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2004年09月22日(水)
「チルソクの夏」は85点

釜山と下関、77年、交流神前陸上大会で知り合った二人が次の交流試合までに恋こごろを育てていく。親たちの偏見に反発しながら、仲良し四人組と支えあいながら。ストレート一本の青春映画。

山口や福岡で「チルソクの夏」という映画がロングランしていると聞いたのは去年でした。早速「岡山でも上映して」と三二シアター系の映画館の掲示板にリクエストしてのですが、私だけではなく、他の人も熱心なリクエストが多かったのですが、「検討中」というなぜかつれない返事。でも待った甲斐ありました。12日やっと観ることができました。岡山では残念ながら一週間のみの上映。でも立ち見が出る盛況でした。

さて、私の街も郁子の町と同じように、朝鮮の人たちに対する偏見があります。やはりラジオからは韓国の放送も聴くことができます。わけがわからなくても、朴大統領暗殺のときなどは私もよく聴いたものでした。私も郁子と同じように親の意見に対する反発がありました。今となっては懐かしい。声高に叫んではいないけど、日韓交流の大切さが胸にしみこむ映画でした。

あの長屋の雰囲気もなつかしい。「なごり雪」も私にとっても重要な歌なので、4人の少女が歌う「なごり雪」は当時の私の気持ちにぴったりでとてもうれしかった。

この映画は韓国で上映する計画はないのでしょうか。私は十分ヒットすると思います。最近の「ラブストーリー」とテイストがよく似ているし。そのときは「タナバタの夏」という題名にしてもらいたい。その題名で初めてこの映画が完結するような気がします。



2004年09月21日(火)
「スウィングガールズ」は70点

「スウィングガールズ」矢口史靖監督 上野樹里
山型弁丸出しの女の子たちがジャズに目覚める。音出しと、資金集めの苦労のほかは、別にたいしたトラブルも無く聞かせるジャズメンになってそれで終り。

なんかちがう。「ウオーターボーイズ」の時と何かが…。「ジャズも良いもんだわねえ。」という女先生の感想以上の事は感じず。それなら既にジャズのよさを知っている私なんかはなんにも思わない。上野樹里はあの甲高い声が耳に付いた。もっと彼女は色気のある役をやったほうがいいような気がする。



2004年09月20日(月)
「ヴァン・ヘルシング」は65点

「ヴァン・ヘルシング」
ヘルシングは教会の依頼でルーマニア・トランシルヴァニアに赴く。そこで宿敵ドラキュラと闘いながら、自分の生い立ちを知るのだった。

スピード感のある展開、お約束の展開、ひたすら音楽を鳴らす画面、まあ退屈はしなかっただけでも高得点か。それだけ。



2004年09月19日(日)
「釣りバカ日誌15」は80点

「釣りバカ日誌15」朝原雄三監督 西田敏行 三国連太郎 江角マキコ 筧利夫 
久しぶりに映画館で見た。2〜3作前があまりにも惨澹たる出来だったので二の足を踏んでいたのだ。もう鈴さんは若い女の子に色目を使わない。もっぱら二人は恋の指南役に徹するようになった。というよりか偶然二人を引きあわすだけになった。それでも笑えるのである。もうお気楽サラりーマンの浜ちゃんが、今回は秋田で釣りをするというのですっかり秋田モードになって、なまはげの面をかぶって営業3課に現れると、みんなの白い目に気が付き「さてと…」となにも無かったように椅子に座るところで大笑い。見事なワンパターン化に入りつつある。1000円興行のせいか、客の入りはマズマズ。こういう作品は劇場で見るにかぎる。だってみんなと笑えるもの。あの着信音とポスト私も欲しい。



2004年09月18日(土)
「モナリザ・スマイル」は60点

「モナリザ・スマイル」ジュリアロバーツ
50年代、アメリカのお嬢さん学校に、自立心のある女性教師が赴任してくる。
ジュリアロバーツの大口スマイルはどう考えても「モナリザ」じゃないだろうと思っていたが、そういう意味ではなかった。女性必見とはとても思わない。男性が見てもまあまあ面白い。しかし、自分には関係無い、と思ってしまうのはどうしようもない。



