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2005年06月04日(土) ■ |
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98映画ノートから「この森で、天使はバスを降りた」 |
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98.07.26 シネマ・クレール 「この森で、天使はバスを降りた」 96米作品、リー・デビット・ズロートフ監督脚本、アリソン・エりオット、エレン・バースティン、ウィル・パットン やられた…と思った。映画の短いストーリーで彼女のことはわかっていたと思っていた。しかし、わかっていなかった。そうしてそういう人には分からない傷を抱えた人たちが北アメリカの田舎町の食堂「ザ・スピリット・グリル」に集う。それはその地方の普通の町なのだろう。排他的なところもあれば、みんなで作文コンクールの文を回し読みをする求心的部分もある。あるいは新しい食堂経営者を迎えるオープンな部分もある。だから彼女の死には、参ったし、そのあとの作文の当選者がバスから降りてやってくるところではついやられてしまったのた。いい映画を見た…そいう気がした。
《現在の感想》 アメリカ映画は時々こんな日常を大切にする映画を作る。 アメリカ映画の懐の深さを実感できる作品。 その後日本でなんだかパロディみたいな作品も作られたが、 この邦題は近年の傑作のひとつだろう。
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2005年06月03日(金) ■ |
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98映画ノートから「GODZILLA」 |
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98.07.11 テアトル岡山 「GODZILLA」 ローランド・エメリッヒ監督・脚本、ディーン・デブリン製作・脚本、 マシュー・ブロデリック、ジャン・レノ、ハンク・アザリア、ハリー・シアラー、 マリア・ピティロ、アザベラ・フィールド
最初、爬虫類の目線から見た、核実験の映像が写る。GODZILLAなかなかやるじゃない。という印象で始まる。しかし、その後はどうしようもない。これは明らかに「ゴジラ」ではない。単なるジェラシックパークである。エイリアンの影響もあるかもしれない。フランスの核実験でイクアナが異常進化したGODZILLAと、アメリカの水爆実験で古代恐竜が異常変化したゴジラはそもそもが違うのだ。よって、日米軍隊がいかなる手段を使っても殺せ得なかったゴジラと違い、GODZILLAはF18のミサイルを何発も被って普通の生き物同様息絶えてしまう。GODZILLAと目と鼻の先まで主人公が異常接近してしまうということ自体が日本人にとっては神をも恐れない仕業なのだが、アメリカ人はそもそもGODZILLAに神を感じてないのだから、それでいいのだ。
《現在の感想》 この感想を観て改めて思ったのであるが、アメリカという国は絶対に自分の国の核兵器の「罪」を認めていないのだな、わざわざフランスの核実験にするところなんか、どうしようもない。
さて、鳴り物入りで始まったアメリカの「ゴジラ」映画を観た直後に私はこういう感想を書いたのだが、その後ほとんどの日本人が同じ感想を抱いていたことを知った。しかも、いかにも続編作ります、といった感じで終わったにもかかわらず、ついに続編は作られなかった。アメリカ人もこの「ゴジラ」は違うと感じたためだと思う。ゴジラは決して戦闘機ごときで死んではいけない。そのことにアメリカ国民も気がついたのだと信じたい。(最近の状況を見ると希望的観測に過ぎないような気もするが)
まるでアメリカ版ゴジラ騒動に決着をつけるように、去年の「ゴジラファイナルウォーズ」では、ゴジラが「ジラ」を二秒でやっつけたのは、かえすがえすも痛快ごとであった。
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2005年06月02日(木) ■ |
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98映画ノートから「ラブ・ソング」 |
