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2004年01月28日(水)
「百年の恋」朝日文庫  篠田節子

「百年の恋」朝日文庫  篠田節子
家事が全然出来ない美人キャリアウーマンと、年収200万の夫。設定のちょっとした工夫で、家事や子育てがどんなに大変なものかしみじみと分かる。
NHKのドラマを見て買ってみたのだが、川原亜矢子はまるっきり適役。いったんテレビを見ると、あの梨香子は川原亜矢子イメージ以外ではこの原作を読めなくなった。妊娠出産のイメージは原作のほうがはるかにリアルであった。ともかく楽しんであっという間に読める本ではある。



2004年01月27日(火)
「パソコン情報整理術」富士通ラーニングメデイア  知的生きかた文庫

「パソコン情報整理術」富士通ラーニングメデイア  知的生きかた文庫
この本は会社内でパソコンを利用している人のための情報整理術であり、私のように趣味で多くの文章を作ったり、画像を保存しているものにとっては不要の整理術が多々ある。(特にフォルダ整理術)
しかし幾つか参考にすべきテクニックがあったのも事実だ。(例えばデスクトップ上での整理術)
また画面操作の一つ一つを丁寧に再現しているので、例えばふせん紙ソフトの立ち上げ方等、文章だけでは分からないことも全て分かるという点も、初期ユーザーには助かるだろうと思う。まあ500円ちょっとでこれだけの分かりやすさはお得だろうと思う。



2004年01月26日(月)
「ビタミンF」重松清 文春文庫

「ビタミンF」重松清 文春文庫

私は孤独に戦っている少女の物語を読むのが好きだ。よって「セッちゃん」は私のお気に入りである。孤独に戦うのは少年ではいけない。何故なら少年だと孤独に耐えることが出来ないから。(もちろん私のかってな思い込みです。)だから少年は必然的に仲間をつくって戦うだろう。(反対に言えば「仲間」を作るのが上手だ)
重松清氏の小説で孤独に戦うのはいつも少女である。(あるいは中年男性だ。大人になると戦いは孤独になるのか。)彼女は凛々しく戦う。「そんなに現実甘くないもん」家族はその回りでおろおろするばかりである。
家族の「現実」を描いて10年。重松清の家族はあと10年、20年どのように変化していくのだろうか



2004年01月25日(日)
「東電OL殺人事件」新潮文庫 佐野眞一

「東電OL殺人事件」新潮文庫 佐野眞一
東京電力に総合職で入った慶応大学経済学部出身のエリートOLは、もう一方では円山町で立ちんぼの売春をしており、ある日何者かに殺される。
このノンフィクションはそのOLの心の中まで映すことには成功していない。事件の実態はどうだったのか、ネパールから来た出稼ぎ外国人労働者が容疑者として浮かび上がるが、最近の報道を見ているとどうやら闇の中に葬り去らされようとしているとしか言いようがない。私は「冤罪」だと思ったが真実はどうなのかはわからない。どちらにせよすべてが中途半端なことしかわからない。
ところがその中途半端なところがこの本の欠点になっているかというとそうとも言い切れないところがこの作品の面白いところだ。現在進行形の事件の場合、著者の視点から選ばれた事実を読むことで、私たちはいくつものことを考えさせられる。ノンフィクションの面白いところである。OLの中の「心の闇」と外国人労働者の実態、二つの「大堕落」と「小堕落」を描きながら、本来出会うことのない二人がなぜか出会う。世の中とは不思議なものである。



2004年01月24日(土)
「上弦の月を食べる獅子」(上)ハヤカワ文庫 夢枕獏

「上弦の月を食べる獅子」(上)ハヤカワ文庫 夢枕獏
日本SF大賞を獲ったという本書ではあるが、SFの意味を単なるサイエンスフィクションと捉えていると、途中でこの本を投げ出すだろうと思う。
かって「世界で一番美しい物語」という科学の概説書を読んだとき、私は「宇宙の始まりや未来の話、あるいは生物発生の秘密の話を聞けば聞くほど、哲学的なことを考えてしまうのはなぜだろう」という感想を持った。そういう感想を推し進めるとこういう作品が出来上がるのだろう。この作品は優れて「SF哲学」とでもいうべき本なのである。
この作品の主人公の「前身」として「肺を病む岩手の詩人」が出てくる。名前はついに明らかにはしてないがどう考えても「宮沢賢治」である。何しろ彼の詩や文章がほとんどそのまま引用されているのだから。ただ唯一違うのはこの詩人が「螺旋」に興味を持っているという設定である。その賢治に現代の「修羅」みたいな男をもう一人の「前身」として結びつける。そうすると、どういうことがおきるかというと、かって賢治が生前には出来なかった「殺生」「姦淫」などをこの主人公は行うことになる。その上で「自分は何者か」「人は幸せになれるのか」という「問い」を尋ねていくのである。私にはものすごい「冒険」に思える。まだ下巻は読んではいないが、いいかげんな「答」なら賢治ファンの私としては許すことが出来ない本になるだろうと思う。