2004年09月17日(金)
「ラバーズ(十面埋伏)」は70点

「ラバーズ(十面埋伏)」チャン・イーモウ監督 チャン・ツィイー 金城武 
前作で芸術映画を目指した監督は、今回やっと中国民衆も喜ぶようなB級エンターテイメントを作った。丸々2番目まで唄う歌と踊り。ちゃんときめのポーズを作る武道。決して強くないヒーローとヒロイン。裏の裏をかく構成。まっ正直なほど定番の「謀り事」。ポスターにすればさぞかし綺麗な自然。対照的な二人の男と、一人の美女。今回の設定はチャン・イーモウの是までの仕事を裏切るものではなかったと思う。感動的な脚本でもなかったが。最後の終り方は、余韻があって私としては好みである。
しかし、ともかく素晴らしかったのはチャン・ツィイー。前作で損な役回りをさせた分、今回で完璧に一番目立っていた。彼女を発掘した監督が自分のもとを去っていった女優に冷たくしていたのではないか、という私の心配はこの作品を見る限りでは杞憂だったみたいだ。



2004年09月15日(水)
「華氏911」は80点

「華氏911」M.ムーア監督編集
「この映画は政治的に偏っているのでおかしい。」というテレビの番組が堂々と流され、「だから私はこの作品を評価しない」という若者が何人も続出する。なんてばかげた話かと思う。どのような作品であれ、偏っていない作品などあるはずがない。別の言葉で言えば、主張のない作品など作品には値しない。特にドキュメンタリーはそうだ。沈みゆく豪華船の貴重な調度品を静かな映像でとるか、逃げ惑う人々や沈んでいく全体像をとるかは、どちらも同じ事実の映像であるが、作る側の意図によってまったく違う作品になるのである。ムーア監督はアメリカの人々に、あるいはそのアメリカを支持している国々の人々に、「実は自分たちはばかげた指導者のおかげで沈みつつあるのだ」と衝撃的な映像を次々と突きつける。圧巻は9.11に小学校授業参観時に「アメリカが攻撃されています」と側近に囁かれたあとのブッシュの何も出来ないでいる7分間の映像である。まったく馬鹿でまぬけな指導者なのだが、この大統領がイラク戦争という悲劇を起こし、それに追随する日本は初めて軍隊を海外に派兵したのだから、笑いごとではないのだ。感動的なのは、戦争を支持している母親が息子の死をきっかけに180度考えが変わる瞬間をとった映像である。人は世間に流されていたとしても、一つ決断をするごとに「個人」になっていく。ホワイトハウスを前に母親は闘う決断をする。



2004年09月14日(火)
「誰も知らない」は90点

「誰も知らない」是枝裕和監督・脚本・編集 柳楽優弥 北浦愛 木村飛影 清水萌々子 韓英恵 YOU 音楽ゴンチチ
ゆきちゃんが大好きな「アポロ」の御菓子を大事に食べているのを見て、現代版「火垂るの墓」を予想したが、「泣かせ」の映像は極力排除している。そんな物語ではなかった。子供から少年へ、子供から少女へ向かうときの貴重な表情たち、「生活」する事の大変さ、都会の無関心さ、そして「寄り添う」ことの美しさ。ゴンチチの音楽がどうしようもなく美しく、優しい。子供たちがいい。彼らの生活が破綻する直前でカメラを止めたのはよかった。現代で人間でありつづける事は厳しいけど、希望はある。子供たちでさえ、一年間は頑張ったのだ。いわんや私たち大人をや。
足のアップと手のアップが多用される。子供たちは靴に気を使う。長男の明は運動靴。長女の京子は女の子らしいスニーカー、次女のゆきはくまさんのアップリケがついたきゅっきゅっと鳴るスリッパ。明のゲーム友達は中学にはいって親に真っ白まぶしいような運動靴を買ってもらっていた。明のそれはそのときは真っ黒にすすけていた。やがて彼はスリッパしかはかなくなる。
お母さんに塗ってもらったマニキュアが京子にはまぶしい。その色が禿ていっても彼女は色を落とす事が出来ない。事故で死んでいくゆきの体に触る手と手と。「お別れ?」と聞くシゲルに京子は思わずぐっと手を握り返す。
足のアップは生活を証明し、手のアップは想いを現す。どちらも含めて子供たちは頑張った。