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98.05.02 シネマ・クレール 「ラ ブ ・ ソ ン グ」 ピーター・チャン監督・製作96年香港映画 レオン・ライ/マギー・チャン/エリック・ツァン/クリスティ・ヤン
最初の場面、レオンが香港駅に着いたとき、背中合わせに寄りかかってお互い眠っていた相手が起きたので、ガクンときてレオンも目を覚ます。「私が監督ならこの背中しか見せなかった相手をマギー・チャンにするのにな…」と思ってみていたら、最後の最後でこの相手を明かしてまさしくマギーであったことがわかる。「運命の赤い絲」が繋がっていたということを最後で明かすという心にくい設定。
恋愛映画のパターンによくある10年間にも及ぶ2人の心と体の「すれ違い」の物語。しかし少しもわざとらしくない。そして都合のいい物語ではなかった。それはひとえに2人の自然な演技と監督のていねいな描写によるものだ。だから、ニューヨークの大都会で、二人が出会うことを祝福できたのだ。映画が終わって場内が明るくなったとき、どの人も幸せそうな顔をしていた。こういう映画は文句なく名作なのである。
《現在の感想》 「インファナル・アフェア」で再び香港映画が注目されている現在、レオン・ライもエリック・ツァンも若々しく感慨深い。
中国からの出稼ぎ労働者、返還を前にアメリカに逃げていく人たち、99年の香港返還を前に、今の香港を何とかして記憶に刻み付けたいと思ったのか、二人の恋がそのまま香港の運命にも重なっているようにも感じられる作品。丁寧な撮影であった。さらに今年没後10年になるテレサ・テンの曲が効果的に使われており、改めて彼女の存在の大きさが分かる。
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2005年06月01日(水) ■ |
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98映画ノートから「恋愛小説家」 |
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98.05.10 メルパ 「恋愛小説家」 ジェームズ・L・ブルックス監督・脚本マーク・アンドラス脚本 ジャック・ニコルソン/へレン・ハント/グレッグ・キニア/キューバ・グッディングJr/ジル
マンハッタンに暮らす独身の人気恋愛小説家・メルビン・ユードルは、ブルックリンにぜんそくもちの子供と母親とで暮らすシングルマザーのウエトレス・キャロルが気になって仕方ない。彼の毒舌はいつものことだ。彼は異常な潔癖症で、自分で自分のことを言うかのようにまず相手の悪いことだけをいう。そういう彼に向かって面と向かって愛情込めて注意したのがキャロルだ。彼はウエトレスが気に入った。恋愛感情が芽生えたとは思っていない。彼に必要なのはそのことを率直に認め言葉に出すことだったのだが…。
メルビンはとんでもない嫌なやつだ。本来なら80になって偏屈じいさんとして死んでいく人間だ。しかし60になる前にすばらしい人と結ばれ(そうになっ)たのは、彼が、小説家という知的階級だったからではないのか。彼には金があった。自分を分析する理性もあった。あとは自分を変えることだ…。「僕は薬が大嫌いなんだ。でも君にあってから薬をのみ出した。」「それがどうしてほめ言葉なの…」「僕は少しいい人間になりたくなった。」なかなか歴史に残る口説き文句ではある。「だれも君がすてきだということに気がついていない。でも僕は違う。君のすてきさに気がついている自分を、誇りに思っている。」こんな歯の浮くような科白も、時には必要なのだ。
《現在の感想》 映画でいくら口説きの名文句を知ったところで、実際に使えなければ意味がない。と、いうのが現在の感想です。
でも彼を変えるためには彼を変えるだけの「動機」が必要である。そういう意味では女も試されてはいるでしょう。
ところで今日は映画の日で、「サイドウェイ」を観た。男の主人公は、いい女を前にワインの薀蓄を延々と語るしか能のないだめ男である。さて男の運命やいかに……。「恥ずかしい」映画ではあった。
ところでこの「恋愛小説家」のニコルソンもずいぶん恥ずかしい。確かヘレン・ハントと主演賞のダブル受賞だったと思うが、それほど迫真の演技とは思えなかった。それよりかただ恥ずかしい。恥ずかしい思い出だけがある。 (なんのこっちゃ)今日はこれまで。
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2005年05月31日(火) ■ |
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98映画ノートから「スリング・ブレイド」 |
