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2005年05月15日(日) ■ |
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96映画ノートから「ヒート」 |
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96/6/22 メルパC 「ヒート」 マイケル・マン監督・脚本 アル・パチーノ ロバート・デ・ニーロ トム・サイズ・モア ジョン・ボイト ヴァル・キルマー 米国版「雲霧仁左衛門」である。プロの強盗デニーロ、頭はいいがやばくなると容赦なく人を殺す。ロス警部パチーノ、麻薬捜査官上がり、チンピラを脅かし、すかして情報網を作り、最新機器を縦横に使ってあっという間にホシを追い詰める。 どちらも家庭的には不幸だ。離婚二回、そして三回目も家庭を顧みないといって離婚危機のパチーノ。ずっと結婚には無縁のデニーロ、やっと見つけた素人の娘と高飛びをして新たな愛を追い求める。それがなんだったのか分からないままに終わったのは惜しい。 「雲霧」と違うところは多々ある。たとえば集団対集団ではなく、優れた四人対四人のチームの対決であるということ。父権、上司の姿は強調されず、夫と妻のあり方が問題になる。そして最後の戦いではデニーロが殺される。日本だったら高飛びさせただろう。 これはオディプスの「父親殺し」物語にもなっているのではないか。かって「ゴッド・ファーザー」でデニーロは若き日の「ドン」を、パチーノは二代目を演じた。デニーロは仲間の復讐を断ち切れなかった。パチーノは早々にあきらめてホテルに帰ることで家庭の悲劇から救われる。そうして、こが父を乗り越える。子が父を殺すのは西洋文明の宿命なのか。 三時日間が長いと感じれなかった。傑作である。ナタリーポートマンがほとんど出なかったのが残念。
《現在の感想》 ナタリー・ポートマンは「レオン」以来の私のお気に入り。彼女を見ようと思ってこの映画を観たら、ビンゴだった。ナタリーが出る映画はすべて観ている。もちろん今度の「クローサー」はては「スターウォーズ3」は当然観ます。 「ヒート」を米国版「雲霧」だといったり、「父親殺し」だといったりする説はトンと聞いていないが、私自身は我ながら鋭い説だと思っている。
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2005年05月14日(土) ■ |
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96映画ノートから「トキワ荘の青春」 |
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間に7作ほど見ているが、現在あまり語るべきところもないので、省略。
96/5/4 シネマクレール 「トキワ荘の青春」 市川準監督 美術間野重雄 木本雅弘 大森嘉之 さとうこうじ 安部聡子 きたろう 阿部サダオ 古川新太
トキワ荘に抱いていたイメージをほとんど壊すことなく始まったことに驚いた。寺田ヒロオの部屋の一つ一つに「納得」する素晴らしいセットだった。「まんが道」(藤子不二夫)を読みふけった人間にとって、セットを見るだけでも価値がある。木村伊兵衛の写真が随所に使われているのも気に入った。 しばらく誰が我孫子で、誰が石森章太郎か、特定するのに時間がかかったし、台詞が聞き取りにくく、「失業保険もないしね」「デフォルメ」とかの言葉はあとで脚本を見て確認した。 30年代のアパートの雰囲気が良く出ていた。マンガの未来が、その中に溶けてゆっくり顕在化しつつあった。 好きなテーマをどんどん書かせていた「漫画少年」が倒産。「時代の流れに乗るんじゃない。分析するんだ。」という石森章太郎と、「子供に理想を見せないと」という寺田。寺田ヒロオも、森安直哉も、刺激の強いシーンがかけなくて雑誌掲載が難しくなっていく。「自分の傷を見せる」つげ義春はまた違う道を歩み、二度とトキワ荘には近づかない。しかし、寺田の絵の確かさは、今でも充分通用するし、森安のあの叙情性は今なら使える雑誌があるかもしれない。 寺田の言っていたことは必要十分ではなかったが、しかしマンガの本当の未来にとっては必要なことであった。それを捨ててきたマンガは今……。森安のマンガはどうなるのか……。
