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2004年07月07日(水) ■ |
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「ひとりぐらしも5年め」メディアファクトリー たかぎなおこ |
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「ひとりぐらしも5年め」メディアファクトリー たかぎなおこ 独身女の子のひとりぐらしの部屋というのは、TVでは絶対リアルな実態は写さないし、映画になるこも無いし、案外ずっと「謎」だったりする。どんな風な小物があって、どこが片付いていて、どこが片付いていないのか。ひとり暮らしの買いものはどうしていて、どんな料理を日々作っていて、外食はどうしているのか。お風呂に入るとき、どんな格好をして入って、やっぱり歌なんか歌うのかなあなど。一種、覗き見の楽しみ。 この女の子は恥ずかしがり家だ。スーパーの袋が半透明なので入れかたにも気をつかっているという。半額シールとかカップラーメンとか人に見られたくないから、野菜を外側にして隠しているという。または、女の子は女の子なりに防犯の心得を持っていたりして、私は見ていて「ニコニコ」してしまう。(中年男のいやらしさだと言えば言え)もちろん独身女性が自分の生活を見なおすのにもうってつけ。(04.04)
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2004年07月06日(火) ■ |
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「できるかなリターンズ」角川文庫 西原理恵子 |
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「できるかなリターンズ」角川文庫 西原理恵子 サイバラという特異なマンガ家が居ることは知っていた。とはいっても全然威張る事ではない。去年上映された「ぼくんち」(阪本順治監督)でおそらく初めてその作品世界に触れたのだから。今回その生マンガを初めて「見る」。
私のマンガ暦は長い。初めてマンガ雑誌を読んだときの号が、星飛雄馬と花形満が小学時代初めて勝負したときというのだから推して知るべきであろう。そして深い(はずだ)。ここでは詳しく記せないがありとうらゆるタイプのマンガに出合って来た。そしてサイバラなのだが…。
確かにこれはマンガなのだ。絵はへたくそだろうと、途中で異様に夫が撮った写真が載ろうと、ストーリーとギャグを無視して、体験エッセイという体裁を取ろうと、確かにマンガはあらゆることから自由ではあるべきだ。出てくる登場人物たちの異様に立った「キャラ」、誰も真似できないかもしれない「体験」(だってマルコス政権崩壊のさなか、暴動中のインドネシアに行って「観光旅行」をするのだから)、そしてその異様に際立った「毒」、誰も真似できないマンガを彼女は書いている。ジョージ秋山が「アシュラ」を書き始めたときと同じようなインパクトを今回感じた。(04.04)
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2004年07月05日(月) ■ |
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「謎物語あるいは物語の謎」中公文庫 北村薫 |
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「謎物語あるいは物語の謎」中公文庫 北村薫 ミステリーについてのエッセイである。トリックについて、先例について、解説について、解釈について。避けて通れない話題を通りながらも、北村薫はやはり独特の道を通る。ずいぶんと遠い回り道をしながら、いいたい事は一章につきたいてい一つ。
トリックについて、作家はいつも手品の種明かしを見た子どものように「なあんだ。馬鹿みたい。」といわれる危険を携えている。「しかし、友よ。それは犯す値打ちのある冒険なのだ。」と自らの覚悟を語る。いや、それは作家の「愉しみ」なのである。
見巧者としての解説者の文章を見てミステリーを読むほうがよっぽど作品世界を味わえる、場合がある事を北村薫は「解説」してみせる。なるほど「ニコラスクインの静かな世界」を読んでみたい気になった。
ミステリーについて、本格推理について、氏のまがう事無き「愛情溢れた文章」を浴びて、まずはまたミステリーの荒野に赴かん。(04.04)
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2004年07月04日(日) ■ |
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「口笛吹いて」文春文庫 重松清 |
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「口笛吹いて」文春文庫 重松清 負けてしまう事に慣れてしまうことは、寂しい事だけど、小説の主人公にはなかなかなり難いけど、現実では非常にしばしばある事だろう。そして、そんな自分が嫌で、明日から人が変わったように頑張り始め貫き通す、ってことは、現実的にはめったにある事ではない。たとえ心の中では何度でも決心したとしても。そういう難しい登場人物たちを小説に登場させて、なおかつ、エンターテイメントとして読ませるというのが、重松清の凄いところなのだ。
