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2005年02月08日(火)
「北の零年」は65点

「北の零年」行定勲監督 吉永小百合 豊川悦治 柳葉敏郎 渡辺謙 香川照之 石原さとみ
一応最後の場面に全てを集約したかったのだと思う。そして最後のセリフを言うのは吉永小百合で無ければならなかった。だから、たぶん60歳くらいの吉永にどう考えても30~40代の役を振り当てるという無理をさせたのである。しかし無理は無理だし、しかも、渡辺謙は物語上仕方なく現れたとしても、娘の顔さえ気が付かないようではちょと酷いのではないの。これはこの場面だけでも米国には売れませんな。それにしても吉永はもう皇后様と同じような位置についていますわな。「この北の地で皆様の心が一つになった。」普通の役者が言ったら絶対浮きまっせ。



2005年02月07日(月)
「子猫をお願い」は75点

「子猫をお願い」チョン・ジェウン監督 ペ・ドゥナ ヘ・ヨウォン オク・ジヨン
韓国・仁川の商業高校を卒業した仲良し五人組の女の子たちが20才を過ぎてありきたりの友情に別れを告げ、新たな道を歩き始める。証券会社に勤めるヘジュは、如才無く表と裏の顔を操る。バラックに住み、失業したばかりのジヨンはそんな彼女に反発する。世話好きのテヒは二人の仲を取り持ちながら、自分の道を探す。等身大の現代韓国の女性を描いて秀逸。どこにもいそうではあるが、一人一人はやはりどこの誰でもない「自分」を持った若者として描いて、なかなかいい映画でした。ただし、もう少し話を絞って描いたほうが良かった。112分は長すぎる。



2005年02月06日(日)
『カンフーハッスル』は75点

題名:『カンフーハッスル』
 短評:イヤー良かった。
    しっかり笑わせてもろた。
    寄席にもいけず、
    吉本興業にもいけない私のような地方者にとって、
    正月に笑わせてほしいと思って行って、
    やっぱり笑わせてくれるというそのことだけで価値がある。
    シンチーさん、アメリカと組んでも
    庶民の視線から外れていないところがまたよろしい。 




2005年02月05日(土)
シュウの物語(3)長文です。

本来この日記は小説を書く場所ではないのですが、
この「シュウの物語」は(3)とあるように、前振りがあって、
私の韓国の旅レポートの付録として書いてきたものなのです。
あるMLに載せたものを、2004年2月~3月のページに載せていますので、
できることならそっちに飛んで
(1)(2)を確認して読んだほうがよろしいかと(^^;)
今回あまりにも時間がたったので、
一応完結させるつもりで書いてMLに載せました。
ところが、読んだら分かるようにぜんぜん完結していません。
実はこの物語、私の壮大な大河小説のメモみたいなもので、
弥生時代、吉備の国を発った少年が、
朝鮮半島に渡り、(もしかして中国にも行き)
日本に帰って、卑弥呼の時代の倭国大乱を治めるという
構想なわけです。(ひや~初めて構想をカミングアウト^^;)
去年一年は「メモ」を書いていくうちに、
構想が膨らみ、どんどん不足部分が明らかになっていく一年でした。
私の毎日の読書や映画鑑賞は
この全10巻ぐらいになりそうな小説の完成のためだ
といっても過言ではないかも。
いつか本当に小説になればいいなあ。
弥生時代の本格歴史小説はまだ未開拓な分野なので、
いいのができたら売れると思うんだけどなあ。
というわけでこの(3)は
シュウが朝鮮半島伽耶のクニに渡り、
初めて戦争にかかわる場面です。
確かに「メモ」ですが、
何らかの感想をいただけると嬉しいです。

(シュウの物語3)
そのクニの明暗をわける大きい戦闘は終り、我が小隊は勝った。終ってみれば、あまりにもあっけなかった。北のクニから来た侵略者たちは大国の兵法を習得していたらしく、兵士たちは規律よく統率され、その集中した攻撃はそれまでの個人の集まりとしての闘いでは到底太刀打ちできるものではなかった。我々がそのクニに着いたときは全ての住民は山に隠れ、若者の半分は殺され、重要な拠点は全て奪われていた。もちろん彼らの最大の目的である鉄の鉱山は彼らの手中にあった。しかし、もっとも重要な鉄塊を作るための技術者はこちらが我が遠くに保護していたし、作業所も彼らの来る直前に焼き払っていたので彼らがその鉱山から鉄を作るのはあと半年は無理だろうと思えた。将軍はその事を確認して、直ちに技術者を寄せ集め、そのあいだに私たちに一山禿るほどの薪を我らに作らせ(いくら鉄の斧があるからといってこの作業は死ぬほど大変だった)、あとはこの斧一つから基準値より一回り大きい矢じりを30作らせた。3000の矢じりが出来あがった。
シュウは大量の薪を焼き空気をいれながらどんどん温度を上げ、やがては鉄を溶かすまで上げる技術をしっかりと頭に刻ませた。問題は空気を「横から」入れるという発想と、鉄の解け具合で取り出すタイミングなのである。しかし問題はもちろん鉄塊を作る技術だった。鍛冶技術者の話に拠ると、鉄塊作りと加工では天と地ほど差がある、
「それゃあな、おめえ、若い者。一つの村を作るつもりで準備しないとだめじゃ」
という。
あまりにもそばにより過ぎて、何度も鉄の火花で火傷をした。でもそのおかげで鍛冶屋の親父と仲良くなれたのだった。親父は自分の殺された跡取りのことを思い出したのだろうか、シュウに親切丁寧に教えてくれた。矢じりをつくる工程は、斧は溶かして一本の細い棒にする。それを今度は同じ寸法で寸断する。出来た塊をひとつづつ潰していく。後はタガネでかたちを整えたら矢じりが出来あがる。石矢じりのように鋭くは無いが、遥かに重く固い。それをシュウは夢中になって見つめていた。それを観察していた将軍の目も気がつかずに。

