだ』と示しているのは現代の希望だろう。まだ『命令』自体が自分に降りかかるとは思っていない国民がほとんどの御時勢、『今闘っておかないと手遅れになる』と自覚的に運動している人たちを丁寧に紹介している。また、チラシを配っただけで逮捕する相手側の法的根拠はなにか、その根拠の矛盾などを紹介して『しのび寄る統制の足音』に警笛を鳴らしている。

「(たとえ自衛隊の任務を格上げしても)憲法九条がある限り、自衛隊の主たる任務を防衛出動の範囲以上にまでは拡大できない。憲法は軍法会議も認めていません。」「海外派遣を断っても、その行為を受け入れる世論があれば、自衛官も家族も孤立感を感じずに『行きません』と断ることができる」ある運動家のこの指摘は重要だろう。


と、いうことで簡単なレジメを作ってみました。
つまりこの本の概略で、学習用のメモです。



《戦争のできる国へ》
1980『武力行使の目的を持たないで部隊を海外に派遣することは憲法情許されないわけではない』
1991ペルシャ湾へ機雷掃海艇を
1992PKO協力法
2001・10「テロ対策特別措置法」わずか三週間で成立「停戦の合意」や「中立的な立場の堅持」は脇に追いやられ、米軍への兵站支援。初めて戦時に自衛隊海外派遣に。
2003・7「イラク特措法」外国領土へ陸上部隊や航空部隊が。米英軍への兵站支援も。
2004/6/27小泉党首討論会で『集団的自衛権を行使できない。それはかしい。憲法を改正すべきだ。』わざと政府見解と違ったことを言ってみせる。
2004/7/21アーミテージ米国務副長官『憲法九条が日米同盟関係の妨げのひとつになっているという認識はある』
  2003・4経済同友会改憲意見書「集団的自衛権の容認」「場合によっては米軍とともに海外で武力行使をするべき」
  アメリカにとって都合のいい国際秩序つくり  イラクの国連決議違反を非難する一方で40以上のイスラエル非難決議はアメリカが拒否権で葬ってきた。(ダブルスタンダード)独裁者だと非難するが、、チリのピノチェト、パナマのノリエガ、フィリピンのマルコス、インドネシアのスハルト、現在はウズベキスタンのカリモフ、絶対王制のサウジアラビアやクウェートも支援している。

1999周辺事態法2003有事関連三法2004有事関連七法
『アメリカが起こす戦争に日本が荷担することで、それが飛び火して『日本有事』になる。政府は自衛隊を参戦させ、国民を統制し戦争協力をさせようとする。こが最も起こりうる「有事」だ。』

2004/11自民党改憲草案『徴兵制は容認しない』『国民は国家独立と安全を守る責務を有する』『首相は国家緊急事態を布告できる。そのとき国民の基本的権利、自由は最小限制限できる』その後撤回。

→これらの動きを、国民は自覚していないが、アジアの国民は自覚している。05年反日運動に繋がる。

《自衛隊は命令を拒否できるか》
2003/3/20旭川市でのイラク派遣。護国神社の絵馬には『イラク派遣無事帰国できますように』『サーヤが無事イラクから帰ってきますように』遺書を書いて出発する隊員が何人もいた。
2004/12/10『防衛計画の大綱』自衛隊法を改めて海外任務を本来任務に格上げさせるという文章。現在はあくまで付属任務。命令を断る法律根拠はある。

2004自衛隊軍事力。隊員238,579人。軍事費4兆8764億円。世界でもアメリカ、ロシアに次ぐ額。補給艦の大型化(「とわだ」「ましゅう」「おうみ」)。ヘリコプター空母型護衛艦が2隻作られる予定。事実上の軽空母。最新鋭型のイージス護衛艦二隻もつくられる。(戦車10両と330人、強襲上陸用船艇二隻)強襲揚陸艦三隻はすでに配備(「おおすみ」)「空飛ぶ指令塔』AWACSは2000年から配備。C−1輸送機の後継機大型輸送機CXを開発中。2010年完成24機導入予定。6500キロの航続距離を持つ空中給油・輸送機KC−767も四機2006年より導入。←これは『専主防衛』にふさわしくないと近隣各国の警戒感を呼び起こしている。軍事偵察衛星も二基2003年に打ち上げた。

(たとえ自衛隊の任務を格上げしても)『憲法九条がある限り、自衛隊の主たる任務を防衛出動の範囲以上にまでは拡大できない。憲法は軍法会議も認めていません。」
『海外派遣を断っても、その行為を受け入れる世論があれば、自衛官も家族も孤立感を感じずに『行きません』と断ることができる』

増える自衛体内での自殺。人権侵害の事例が増えている。『どんな組織でも常日頃から人権が保証されていなければ、ましてや有事に人権が保証されるはずが無い。』

《有事体制を拒否する人々》
200310/27国会答弁 自衛隊法民間に命令する『業務従事命令』『効力が及ぶのは対企業までであって、そこから先は労働基準法の分野になる。』←ここでも『拒否できるのだ』という世論の喚起が大切←根拠1968『千代田丸事件最高裁判決』憲法第19条『思想心情の自由』

2005国民保護法にもとずく住民訓練を行う予定。

《自由にものも言えない社会に抗して》
2004/2/27立川チラシ配布逮捕事件 75日の拘留の後仮釈放。12月地裁無罪。政府控訴中。『住居進入罪』
2004/3/3『赤旗』号外配布事件 社会保険庁職員「国家公務員法」33年間起訴されることは無かったのに。
2003/4反戦落書き事件『建造物損壊罪』04/2有罪。04/9控訴破棄。最高裁に上告中。

《戦争の加害者にも被害者にもならない》
(05.05.11記入)