《現在の感想》 この作品のビデオは現在なかなか見つけることは出来ません。しかし私のとても好きな作品です。マンガの黎明期が実によく再現されている。トキワ荘は今は解体されて残ってはいない。しかし手塚治虫がトキワ荘の次に住んだ並木アパートはまだ東京に残っていて、数年前に訪ねたことがある。以下はそのときのレポートの一部である。
朝、高田馬場で降りて、『2時間ウオーク』のガイドの本の地域を歩くために、荒川線鬼子母神駅に向かう。東京というのは不思議な街である。角を一つ曲がるだけで、それまでの都会の街並みから下町に変わる。細い路地に植木鉢をたくさん並べた風景が見える。荒川線にそって歩くと目白地域に入る。ここは本当にマンションが多い。隣は学習院大学だ。歩いて五分でこうも風景が変わるのである。鬼子母神駅の周りはまた下町の風景に変わる。駅から少し歩いたところに『並木アパート』はあった。S29−32年にかけて手塚治虫が住んだところである。「トキワ荘」を石森章太郎らに明け渡し、ここで、鉄腕アトムや、ジャングル大帝、そして数々の月刊誌時代の名作が書かれた。トキワ荘が既に存在しないのに対して、ここは当時のままかどうかは分からないが、存在している。400年という樹齢のケヤキ並木がある通りに入ると、中華の店がすぐ右手にあり、その手前の筋を右に曲がった突き当たりがそのアパートだ。朝のうちなのでそっと中に入ると(おいおい)いまでも学生用の借家なのか、ポストはみんな苗字1文字の八人の部屋がある文化アパートであった。はいってすぐ右側に90年の手塚治虫展のポスターを額にいれて飾ってあった。なんだかものすごく嬉しかった。この本当に小さく典型的な路地の奥で、手塚は編集者に監視させられながら、それを抜け出して荒川線に乗り、大塚駅で乗り換え、近くの駅の映画館に通ったのだと思うと、すこし感無量。(以上引用終わり)
マンガ雑誌が現在ゲームやインターネット、携帯に押されて衰退しつつある。マンガはもう一回昔の初心を思い出すべきときではないだろうか。
森安直哉のマンガは決してうまいとはいえない。ただ彼は郷里岡山の城下町の出身で、今はすでにない下町風景を見事に映した作品を書いていて、私は小さな展覧会用に作った作品集をもっている。どこか忘れることの出来ない絵柄なのだ。10年前はまだ夢を捨てずに書いていたはずだ。今はいったいどうしているのだろう。
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2005年05月13日(金) ■ |
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96映画ノートから「ニクソン」 |
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96/3/9 SY松竹 「ニクソン」 オリバー・ストーン監督 アンソニー・ホプキンス 長い映画で、途中で何人か退出者が出た。岸とか角栄を主人公にして、どうして日本ではこんな映画が作れないんだろう。 ホプキンスの背を丸める姿、不安な姿から一転観衆に応える姿、べろで舌をなめる癖。ニクソンを等身大で描き出し、説得力があった。 一方、学生と対話したとき、ひとりの学生は「正しいことのためなら死ぬ」と言い放った。反戦運動の側からこういう言葉が出る。またニクソンが、企業の人間と秘密会合の中で脅かされ「国民が私を選んだ」といってはばからない場面。こういうところにストーンの特徴と限界がある。それはアメリカそのものの民主主義の限界でもある。 しかし、実写と演技、渾然一体となって畳み掛ける。ストーンの力量はいかんともなく発揮されている。編集賞と主演男優賞はとってもいいかなと思った。
《現在の感想》 賞のことを書いているのは、おそらくアカデミー賞直前に見たからだろう。しかし御存知のように「ニクソン」は無冠に終わる。それどころか、この作品のことを覚えている人は今どのくらいいるだろうか。ストーンは「JFK」までが華だった。その後ずっと泣かず飛ばずで、今年もどこから金が出るのか、「アレキサンダー」という怪作を作るが、ラジー賞候補になるという始末。この作品のビデオは出回っているのだろうか。 しかし、あの反戦学生の言葉はイラク戦争を経た今考えると非常に示唆的だ。結局「正義」という言葉を率直に信じ、それを最上の価値におくのがアメリカ国民で、胡散臭いと思うのが日本国民なのだ。