シュウは弓の技術には自信があった。が、訓練はひたすら石剣を使って草山を突く練習であった。不満なシュウは隊長に文句を言った。
「私を弓隊に入れさせてください。私は大猪を一人でしとめた経験があります。どんなに速く疾って来る相手でも一発でしとめる自信があります。」
シュウはなんとしてもこの闘いで目覚しい手柄を立てなければならなかった。例えば相手方の将軍を射るほどの。そうでなければ、本来の目的である、カヤの王族に取り入り、鉄製作の秘密を盗んでくるという密命を果たしえないからである。
しかし長い間下積みしてやっと昇進したという隊長は、そんなシュウの気持ちも知らず、意外な事を言った。単なる若者の逸り心だと思ったらしい。
「速く自分の部署に戻れ。指示に従え。それにお前は既に弓隊だ。」
「えっ…。」
にやりと笑って、隊長は若者に諭す。
「われらの隊の弓隊は練習など必要ないのだよ。」

実際の戦闘でシュウは一度だけ弓を引いた。目標をめがけて矢を放つのではない。ひたすら空をめがけて、隊長の「よし」の声が聞こえるまで引くのである。しかしそれでよかった。鉄の矢の威力はすさまじかった。彼らの矢の届く距離より倍はあろうかと思う所からいっせいに放たれた約1000の矢は、彼ら右陣にまさしく雨のように殺到し簡単な木の楯は全て貫き、彼らの陣の約半分を一瞬のうちに壊滅させた。第2矢は左陣に向かった。結果は同じだった。
そして将軍が合図を送ると隊長の「突っ込めぇ」という叫びが聞こえる。我らの軍は闇雲に殺到した。

平原は夜間近のように暗かった。
南側の小高い山に本隊を置いた我が軍と、北側の尾根筋に本隊を置いている敵側との間には、一つムラも囲めるほどの草原が広がっていた。黒雲が低く降り、霧はなかなか晴れてはいなかったが、戦闘は昼過ぎに起こった。
相手の軍は1000人以上。この時代としては1国の国を滅ぼすには充分な軍隊のはずであった。何しろ1国の人口は500人に満たなかったのである。それに対する我が軍は200人足らず。これは一つのムラを守るための遠征隊としては異様に多い数ではあったが、相手軍との人数差は歴然であった。
しかし、闘いはわれらの軍が相手を追いこむ形で始まった。
鉄の矢じりの情報は相手側にも届いていたらしく、むやみにかかってこなかった。後から考えると相手側は森に逃げこむ手段もあったのである。そうすればこれほどまでも圧倒的な勝敗はつかなかったかもしない。
しかし、戦争はいつも一つの判断が決め手になる。結局敵は自らの軍の数の多さを過大評価し、鉄の矢じりを過小評価し過ぎたのである。
彼らは鉄鉱の山を放り出す事は出来なかった。結果、鉄鉱山を背景とするこの大きな平原が彼らの屍の墓となったのである。

木の甲冑で包まれた兵士が無数に転がっていた。半分死んでいて、半分は傷を負いながらうめいていた。もうもうたる水気がわだかまり、死塊が死体から離れようとしていた。死の匂いが満ちていた。馬が数体倒れ、戦車が横倒しになり、槍と矛が地面につきさっていた。楯が割れ、その下で矢じりが額をえぐっていた。戦意を無くした兵士は逃げおおせ、戦意を持った兵士と傷で動けない兵士が応戦してきた。
最初その男はシュウに向かって勇敢にも突進してくるように見えた。
年は三十ほど、髪はザンバラで、目は落ち込み、何かを叫んでこちらに向かって歩いてきた。木の甲冑は左肩が割れ、そこに矢が突きさり、右手には石剣を握っていた。
目と鼻の辺りが10才のころ家を離れて帰ってこなくなった父親に似ていた。
もちろん父ではない。
シュウは初めて人を突いた。
「助けてくれ」とか細い声が聞こえたが、シュウにはその意味を解することが出来なかった。
周りをのどや目や足を矢が貫いてぴくぴく動いているようないような生死の境にいる人間どもが充満していた。ヨッサムが大声を放ちながら、足を怪我している兵士の胸を突いた。剣が半分に折れる。とっさに相手の剣を奪って、のどに突き刺す。その姿を左隅の視界に納めながらシュウは父親にのその男ののどを突いた。突いた?それは突いたわけではない。まさに手を伸ばしただけであった。猪ならその剛皮を突くときには渾身の力が要ったが、少しためらなながら伸ばしたそのときはほとんど抵抗は無かった。しかし、剣をひくときに自分の麻の服を真っ赤に染めた。シュウは人を殺すのに腕力は要らない事を知った。
父親似のその男が叢に倒れたとき、シュウの中で何かが弾けた。
ヨッサムの背後から敵が剣を振ろうとしたのをなぎ倒すと、振り向き様に目の焦点も合わさずに突っ込んでくる若者の槍をすんでのところでかいくぐり、のどを切った。石剣で人を殺すのにはいちばん身体の中で柔らかい喉を切るのが一番である事を無意識のうちに悟っていた。シュウはこの闘いで四人の男の命を奪った。
闘いは2時間ほど続き、勝敗は決した。1000人の軍隊は我ら200人の小隊により100人程度に減らされ、敗走した。40人ほどが捕虜として残った。我が軍の死者はたったの34人だった。支石墓の事を教えてくれたあの老兵も相手相打ちになり死んでいた。
茫然として草原に立ち尽くすシュウにヨッサムは声を掛けたが、何も応えないのに豪をいやし遠くに去っていった。
気が付くと西の空の黒雲がまっすぐに切れて橙色の空が広がっていた。
黒雲は大きな平原のようだった。しだいと明るく橙に染まっていく。
一方自分の回りの世界は黄泉の国そのもののように思えた。
「あの天上の世界は穏やかそうだ」
のちに漢書を読むようになって、シュウはその状態の事を「平和」と呼ぶ事を知る。
しかしそのとき「平和な世界」は逆立ちをしていた。