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98.3.28 シネマ・クレール 「スリング・ブレイド」 監督・脚色・主演ビリー・ボブ・ソートン/ルーカス・ブラック/ドワイト・ヨーカスジョン・リッター/ナタリー・キャナディ 始まってしばらくすると、これはアメリカ版「うなぎ」だと思った。母親と同級生の情事を観て二人を殺してしまった12才の主人公、悪いとは思わなかった。しかし、男は精神病棟に入れられ、25年ぶりに娑婆に出る。男はどうやって自分を取り戻すことができるのか。「うなぎ」とおなじように、人と人との関係の中から彼は自分が必要とされていること、人を思いやる気持ちを学ぶのだ。しかし、アメリカと日本は違う。
アメリカではやはり「聖書」が彼の倫理を支えるのに重要な役割を果たす。彼は人を殺すことはよくないことであることを聖書によって学んだ。聖書は「わかるところもあるし、わからないところもある」という。それがなになのか具体的には語られなかったが、まさに映画はその部分をかたたったのである。最後にルーカス親子を助けるために、人を殺すところを、この映画は悪いことだとは描いていないようだ。聖書は許さないが、しかしアメリカ人は許してしまう罪をここでは描いている。日本の「うなぎ」では、また殺人を起こすなんてだれも予想ししなかったし、実際にしなかった。アメリカの場合は、最初からその危険を孕みながら緊迫した画面が続いた。
正義のための戦争が支持される世界がここにある。
ドワイト・ヨーカス演じる敵役はほんとに嫌な奴である。人を悪し様にいっては「冗談だよ」といって人を侮辱する。しかし日本では彼は絶対生きていけない。彼は孤立するだろう。母親は彼に男としての魅力を感じながらも、子供のために身を引くだろう。よって日本ではここのような悲劇は生まれようもないのである。そういう難しいことを考えたいい映画だった。
《現在の感想》 私が初めてビリー・ボブ・ソートンを認識した作品。それまでも彼を見ていたのかもしれないが、たぶん気がついていなかった。これより意識して彼の名前を追うようになると、その演技力もさることながら、そのカメレオン俳優ぶりにいつもびっくりした。
この頃アメリカの「正義のための戦争」という言葉が頻繁に出るのは、決してアフガンやイラク戦争を予見していたからではなくて(<当たり前)、いまだ湾岸戦争のことが頭から離れていなかったからに他ならない。
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2005年05月30日(月) ■ |
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98旅ノートから「東京への旅」 |
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過去の映画の感想集のつもりであったが、なぜか映画ノートの中に、98年の旅の記録が紛れていた。読んでみて、どこにも発表しないのはもったいないので、ここに記す(^^;)
4 . 1 7 東 京 へ の 旅 4月17日東京はどしゃ降りの雨になった。岡山は蒸し暑い曇り空で雨一つ落ちなかったというのに、私はなぜか東京の明治公園にいて、シャツ一枚着て、体を半分ぐらい濡らしながら、1時間ほどの集会に参加していた。労働組合の指名ストで、労働法制反対の国会要請と集会に参加する一団に加わっていたのだ。 私がジャンパーももってこないで身軽な格好をしていたのにはわけがある。その日の一日前の天気予報では東京は3日ぐらい晴が続いて暑くなると思っていたからだし、集会に参加したあと、2日東京に残ってしっかり東京散歩を楽しもうと計画していたからた。 集会のあと、私は「びしゃこ」になっていたにもかかわらずこの後の久しぶりの「旅」に気持ちが華やいでいた。
まずは浅草にいく。浅草演芸場が目当てだったが、昼におもしろい咄家が集中していて、夜の部は圓窓のみだったので、またあしたこよう、ということにした。浅草ロック座に入ろうかとずいぶん迷った。6000円も払ってあまり有名じゃない娘のヌード見ても仕方ないと止めた。今は後悔している。浅草辺りを3時間、食べ物を捜してうろうろした。まずは案内本をゆっくり見ようとインド料理店で1100円のカレーセットを食べる。その後神谷バーに入り、電気ブラン360円と牛もつ460円を頼んだ。レトロな雰囲気だが、人はたくさん居り、気軽な居酒屋として雑多な人が利用していて、楽しかった。