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2005年05月12日(木) ■ |
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96演劇ノートから「華岡青洲の妻」 |
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96/3/5 文化ホール 「華岡青洲の妻」 文学座 戌井一郎演出 有吉佐和子原作 於継 杉村春子 青洲 江守徹 加恵 平淑恵 小陸 山本郁子 青洲がいない三年間は加恵を猫かわいがりする於継が、帰ってきたとたん無視し始めるその転換は、さすが杉村春子存在感あり。 嫁姑の闘いで、嫁が失明しながら勝つのであるが、加恵は於継のことを「いい、賢い、美しいお母さんでした。」というのだ。 しかし、この嫁姑の戦いはここまで本格的なものは今はなかなか見ることはできないのかもしれない。
《現在の感想》 演劇とは一回こっきりの演技である。一人ひとりの演技で見せる作品で、見ごたえあった。特に、数年後に死ぬことになる杉村春子の演技を初めて生で見ることができて幸せだった。彼女の演技には「華」があった。 確か於継役は平淑恵が継いだはず。にくい配役だと思う。
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2005年05月11日(水) ■ |
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96映画ノートから「デスペラード」 |
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今日は私の誕生日です。 人生の転換儀式はもう終わったので、 今日はなんもない日ですね。
96/2/10 メルパC 「デスペラード」 製作脚本監督ロバート・ロドリゲス(1968生まれ)音楽ロス・ボス アントニオ・バンデラス(マリアッチ)サルマ・ハエック(キャロリーナ) イヤーかっこよかった。おもわず映画館の帰りにモデルガン屋に寄ってしまいそうだ。現代を舞台のマカロニウエスタン。「ギターケースに必殺重火器を詰め込んだ、元流しの歌手」の後継を誓うガンマン、という漫画的設定を充分に活かしながら、それだけに終わらない。音楽に合わせて派手な銃撃シーン。終わったあとでも音楽が終わらないと思ったら、美女が出て、彼女を助けて終わりという心憎さ。 「フォー・ルーム」で最も面白かった第3話の監督がロドリゲスだったということは後で知った。そこでもバンデラスが出ていた。 サルマ・ハエックの美しい唇、整った鼻立ち。
《現在の感想》 いやいや、気に入っていますねえ。ロドリゲス監督はこの年の夏に「フロム・ダスク・チィル・ドゥーン」というドラキュラ映画を作って、大ヒットを飛ばし、数年は人気監督になるのだけど、その後はトンと作品を見ない。最初見たときは新鮮だった、ラテン音楽と派手なシーンの融合、漫画的な設定も、何度も同じ映像を見ると飽きてくる。要はそれだけの才能の人だった、芸術の世界というのは厳しい。(ただし「フロムダスク」はタランティーノを世に送り出す役割を果たした。)アントニオ・バンデラスはこのあといろんな作品に出演し、数少ないラテン系俳優として不動の地位を保つ。そういう意味ではこの作品は彼の出世作として記念碑的な作品である。
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2005年05月10日(火) ■ |
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96映画ノートから「Shall we ダンス?」 |
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96/2/3 東宝 「Shall we ダンス?」 原案・脚本・監督周防正行 企画制作アルタラミ・ピクチャーズ 撮影栢野直樹 製作委大映・日本テレビ・博報堂・日本出版販売 役所広司 草刈民代 竹中直人 渡辺えり子 原日出子 徳井 田口浩正 最初に「物語せよといへ、我汝の耳を魅せる話をせむ」というシェイクスピアの言葉が出る。 確かに「ダンスもいいかな」と思ったりする。マイホームを建てたあとの心の空白も理解できる。渡辺えり子が重労働をしながらダンスに夢中になり、役所広司がしだいにのめりこみ、知らず知らずにホームでタップを踊りだすのに共感したりする。原日出子の妻が可愛く、一緒にダンスするところでほろりとさせられてしまう。 しかし、結局周防監督の手の内にはめられてしまったのだ。物語にはめられてしまった。 周防監督の作品に日本映画のどろどろとした部分はない。スピルバーグ的なものもない。エンターテイメントのひとつの方向である。