2004年09月13日(月)
04.08.07三次への旅

04.08.07三次への旅
今回は土日がポッカリ空いたので、青春18きっぷを使って、のんびり汽車の旅をする事にしました。伯備線から芸備線に乗り換え、一日目は三次で半日を過ごして広島泊まり。二日目は広島市街をぶらぶら。ここでは二日目の事は省略して、三次の博物館と遺跡見学についてレポートします。

この日の朝は早かった。午前6:08倉敷発伯備線に乗るためです。この電車を逃すと次ぎの連絡電車は五時間後になります。ローカル線の哀しさですね。しかし、ローカル線の旅は素晴らしい。特に新見から比婆山までの景色が素晴らしい。緑のトンネル。葉を擦りながら、時々超スロー運転になりながら、カンゾウが群生する渓谷を電車が滑っていく。比婆から西は突然乗客が増える。大きい意味で三次盆地の中に入ったのでしょう。もうそこらは新見にはひけをとらぬ大きな町です。

10:37に三次駅に着きました。駅で観光マップを貰うと、市街地の中に(市立)歴史民俗資料館がある。11時にそこに着くと考古学資料がまったくない。小さな無料の資料館でした。「おかしい…。」館長らしき人が丁寧に相談に乗ってくれました。私は「市立」と「県立」を間違えたのです。県立歴史民俗資料館は市立と駅を隔てたまったく反対側、みよし風土記の丘にありました。ずいぶん遠い。バスの連絡も悪い。館長に勧められて駅前のレンタサイクルでいく事にしました。半日1000円。高い。まずはバスがとおっていない駅の北側の小高い山にある弥生の群集墓、花園遺跡にいきました。わずかな台地上に方形周公墓が何十となく固まっている。明かに庶民のための墓です。弥生時代でこういう墓を見たのは初めて。台地からは三次市街地が一望に見える位置でした。

ここまではレンタサイクルにして正解だと館長に感謝していたのです。その後彼を恨むようになるのに10分とかかりませんでした。いや、もちろん私の逆恨みです。風土記の丘までの道のなんと長い事、そしてアップダウン。私はすぐにへたばっていました。いや正直に言うと死にそうでした。コンナニ長い間自転車を漕いだのはいつ以来だったろうか。高校のときはいつも5キロくらいの通学距離を15分くらいで着いていた。妹の友達からは「8マンみたいね」といわれたのは今は昔。この約7キロの距離を一時間ほどかけて、死にそうになってやっと着く。運動不足を痛感しました。閑話休題(^^;)。

県立歴史民俗資料館は弥生時代から古墳時代にかけての考古学資料が非常に充実しているいい博物館でした。弥生時代は吉備との関係をきちんと展示している。(あとでわかった事ですが、ここの学芸員は岡山県玉野市の出身でもとの専門は弥生時代だったらしい。)私は四隅突出墓が発掘されたという矢谷墳丘墓と陣山遺跡への行き方を尋ねたところ、おもいもかけず、前述の学芸員の方が説明に来られたので、いい機会と思い従来の疑問をぶつけたのです。「西谷墳丘墓では吉備の特殊器台が出ていますが、あれは完成品を運んだんですか。」「そうですね」「ではどのルートをとおっていったのでしょう。私は福山から川をとおって三次まで来て、そこからまた山陰まで川で運んだと思うのですが。」「それは少し勘違いがあると思います。地図上で川が三次盆地まで通っているからといって全て川で運んだというのは間違いです。川は所々急なところがあって、到底三次まで来る事が出来ないのです。」意外であった。私は今はあんまり水が流れていない奈良盆地の大和川が、難波と飛鳥を結ぶ幹線道路の役割を果たしていたと知っていたので、今は水量がなくても弥生時代は全ての川が道路の役割を果たしていたと思っていたのだ。しかし考えてみると、山の中の川はあまりにも岩がごつごつしていて、到底舟で行く道にはならなかったのかもしれない。もちろん壊れやすい特殊器台を運ぶなんて論外だったろう。「二つのルートがあると思います。一つは福山から大きい川はたどってしばらく北上すると、比較的平坦な未地があるところがあります。そこから西へ向かい、御調郡から北に向かういい道があるのです。そこから三次に来てしばらく川沿いに降りて、川幅が大きくなったところで川で下ったのでしょう。もう一つは高梁川を登って新見まで行きます。そこから今の芸備線沿いにわりと平坦な道があるのです。」なるほど確かに芸備線から見える川は時々岩によって舟で行くには分断しているが、川沿いに行くと人が通れる道になりそうだ。しかし問題がある。そもそも私が川で持っていっただろうと発想したのは、あんなに大きな重い土器をはたして壊さずに手で運ぶ事が出来ただろうか、ということであった。しかも一つや二つではない。西谷墳丘墓では(まちがっていたらごめん)30以上は特殊器台が出土したはずである。「おそらくなんらかの箱に土器をいれごろごろしないように藁か何かで詰め物をして、その下に棒を通し、四人がかりで運んだのではないでしょうか。」そうなると特殊器台を運ぶだけで百数十人規模の大行列になる。いったいどのくらいの規模の行列になったのか計り知れない。西谷墳丘墓の葬式というのはそれはそれはものすごいイベントであったという事になるではないか。「その通りだと思います。」広島という土地をおそらく自ら歩いて把握している人の話なので私は納得した。そしてあらためて、出雲と吉備との強い繋がりに思いを馳せました。