子どもたちは簡単に「負け組」「勝ち組」なんて言う。親たちはそんな「組」なんて存在しない、と一応は言う。けれども本当は親たちがこの10年間でその言葉を作ったのであり、決して子どもが作ったわけではない。なんということだろう。親たちも子どもたちも辛い現実を生きているのだ。ただ人生どんなときでも「希望」だけはパンドラの箱の片隅には残っている。それが「口笛」だったり、「参考書」だったり、「カタツムリ」だったり、「雪合戦」だったり、「アジサイの花」だったりするのだ。(04.04)
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2004年07月03日(土) ■ |
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「茶色の朝」フランク・パヴロフ物語 藤本一勇 訳 大月書店 |
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「茶色の朝」フランク・パヴロフ物語 ヴィセント・ギャロ絵 高橋哲哉メッセージ 藤本一勇 訳 大月書店 物語自体は大して新鮮ではない。「全体主義」的なこと、「反動」的な事は最初は小さなことからやってくる。それを「やり過ごしている」と、やがては自分の事として振りかかる。昔から良くいわれている事である。私が興味を覚えたのは、そういう「ありふれた」物語が、フランスでベストセラーになっているという宣伝の文句である。
物語は絵本形式を採っているので、ひどく簡単である。あのヴィセント・ギャロ監督の絵も彼の力強いペンタッチと優しいペンタッチが交互に現れ、面白いが、魅力的ではない。私を驚かせたのはこの本の出来た経緯である。1980年代末ごろからフランスでは極右政党が出てくる。98年の統一地方選挙で、この政党が躍進するに至り、パヴロフはこの本を出版する。そして2002年の大統領選挙でなんと決戦投票にこの政党の党首が最終候補に残るのである。ここに至りやっと大衆はこの本を発見し、ベストセラーに成るのである。あの選挙は私も注目していた。そしてシラクが勝利し、正直ほっとした。しかし一方ではよその国の出来事であると思っていた。しかし私はひるがえって考える。この本にかかれている事は果たして過去の出来事を寓話で現した事なのだろうか、あるいはよその国のことなのだろうか。この本が売れた経緯を知り、私は「あの」フランスでさえ気が付くのが決戦投票まで行ったのだ、いわんや、日本をや、と思ったものである。そう思ってもう一度読み返すとこの物語が生々しく現実的なお話に読めてしまうから不思議である。(04.04)
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2004年07月02日(金) ■ |
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「さぬきうどん決定録」 |
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「さぬきうどん決定録」 以前のさぬきうどんツアーは一万円かけて瀬戸大橋を渡るという無謀な旅だったので、今回は電車を使った。費用は約1/4になった。しかし行けるところは高松駅周辺のみ。今回の有力な武器はこの本。うどんの名店を厳選している(らしい)ところと、地図と開店している時間帯が非常に具体的なところが「役に立つ」。
腹が空いたので先ず1件目は駅前のM店。汁は美味しい。2件目は今回の目玉、巻頭特集に載っているS店だ。凄い人出だ。麺の腰、だしとも美味しい。しかも安くて量が多い。うーむ満足。3件目はたくさん歩いて、琴平電鉄にも乗って、以前の旅の時閉まっていた「製麺所」タイプの店に行く。このしなびた雰囲気が素晴らしい。味は…素晴らしい!!単なる腰ではない、この延びるコシ、しかもS店より一回り安い。喫茶店で気分を静めて、次ぎのG店へ。これも巻頭特集に載っていた店だ。この味でなぜこの値段で出せるのか不思議なほどだ。思わずお代わり。常連さんとの世間話を聞くのも楽しい。最後は割烹店みたいな店。梅うどんを頼んだら、なんとうどんの付きだしまで出て550円。体中がうどんのようになった幸福な一日でした。
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2004年07月01日(木) ■ |
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「秘太刀馬の骨」文春文庫 藤沢周平 |
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「秘太刀馬の骨」文春文庫 藤沢周平 藤沢周平の随想を読んでいる読者には良く知られている事なのだが、藤沢氏は大の海外ミステリー好きである。ミステリーの一つの分野に「犯人探し」ものがある。犯人は誰か、容易周到な読者はむろん気が付くかもしれないが、多くの読者は騙される。しかし一つだけ原則がある。社会派推理物とは違い、犯人は必ず「意外な人物」であるという事だ。
さて、この作品は先ずは「剣客小説」といっていいだろう。氏の真剣勝負の描写には定評がある。今年の秋にもまた、氏の剣客小説の一つが映画化されるそうで私は大いに楽しみなのだが、映像で見るのとはまた違い、文章で読むと「目にも止まらぬ速さ」とは想像の世界では本当に目にも止まらぬ速さとなり、楽しい事この上ない。
一方で犯人探し物としてもまた面白かった。秘剣継承者ははもちろん「意外な人物」であった。ただし、本来のミステリーファンは不満を抱くであろう。「きちんとした」伏線は張られていないからである。もちろん伏線は張られている。その微妙な伏線を私は大いに楽しんだ。そしてそれが氏の「奥ゆかしさ」なのだ。氏はこれが「本格推理物」として見られる事を避けたのである。というのが私の推理である。
