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2004年06月27日(日)
「祖国を顧みて」岩波文庫 河上肇

「祖国を顧みて」岩波文庫 河上肇
大正2年(1913)、34歳、官費留学生として河上はヨーロッパに留学する。経済学者、宗教者、ジャーナリスト、大学教授、社会主義者、共産主義者と、左右上下に彼の意見は変わっていったが、彼の生き方自体はいつも変わってはない。それは一つは「誠実」という事であり、一つは鋭い「批評精神」があるということであり、一つは溢れるような「詩人」であるという事である。今回の旅も、祖国へ送るレポートは「愛国主義」にまみれているように思えるが、(その後の昭和の軍国主義を知っている私たちには危なかしくて仕方ないのだが)一方では優れて「文化人類学的」なレポートとなっている。

「西洋文明の特色は分析的で、単位と単位との分界が極めて明確な点にある」とレンガ石で出来た都市を説明する。一方「日本文明の特色は非分析的で、全て物を一まとめとする点にある。」と、日本の建築物を説明し、「この組織では大建築は出来難い。家族主義国家になって、世界主義にならぬ所以である」と主張する。確かにすこし画一的な説明ではある。河上に現代日本を見せたらなんというのだろうか。しかし、多くの部分では当たっているところもある。例えば、日本の食器はすべて誰々のものか、何々のためか属性が与えられているのに対し、西洋の食器はたとえ犬が食べた食器でも洗って清潔であれば晩餐でも使うといった合理主義があるという指摘は今でも通用するだろう。

河上のジャーナリスト精神、あるいは詩人としての文章力が健著に現れたのは、「伯林脱走記」である。かれはたまたま第一次大戦勃発時、ドイツ伯林(ベルリン)にいた。ドイツの開戦からイギリス参戦にいたる経過をベルリンに居て見事にレポートしている。いよいよベルリンを夜逃げするときの描写はなかなかの名文であった。(04.03.12)



2004年06月26日(土)
「高村薫の本」別冊宝島

「高村薫の本」別冊宝島
高村ファンにとってはたまらない本だろう。特に合田雄一郎ファンにとっては「素晴らしいニュース」も含まれているし。ただし、高村薫未読の人や、1冊ぐらいしか読んでいない人にとってはちょっととっつき難いかもしれない。それと、読本にしては詳細な著者年表が入っていないのも不満ではある。しかしそれ以外はおおむね満足一部大満足の出来である。編集の皆さんには「ご苦労様でした」といいたい。

これから秋にかけて「レディージョーカー」の映画化等でまたぞろ高村薫が話題にのぼるかもしれない。しかし基本的にはそれだけでこの本を手に取ると痛い目に会う。私でもまだ読むのは先にしたほうがいいかな、という特集があった。特に冒頭の爆笑問題太田光インタビューはまだいいとして、第二特集の高村薫と竹内洋の対談は「晴子情歌」を読んでいない私には非常に読み辛かった。その辛さも高村薫の魅力ではあるのだが。(04.03)



2004年06月25日(金)
「小さな花」かもがわ出版 加藤周一

「小さな花」かもがわ出版 加藤周一
変形函入りの小さな本を開く
加藤周一氏の
未発表文章を含む小品集だ
見新しい見解はない
長い論文はない
氏の中に「知」と「情」があるとすれば
この本の中には
優れて情が溢れている
知識の泉に遊びたいときは
氏の別の本を猟歩するとして、今は
強大な権力の前に差し出された小さな花を
愛でよう
氏の翻訳する
ポール・エリュアールの「自由」を
ベルトルト・ブレヒトの「子どもの十字軍」を
思い出したときに、必要なときに、
紐解こう
(04.03)



2004年06月24日(木)
「さつき断景」祥伝社文庫 重松清

「さつき断景」祥伝社文庫 重松清
阪神大震災と地下鉄サリン事件のあった95年から、2000年までの6回の5月1日を小説として寸描している。

その当時のテレビ番組や、新聞のスポーツ欄などを再現して、著者は明らかに読者である私たちを「挑発」している、ように私には思えた。問題はタカユキの恋の行方でもなければ、ヤマグチさんの家族への想いでもなければ、アサダさんの定年後の生活でもない。あの時の5月1日、あなたは覚えていますか。そう挑発しているのである。