勝利の宴会が始まった。敵の残していった土器や食べ物、文物に混じって、青銅で出来た大きな鼎(鍋)があった。十人そこらでは到底運べないような代物ではあったが、宴会でつくる肉鍋にはうってつけの鍋であった。複雑な鉤模様で飾られており、その中に彼らの神が垣間見える気がした。
このクニを護ってくれた軍隊に対し、クニの村民は総出で肉を用意し、宴を用意した。数人の乙女が琴と笛に合わせて朗々と唄いだす。まるで大河のように途切れることの無い見事な声量であった。ときに低く、ときに高く、英雄をたたえる歌を唄っていた。
ヨッサムは何人し止めただ、とかを興奮して話していた。シュウは肉汁の器を置くと人ごみから離れて、この村に一つだけある小さな石の支石墓の傍にたたずんだ。
手には夢から醒めたときになぜか握っていた青銅製の鈴があった。小さく鳴らしてみる。もちろん「彼」は出てこない。
「ごめん。あなたの願いがどういうものだったかは分からないけど、ぼくにはとうてい叶えられそうにない。ぼくは、故郷に帰ることは出来ない。」
シュウは墓の下に小さな穴を掘った。鈴を埋めようとしたそのとき、後ろから野太い声が聞こえた。
「ほお、珍しいものをもっているな。なぜ埋める。」
ほっそりとした体形に、茜色と藍色をくみ合せた絹の着物、満々と蓄えた髭の間から40過ぎとは思えない若々しい目が覗いていた。今日は鹿皮下着に鉄製の鎧は着ていない。将軍だった。
シュウは飛びあがるようにして直立した。
「そのわけはいえません。」
「ほうなぜだ。」将軍は相変わらず静かに笑っている。決してシュウをからかおうとか咎めようとかしている表情ではなかった。ただ、シュウにも覚えがある、止め様もない「好奇心」だけが現れていた。
「いっても信じてもらえないからです。」
と言ったあと、シュウはこの将軍ならだれも信じてもらえなかったあの不思議な夜の事を話してもいいかなという気になっていた。はたして将軍は「話を聞かない事には信じる信じないも無いなあ」と言った。
シュウは遠い東の国から命を賭して渡ってきた事、財産を全て海に流したので、カヤの国の有力者とも会えなかったこと、戦争で手柄を立てれば会えるかもしれないという事に賭けてこの従軍に入ったこと、途中の村の支石墓で不思議な体験をして、「われらの末裔が再びこの村にやってきて国に帰り平和な国をつくる」という伝承を「押し付けられた」こと、目が醒めるとこの鈴を握っていた事を話した。鉄の技術をもって帰るという密命だけは話さなかった。
「どれその鈴を貸してご覧」
シュウは素直に手渡した。
鈴は掌から少しはみ出るほどの大きさで、上辺に波模様、一つだけ小さく星のような印があった。
「ムサのクニか。」
「分かるのですか。」
将軍は少し考えてから、シュウにそれを返した。
「埋めないほうが良いだろう。しっかりもって置け。」
「どういういわれがあるのか教えてくれないのですか。」
「それはまたの機会にしよう。」
「またの機会はありません。私はこれでおいとまを貰い、この軍を離れようと思っています。」
「この軍で手柄を立てて、有力者に渡りをつけるというつもりではなかったのか。」
「その必要は無くなりました。もうクニに帰るつもりはありません。」
「なぜだ。」
クニに鉄の技術を持ちかえりたくないからだ、とは到底言えなかった。鉄製造の技術はおそらく将軍のクニにとっても根幹の機密なのだろうから。ただ、シュウにはこの技術を持ちかえった先のクニグニが、この戦争と同じように、一辺に1000人、いや下手をするとその十倍もするような大戦争になる事を怖れていた。シュウのクニの全員がそれで死んでしまう。シュウのクニでもそれまで戦争はあった。しかしそれは数十人の「けが人」が出たあとに代表者が出て英雄通しの一対一の戦闘で決まる事が多かった。死んだ英雄は矢を全身に打ちこまれ丁寧に埋葬された。
「…」
「おまえが鉄の技術をクニに持ちかえらなくても、いずれは誰かが鉄をつくるようになる。同じことだぞ。」
「…!!」
「どうして分かったのか、という事か。ばからしい。戦争のあとに暗くなる男の考えていることはたいてい、もう戦闘には加わらないというようなことばかりだ。それに付け加えておまえは鉄に相当の関心を持っていたからな。」将軍はニコリともせずに言った。
「その通りです。」
といったあとに、シュウは逃げにかかった。
「逃げなくても良いぞ。」
びくり、とシュウは筋肉が引きつった。
「鉄の技術なら私が渡りをつけてやろう。ただしカヤの都に戻ったあとだ。お前に公文書館の管理係をやってもらう。そこに鉄関連の公文書もあるし技術者もやってくる。」
「どうして…」シュウはまだ事態がのみこめない。
「お前の鈴に興味を持った、といえば上のほうも納得するだろう。もっとも本当の理由はお前はわしの若い頃にそっくりだというところなんだがな。」といって将軍は初めてカラカラと笑った。
シュウは将軍がさった後も茫然とたたずんでいた。それを木々の後ろから見守る影があった。先ほどの宴で唄っていた乙女の一人であった。





2005年02月04日(金)
韓国への小旅行(その二)