花屋敷の辺りから、千束、富士を通って土手通りを上がり、吉原大門を過ぎて土手のいせや本店で天丼1400円を食べた。その直前に向かいのラーメン屋で元祖つけ麺600円というのを食べたので、もう腹は一杯で無謀な試みではあったのだが、このコースはかって永井荷風がよく歩いた道なのである。もう花街はなくなってかっての面影今居ずこではあるが、昭和2年建築というこの天ぷら屋はやはりどうしても入っておきたかった。味は高いだけあってすばらしかった。濃い味付け、丼にエビとイカと鰺の開きが所はみ出すように並べられている。さらに上がって三輪駅のすぐ裏に浄閑寺がある。昔吉原の女達の無縁墓があるという。中には入れなかったが、荷風の歩いた跡をたどったことで満足する。しかし、荷風、散歩どころじゃない、よく歩いている。ここから築地に向かう。日比谷線で190円。東京東本願寺裏のビジネスホテルバンに泊まる。5階から上はホテルの部屋をオフィスに改造していて、夜中や朝早くも人の出入りがあった。さすが築地。
7時30分に築地にいく。いくらの醤油付けがワンカップ500円、うなぎも市価の約2/3だ。目的は朝飯だから、行列のできている寿司屋に入ることにする。寿司清本店。おまかせはAが2300円、Bが3200円だ。Aを頼むつもりで入ったら、隣の一団が次々と注文を始めた。釣られて自分も一品買いをし始めていた。まずはイカ。ほんのり甘い。そして上品な弾力。そして玉子。シャリの上にのるのかと思ったら、玉子の中にご飯を挟んで出てきた。イワシ。甘み少しあり。臭みはほんのりと残り、これも又吉。中トロ。これが本当のトロなのか。私は感動した。口の仲で歯ごたえなくとろけるのである。今までのトロは単なる筋肉であった。タコ、ミル貝、新鮮。イワシの辺りから板さんが次は何にします?と聞いてきた。安物ばかり頼んでいるから、後ろに並んで待っている人もいるし、煙たがられたのだろうということは何となく察知でき、お愛想を頼んだ。「またいらっしゃい」「ありがとう」次はおまかせを頼もうと心に誓った。そういえば、池波正太郎も、正しい寿司屋の食べ形として何回も足を運んだ上で初めてカウンターに座るものだと諭していたではないか。しかし生ビールをいっぱい頼んで、しめて2820円であった。安い。本格寿司屋入門編としてはいい体験であった。
この後よせばいいのにもう一軒築地の店を試した。ラーメンの井上。やはり行列ができていた店である。蓋し行列ができる店とできない店との差は僅かなのだと思う。最初から作る手順を見てみる。丼に醤油、刻み葱を入れ、白い粉を少なからず入れていた。調味料だろうか。味の素であろうか。そしてスープを入れる。素早くゆでた細麺を入れ、厚切のチャーシューを4枚入れる。(おそらくここが差なのだろう。しっかり煮込んで肉が縮んだチャーシュー)最後にカイワレと葱をのせて出来上がり。さっぱりスープでうまかった。600円。
佃大橋を通って月島に渡る。古い佃煮の店を横目で見て、住吉神社に行くと、どういう根拠か知らないが、写楽の墓があった。しかし深川とも近く、そして人里から離れているここが終焉の地に相応しいとも思えた。月島は『拝啓おふくろ様』の下宿があったところだ。奇跡的に戦災を免れたここは、確かにそのころの下町の手触りがあった。細い路地。その中の地蔵様。洗濯物。
月島駅前からバスに乗って門前仲町で降りる。深川不動、富岡八幡、弁天、大黒天を通って、深川江戸資料館に入る。思いがけず、充実した展示内容だった。長屋を一つ一つきっちり時代考証して再現しており、この点では国立の東京江戸博物館より充実していた。深川には寺がいくつもある。その中のお墓の一つにこっそり入ると、さすがに江戸時代の墓も多く、そして欠けている墓も多い。地震にやられたのだ。谷中の墓とは大違いだった。 深川宿で昼飯。あさりの味噌のぶっかけである深川飯と炊き込みご飯のセット、「辰巳好み」が2000円。昔は長屋の人たちのささやかな食事だったのに…。清澄公園東隣りの深川図書館に行く。総板張りの落ち着いた図書館。もっとゆっくりしたかったが先を急いでいるので、森下駅をめざしていくと迷ってしまった。仕方ないので、バスに乗るとさらに迷って2回乗り継いでやっと両国駅に着く。
東京江戸博物館は都立だけあってその総合的立体的な展示内容は、他を圧倒していた。例えば、一武士の一ヵ月の行動を現在の地図に落として見せている。相当遊んでいたということと、籠も使ったかもしれないが、それにしてもよく動いている。自分も歩いたからわかるが、日本橋を通って深川に行き、その日のうちに浅草まで行っているとはすごい行動力だ。半日かけてゆっくりと見たがまだ見き切れない。
