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2004年12月10日(金)
「だれが「本」を殺すのか」(上)佐野眞一

「だれが「本」を殺すのか」(上)新潮文庫 佐野眞一
出版不況だという。そう言われて初めて気が付く。月に出る新刊本の数はちょっと尋常ではない。そうとう気を付けていても新刊が出ていた事に気が付かなかったりする。平積みしたときにいかに目立つかを最優先させた、本の分厚さや装丁やポップ。年に一度以上話題に登る老舗出版社や大書店の倒産。古本屋とマンガ喫茶がうの子竹の子の様に開店してくる状況。近所の本屋の店じまい。私の大好きな「本」をだれが殺しているというのだろうか。

地方の書店の情熱溢れた努力に感動した。とくに盛岡の「さわや」。鳥取県米子市の今井書店。しかしそれは一部の先進部分でしかないのだろう。

返品率40%という大手出版社に比べ、地方の「弱小」出版社の返品率は10%以下がほとんどであるという。長い間をかけて全て売り切るというスタイル。高給取りではないが決して貧乏臭くない経営。志のある企画。「地方には汲めども尽きぬ企画の源泉がある」とある社長は言っていて、少し感動した。

出版不況だという。その構造的原因の究明は少なくとも上巻の役割ではないのだろう。ともかくもその危機の中で精一杯頑張っている労働者たちの生の声がここには溢れていた。出版社でも、書店でもいい、彼らに混じって私も働いてみたい。とさえ思った。私は暗澹たる気持ちになる前に、なぜか「希望」を感じていた。



2004年12月09日(木)
「ヘルタースケルター」 岡崎京子

「ヘルタースケルター」祥伝社 岡崎京子
手塚治虫がマンガを始めたとき、アメリカ映画の良質な部分、ロシア小説のテーマと劇空間、科学の理論性、蝶の翔んでいく詩情、子供の無邪気さ、宇宙の深遠、生と死の謎、戦争という運命、いろんな事が混沌として「まだ描かれていない作品」として彼の前にあった。
彼は死んで「マンガの神様」になった。彼の名前を冠した「手塚治虫文化賞マンガ大賞」の受賞者たちは、必死に彼を超えたかのような傑作を描いてきた。想像力の力を見せつけた諸星大二郎、劇空間を見事に現した浦沢直樹、線の勢いが物語をリードする事を証明した井上雄彦、柔らかな線で詩情を描いた高野文子、萩尾望都の「残酷な神が支配する」にせよ、それはまさに金メダルに値する「一つの頂点」ではある。岡崎京子も初めて読む人になるほどと思わせるだけの「力」を持った作品を描いた。きちんとした資料に裏打ちされた硬質な線、女性の内面を描く情熱と、それに流されないクールな副主人公との使い分け、後半に向って崩れていく構成と時々に爆発させる感情。手塚では決して描きえなかった世界ではある。手塚の「ばるぼら」などと比べてもこちらのほうが確かに凄い。岡崎京子は確かに二億光年ほどは孫梧空張りに飛んだのかもしれない。しかし帰ってくると、やはり手塚の掌の中なのだ。手塚が「まだ描いていなかった作品」の掌の中なのだ、と私にはどうしても思えてしまう。
以上、この作者やこの本のファンにとってはなにも意味の無い戯言でした。この作品がマンガ史の中でどのような位置をしめるのか、ふと思ってしまっただけなのです。



2004年12月08日(水)
「井伏鱒二全詩集」岩波文庫

「井伏鱒二全詩集」岩波文庫
井伏鱒二という「詩人」の全貌がやっと身近なものになった。私は彼の詩の一部しか知らなかった。今回の詩集は今まで一番充実していた「全集」のそれよりも「拾遺詩篇」19篇が付き、まさに「決定版」になっている。彼の詩は一言で言うと「個性の塊」である。そして一方では「柔らかい日本語」なのだ。そして時々「どきりとする表現」があり、時々「謎な表現」がある。

例えば「逸題」。「今宵は中秋名月/初恋を偲ぶ夜/われら万障繰りあわせ/よしの屋で独り酒をのむ 春さんたこのぶつ切りをくれえ/それも塩でくれえ…」この見事なリズム感、見事な庶民性。そしてなぜ「われら」が「独り」なのかという謎。