(前の日の報告で参鶏湯やビビンバが500オンというのはありえないですね。当然5,000オンの誤りです。)
/13(木)
朝食は地下鉄の駅に行くまでによった食堂でたべた。キムチ炒飯5000美味しかった。上に目玉焼きが載るというのが、チープで美味しくていい。@インチョン(仁川)まで1500オン@最近読んで感動した本に宮本常一「民俗学への旅」がある。その中で宮本の父の言葉に大変共感した。宮本が故郷に出るとき、父親は次のような10カ条を息子に送っている。「①汽車の窓から観察②初めての土地では高い所へ登れそこで目立つ所へ行ってみよ③金があれば名物や料理を。暮らしの高さがわかる④時間があれば歩く⑤金はもうけるのは難しくない、使うのが難しい⑥身体は大切に。30までは勘当、すぎたら親を思い出せ⑦病気、自分で解決つかないことがあればいつでも戻ってこい⑧これからは親が子に孝行する時代だ⑨自分で良いと思ったことはやってみよ。失敗しても親は責めない⑩人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずた。焦ることはない。」父親は単なる百姓である。しかし、これだけの見識を持っている。それはともかく、私は今度の旅で③にあるように新しいところへ行くとまず高いところに上ろうと決めていた。よって、仁川駅に着くとまず観光協会で地図を手に入れ、中華街を突っ切り、マッカーサー元帥の像のある公園に上った。彼は港のほうに向かって立っている。仁川の町は、古い部分が残っているという予想であったが、ここから見ると、釜山とあまり変わらない。感じとしては児島の町によく似ている。@商売柄、イーマートを見るとつい入りたくなる。日本で言うとSSM(スーパースーパーマーケット)であろうか。品揃えは、5年前にこういう店に入ったときと違い、段違い種類が増えている。ほとんど日本のそれと変わらない。流通の大変革があったのだとしか思えない。写真撮影ほとんど失敗する。買い物18000オン@昼食はアリアリランというところ。定食18000(焼酎つき)18皿@インチョン上陸記念館、行ってみると、ソウルの戦争記念館とあまりにも規模が違い、少しがっかり。ただ上陸作戦が決定的だったということは良く分かった。@インチョン郷校館、儒者の建物を再現している。なんと職員がちゃんと住んでいる。昔ながらの薪で焚くオンドルである。@駅乗り換え口に100円ショップ多い、種類少ない200*500円もの併設。しかし直ぐ流行るだろう。ネバン駅のそれは種類多かった。@忠武路で映画「足長おじさん」観る。7000オン。また値上がりしている。そういえば、地下鉄も値上がりしていた。この値上がりのスピードは異常ではないのか。それとも日本があまりにも値上がりしすぎないということか。作品自体は少し捻りが足りない。コメディ恋愛ものとしてみんな良く笑っていて、それなりに楽しめるものなのだろうが、やはり肝心の謎解き部分があまりにもありきたり。たぶん日本には来ないだろう。少なくとも私なら輸入しない。@忠武路の近くの店でプルコギ頼むと牛肉おじやみたい、副食が10皿もつく13000@

/14
830起床@朝映画専門チャンネルを何気なく見ていたら、どうやらこれは「パイラン」ではないかと気がついた。韓国の名優チェ・ミンスク主演。昨日の仁川観光協会の作ったパンフの中で、この映画が全面仁川で撮影されていると書いていた。そのつもりで言葉も分からず見ていると、どうやらこれは浅田次郎の「ラブレター」の韓国版らしいことに気がつく。となるとあらすじは明らかだ。チェミンスクが惨めに泣く港の場面で私もぼろぼろ泣いた。ラストは韓国らしく救いのないものであった。イヤー中井貴一のこれよりずーとこっちのほうがいいぞ。これこそ日本に輸入すべきだ。@ヨイドに行く6000@韓国名物デモに出会った。こうでなくちゃ。こっちのデモ隊はちゃんと電池つきの拡声器を使い、ラジカセらしきもので歌を歌う。よく組織されている。機動隊の数がデモとほぼ同数なのも笑えた。@国会議事堂の敷地の中へ、パスポートのコピーを見せて何とか入らせてもらう。正面に二体の獅子の像がある。(中国では歴代皇帝の墓はこういうつくりになっている。)議長の専用駐車スペースが議事堂の中に設計されてある。そしてその議事堂の玄関先にたつと、見下ろす位置には入り口がある。これは全く支配者の発想である。これを作ったのは68年朴大統領の時代。ともかく彼の思想の中に民主主義はなかったのだということが良く分かる。@議事堂の中にはうまいことは入れなかったが、国会図書館の中に入れた。新聞はさすがに主な日本の新聞はそろってある。しかし地方新聞はほとんどない。赤旗はある。統一教会の新聞もある。雑誌は日本資料集める規準ばらばら。アエラがあるのは当然として、必要な雑誌のほとんどがない。これで国会図書館といえるのだろうか。@63ビル展望台に上る。6000オン。@帰国して珈琲館でサンドイッチと珈琲。日本の風景にはほっとしなかったが、中原中也の詩を読んで、日本語に飢えていたんだなと初めて気がつく。「森の中では死んだ子が/蛍のやうにしゃがんでる」

この旅で自分の気持ちの整理をしようとしたが、結局ほとんど何もつかめなかった。韓国語はぜんぜんできないということが改めてわかった。



2005年02月03日(木)
韓国への小旅行(その一)

今年1月12日より三日間韓国へ旅をした。これで七回目の韓国行きである。この日記にあるように私は帰ったその日に徹夜でレポートを書いた。記憶がなくならないうちに、というよりか、本来の筆不精、思い立ったときに書かないと書かないままに終わるからである。むしろ後で書くとものすごく長いだらだら文章になってしまうというのが、いままでの経験である。

ところが、出来上がって、満足して次の日に読もうとすると、保存に失敗して、読めなくなっていた。私は失望し、しばらく書かなかった。ただ、私はもうひとつこの三日間の出来事を記録している。私は実は毎日日記を書いている。何に書いているかというと、携帯に書いている。携帯の「送信トレイ」の部分に、私のパソコン宛に毎日かんたんな出来事を記録しているのである。今回旅に携帯パソコンも、持って行っていないということもあり、このメモが唯一の記録になっていたのである。徹夜でレポートを書いたときもこれを参照にした。

皆さん、「携帯日記」お勧めです。何がいいといって、このようにコピー、加工もできるということ。よって、いまの携帯を万一なくしたとしても、メールで送っておけば、自動的にバックアップができるということです。
三日間の原文は以下のとうりです。

