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2004年12月20日(月) ■ |
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「知里幸恵「アイヌ神謡集」への道」 北海道文学館編 |
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「知里幸恵「アイヌ神謡集」への道」東京書籍 北海道文学館編 たまたま読んだ「アイヌ神謡集」に心動かされたのでこの本を購入。知里幸恵が非常に多くの人に、特に北海道の人に愛され、尊敬されているのだと知った。驚き、そして納得した。
巻末の「知里幸恵東京での129日」(幸恵の日記や手紙金銭出納帳によって再現)は良い資料だった。彼女は死の直前まで何をみて何を考えていたのか、推測できるようになっている。特に知りあいのアイヌが死んでとても苦しんだ数日後に、自分が子守りをしていた金田一春彦(当時赤ん坊)が井戸に落ち、九死に一生を得た辺りはひどく感動的である。井上ひさしが劇として脚本を書いてくれたらとても面白いのが出来るのになあ、などと想像してみる。
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2004年12月19日(日) ■ |
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「植物ごよみ」 湯浅浩史 |
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「植物ごよみ」朝日新聞社 湯浅浩史 朝日新聞連載の「花おりおり」では短すぎて載せきれなかった話題を述べたいという想いでこの本を編んだという。「花おりおり」でも渡来種かどうか、名前の由来等は触れられてはいたが、ほんの一言二言で終っていた。私などは古代に興味があるため、一方ではそういう記述があるのが嬉しく、一方では短い記述に歯がゆい想いをしていた。
参考になる事が実にたくさんあった。文献に残る植物は「万葉集」「古事記」が最初ではあるが、だれがどういう頻度で扱っているかによって、文書以前の渡来の時期を推測したり、考古学的成果を動員して、縄文人の利用の仕方を明かにしたりしている。ツバキやホオノキ、リンドウなどの古代での使われ方等、参考になった。
面白いのはなぜ彼岸花が墓地や土手、畦に多くて、人里に限って咲いているのかという考察であった。彼岸花は有史以前、しかしわりと最近になって渡ってきた渡来種である。かって日本では死者は土葬にされた。野犬やねずみ避けに茎に毒を持つ特性が利用されたのだろうという推測である。土手や畦に咲いているのは、ねずみ等による穴の水漏れ防止に利用されたのだろう、ということだ。今年も彼岸花は彼岸の入り前後に計ったように一斉に人里を赤く染めていった。約2000年の時を隔てて、「人の想い」をみたような気がした。
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2004年12月18日(土) ■ |
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「レディ・ジョーカー上」 高村薫 |
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「レディ・ジョーカー上」毎日新聞社 高村薫 上巻を読み終えた。下巻はまだひもといていない。買ってもいない。その上での感想である事に留意していただきたい。ーこの本を買って半年、積んどく状態だった。1章の半分まで読み終えるのに半年かかった。しかしながら、そのあと上巻の全部を読み終えるまで三日かからなかった。要はこの小説、すぐにトップスピードに乗る乗用車ではなく、動き始めるまでは遅いが、いざ動き出すと猛スピードで走ることの出来、だれも止める事の出来ない、重戦車であった、ということなのだろう。
巨大企業の恐喝事件。とはいってもグリコ森永事件とは似て非なるものである。と思う。「レディ・ジョーカー」たちと、日の出ビール役員たちと、総会屋たちと、新聞記者たちと、警察組織との五つ巴の闘いが始まる。
物井は考える。「高のいうとおり、金は確かに回して儲けるものだろうが、財をなした人々が回しているその金は、元はといえばどこから来たか。」キューポラ工人だった自分から、あるいは姉や兄から絞り盗っていったものではないかと考えが至ったとき、温厚な爺さんだった物井は突然「悪鬼」となる。
大企業の社長、城山恭介は恐喝を受けたとき最初「20億ぐらいの裏金は何ということもない会社のために自分は死ねるだろうか」と自問自答してみる。「会社はそのために恩を感じるだろうか。」城山の答は速やかに決まる。
この小説の隠れた主人公は「金」なのかもしれない。みんながそれを巡って「悪鬼」となっていく。ひとり、合田雄一郎だけが前作とは違い、何かふっきれたみたいに爽やかに立っている。とりあえず今はそういう物語の様に思える。
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2004年12月17日(金) ■ |
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「あかね雲」山本一力 |
