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2005年02月18日(金)
「創竜伝4四兄弟脱出行」 田中芳樹

「創竜伝4四兄弟脱出行」講談社文庫 田中芳樹
4巻目に至りついに最後の竜、始君、東海青竜王が発動する。話も行きつく所まで行った感がする。ほとんど第三次世界大戦勃発寸前まで行くのであるから。これでどうやって12巻まで話を続けるのか、少し不安になってきた。

ここまではいわば「人界」の章で、人間世界がいかに腐敗しているかを、大きな誇張を含みながらも鋭く描いてきた。私はもちろん、エンターテイメント小説として、始君頑張れとか、続君冷静にとか、終君やっちゃえとか、余君実は期待しているよとか、茉理ちゃんけなげだ〜とかキャラクターも応援してきたのではあるが、この社会批判も大いに楽しんだのであった。なんだかこのまま神界に行ってしまいそうでこわい。楽しみが減ってしまう。まあ、ここまで来た以上、最後まで付きあう所存ではあります。

ところでこの本の初版が出たのが89年4月。その年の秋にはベルリンの壁が崩壊して、やがて「ソ連」も無くなる。バブルも崩壊する。それがどのようにこのシリーズに反映するか、楽しみではある。



2005年02月17日(木)
「創竜伝3逆襲の四兄弟」田中芳樹

「創竜伝3逆襲の四兄弟」講談社文庫 田中芳樹
文庫版の表紙は少女漫画っぽいので、私はこのシリーズを読むのをずっと遠慮していたのではあるが、いざこの世界に入ると、相当ハードボイルドで、しかもここまで社会批判の舌が鋭いとは思っていなかった。嬉しい誤算であった。

年少の読者のために少しだけ解説しておくと、四兄弟の実在は置いておくとして、四人姉妹という闇の黒幕は(たぶん)存在しません。しかし、アメリカの大企業が同等の機能を有しているのは世界の常識ではあるでしょう。日本の支配者たちはこの小説ほど愚昧ではありません(たぶん)。しかし、この小説に触れられているように東京湾開発の土地の売り買いを巡って一つの団体に莫大な利益が転がりこむ仕組みを企てるほどには愚昧ではあるし、マスコミが真実を分かり難く分かり難く報道しているのも「真実」ではあるでしょう。数字が出てくると、ここにある指摘は全く「事実」そのものになります。88年当時日本の軍事費が世界第3位であるというのもその通り(その後第2位に)。在日アメリカ軍横田基地強化のために、日本政府は72年1000億円以上の「思いやり予算」を組んだのもその通り。基地内に核弾頭の保管を意味する弾薬庫があるのもその通り。52年から84年までに在日米軍の犯した犯罪の数は178,473件、日本人の死亡数1,210名、それによって罰されたアメリカ兵0名、というのもその通り。

終君と余君は、今回横田基地をこてんぱんに破壊しました。



2005年02月16日(水)
「創竜伝2摩天楼の四兄弟」 田中芳樹

「創竜伝2摩天楼の四兄弟」講談社文庫 田中芳樹
ことしシリーズ完結した映画に「ゴジラ」というものがある。いろんなバージョンがあるため、一言で言うのは難しいのではあるが、ゴジラは人類(特に日本)の都市にやってきては、破壊の限りを尽くすが、決して完全に死ぬ事は無い(幾つか例外はある)という原則がある。そういう非人類的(非国民)映画がなぜ40数年間作られつづけてこられたのかというと、この国の人たちがゴジラをこよなく愛したからである。なぜ愛するのか。ゴジラはもともと水爆実験という「人類の罪」から誕生した怪獣であるが、実は人類の罪はそれだけではない。私たちは戦後の繁栄は実はとんでもない虚妄の上に建っているのではないかという漠然たる想いをみんな持っている。だからゴジラが国会議事堂を壊し、東京ツインタワーを壊し、福岡ドームを壊し、各地域の原発を壊していくのは実は必然なのではないかと思うからなのだ。ゴジラ映画でわれわれは「癒し」を得ているのである。