/12
945発ソウル行き@金さん「高いマンション八億オン」「ハンサム好きは新しい世代」「インチョンで自然の塩田」@歴史博物館日本語メニュー完璧@寝過ごし劇場行けず@シンチョンで迷いシンチョン栄養センターでサムゲタン500オン食べる、臭み全く無し、柔らかい鶏肉、朝鮮人参棗等の薬膳、あったまった。@ナクチビビンバ500オンと焼酎、親切にも次々もやしキムチとスープお代わりしてくれるが腹一杯@映画で韓国映画無し早々に帰る@使用金額45000
/13
7時起床@朝食キムチ炒飯500@インチョンまで1500オン@竜山で迷う@キリスト伝来1882年?!オン@いーまーとで買い物18000オン@@定食18000(焼酎つき)18皿@インチョン上陸記念館、上陸作戦が決定的@インチョン郷土館、住んでいる@駅乗り換え口100円ショップ多い、種類少ない200*500円もの併設しかし直ぐ流行るだろうネバン駅種類多い、@忠武路で「足長おじさん」観、700オン、少し捻りる@忠武路の近くの店でプルコギ頼むと牛肉おじやみたい、副食が10皿もつく13000@
/14
830起床トイレつまる、慶南(キョンナン)ホテルよくない@テレビで「パイラン」観る、チェミンスクに泣く@ヨイドに行く6000@デモ歌を歌う、機動隊@獅子の像、議長の駐車、見下ろす位置、支配者の発想@国会図書館、日本資料集める規準ばらばら@63ビル展望台6000昼食牛肉あさりうどん、ご飯付き6000@帰りパクさん、二年日本留学半年でやっと耳慣れ、読むほうが易しい、客とメール交換@空港で漫画350ビビンバとビール10500@帰って珈琲館でサンドイッチと珈琲800円、中原中ヤ「森の中では死んだ子が/蛍のやうにしゃがんでる」@日本文学に対する飢え@帰って映画評を送る。徹夜で旅レポート書く

ただしこれでは、あまり何がなんだか分からないので、若干これを「加工」して説明したいと思います。というわけで、単なる普通の旅なのに、長いレポートになりそうです。

1/12(水)
9時45分発ソウル行き@今回はJTBフリーのバックツアーである。一番安いホテルお任せコースにした。お出迎えは女性の金さん。日本語はたどたどしいが、日本文学を学んでいる。専攻は大江健三郎、というのが気に入った。大江の9条の会の呼びかけ人になっている等、最新情報を教えてあげる。タクシーに乗ったのは私一人。マンツーマンでいろいろ教えてもらった。「川沿いの高いマンション八億オンもします。」最近のヨンさまブームについて、僕も彼女もあまりいい顔はしていなかった。私は、ハンソッキュはどうなったのだろう。今のハンサムが流行るということは韓国の人たちの顔の好みが変わったということでしょうか、と聞くと、「ハンサム好きは新しい世代」とのことだった。韓国の世代交代の動きは早い。@まずはまだ行ったことのない「市立歴史博物館」に行った。ソウルの歴史が分かりやすく展示されてある。考古学資料がほとんどない事が玉に瑕。日本語メニュー完璧。今度新しくできる国立博物館に期待しよう。@ここで、日本語メニューを見ながらうたた寝をしてしまった。昨日晩良く寝ていなかったのが悪かった。貞観劇場に行こうと思っていたのだが、取りやめにする。@シンチョン(新村)に行く。ここで、学生も食べる「安くて美味しい」韓国料理を食するというのが今日のテーマである。ここで新村栄養センターでサムゲタン500オン食べる、臭み全く無し、柔らかい鶏肉、朝鮮人参棗等の薬膳、あったまった。@ナクチ(たこ)ビビンバ500オンと焼酎、親切にも次々もやしキムチとスープお代わりしてくれるが腹一杯



2005年02月02日(水)
04年映画ベスト23(その二)長文

ベスト12「モーターサイクルダイアリーズ」ウォルター・サレス監督 ガエル・ガエシラ・ベルナル主演。23歳のチェ・ゲバラは友人と共に、アルゼンチンの自宅から半年以上かけ、南米大陸を横断する旅に出る。見事なロード・ムービー。青年ゲバラはしだいに社会の不公平に目を向ける。それは旅に出た事のあるものには全員思い当たる、必然であろう。旅の魅力が一杯。私も旅に出たくなった。彼のように半年も出る事は出来ないが、当てのない旅を何日も。いや、きっと行くぞ、と決心をさせるだけの力を持った作品。

ベスト11「油断大敵」成島出監督 役所広司 柄本明主演。刑事と泥棒は切磋琢磨し、「自分の仕事」を全うする。奇妙な友情も芽生える。「天職」に気が付くのは大切である。なんか救われた気がしました。監督第1回とは思えないほど堂々とした演出。娘の2回に渡る決心に泣いちゃいました。

ベスト10「折り梅」松井久子監督 原田美枝子主演。同じアルツハイマーを扱っているが、前作「ユキエ」では、夫婦愛に焦点を絞って描いていた。どちらかというと二人とも芯の強い人であまり悩んでいなかったが、別離の物語であった。今回の登場人物たちは思い悩み、試行錯誤し、精一杯介護保険を使い、そして最後には「共に生きていく」所で終る。非常に良かった。日本のアルツハイマー介護の到達点(ヘルパー、グループホーム、デイケア)も見えるし、吉行和子と原田美枝子の演技合戦も見応えがある。「アルツハイマーになってもなお、東美展に入賞するような才能が花開く。(事実にもとずいているらしい)」人間とは凄いものだ、と率直に思わせるような映画である。

ベスト9「父と暮らせば」黒木和夫監督宮沢りえ主演。原爆で生き残った女性は、数年経ってもまだいきる力を取り戻せていない。彼女は今、原爆で死んだ父親の幽霊といっしょに暮らしている。8月の中ごろ広島市で鑑賞した。映画館の人も誉めていたが、「宮沢りえのなんともきれいな広島弁が素晴らしい。」私はあらかじめ原作を読んで、ある程度のイメージをもってこの映画に望んだのであるが、へたにCGでご魔化さずに二人の演技力を全面に出した演出。俳優とは素晴らしいと思った。宮沢りえは「生きる力」取り戻す。同時期、DVDで監督の第二作「美しい夏、キリシマ」を観た。監督の半自伝という事もあり、こちらは言いたい事を詰めこみすぎて返って散漫になっている。たった一つの事を描いているこちらの作品のほうが良かった。

ベスト8「チルソクの夏」チルソクとは韓国語で七夕の意。70年代の下関と釜山。高校生の陸上交流大会で芽生えた淡い恋。その中に、朝鮮人差別やら、貧富の差やら、日韓断絶などをさりげなく描く。それを吹き飛ばすような女の子四人組の友情が爽やかだし、彼女たちが本気で走っている姿が心地よい。イルカの「なごり雪」ピンクレディーの「渚のシンドバット」が効果的に使われている。地味な映画だけど、地方で火が付いて全国公開になっただけの力がある作品。