私は覚えていなかった。何をしたかは少し調べればわかった。しかし何を考えていたか、何を悩んでいて、何を大切に思っていたのか、結局登場人物たちが思っているようには思い出さなかった。

1日1日を大切に生きろよ。著者は暖かく読者に話かけている。(04.03)






2004年06月23日(水)
「イラク戦争と占領」酒井啓子

「イラク戦争と占領」酒井啓子
混迷を極める現代のイラクの姿が、私には明治維新前後の日本と重なって仕方ない。民衆の反米意識、もはやフセインの手から離れたテロは米軍だけではなく、アメリカに協力的なあらゆる国、組織、イラク人にも及んでいる。それは幕末の壌夷運動に似てはいまいか。

あるいは民主化を求めるためのあらゆる模索。最初アメリカという上からの改革が提示されるが、やがてイスラームの台頭、あるいはイラク共産党の地道な活動、そして武闘派の台頭、いろんな勢力の百花僚乱。自由民権運動を想起しないだろうか。

もちろんイラクの現状はそういう一言二言で語れるほど単純ではない。未来は不透明ながら、第3章、第4章、終章では、酒井氏ならではの展望も語られる。しかし、それとて私にはやがて書かれるであろう、酒井氏によるイラクシリーズの第三弾への序章にしか思えない。それほど未来は日々変動している。ただ、この本には一般誌を読んでいたのでは到底見えないイラクの「現状」が確かに活写されている。特に第1章の著者本人による、イラク2003年7月現在のルポは、一番具体的で一番分かりやすかった。

我々にとって問題は、日本が果たすべき役割は何か、という事であろう。それは果たしてアメリカの要請を受けた形で自衛隊が「人道支援」に行く事なのだろうか。それを考えるべき幾つかの視点もここでは述べられている。(04.03)



2004年06月22日(火)
「バッテリー」角川文庫 あさのあつこ

「バッテリー」角川文庫 あさのあつこ
手に取ったきっかけは単純である。物語の舞台が私の地元岡山県だった。あらすじも単純そうだ。よくある野球マンガの設定である。天才ピッチャーが片田舎の野球チームにやってきて、チームが突然強くなる(のかな)。児童文学だそうで、活字も大きく、段組も広く、簡単に読めそうだ。

読んでいる間、久しぶりのドキドキ感が消えなかった。マンガなんかの描写じゃない。ましてや、文章は易しいが物語は全然安易ではない。緊張感を感じるいい読書をさせて貰った。自然描写の豊かさ、登場人物たちのはっきりした個性と、魂の高潔さと孤独、どきりとするセリフ、そして物語の面白さ。もちろん欠点もないわけではない。しかしそれを補って余りある面白さがある。素晴らしい物語と作家に出合った。今はただその事を喜びたい。(04.03)



2004年06月21日(月)
「回天の門」文春文庫 藤沢周平

「回天の門」文春文庫 藤沢周平
口先三寸で薩摩藩士達を討幕に持っていき、伏見寺田屋事件を誘発させた男。一転幕府の金で浪士組を募り、それを攘夷の党に染め変えた男。山師、策士、変節漢。そういう世評にたいし、藤沢周平はそれは「誇張と曲解」があるという。「清河八郎の思想的立場は一貫していて、変節のかけらも見出す事は出来ない。」今年、新選組がクローズアップされる中で、清河八郎という男は悪役に回りがちではある。しかし、彼自身が書いた文章と事実を短念に取材したこの小説を読むと、一人の田舎から出た秀才がひどく生真面目に時代と向きあった一生が浮かび上がる。

浪士組の件はこの小説が九割がた終りかけた頃に描かれる。八郎が実際行動に移すのはこの小説の半分近くにかかってからである。桜田門外の変の報を受け「八郎は幕府という大きな機構が、ずしりと音を立てて滑落したのを感じた。」八郎はそれまでは本気で江戸で文武両道の塾を立ち上げるのを目指していたのである。しかし、時代が彼を突き動かした。いわば70年代の全共闘世代に似ている。八郎たち若者ははテロルに走る。倒すべきは幕府。ふがいないのは各攘夷藩主。八郎に時代は人一倍見えていた。しかし、若さが性急な闘いを求めた。いつの時代も同じなのか。

私はこの作品を読みながらしきりに現代のイラクを考えていた。反米テロ(攘夷運動)、幹部の手を離れ若者が自主的に動く(草莽の志士)。清河八郎の人生は悲しかった。(04.02)