しかしいずれにせよ三次盆地は吉備と出雲を結ぶ重要な地域だったはず。最近発掘されたばかりの陣山遺跡(弥生時代中期BC300〜0)には最初期の四隅突出墓が出ています。ここからは特殊器台が出ていません。そして西谷墳丘墓の時代になる。その後矢谷墳丘墓(弥生時代後期)は四隅突出簿と特殊器台の向見型が出ています。最初の頃四隅突出墓の祭祀をする一族は三次盆地に住み、その後川を下り出雲盆地で青銅器文化を駆逐して鉄の文化を築く。それと同時に三次を西限、北限にして吉備勢力がやってくる。おそらくそこで吉備と出雲は同盟関係になったのでしょう。陣山遺跡には行く事が出来なかったが、矢谷と非常に大きな特殊器台は博物館で見て、帰りにも遺跡に寄る事が出来ました。西谷墳丘墓よりも大きい規模の四隅突出墓で、そこからは古墳時代の遺跡が集中している三次風土記の丘は見えないが、三次盆地は一望に見えます。弥生から古墳時代に代わるその変わり目、三次盆地の首長がどこを見ていたのか分かる気がしました。

ところで花嵐さん、四隅突出墓が「カナ床」を意味しているのだとしたら一つ疑問があります。陣山遺跡は少なくとも紀元前の遺跡です。はたしてその頃、鉄の生産をしていたのでしょうか。

ここは一度は来るべき地域だと思います。来年のの吉備を語る会バスの旅は三次をテーマにしたらどうでしょうか。行きたくて行けなかった陣山遺跡にぜひ行きたい。





2004年09月12日(日)
『父と暮らせば』は85点

『父と暮らせば』
 短評:8月8日、ふらりと広島に行った。
    展示内容がずいぶん様変わりした原爆資料館を見てきて、
    デザイン的にスマートに作りすぎて、何も訴えるところのない
    国立なんたら記念館もあれば、
    小学校の中に原爆遺跡の記念館を作ってしまった
    袋町みたいな所も見てきて、
    はたまたふらりと映画館によると、
    映画上映の前には「木の葉のように焼かれて」という
    詩の朗読があり、そして映画が始る。
    立ち見も出るなかなかの盛況。
    たしかにほとんど演劇と同じじゃないかとか、
    浅野なんて出演しなくてもいいじゃないかとか
    細かな突っ込みどころはあるのだが、
    ストレートに胸に響く内容でした。
    「美しい広島弁」というのは形容矛盾な気がするが、
    宮沢りえの広島弁はかわいくきれいで、
    いい台詞だった。
    広島で見たせいかもしれないけど、
    あらかじめ原作の井上ひさしの脚本を読んでいたのだが、
    イメージをはるかに超える二人の演技に正直脱帽した。