ベスト7「下妻物語」中嶋哲也監督 深田恭子主演。コスプレ映画だと勘違いしてはいけない。しっかり元気になれる映画。しっかり応援できるキャラクター。土屋アンナちゃんも熱演しているのだけど、深田恭子が凄い。あのキャラで全然不自然ではないというのは凄い。脇役も大熱演。青春映画の王道を行くけど、先の見えない展開。楽しい映像。細かいところへの気配り。全然期待せずに観て、傑作に出会えたときの幸せな気持ちはちょっと忘れられない。

ベスト6「ビッグ・フィッシュ」ティム・バートン監督。父親の昔話というのは、ホント半分空想半分が多いのではないか。「お父さん、小学校時代は学級でいちばん頭が良かったんだ。ただ家が貧乏なもんだから上の学校に行けなかった」これはこの映画の話ではなく、私の父親の何度も聞いた話である。最初はお父さんを尊敬する。しかし、中学になって話を聞くのも50回目を超える頃になると、うんざりするのと同時に「本当かな」あるいは「それがどうした」となるのである。子供は多くは反発する。この作品の子供のように、父親とは正反対の「今」と「事実」を大切にする仕事をするようになる。この作品父親のほら話は一言でいって「ファンタジー」だ。うちの父親とはレベルが違う。事実が必ずしも真実ではないのと同じように、ファンタジーはときどき真実を突く事がある。私はもともとファンタジー派である。だから最後の葬式の場面などは言わずもがな、なのであるが、ファンタジーをほら話としてか受けとめれない息子派の人には必要な場面だったろう。

ベスト5「ブラザーフッド」カン・ジェギュ監督チャン・ドンゴン ウォンビン主演。大きな悲劇的な事件を描くとき、その事件の全貌を描くよりも、二人のキャラクターを中心に描いて、事件を背景として描くほうが、よりその事件の悲劇性が浮き上がる事がある。「タイタニック」はまさにそうやって成功した事例であるが、この作品もそれと同じような作品として長く記憶されるかもしれない。「タイタニック」でも二人の別れの場面では全然泣けずに他の場面で大泣きした私であるが、今回も「これでもか」という「泣き」の場面がうっとおしくて、それがマイナスではあるのだが、それを吹き飛ばすほど、同じ民族が戦う肉弾戦の「朝鮮戦争」という悲劇の描写に時の経つのを忘れた。すごい戦争映画が出来あがった。結局数ある韓国映画でこの作品しか良いのが無かった。確かにここ数年で言うと韓国でいい作品は増えている。しかし「韓流」というブームに踊らされてはいけない。「オアシス」「悪い男」は未見。

ベスト4「モンスター」パティ・ジェンキンズ監督・脚本 シャーリーズ・セロン主演。セロンが13キロも体重を増やすという役作りをして、アメリカ初の女性連続殺人事件犯人として死刑になったアイリーン・ウォノースを演じる。この作品には、これでもか、と彼女のささくれだった肌がアップで出てくる。様変わりした顔、ぶよぶよの腹、下卑たセリフとガニ股で歩く姿、セロンのファンの私としては、辛い体験だった。主人公アイリーンは確かに可哀想な部分はあるが、一方殺人に弁解の余地は無い。そして彼女の立ち振る舞いは彼女が嫌っていた自分を買う男たちの態度そのままだ。のぞけり、空威張りして、時々卑屈になる。彼女の環境をそのまま見せることは、80年代のレーガン政権が行ってきた弱いものを顧みない政策のツケを観る事にもなる。やはり彼女のアカデミー女優賞の受賞は本物だった。彼女のファンとして心からおめでとう、と言いたい。

ベスト3「ジョゼと虎と魚たち」犬堂一心監督 妻夫木聡 池脇千鶴主演。恒夫(妻夫木)は下半身不随のジョゼと付きあおうとする。しかし冒頭ナレーションで二人はやがて別れる事が予言される。いったい二人はなぜ別れるのか。身障者問題がテーマではない。恋愛の「核」を描いた物語。恋一般にありがちななんらかの「障害」を併せ持った愛の行方の物語であった。 
恒夫は優しい男ではあるが、こずるい男でもある。ジョゼは幼い所もあるが、将来の事もよく見えて自立心の富んだ芯の強い女の子である。二人が別れた理由。恒夫の独白では「ボクが逃げた」といっていたが、そうではない。恒夫はジョゼに向きあうにはひと皮むける必要があったのに、変わる事が出来なかった。ジョゼが恒夫を振ったのである。最後の脂ののったシャケをジョゼが焼いているシーンが全てを物語っている。原作では「近松人形のように白く小さい顔をした」と表現されるジョゼを池脇千鶴が迫真の演技をしている。彼女のぶっとい大阪弁と背中のか弱そうな演技。池脇はまた一つ大女優への階段を登った。

ベスト2「誰も知らない」是枝裕和監督・脚本・編集 柳楽優弥 北浦愛 木村飛影 清水萌々子 韓英恵 YOU出演。
ゆきちゃんが大好きな「アポロ」の御菓子を大事に食べているのを見て、最初兄弟四人だけで生きてやがて悲劇に至る事を描く現代版「火垂るの墓」なのかなと思ったのだが、「泣かせ」の映像は極力排除している。そんな物語ではなかった。子供から少年へ、子供から少女へ向かうときの貴重な表情たち、「生活」する事の大変さ、都会の無関心さ、そして「寄り添う」ことの美しさ(素晴らしさ)。ゴンチチの音楽がどうしようもなく美しく、優しい。子供たちがいい。彼らの生活が破綻する直前でカメラを止めたのはよかった。現代で人間でありつづける事は厳しいけど、希望はある。子供たちでさえ、一年間は頑張ったのだ。いわんや私たち大人をや。私はそのようにこの作品を受けとめた。
この映画は劇場で2回観た。誰も注目していないけど、足のアップと手のアップが多用されていることに気が付いた。子供たちは靴に気を使う。長男の明は運動靴。長女の京子は女の子らしいスニーカー、次女のゆきはくまさんのアップリケがついたきゅっきゅっと鳴るスリッパ。明のゲーム友達は中学にはいって親に真っ白でまぶしいような運動靴を買ってもらっていた。明のそれはそのときは真っ黒にすすけていた。やがて彼はスリッパしかはかなくなる。
お母さんに塗ってもらったマニキュアが京子にはまぶしい。その色が禿ていっても彼女は色を落とす事が出来ない。事故で死んでいくゆきの体に触る手と手と。「お別れ?」と聞くシゲルに京子は思わずぐっと手を握り返す。
足のアップは生活を証明し、手のアップは想いを現す。どちらも含めて子供たちは頑張った。