2004年06月20日(日)
「謎とき「罪と罰」」新潮選書 江川卓

「謎とき「罪と罰」」新潮選書 江川卓
「罪と罰」は去年の私の読書生活の中では、大きな事件であった。いまさら、と言われるではあろうが、やはり名作は名作である、と再認識。ほとんど現代小説の傑作のように読み、今なお私を揺さぶりつづけている。その「罪と罰」を1冊丸ごと解説している本があるのだから、当然読まなくてはならない。しかも、私はたまたま岩波文庫で読んだのだが、その訳者の叙述だという。

退屈だった。何度読むのを投げてしまおうかと思った事か。そりゃ確かにそういう読み方も可能かもしれない。ドストエフスキーは念密に登場人物の名前や、セリフの言いまわしに二重三重の意味を持たせていたのかもしれない。しかし私にとって重要なのは、ラスコーリニコフは最後には罪の意識を持ったのか、彼はその気持ちをどのように変化させていったのか、ポルフィーリが仕掛けた罠と彼が掴んでいたという動かぬ証拠とはなになのか。スヴィドリガイロフは本当に妻を殺したのか。そういういわば、小説の根幹(だと私には思われる)の事なのだ。しかしその事に半分もこの訳者は答えようとしていない。唯一凄いなあと思ったのは、ラスコーリニコフとソーニャが実はあの時点でエッチしていた、という事の証明なのではあるが、それは最後のほうにやっと出てくる。この本は最後の一章か二章ぐらいが一番面白かった。(04.02)



2004年06月19日(土)
「ジョゼと虎と魚たち」角川文庫 田辺聖子

「ジョゼと虎と魚たち」角川文庫 田辺聖子
この本を手にしたのは、映画を見たからである。もう一度、ジョゼに逢いたかったからである。原作では「市松人形のような小さく白い顔」と表現され、映画では池脇千鶴が迫真の演技をした、ジョゼ。
よくあることなのだが、原作と映画は似て非なるものだった。そもそも原作がこんなに短い物語だったとは知らなかった。映画の中にある青年のこずるさ、ジョゼの自立心はこの原作の中にはない。正直、原作より映画のほうがよかった。
ただし、池脇千鶴がぶっとい大阪弁を駆使して女のしたたかさを表わした一方で、小さく震える背中で女のか弱さを演じたように、この短編集のほかの1篇1篇は現代女性の様々な一面が見事に表現されていて、どの短編も見応えがあった。全面大阪弁の恋愛小説集として、なかなか面白かった。(04.02)



2004年06月18日(金)
「「谷根千」の冒険」ちくま文庫 森まゆみ

「「谷根千」の冒険」ちくま文庫 森まゆみ
地域雑誌「谷根千」に出会ったのは今から10年ほど前だっただろうか。東京ぶらり旅でふと降りたのが日暮里駅。幸田露伴旧居を通って三崎坂を下る。円朝の墓を眺めて元愛染川だったへび道を歩いていると日曜野球の子供たちが自転車で通りすぎていく。ふと地元商店街の書店に寄るとこの下町情緒溢れる地域の観光マップらしきものが載っている地域雑誌があった。これは便利、と買い求めたのが、谷中・根津・千駄木を拠点に地元を調査・記録・紹介し、果ては「歴史建造物保存運動」のパイオニアまでになる「谷根千」という雑誌だった。私は帰りの電車の中で読み返し、いっしょにバックナンバーまで買っておかなかったのをひどく後悔した。そして同時にこの雑誌に関わっている森まゆみという稀有の文章家の存在を知った。

この本は「谷根千」を1984年に発刊したあとの七年間の記録である。育ち盛りの子供を持った主婦たち三人が、一つの地域雑誌を一万部発行まで育て上げ、なおかつ、様々な運動に関わっていった経緯が書かれてある。

今回改めて「谷根千」バックナンバーを引っ張り出して読んでみた。聞き書き中心の「足で書く」文章である事、広告収入に頼らないもの申す事には堂々ともの申す「志高い」雑誌である事を再確認した。この作品は、そういう雑誌はどのように作られるのか、そして自分の住んでいる地域とどう向かい合うのか、読み方によっていろいろなアプローチの仕方がある興味深い本だと思う。(04.02)