前置きが長くなりました。つまりいいたい事は、この四兄弟、実に見事にゴジラの役割を果たしてくれていると、私は思うのである。特に第二巻はその性格が強い。88年当時の「繁栄」の象徴である、フェアリーランド(ディズニーランド)、東京湾連絡橋()、ビッグボウル(ビッグエッグ)、東京都庁を全て破壊してしまったのは、まさに四兄弟が、当時バブル絶頂期であった日本の「罪」を見事に指摘していたからに他ならない。この辺りは小説なので映画では省略した「詳しさ」があって、私は大すきである。東京都庁に対する辛らつな意見なんて、「まさにその通り」で、竜に巻かれて炎上する件で読者はスカッとするだろう。

ゴジラの副題を募集していたので私も応募したのであるが、映画会社は「さらばゴジラ」というつまんない言葉に決めてしまった。私はこの第二巻にふさわしい副題として私の考えた言葉をそのまま献上したい。「破壊神!」「神になれ」



2005年02月15日(火)
「創竜伝1超能力四兄弟」 田中芳樹

「創竜伝1超能力四兄弟」講談社文庫 田中芳樹
「銀河英雄伝説」という壮大なスペースオペラが終った後に始まった長編らしい。舞台は日本。時代は現代、というと少し語弊があるかな。「20世紀の終りを数年後にひかえたその年の三月末」という文章から始まるこの物語は、87年に始まっている。だから著者の中では「近未来の日本」という事になるのであろう。また、そうでなくては困る。だってこの後、竜堂四兄弟は日本と世界をその意志に反して大きく変えていくのであるから。

まず1巻目は、四兄弟の秘密の一端が述べられ、主要登場人物の性格紹介が終り、四兄弟の一人が竜に覚醒して終る。普通の超能力ものでは、超能力者たちが国家と闘うときには悲劇的要素を帯びるものである。(例えばS.キングの「ファイア・スターター」)しかし、この作品はあくまで「明るい」。なぜなら四兄弟たちがあまりにも強く、あぶなっしさが全く無いからである。どうしてそうなのかはおいおい明かになるのだろう。ただ私は1巻目を読んでその「明るさ」に助けられた、という事を告白しなければならない。いろいろと嫌な事があった時、数時間この本と共にうさ晴らしをする事が精神衛生上非常に良かった。わたしがこのシリーズを読んでいこうと決心した所以である。



2005年02月14日(月)
「アレキサンダー」は60点

「アレキサンダー」オリバー・ストーン監督 コリン・ファレル アンジェリーナ・ジョリー
期待していただけに肩透かし。監督は史実にとらわれすぎて、何もかも描いてしまい、結局描きたかったものを忘れてしまったのだとしか思えない。
アレキサンダーはなぜ10年間で「世界」を征服できたのか。なぜ死んだのか。そういう「ミステリー」に応える映画だという前宣伝はしないほうが良かった。何も応えていないのだから。母(ジョリー)に対する反発?父親を越えたいという想い?それでなぜあんなに強い軍隊が作れる?ゲイの友人(ヘファイスティオン)に対する想い?このエピソードの持つ意味が良く分からなかった。
監督はなぜこの時期にこの映画を作ったのだろう。泥沼に陥っていく戦況が今のアメリカにだぶる気がしないでもない。しかし社会批判の鋭さはほとんどない。残念である。
ジョリーの妖艶さ、インド戦の闘い場面の処理の仕方だけが良かった。



2005年02月13日(日)
『五線譜のラブレター』は60点

題名:『五線譜のラブレター』
 短評:結婚していない私には夫婦の機微はいまひとつ分からない。
    おまけに出てくる音楽に何の思い入れもないときている。
    アシュレイ・ジャッドはなかなかの熱演でした。



2005年02月12日(土)
『問題のない私たち』は65点

題名:『問題のない私たち』
 短評:監督・脚本森岡利行 黒川芽以 沢尻エリカ 美波 
    「別冊マーガレット」連載の漫画の映画化。
    いじめがテーマ。
    「パッチギ」で清冽な印象を残した沢尻エリカが、
    今度は強かないじめ女で登場。案外彼女、化けるかもしれない。
    ただし、作品自体は、漫画のほうはリアルでよいと評判のようだが、
    実写になると、リアルさがなくなったみたいだ。
    現代のいじめというのはもっと巧妙で陰湿なものだと思う。