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「あかね雲」文春文庫 山本一力 この作品、珍しく運命が登場人物たちにあまり困難を与えない。上方から来た豆腐職人の深川での商売は、その生真面目な仕事も手伝い順調に進む。少しつごうよく話が進みすぎではないか、という気がしないでもない。しかしそんな事では直木賞は獲れない。第一部で親子二代にわたる豆腐屋の有為転変をテンポ良く見せたあと、その中の謎のセリフ心情を第二部でもう一度なぞるという映画的手法、そしてなによりも「人情話」としての心骨頂的場面の数々。押し付けではなく、泣かせる小説に久しぶりに出会った。ただあまりにも「説明のし過ぎ」が気にかかる。
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2004年12月16日(木) ■ |
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「集中力を確実にアップする技術」ライフエキスパート編 |
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「集中力を確実にアップする技術」KAWADE夢文庫 ライフエキスパート編 今年の夏、オリンピックの柔道を見ながら大いに刺激された単純な私である。勝負の別れ目はなんだったのか。既にある技の切れだけではない。気持ちを高めていって、ここ一番のときに集中していつも通りの柔道をする。それが勝負を決めたのだ。がんばるぞ、と思った者である。
私の欠点は当然のことながら私がよく知っている。何度も試みては挫折した苦い過去があるのだが、とりあえずここには集中力をアップするためのポイントが約100近く紹介されていて、「これは知らなかった」「これがこの前挫折したときの原因だな」「これならできる」というようなことがいくつも散見していた。とくに1章の「ノリが悪いときでもやる気を引きだす集中術」2章「気が散る原因をスパッと解消する集中術」のなかには参考になる事例がたくさんあった。ともかく自分にあったスタイルを身につける事が肝要ではある。(もっともこの本にはスタイルにこだわりすぎてもだめだとも書いてある。喫茶店でしか集中力がつかないようではいざというときに役に立たないからである。)いろんな事が書いてある。玉石混淆、自分なりの玉を見つけよう。
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2004年12月15日(水) ■ |
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「やさしいことばで日本国憲法」池田香代子訳 |
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「やさしいことばで日本国憲法」マガジンハウス 池田香代子訳 C.ダグラス・スミス監修・解説 英文憲法というものがある。六法全書にも載っているこれは実は日本国憲法の英訳ではない。憲法作成過程で出来あがった日本国憲法との双子なのである。しかし、法的拘束力はないらしい。ではなぜ、英文憲法を訳するのか。憲法をいろんな見方をする事により(監修者は「ほぐす」という言い方をしている)憲法を解り易くするためである。例えば、日本国憲法では「日本国民」としているところ、英文では「Japanese peaple」といっている。池田訳は「日本のわたしたち」となる。「国」と言ったとき、日本人はどうしても「お上」というイメージを抱くのではないだろうか。しかし、英文で「ほぐし」てみる。お上が決めるのではない。どうやっても「わたしたち」が決めるのである。政府はわたしたちによって「命令」されるのだ。そういうことを考えながら憲法を再読してみる。
英文には単語帳も付いており、英語学習にもなる。中学生から読める憲法パンフレットである。
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2004年12月14日(火) ■ |
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「子麻呂が奔る」黒岩重吾 |
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「子麻呂が奔る」文春文庫 黒岩重吾 「斑鳩宮始末記」に続く、飛鳥時代の取調べ官、子麻呂を主人公とする捕り物帳である。とはいっても、犯人がつかまるという単純な終り方が今回は少ない。子麻呂は物盗りや、殺人などの単純な犯罪からやがて政争絡みの犯罪にかかわっていく。ミステリーを所望の方には少し物足りないかもしれない。歴史すきには聖徳太子の政争敵の蘇我馬子がちらりと現れてどきどきする。
当時の階層、婚姻関係などを背景にいわゆる庶民の暮らしを生き生きと描き出しているのは今回も同じ。しかし中途半端なところで終ってしまっている。子麻呂の再婚はなるのか、子供の運命は?政争はどうなるのか、今回逃した魚とはどう決着をつけるのか、ぜひ続巻が欲しいところだが、果たしてあるのだろうか。やっぱり黒岩重吾氏の死は惜しまれる。
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2004年12月13日(月) ■ |
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「The MANZAI」 あさのあつこ |