この作品なによりも「時代小説」である。下城の太鼓の音で自宅に帰っていく武士たちの生活、北の国の四季の移り変わりを丁寧になぞっていく描写、その中での武士の「覚悟」、現代に通じる派閥の暗躍、氏が一番描きたかったものを読者は見落としてはならない。(04.04)
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2004年06月30日(水) ■ |
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「指輪物語10追補編」評論社文庫 J.R.R.トールキン |
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「指輪物語10追補編」評論社文庫 J.R.R.トールキン 約一年間、『指輪物語』を読破するという私の読書の旅も終りを迎えつつある。半年間指輪と共にいたフロドは癒す事の出来ない指輪から貰った「傷」により「灰色港」に至るわけであるが、一年間この物語と付き合ってきた私も、直る事のない指輪の「影響」を受けたようである。フロドのように奇跡的にも滅びの山の火口にまでたどり着くような強靭な精神力と高潔な人格を持っていない、欲深い人間の私なので、とても灰色港から旅立つことは出来ないが、私は私なりにこの物語を咀嚼する事で「影響」の決着を付けたいと思っている。そしてそのための「追補編」でもある。
映画でセオデン王が『これで私も過去の王の名誉ある仲間に入る事ができる』といった事の意味が、「エオル王家」の年代記を読むと分かる。あるいは「アラゴルンとアルウェンの物語」では、理想の「最期の言葉」が述べられている。
「指輪物語」とは一人の作家の頭の中から出てきたとは思えないほど奇跡に満ちた一つの世界観でもある。もう一つの歴史、もう一つの地理、もう一つの言語と私たちは相対する。この物語を読み終った者は現代世界を相対的に見る目を持つ事になるだろう。
「トールキン指輪物語事典」 原書房 デビットデイ 指輪物語事典というより、「中つ国事典」といったほうがいいだろう。「ホビットの冒険」や「シルマリルの物語」も含めて、中つ国の歴史、地理、社会、動植物、登場人物を縦横に解説している。しかし普及版なので、地理の地図とかカラーならもっと良く分かったろうに、という部分が散見される。
これを片手に指輪物語を読むのはお勧めしない。よけい混乱するだけである。(というのが私だけだったら御免なさい)なにしろ指輪物語にも出てこない様々なエピソードをここでは解説している事が多いからだ。むしろ指輪物語を読んだあとで、この詳しい歴史を読んだり、映画で描かれる以前の世界である豊富な挿絵を鑑賞するのはとても楽しいものになると思う。
内容は非常に豊富である。「指輪」の「影響」を被り、もはや直る事はない「指輪病」である、と判断されるような人には必帯である。
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2004年06月29日(火) ■ |
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「縄文論争」講談社選書メチエ 藤尾慎一郎 |
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「縄文論争」講談社選書メチエ 藤尾慎一郎 この本の最大の見所はは、「1000年の間3回も縄文人は稲作農耕を選ぶチャンスがあったのに、なぜ2回は見過ごしたのか」というところだろう。現代の考古学では、昔の狩猟に頼って栽培の技術は持っていなかった「遅れた」時代という縄文時代観は払拭されつつある。環境要因、韓半島の情勢、そして縄文人の中の主体的要因。幾つか重なって縄文人は弥生人になっていったのである。土偶の持つ意味、米と他の食物はどう違うのか、世界の中の縄文文化等、若い新進の考古学者が描く最新の縄文時代観である。(04.03.)
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2004年06月28日(月) ■ |
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「上弦の月を食べる獅子」(下) ハヤカワ文庫 夢枕獏 |
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「上弦の月を食べる獅子」(下) ハヤカワ文庫 夢枕獏 下巻は一気に読まて貰った。舞台は蘇迷楼(スメール)、生物の進化を辿っていった先の人間世界である。さすがに人間世界の話は分かりやすい。大きな問いを畳んでいった先に二つの問いが残る。
双人としての主人公の一人の属性は今や隠す事無き宮沢賢治である。冒頭「銀河鉄道の夜」のサソリの話が出てくる。この物語は修羅の道をたどってきた賢治に決着を付けさせるという一面を持つ。夢枕獏は最後の問いを逃げない事をこの物語を書くときの条件にしたと言っている。なるほど問いには逃げなかった。しかしせっかく「とし子」を登場させたのにあの扱いはどうなのだ。私には「逃げた」ように感じた。
「正しい問いのなかには、すでに答が含まれている」という言葉には私は全面的に「肯」という。しかし、この物語は正しく問うているのだろうか。私には問うていないように思えたのだが、それは私の中に「答」がないからなのだろうか。
こういう物語があってもいいと思う。しかし私にはせっかく賢治に姦淫と殺生を犯さして更には再びとし子に逢わせるという体験をさせたにもかかわらず、いっこうに決着が付いていないように思えた。(04.03.13)
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