《現在の感想》 現在公開中の「Shall we Dance?」の「原作」である。もちろんそちらも観たが、その感想はまた次の機会、このシリーズが終わった後で。とはいえ、この感想と比較しながら評価を下している。 私は公開初日ぐらいに見た。だから、上の文章はやがてこの作品がものすごい評価を受けるとは想像せずに書いた批評である。 この作品を絶賛しているような文章になっていないが、「やられた。すごい監督だ。」という感想なのである。最初の「物語せよといへ」は、わざわざ周防監督が自分の映画に自信をっているためシェイクスピアから借りてきた言葉なのかなと、このときは思っていたのだが、彼はそこまで自信過剰ではなくて、あとで『「Shall we ダンス?」アメリカを行く』を読むと、この言葉は本場イギリスのダンス競技会場リヴァプールに掲げられている言葉だったらしい。もちろんそれを目に見えるように掲げたのは、監督の自信の表れなのではあるが。私はこの監督の映画を初めて観て、この言葉に反発しながらも、彼の実力を認めざるをえないなあと思って、こういう文章になったわけです。いや、本当に伊丹監督亡き今、あのからっとした笑いとしんみりした人情を描けるのは、周防監督しかいないと思う。あれからもう9年経ったんだなあ。相当企画も立てただろうに。いろいろ苦労があるのだろうか、草刈民代が、ハリウッド版を見て、「原作をここまで忠実に再現してくれて……」(ハリウッドが私の夫の実力をちゃんと認識していてくれると思ったに違いない)と泣いていたのが印象的でした。早く次回作が待たれます。
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2005年05月09日(月) ■ |
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96演劇ノートから「マドモアゼル・モーツァルト」 |
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映画ならぬ演劇。 この年は割りと真面目に観ていたんだよね。
96/1/22 市民会館 「マドモワゼル・モーツァルト」 音楽座 原作福山康治 脚本・演出横山由和 音楽小室哲哉 モーツァルト/エリーザ 土居裕子 コンスタンチェ 渋谷玲子 サリエリ 荒木啓介 シカネーダ/パパゲーノ 吉野圭吾 モーツァルトを女に設定することで、何の権威にもとらわれず、自由に美しい音楽を作ったモーツァルトの真の姿を描き出し、全編自由な「音」とは何かを描こうとした…… ……そうとらえることが出来なくもない。 しかし、サリエリとモーツァルトの父親の存在は消化不良だった。 コンスタンチェとの関係はもっと強調すべきだった。 ……時々学芸会になりそうになる。踊りと音楽だけで綺羅綺羅と押し通そうとする。しかし、時々のモーツァルトの音楽そのものと、土居裕子の存在感で救われていた、という感じだ。小室はまだダンスミュージックになっていない。
《現在の感想》 なんかもっともらしい感想を書いてますね。しかし、ここ一年立て続けに映画のミュージカルを観て思ったのですが、わたし本当にミュージカルを面白いと思わないようです。音楽の素晴らしさなんてぜんぜんわからないみたいです。「ウエストサイド物語」だけは素晴らしかった。あれはたまたまダンスがわたしのフィーリングにぴったりはまったんでしょうね。「シカゴ」も、「エビータ」も、「五線譜のラブレター」も、「オペラ座の怪人」も、「レイ」も、その音楽はわたしの心を動かさなかった。わたしの耳は音楽のよさが分かるようにはなっていないみたい。よって、ここに書いている感想は怪しいものだと今の自分は思います。 演劇畑の土居裕子というのは有名みたいですね。いい役者だったと思います。映画やドラマにはぜんぜん出てきませんが、今でも健在なのでしょうか。