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「The MANZAI」カラフル文庫 あさのあつこ 僕は14歳。クラスの人気者でスポーツマンの秋本から漫才のコンビにならへんか、と誘われる。なんで僕なんかと。「おまえが初めて教室に来た時ピンときたんや」僕は乗り気になれない。けれども文化祭で「ロミオとジュリエット」を漫才でするということになり、クラスを巻き込んで話は進んでいく。
簡単に言えばそんなあらすじである。しかしこの作家に限って言えば、あらすじほどこの作家の作品を語るのに必要ないものはない。おそらくこの作家は長編になればなるほど輝きを増すタイプの作家なのだろう。細部にこそ、この作品の神骨頂がある。とはいえ、高村薫みたいに書き込むタイプではない。行間の「間」に思いきり物語を詰め込むタイプなのである。だから登場人物一人一人がひどく気になる。漫才のプロデューサー的役割を買って出る森口京美、彼女の事を好きな秀才の高原、秋本が好きで僕にライバル心を燃やしている僕のあこがれの人萩本恵菜、衣装係で才能を発揮する野崎さん、登場人物たちのいろいろな想いを想像できるから、この本の何倍もの作品を読んだ読後感になるのだ。「バッテリー」と同じように長編になる可能性あり。続きを期待しています。
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2004年12月12日(日) ■ |
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「戦争のつくりかた」 りぼん・ぷろじぇくと編 |
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「戦争のつくりかた」マガジンハウス りぼん・ぷろじぇくと編 パンフというものは時に大きな力を発揮する。マルクスの「共産党宣言」もパンフというかたちで出まわった。明治維新を推し進めた福沢諭吉の「学問のすすめ」は第1篇2篇と次々と出版されるブックレットであった。フランス大統領選の前にミリオンセラーになった絵本「茶色い朝」は超右翼が大統領になるのをなんとか食い止めた。そしてこの絵本「戦争のつくりかた」はメーリングリストを通じて出来あがった。有事法制や政府の発言などをつなぎ合わせると実はこんな世界になる、ということを訴えた現代への警笛の書である。冊子版は既に3万部以上売れ、この単行本版も大いに売れているという。この本が広まる世の中というのは良い世の中ではないのだが、私はこの本が広まって欲しい。もとの冊子版、インターネットダウンロードと、いろんなかたちでこの本が広まるのを期待する。ただ、私はこの単行本版が一番「力」を持っていると思う。なぜか。
冊子版には、本文と井上ヤスミチ氏の絵と、巻末に本文の根拠になった条文や議員発言などが紹介だけされてある。私は学習会などの資料になるように、条文などは本文に併せて全文載せて欲しいと思っていた。この単行本版ではそれがある。例えば、「みんなで、ふだんから、戦争のときのための練習をします」という戦前の防空訓練みたいな事をするという本文に対して、国民保護法第42条「指定行政機関の長等は(略)国民の保護のための措置に付いての訓練を行うように努めなけれればならない。」という「根拠」がある事が巻末資料を見ると読めるようになっている。今は「まだまだだ」と思っている人がほとんどかもしれない。しかし「戦争のつくりかた」は既に重要な部分は出来あがっているのを私たちは知るのである。この巻末資料が一番見応えがある。
この本が広まるのが先か、「現実」がこの本の内容を追い越すのが先か、へんな競争も考えてみたりする。
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2004年12月11日(土) ■ |
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「安心のファシズム」 斎藤貴男 |
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「安心のファシズム」岩波新書 斎藤貴男 04年4月突如まきおこったマスコミの論者含めた「自己責任論」の大合唱。おかしい。何かが変わってきている。ここ数年のうちに変わって来た「何か」を斎藤貴男は(たぶん全てではないだろうが)一つ一つ丁寧に示す。
幾つか新しいことばを覚えた。「コンフリクト・フリー」激しい摩擦が生じてもおかしくない重大な事態が進行しているのに、またそれによって大きな被害を受ける危険性が高いか、実際に受けているにもかかわらず、当事者の内面で葛藤が感じられなくなった状態をいう。ある音楽教師は「君が代を弾く40秒間、私はロボットになったつもりでいる。そうでなければやっていけない。」と語ったそうだ。ことは東京都教育委員会だけの問題なのだろうか。
「割れ窓理論」軽微な犯罪の予兆段階でも容赦しない。警察権力の徹底した取締り。確かにニューヨークではそれで犯罪件数は減ったのかもしれない。しかし、大事な事はその犯罪の原因を探り、その原因の除去に努める事だろう。根本から間違ってはいないか。日本では今アメリカ・ヨーロッパを真似してものすごい勢いで「監視カメラ(防犯カメラ)」が増えている。問題はそれを住民がなんとなく良い事だと認めているという事だ。
ジョージ・オーウェル『1984年』、エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』が何度も引用される。現代は古典をもう一度読む必要が問われているのかもしれない。過去から学ばなければ、未来は見えてこない。
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