また訳詩という作業において、井伏はまだ誰も追い_していない換骨奪胎の偉業を成し遂げている。「ハナニアラシノタトエモアルゾ/「サヨナラ」ダケガ人生ダ」干武陵の「勧酒」を見事に訳したこれだけではない。「ドコモカシコモイクサノサカリ/オレガ在所ハイマドウヂヤヤラ/ムカシ帰ツタトキニサヘ/ズヰブン馴染ガウタレタソウダ」(杜甫「復愁」)今回彼の詩を全部読んで気づいたのはその詩の中に庶民から見た戦争の影がどうしようもなくまとわりついているということだ。これは井伏でしか書けなかった詩であり、もう現代では誰も書けない詩である。そういう目で見ると「つくだ煮の小魚」も「顎」も「春宵」も突然いなくなった者たちへのもの哀しくオカシイ鎮魂歌の様にも思える。のは私だけだろうか。



2004年12月05日(日)
「片思い」東野圭吾

「片思い」文春文庫 東野圭吾
最初読み終わった直後は違和感が残った。そんなに「うまくいく」ものだろうか。ほころびがありはしないか。数日後、思い返してみて、ほころびがない事に気がついた。うむ、凄い。そうだとすると、一つ一つのエピソードが切なく迫ってくる。
私は思うのだが、東野圭吾は「失恋」物が非常に上手い、というよりたいていの物語は失恋物なのではないか。失恋ではなかったら、片思いである。「秘密」にしても壮大なる失恋の物語であるし、「白夜」にしてもある男の片思いの物語だとも読める。常連の加賀刑事にしても、私は長い長い片思いの最中だと推察している。著者の写真を見る限りはあんなにいい男なのに、分からないものです。



2004年12月04日(土)
「邪馬台国と大和朝廷」 武光誠

「邪馬台国と大和朝廷」平凡社新書 武光誠
邪馬台国論争の戦前戦後にかけての論点を整理し、邪馬台国と大和朝廷の関係を解き明かそうとした著者の視点は好感が持てる。しかし、学術的に信頼できるかというと、ずいぶんと疑問がある。専門的な部分は私は確かに疎いのではあるが、「巻向く遺跡の文化のあり方と、仏教伝来直前に当たる6世紀はじめの大和の文化のそれとの共通点が多い事から見て、大和で急激な政権交代があったとはみられない。それゆえ、巻向く遺跡を起こした首長が今日の皇室に連なると見て間違いがないであろう。」(15P)などと、ちょっと考古学をかじれば到底言えない事を平気で言っていたり(継体天皇断絶説を知らないのか)、著者が騎馬民族征服説の立場に立つのはまだいいとして、それを徹底的に批判した佐原真氏の説を紹介しないばかりか、弥生時代の権威だった佐原氏の名前が一度も登場しないような偏った学説の紹介のし方だと、この本は単なる「読み物」以外の何者でもないと判断せざるを得ない。まあ、全てが偏見に満ちた書物ではないと思うので、学説の整理には参考にはなるのであろう。



2004年12月03日(金)
「巨人たちの星」J.P.ホーガン

「巨人たちの星」創元SF文庫 J.P.ホーガン「今度は戦争だ」
いやはや驚いた。シリーズ第3作目にいたり、学術的、哲学的な部分はずいぶんと影を潜め、このシリーズは見事なエンターテイメント作品としていったんの完結をする。シリーズ一、二巻目において主人公だったハント博士は今回は一人の登場人物でしかない。ダンチェッカーは相変わらず素晴らしい閃きを見せるが、後半ではすっかり出てこなくなる。そしていよいよ、「巨人の星」の政府代表が出てくる。ずっと裏方に回っていた国連宇宙軍本部長コールドウェルが、その戦略的才能を示し始める。女性も負けてはいない。リン・ガーランドも大活躍する。スペース・オペラらしく全銀河支配をもくろむ敵も現れる。

物語は宇宙の謎解きから始まって、スパイ大作戦に移行し、最後は銀河大戦争に突入するのである。三部作の中でこの三作目が一番どきどきわくわく、面白かった。



2004年12月02日(木)
「パイロットフィッシュ」角川文庫 大崎善生

「パイロットフィッシュ」角川文庫 大崎善生
ある夜、41歳独身編集者の部屋に一本の電話がかかる。「わかる?」「ああ、わかるよ」19年間音信不通だった昔の恋人からの電話だった。それでも、その声を忘れる事はなかったのだ。主人公山崎の昔の恋と現在の状況が交互に描かれていく。

私は映画「千と千尋の神隠し」での印象的な言葉を思い出していた。「人は一度あったことは忘れないものさ。ただ思い出さないだけ。」山崎は昔の恋の全てを思い出していた。自分を哀しませ、鼓舞し、励まし、成長させてくれた言葉の数々。これはあくまで恋愛小説だと思う。しかし、それだけではない。出会いと別れが人生の中でどういう意味を持っていたか静かに語りかける小説でもあった。人は大事な言葉は決して忘れない。しかし、それだけではない。