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2005年05月08日(日) ■ |
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96映画ノートから「午後の遺言状」 |
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話は全く違いますが、 今日朝日新聞に「意見」をメールで送りました。
最近のJR西日本への記事は目に余るものがあります。 私も、あの記事のことは本当に心痛めていますし、原因の究明も急務だと思います。そのひとつにあの会社の「体質」があるとは思っています。 しかし、だからといって、オフの時間にボーリングしたとか、宴会したからといって、「一面トップ」で扱うような事柄なのか。大新聞がそんな見識でいいのか。ワイドショーなんか調子に乗って、宴会の領収書まで鬼の首を取ったように公開しています。これも新聞が先鞭をつけたと思っています。 もちろん体質に関係した記事だとは思っています。しかし、これは個人攻撃になります。しかも、法律的になんら問えないような事柄です。「統制の足音」という好記事がありましたが、まさに私はこの朝日の記事の扱い方に統制の足音を感じます。 大新聞は確か「客観報道」を建前にしていましたね。私はもちろん、そんなものは幻想で「主観報道」であるべきだと思っていますが、今回は見事な「主観報道」ですね。しかし、主観報道である以上は、どの報道が今一番大切なのかをセレクトすることだと思います。また、支配される側に立った報道をするべきです。この報道は弱いものいじめです。 私は本当にげんなりしています。
私の意見は以上です。 「事実とは何か」を連載した以上、一応報告しておきました。
96/1/21 シネマクレール 「午後の遺言状」 新藤兼人監督 杉村春子 乙羽信子 朝霧鏡子 観世栄夫 瀬尾知美 近代映画協会製作 撮影三宅義行 杉村が惚けた朝霧に語りかける。「楽隊はあんなに楽しそうに、あんなに強くなっている……。わたしたちの生活はまだ終わっていないわ。生きていきましょうよ。」それを見つめる乙羽の目が印象的だ。乙羽はその台詞に役の上でも、本心でも共感しているのだ。顔の疲れは隠せない。 しかし、これが半年後には死んでしまう人の演技だろうか。ポックリ逝ったわけではない。抗がん剤を打ちながらの演技である。 ひょうひょうと布団を運ぶ乙羽。23年間、一人手で娘を育て上げた農家の女の姿だ。 たった48席しかない映画館だが、ほとんどの席が埋まっていた。8割以上は50歳以上である。若者はほとんどいない。ひょうひょうとした演技やボケの演技がえらく受けていた。50〜60歳の夫婦が隣に座っていた。声だけ聞くと、30歳のように思える。筋と関係ないところをひそひそと二人で話題を共有している。そうやって観る映画であった。
《現在の感想》 後にも先にもシネマクレールであんなにお年寄りが集まったのは、これが最高だろうと思う。乙羽信子の遺作である。新藤監督はその後も同様のテーマの作品をひとつ撮ったが、この作品ほどのエネルギーは感じなかった。乙羽だけでなく、杉村春子もこのあと数年して亡くなった。演劇人や、作家、は表現をしている人なので、亡くなる前出る特有の「輝き」をきちんと表現して残すことができる。すべての人がそうではない。だからこそ、渥美清、宇野重吉にしても、そういう作品はきちんと目に焼き付けておきたい。
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2005年05月07日(土) ■ |
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96映画ノートから「男はつらいよ」 |
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えーと、まだストックが溜まっていません。 というか、映画を見る本数が節約のために去年の三分の一ぐらいになっている関係と、図書館で本を借り出したので、もう二度と手に出来ないのではと思うと、つい読書ノートが長文になるという関係で、いまだストックが充分溜まっていないのです。
というわけで、 まだしばらく「時間稼ぎ」しようと思います。(^^;)
96年の映画ノート見つけました。 読んでみるとなんとも、懐かしいし、 今なら分かる事柄も多いので、 いくつかセレクトして、転記してみようと思います。