両国ビヤガーデンで地ビール飲んでお宿の日暮里へ。 次の日は、早朝から谷中巡りだ。
《現在の感想》 記録はここで止まっている。おそらく日暮里のホテルでここまで書いて、力尽きてそのままにしていたのだろう。いやいや良く食べている。しかも贅沢三昧だ。もうこんな旅をすることはないだろう。 けれども、このグルメコースはお勧めです。東京の文化が良く分かります。
浅草ロック座はいまだ見ていない。でも、いまだ見てみたいという気持ちは変わらない。テレビ番組でヌードダンサーたちが踊りに自分の生き方をかけているような場面があったし、渥美清等の芸人を産出してきた本場を見て、何かを感じたいので。
最初に出てきた集会は、労基法の改悪反対集会だろうか。フレックスタイム制の導入、派遣社員を認める法律、パート採用を首切れる法律、この頃からいろんな悪法が通っていった。そして今年、更なる労基法の改悪が進められようとしている。
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2005年05月29日(日) ■ |
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98映画ノートから「ユキエ」 |
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98.3.14 松竹 「ユ キ エ」 監督・編集・プロデューサー松井久子 脚本新藤兼人 撮影監督阪本善尚 倍賞美津子/ボー・スベンソン/
戦争花嫁、パーキソン病、老人問題、ベトナム後遺症、等の問題を後の背景で写しながら、40年間の夫婦の愛を正攻法の演出でじっくりと撮っている。大した事件が起きるわけではないが、小津安二郎ばりに不思議と説得力をもつ。倍賞美津子がいい。花のある、昔はさぞ華やかな人だったろう。ということを感じさせる初老の婦人を描いて秀逸。ボー・スベンソンが頑固な老人を描いて『息子』を思い出させる。しかし彼にはまだ愛する妻がある。やがては自分さえもすっかり忘れてしまうであろう妻と至福のときを過ごす。最後に舞台となったニューオリンズのバトンルージュ市が超ロングで引けてゆっくりと全体像が写る。彼らの住む町は緑に囲まれているが、10分も車を走らすと倉敷なみの町並みもそろっている。海に面したいい町である。ボランティアの人も来る。決して老人が孤立しいない。『息子』とはおのずと違う。
《現在の感想》 松井久子の第一回監督作品。プロデューサー畑の彼女が思いのたけを集めて作っただけあって、力作だった。ここにはいろんな問題が隠れているが、日本の観客にはやはりパーキソン病のことが一番心に残ったらしい。そして上映活動の中で監督自身もいろんな出会いを持って、鍛えられていく。それが日本を舞台にした「折り梅」に結実する。寡作の監督ではある。しかし、次の作品を早く見たい。
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2005年05月28日(土) ■ |
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98映画ノートから「南京1937」 |
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98.4.5 岡山松竹 「南京1937」 1995年香港=中国合作 監督・呉子牛(ウー・ツウニュウ) 秦漢(チン・ハン)早乙女愛・劉若英(リュウ・ルーイン)陳逸達(チェン・イーター) 『阿片戦争』のあとにこれを観る。イギリスよりはるかに愚かなことを日本はしていた。『月桃の花』と同じように、頭では、20〜30万の虐殺があったとわかっていても、それをほぼ一週間ほどで終えようとすれば、確かにここの映像で描かれたように、何万もの兵士をすり鉢状の渓谷に押し込め、周囲から皆殺しにするしかなかったろうと思い至るが、この映画を見るまで、そういうイメージは全然わいていなかったし、国際難民キャンプがあることも知らなかった。ありえないことだが、そのキャンプさえ蹂躙するとは…。もちろん、日本人の私は眉に唾つけてこの映像を観る。しかし、『月桃の花』と同じように、本当はこんなもんではなかった…という声が中国人の間から聞こえてきそうな気もしている。 監督の意図は慎み深い日本人にはわかりやすい程よくわかる。本来はありえない日本人の妻と中国人の夫と、その子供たちを登場させる。最後には二人の子供が生まれる物語を軸に話を進めるのは、いたずらにに日本人に対する憎しみをあおるわけではないということだということはよくわかる。早乙女愛が本当に『愛と誠』の女優なの?といった迫真の演技をしてくれて、そういう意味でも日本人たる我々はほっとする。松井大将の男優久保恵三郎があまりに大根役者なので、余計そう思う。 日本軍の役者の演技があまりに大根だ等、欠点は幾らかある。しかし、単なる学習映画ではなく、フィクションを織り交ぜ、日本人には辛いがそれでも十分エンターテイメント性をもった映画に仕上がっている。もっと話題になっていい映画だ。