2005年02月11日(金)
「レイクサイドマーダーケース」は70点

「レイクサイドマーダーケース」青山真二監督 役所広司 薬師丸ひろ子 豊川悦治 柄本明
(読めば分かりますが、この作品のミステリー部分の私の考えの過程をさらけ出しています。しかしだからといってネタバレになるというわけではありません。)

東野圭吾の新作が映画になった。私は根っからの東野圭吾ファンであるが、自慢ではないが、彼の本格推理物を当てた記憶がほとんどない。しかし彼の本格推理は好きなのだ。「私が彼を殺した」(講談社文庫)など、帯にわざわざ容疑者は三人と書いてあるのにもかかわらず、四人目の容疑者を探し出してそれがが犯人だと思い込んだりする私でした。考えすぎなんですね。よってこの作品も見る前に容疑者を絞り込んだりしました。

東野の名作「名探偵の掟」の中に、「犯人当て推理の不文律に、最も犯人らしくない人物が犯人である」という言葉があります。もうひとつ、映画になった場合、犯人は必ず主役級の俳優である、という原則を付け加えてもいいと思います。そうでないと殺すときの場面「絵にならない」からです。そういう意味であらかじめ考えると、容疑者は四人。役所と薬師丸と、柄本と、豊川です。鶴見辰吾に犯人役は荷が重いでしょうが一応次点ぐらいにしときましょう。杉田と黒田は問題外です。この四人で最も犯人らしくないやつ、それが犯人です。

始まりました。殺人が行われるまでが勝負です。この作品、役所の視点で語られるみたいです。しかしだからといって役所を容疑者からはずすわけではありません。「シークレットウィンドウ」で見事にだまされた私です。(あれで見事にだまされたのはこの掲示板では私だけ?)いくつかの変な部分が出てきます。薬師丸の瞳が突然緑になるのはなぜ。愛人はなぜ突然別荘に来たのか。薬師丸と愛人が丁寧に「初対面」の挨拶をしたがかえって怪しい。柄本が役所がホテルに行くときなぜいなかったのか。役所がホテルの前でボーとしていたときに横切った影は何なのか。あの写真の意味は?

殺人が行われました。一番怪しいのは薬師丸でした。次は柄本。彼はあまりにも手際が良すぎる。役所に関しては、映像上、殺人を行うのはムリなので、今回は容疑者からはずしましょう。そうなると全然でてこない豊川が一番犯人らしくないということになります。
分かった。犯人は豊川悦治である。

いや、それにしても薬師丸ひろ子はいい女になった。彼女を妻にして私も尻にひかれてみたい。



2005年02月10日(木)
『パッチギ!』は90点

題名:『パッチギ!』
 心情的には今年の邦画のナンバーワンがもう出てきたという気持ちです。
 風邪気味だったのですが、うとうとするどころか、
 風邪が治ったかもしれない(^^;)
 それだけ感情を揺さぶる大傑作です。
 
 最初は「GO」みたいな在日と日本人の恋かと思って映画館に入ると、
 「岸和田少年愚連隊」の世界がずっと続いて、楽しく戸惑います。
 かっての井筒節が帰ってきた。
 圧倒的な暴力描写でまず、楽しくなってしまいます。

 1968年の京都。いやおうなく何が本当か分からないまま、
 当時の高校生は「情勢」の風を受けています。
 毛沢東語録を広げる教師もありえただろうし、
 居酒屋の労働者がベトナム論議をするのも京都ならありえただろう。
 時代の雰囲気は本当に良くつかんでいる。

 そしてラストにはいってすへてを集約して「パッチギ」るのです。
 イヤー良かった。ともかく見るべし。 



2005年02月09日(水)
「ネバーランド」は60点

「ネバーランド」マーク・フォスター監督ジョニー・デップ ケイト・ウィンスレット
あらかじめ「ピーターパン」を省略版ではなく、原作にそって読みなおすか見たほうが良いと思われる。曖昧なままの記憶だと狙いがいまいち分からなかった。これがジョニーデップの名演とは決して思えない。しかしケイトは名演である。彼女は痩せて、感情が外に出るようになった。