必ず最後に私の現在の感想を入れます。 これが案外脱線したりとて(^^;)
96/1 松竹 「男はつらいよ紅の花」浅丘ルリ子 後藤久美子 観たあと、神戸に行きたいと思い、行ってしまった。 「たとえぶざまでも、真剣に愛を訴えてほしいのよ。」 そういうルリ子自身が、南の国の夢の人になっているのになあ。
96/9/14 松竹 「男はつらいよ紅の花」 「男はつらいよ口笛を吹く寅次郎」 「男はつらいよハイビスカスの花」 渥美清追悼上映。9/14〜20のたった7日間のみ。人まばら。 改めて、「紅の花」は最終作にふさわしいものであった。満男は「愛しているからだよ」と大声で言うことで寅を乗り越える。(寅の決して言えなかった言葉だ。)寅も「ハイビスカスの花」でプロポーズされ、逆にプロポーズしながら、なぜか結婚をしなかったりリーの元へ、勇気を出して二度目の暮らしに入る。 私は勝手に結論する。彼はここでめでたく結ばれたのではないか。リリーの手紙では、喧嘩別れしたことになっているが、それは単なる夫婦喧嘩ではないのか。次回作が作られないでよかった。これはそういうハッピイエンドで終わった最終作なのだ。 「口笛を吹く寅次郎」はやはり傑作だ。喜劇としては、48作中これが一番だ。
《現在の感想》 この年渥美清死去。「男はつらいよ」シリーズが終わる。私は本当に神戸に行って長田町を歩いた。震災時にはあれほど砂埃が舞っていたのに、行くといやにきれいでがらんとしていた。何にも出来ない自分を確認して帰った。 「寅さん最後にはめでたく結婚していた」説は、不思議なことにその後誰も唱えていない。しかし、ビデオで見てもらえれば分かるが、そう解釈してもぜんぜん不自然ではないはずだ。なにしろリリーと寅の喧嘩の場面は、この最終作に限って言えば描かれていないし、彼らの関係で一緒にしばらく住んで、何もなかったと思うほうがおかしいし、寅のことならその勢いで祝言ぐらいあげても全然おかしくない筈である。さくらたちには恥ずかしいので黙っていただけだ。けれどもきっと、神戸で餅つきをしたあとはとらやの人たちにもそれとなく報告したはずだ。その一歩手前でこの映画は幕をとしだのである。以上「くま説」でした。
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2005年05月06日(金) ■ |
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映画「夏の庭」について(9) |
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昨日、わたしのPCを探検していたら、 某映画掲示板に載せたこういう文章が見つかりました。 どうやら01年9月の台風の日に 相米慎二監督は亡くなられたみたいです。 「台風クラブ」という出世作にしろ、この「夏の庭」にしろ、 よくよく台風とは縁のあるお方みたいだったようです。
発言日時: 01/09/15 10:26 RE:相米慎二監督逝去(3782/3782)
昨日旅行から帰ってきまして、この悲報を初めて知りました。 相米慎二監督作品はほとんど見てないのですが、 「夏の庭」は忘れることができない作品です。 阪神大震災前の神戸・須磨が舞台で、 三国連太郎演じる老人がもうすぐ死にそうだというので、 「人の死ぬところを見てみたい」という中学生三人組が、 老人を付けまわすという物語です。 その数年後に起きた神戸の少年の 「人を殺してみたい」殺人事件。 その後の同様な事件。 彼らにこの映画を見せていたらと真剣に思いました。
相米監督は数年後自ら死ぬというな何らかの予感が あったのでしょうか。 合掌。
ここに書いてあるように、 酒鬼薔薇の少年が万が一この映画を見たなら、 あの悲劇は避けることが出来たのではないかと今でも思っています。 あるいは最近、「人を殺してみたかった」といって ハンマーで幼児に重傷を負わせた少年にも。
実はこの映画のラストは、 死んだ蝶を庭の井戸に投げ込んだら生き返って飛んで行った、 というものでした。 私はあまり好きな映像ではなかったのですが、 人によるとそこが素晴らしかったと、 どこかの掲示板にありました。
以上でこの連載終わり。
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