ベスト1「ロード・オブ・ザ・リング三部作」ピータージャクソン監督。あくまで三部作全体を通しての評価です。世界を滅ぼすかもしれないが、世界を支配する事もできるかもしれない「謎」の指輪を、人々の多大な犠牲を伴いながらも「捨てに行く」物語。原作はそのために我々と全く違う民族、地図、歴史、言語を設定した。この物語に入りこみ、見事に解放された暁には、「世界を相対的に観る目」を持つ事だろうと思う。詳しい事はすでに04年の三月号の会報に書いた。未公開映像の入ったDVDの特別版を観たなら、新たな感想が書けるのではないかと期待していたのだが、05年の2月に発売が延期された。なぜ一位に推すまで私がこの作品にいれこんだかは三月号会報を読んで欲しい。

ひとつ、このベスト23に付いて言及しておきたい。私がこういう批評文を書くことで願っているのは、あくまで読者の一つ一つの映画に対する観方を広げてほしいという気持ちからであって、私の観方が正しいと思っているからではない。私は映画を分析したいのではない、楽しみたいのだ。でも、楽しんだ、よかったといってそのまま忘れたくないのである。できる事なら皆の意見を聞きたいと思っている。そうする事で私の映画を観る目を高める事ができるだろう。と思っているからだ。私の持論。「意見が分かれるところはその事象のいちばん大切なところである。」映画作品でも政治でも同じだろう。



2005年02月01日(火)
04年映画ベスト23(その一)長文

私は毎年、学習サークルの会報にその年の映画の総評を投稿しているのですが、それをここにコピーします。あまりにも長いので二回に分けます。とはいっても、この日記にいままで載せた短評をベストの順番にほぼそのまま載せていますので、あまり目新しい文章はないはず。ただ一通り読むとその年の見るべき主な映画は半分以上網羅していると自負しています。

2004年の映画評も去年に続いて、私の合格作品を順番に並べただけのものにさせてもらいます。合格作品とは私の中で100点満点のうち80点以上の作品の事です。今年は12月25日現在104作品観ました。今年は合格作品が23作品。その中で大きな特徴は邦画がなんと12作品も入っているという事です。何が入っているかは後のお楽しみですが、今年の特徴はずばり「邦画豊作の年」という事でしょう。

その前に「あの話題作がどうして入っていないんだ。見ていないんだろう」とお叱りを受けるかもしれないので、選外になった「話題作」に付いて若干のコメントをしておきます。
「世界の中心で愛をさけぶ」今年の純愛ブームの火付け役で、今年の映画を引っ張った重要な作品であることは間違いない。長澤まさみはこの作品でやっと「女優に化けました」。残念なのは、柴咲コウの出番が付け足しでしかなかったこと。もっと短くまとめればよかった。
「隠し剣鬼の爪」大いに不満。力作であるし、心地いい感動も与えてくれるだけに、画龍点晴を欠く、永瀬、松、両者のたった一つの演技(永瀬の家老に詰め寄る所と、松の嫁入り先での苦労)に不満。私が藤沢周平を好きなだけに、私の点数はきつくなっているのかもしれません。でも二人には大事なところで命がけの演技をしてもらいたかった。
「ハウルの動く城」前作でもそうだったのですが、宮崎駿監督は分かりやすさは拒否して作品をつくっている。前作は舞台が閉じた世界だったので返ってイメージの広がりが心地よかったのだ。しかし、今回は冒頭から戦闘機、戦車が描かれ、軍服が闊歩する。それは歴史的であり、世界的な開かれた世界だ。宮崎駿が初めて「戦争」を正面から描いた、と思ってはいけない。いや、私は最後の瞬間までそう思っていた。そうでなければこの作品が終らないと思っていた。けれどもそれは裏切られる。この弱いラストはいったいどういうことなのだろう。一方「純愛」物語としては?私はとうとうハウルにもソフィーにも共感を覚えなかった。期待していたのに残念!。
あと惜しい選外としては「ゼブラ-マン」「25時」「ラバーズ」「月曜日のユカ」があります。ところでこの選外、おやおや、邦画豊作といいながらがすでに選外に邦画が5作も入っています。だとすると、あと12作にはいったい何が…。