《現在の感想》 岡山松竹は比較的早い時期の上映だったため、右翼の妨害もなく、無事に上映を済ませた。問題はその後秋にかけて、右翼による上映中止の事態が起こることにより、この作品はいわば「幻」の作品になっていく。しかし、その作品自体はというと、欠点はないわけではないが、充分エンターテイメント作品として、通用するものであった。そろそろDVDで発売されてもよさそうなものなのだが。 その後南京事件の問題は何万人死んだか、何十万人死んだかに移ってきているように思う。しかし、問題は一人ひとりがどのように死んだか、であろう。陵辱と虐殺はあった。それは間違いないだろう。証言がありすぎる。それならば、もう出るべき問題は出ているのである。
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2005年05月27日(金) ■ |
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98映画ノートから「泣いて笑って涙してポコアポコ」 |
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98.3.15 オリエント美術館 「泣いて笑って涙してポ コ ア ポ コ」 監督山下耕作 実話を元にした劇映画。身体障害者の空き缶を拾って車椅子を100台老人ホームに送るという活動を、地域の人の反応、運動の広がりを折り込みながらコンパクトにまとめている。 「なにかわやりたい」という女の子の気持ちを必死で支えたお母さんが一番偉いが、彼女がみんなに支えられてここまで来たのだということを発見したことはもっとすばらしいことのように思えた。
《現在の感想》 この文章を改めてみるまで、私この作品はドキュメントだと思っていた。それだけ役者が迫真の演技をしたのだろうし、作り方自体が凝っていなくてドキュメントタッチだったということなのだろう。
カンカンを集めただけで、車椅子を100台寄付できたというのは、本当である。ひとつのことを集中してやることの素晴らしさを描いて、その後7年間、何かあるとき、ふと思い出したりする映画であった。
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2005年05月26日(木) ■ |
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98映画ノートから「奈緒ちゃん」 |
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98.3.1. オリエント美術館 「奈緒ちゃん」 製作・大槻秀子/演出・伊勢真一/撮影・瀬川順一 西村奈緒/西村信子/西村大乗/西村記一/
主催者のあいさつがよかった。23〜4の美人が、作品紹介したあとで、「私にも心身障害の妹がいて丁度奈緒子といいます。私は重い家族の空気の中で何とかそこから逃げ出そうとして居ました。そういうときこの映画を見ました。京都で第一回を見たのですけれど、その時このお母さんが舞台あいさつをされました。見ればわかりますが、ほんとにすてきなお母さんで、こういう人になりたいなと思える人でした。この映画を見たあと、何か少しでもできたらいいなと思えるようになりました。」 てんかんと知的障害をもつ重複障害者の映画だか、暗いところはなく、ドラマもなく、むしろ日常の中の意識しない笑いが見事に編集されていた。 記録映画ではあるが、お金を払ってみるに耐ええる映画である。昔のコープ牛乳や、アルミパウチが登場して懐かしかった。
《現在の感想》 岡山の何かの映画祭で上映されたと思う。明日紹介するもう一本のドキュメンタリー映画のように、商売ベースには乗らないけれども、作家の努力しだいで上質の映画作品と同様に心に訴えかけるドキュメンタリーというものは確かに存在するのだ、ということを示した意味で貴重な映画祭であった。
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