私は聖という青年のもしかしたらありえたかもしれない青春のように読んでいった。聖は著者のデビュー作「聖の青春」で書かれた実在した夭折の名棋士である。聖は知りあいが阪神大震災で圧死すると入院するほど優しい神経の持ち主であったが、山崎も亡くなった飼い犬のために何日も鬱状態が続いてしまう。昔の恋人由紀子は「山崎君は方向音痴なのよ」といって付き合いはじめる。もし聖が一人部屋の中で目覚めたときに由紀子さんのような女性がいたとしたら、聖の青春は違ったものになったのではないか。著者は聖に対する鎮魂歌のつもりでこの小説を書き上げたのではないか。私にはそんな気がしてならない。



2004年12月01日(水)
「ビフォア・ラン」重松清

「ビフォア・ラン」幻冬舎文庫  重松清
幻の文庫本がやっと再版された。6年ぶりの再版。やっと読む事が出来た。まだ無冠だった頃の6年前ならともかくそれ以降賞を重ね、今や現代を代表する人気作家のデビュー作が絶版に近い状態になっていた事は、おそらく誰かの意思が働いていたのではあろう。
私は実は出来が悪い作品なのではないかとずっと心配していた。なるほど、24歳のときに原型を作ったらしく、後年のテーマである「家族」は当然浮かんできていない。しかし、切ないほど個々人が追い詰められて行く様はすでに出ているし、それにもかかわらず、読後感が「温かい」重松清の最大の特徴も、すでに出ている。読みだすと巻置くあたわず、一気に読み終えた。心配は杞憂に終った。デビュー作らしいみずみずしい作品である。
解説の池上冬樹が、「四十回のまばたき」「舞姫通信」「見張り塔からずっと」「幼な子われらに生まれ」「ナイフ」「定年ゴジラ」までの重松清の仕事を総括し、「国民的な人気を誇る大衆作家になるのではないか」と予言しているのはさすがである。私はその2年後「ナイフ」に出会い、それ以降文庫本を本屋で見かけると「無条件」に買うのを習いとしている。



2004年11月30日(火)
「地球の歩き方 台北04」

「地球の歩き方 台北04」
台湾の首都台北四日間の旅に行ってきました。これまでいったアジアはこれで韓国、中国、ベトナム、に次いで4カ国目です。旅の終りの日、今回は失敗したかもしれないなあと思っていました。慣れてきたためか、台湾という国自体がそうなのか、なんか外国にいった「新鮮な感動」が少なかったのです。でも数日してやはり行ってよかったという気持ちになってきました。日本を取り囲むアジアの国を網羅したあと、日本の位置が感覚的にみえてきました。

この本は台北に関する丁寧すぎるほどの情報が詰まっています。この本の助言にしたがって移動は地下鉄を利用しました。遊々カードを購入。随分と重宝しました。また巻頭特集で興味を覚えて台北駅から一時閑弱で行ける田舎に行ってきました。平渓線ののんびり鉄道小旅行です。迫力のある十分漠布。そして場末の駅にある店はなんとなく懐かしい感じがしました。アイスキャンデーを買おうとしてまごまごしていたら、おばあちゃんが「あんた日本人ね」と正確な日本語で聞いてきました。田舎に行っても、簡単な日本語なら、お年寄りになるほど通じるというのは本当なんだ、感動しました。

台湾の日本との「距離」は韓国や中国よりも近いのではないか、そう感じました。




2004年11月29日(月)
「現代台湾を知るための60章」亜州奈みづほ

「現代台湾を知るための60章」明石書店 亜州奈みづほ
台湾旅行の事前学習のためにこの本を選んだ。読んで本当に台湾の事をほとんど知らなかったのだと実感した。その歴史、現代世界での立場、台湾政治の状況、経済立国としての実力、文化点描、過不足なく最新情報をつめこんで著者の目配りの広さには感心してしまった。
その上で実際に行ってみると、リトル東京を思わせる台北のたた住まいと、田舎のおばあちゃんほど日本語が話せる実態と、その言葉のはしばしに中国とは違い全然日本に対する悪意がないこと、若者の屈託のなさ、日本の約8掛けといって良い物価の高さ、あまり外国に行っているという感覚がなかった。もちろん細かいところは違う。アパートの全ての窓に鉄格子がはめられている事、迷彩服が街中を歩いている事、女性の化粧気がほとんどないこと、もっともその全ての背景はこの本を読んでいると察しが付く。事前学習としては良い本だった。