ベスト23「花とアリス」岩井俊二監督 鈴木杏 蒼井優主演。なんとも愛しく愛しく残酷で残酷な少女の話。ここにはイメージの広がりがあります。
ベスト22「ゴジラファイナルウオーズ」北村龍平監督 松岡昌宏主演。ゴジラ怪獣総出演。待望のヘドラも出てくるし、エビラみたいなマニアックなのも出てくるし、「ジラ」という明かにハリウッド版ゴジラも出てくる。ジラの最期は爆笑もの。テンポ良く進んで、人間アクションまで盛り込んで。ゴジラシリーズの一本としては良いほうだとは思う。しかしながら、これでゴジラシリーズが終るというのが気にいらない。ゴジラ最後の年に、10年に一度という災害が立て続けに起きたのは偶然ではないだろう。(と、かってに断言)まだまだ壊すべき建物は次々に出てくる。まだゴジラは必要なのだ。なぜ私たちはゴジラを愛するのか。ゴジラはもともと水爆実験という「人類の罪」から誕生した怪獣であるが、実は人類の罪はそれだけではない。戦後の繁栄は実はとんでもない虚妄の上に建っているのではないかという漠然たる想いを私たちはみんな持っているのではないか。だからゴジラが国会議事堂を壊し、東京ツインタワーを壊し、福岡ドームを壊し、各地域の原発を壊していくことで私たちは「癒し」を得ているのではないか。ゴジラは破壊神です。逆説的ではあるが、日本の高度成長が生んだ神であったと私は思う。
ベスト21「釣りバカ日誌15」朝原雄三監督 西田敏行 三国連太郎主演。 久しぶりに映画館で見た。もっぱら二人は恋の指南役に徹するようになった。というよりか偶然二人を引きあわすだけになった。それでも笑えるのである。お気楽サラリーマンの浜ちゃんが健在でいるだけで楽しくなってくる。見事なワンパターン化。1000円興行のせいか、客の入りはマズマズ。こういう作品は劇場で見るにかぎる。だってみんなと笑えるもの。あの着信音とポスト私も欲しい。
ベスト20「トリコロールに燃えて」ジョン・ダイガン監督・脚本 シャーリーズ・セロン主演。奔放で美しい上流階級の娘、英国の労働者階級の男、スペイン内戦を逃れてきた娘、よくある男女三角関係の物語。しかしそれだけではない。1930年代のパリ、芸術が花咲き、スペイン内戦に義勇軍が馳参じる。40年代の欧州、ドイツがパリに進駐し、レジスタンスが闘われる。久しぶりの欧州歴史大河ドラマ。しかし、それだけではなかった。「モンスター」の撮影直後にすぐこの映画をとったシャーリーズ・セロンが、疲れも見せず、惚れボレするように美しく、本格女優としてひと皮剥けて登場していた。
ベスト19「スパイダーマン2」サム・ライミ監督 トビー・マグワイヤ主演。アメリカ人はどうしてこうも「正義」という言葉が好きなんだろう。スパイダーマンの悩みはそのまま現代アメリカ人の悩みでもある。でもやはりアメリカ人は「正義」を選ぶのである。スパイダーマンはどのようにして「正義」を選ぶのか、注目して欲しい。アメリカよ、悩め、悩め、もっと悩め。
ベスト18「ラブアクチュアリー」監督・脚本 リチャード・カーティス。群像恋愛劇。見てみるとなんとまあ幸せな気分になれることか。こんなにもたくさんのエピソードを詰め込みながら一人一人に見せ場をきちんと作っている。全員が幸せに成るわけではない。その事が私にはとても心地いい。演技として秀逸なのはエマ・トンプソンの泣き。脚本として秀逸なのはアンドリュー・リンカーンの紙芝居。キャストとして秀逸なのは英国首相と小太り秘書のくみ合わせ、リーアム・ニーソンのお父さんぷり。
ベスト17「ザ・デイ・アフター・トゥモロー」迫力満点の映画。決して作品として優れているとは思えない。科学的にどうかなと思えるような描写も目立った。しかしこの映画は今年観るのに意義があった。異常気象、台風、地震、津波、まるで映画をなぞるかのように今年は世界各地、特に日本で天変地異が頻発した。映画を観て肝を冷やして欲しい。たぶん大統領選がらみだったのだろうが、この作品は明かに京都議定書を批准しないブッシュ政権を批判している。その志も了としよう。
ベスト16「ターミナル」スティーブンスピルバーグ監督 トム・ハンクス主演。クーデターで事実上祖国が無くなった男性が9ヶ月、ジョン・F・ケネディ空港のターミナルで暮らすことに。クスリと笑い、大いに笑い、やがてしんみりとする、素敵な「旅」の物語。いや、「人生」の物語。男は暮らし始める。寝るところを確保し、言語を覚え、小銭の稼ぎ方を覚え、仲間が出来て、仕事をつかみ、恋をする。そして思い通りにいかないことも多い。しかしそれこそ「人生」というものだろう。男はそれでも「旅」の目的を達成する。仲間に支えられて。9ヶ月も待って達成したのだ。夢を忘れず、待つこと、それこそ「人生」というものだろう。
ベスト15「華氏911」M.ムーア監督編集。「この映画は政治的に偏っているのでおかしい。」というテレビの番組が堂々と流され、「だから私はこの作品を評価しない」という若者が何人も続出した。なんてばかげた話かと思う。どのような作品であれ、偏っていない作品などあるはずがない。別の言葉で言えば、主張のない作品など作品には値しない。特にドキュメンタリーはそうだ。ムーア監督はアメリカの人々に、あるいはそのアメリカを支持している国々の人々に、「実は自分たちはばかげた指導者のおかげで沈みつつあるのだ」と衝撃的な映像を次々と突きつける。
ベスト14「いま、会いにゆきます」土井裕康監督 竹内結子 中村獅童主演。小さい子供を残して死んでしまった母親は、雨の季節に帰って来ると言い残していた。主役の二人に存在感があった。純愛映画は引く事が多い私ではあるが、いろんな伏線を見事に活かしたこの映画は最後しみじみとさせた。泣きはしなかったが。そこで一首。「出会いとは不思議でもあり奇跡とも必然とでもいえるものかな」くま
ベスト13「ヴァイブレータ」寺島しのぶ主演。いきずりの恋。ずっといっしょに生きていかなくてもいい。しばらくお互いの体温を感じているだけでいい。男と女。ウソと真実。単純だけど、あとからいろんな場面が思いだされて、あとを引きずった不思議な映画。



2005年01月31日(月)
「TAXI NY」は65点

「TAXI NY」クィーン・ラティファ ジミー・ファロン ジゼル・ブンチェン

クィーン(おデブのスピード狂。「シカゴ」にも出演した実力派俳優。)はせっかくの主役なのに、ポスターはおろか、チラシにも全然姿を見せず、かわいそうったらありゃしない。

昔のように車を何代壊したかを競うようなつくりは古いのだろうか。私はそんな映画を見たかったのだけど。



2005年01月30日(日)
「マイ・ボディガード」は70点

「マイ・ボディガード」トニー・スコット監督デンゼル・ワシントン ダコダ・ファニング
ダコダ・ファニングは名優に刺激されてきちんとお嬢さんの役をこなしていた。彼女の成長は楽しみである。デンゼルはあくの強い役を無難にこなしている。ただ、体調が悪くて復讐劇に移ってしばらくして意識が飛んでしまった。殺しの重要な部分をどうやら見過ごしたみたいだ。残念!