2004年01月23日(金)
「中世倭人伝」岩波新書 村井章介

「中世倭人伝」岩波新書 村井章介
私のこの本の読み方は少々いびつである。14Cから16Cにかけての対馬と釜山等との港の関係、日本と朝鮮の関係、果ては中国との関係、そこで活躍する「倭人」と呼ばれた日本人とも朝鮮人ともいえない「マージナル・マン」たちの活躍。そういう世界を描いているのではあるが、私はそこに遠く1000年以上昔の弥生時代の倭人たちの朝鮮半島、北九州、山陰、中国沿岸に渡って情報交換しながら自分たちの文化を育んでいく姿をダブらせていた。航海技術は中世の倭人たちとは全然違うかもしれないが、弥生時代の倭人たちももし文献に残っていれば、支配の目を潜りながらしたたかに自分たちの住むところを確保していったのだろうな、と想像させるに充分なだけの当時の第一次資料(「朝鮮王朝実録」)が詳しく紹介されてある。
今度釜山に行った時には、倭館の在ったところに行き、600年前の私たちの祖先たちのしたたかさに想いを馳せたいと思う。



2004年01月22日(木)
「地球の歩き方韓国」JTB

「地球の歩き方韓国」JTB
前回韓国の「歩き方」を買ったのは三年前。実はいろんなページを便宜上破いていたので、今回買い換えたのだが、内容がいろんなところで一新されていたのには驚いた。構成そのものが一新されてある。今回は間にサッカーダブル杯をはさんでいるので特にそうなのかもしない。

私が「歩き方」を買うのは地方都市の情報が一番充実しているからである。今回は光州、全州の事前情報を集めるのにもっとも役に立った。各都市の日本語ホームページもあるのだが、見やすさと詳しさにおいてはこの本にはかなわない。ある程度の計画はこの本でたつ。

しかし観光コースではない旅をしようと思うなら、実際バスセンターに着いたあとで観光案内所に行くことを勧める。例えば光州に行くと、「歩き方」には載っていない1980年光州事件の関連施設が山ほどあるのに気がつくだろう。



2004年01月20日(火)
「食べる指さし会話帳韓国」情報出版局センター

「食べる指さし会話帳韓国」情報出版局センター
韓国内、完全フリーの旅をした。私はすでに第一弾の「旅の指さし会話帳韓国」を持っている。私は両方とも持っていった。私は韓国語はほとんど出来ない。ハングル文字もほとんど判読できない。そういう私が光州、全州、釜山に行き、地元の旅館(モーテル)に飛びこみで泊まり、日本語や英語を全然解さない食堂のおばちゃんやタクシーの運ちゃんにコミュニケートしながら旅をするには、この2冊はなくてはならないものであった。パック旅行ならこの本は必要ない。2〜3会話を覚えるだけで全て済むからである。

なぜ2冊もそろえる必要があるのか。「食べる」では豊富な食べ物の名前が載っているという事がある。韓国を旅して困ることの一つは記号のようなハングル文字が全然分からないためにどの店に飛びこんだらいいかさえも分からないということである。この本は豊富な料理の名前が載っていて、その料理の見かたも載っているのである程度の見当はつくようになっている。ただし、実際はの本に載っている以上の料理の名前が店の看板にあるので、後はカンと度胸で店に飛び込むしかなかったことも多かった。

一番役に立ったのはこの本の巻末にある簡単な単語帳であった。第一弾のほうにもあるのだが、そっちは日本語から韓国語を捜す単語帳で、その反対の両方とも載せているのは「食べる」のみである。イレギュラーの会話のときにそれは威力を発揮する。今回の旅では旅館に大事なメモ帳を忘れたとき、旅先で知りあった青年ととりとめもない会話をしたときに大変役に立った。相手がなにを言いたいのか、この単語帳を見せると一生懸命捜してくれるからである。そういう会話をした人が旅の中での一番の思い出になったりするのである。

ひとつだけ、韓国をフリーで旅するコツを。目的の都市に着いたら先ずは観光案内所に行こう。日本語の出来るスタッフがたいてい居て、「地球の歩き方」に載っていないような有益な情報をゲットできるし、詳しいマップを日本語版、韓国語版両方手に入れれば、タクシーに行き先を示すときに大変役に立つのである。



2004年01月19日(月)
「ソウルの食べ方歩き方」山と渓谷社 中山茂大 チユ・チョンヨン

「ソウルの食べ方歩き方」山と渓谷社 中山茂大 チユ・チョンヨン
今度韓国を旅することにした。しかし残念ながらソウルには行かない。でもこの本を買った。別に安食堂に行くためのマニュアルがほしかったわけではない。この人たちの韓国の路地裏の歩き方、その「嗅覚」を何とか自分も身に着けたいと思ったからである。
日本語の通じるような食堂はいまひとつ高いし、何よりも普段着の韓国が判らないという欠点がある。だから過去においてそれ以外の店に何度か入ろうとしたのだが、たいてい挫折している私なのである。なかなかあのハングル文字だらけの店には入りにくいというのがひとつ。おばちゃんも、言葉がわからない外国人が来るといかにもうるさげに対応する(過去の経験)というのがもうひとつの理由だ。けれどもこの本を読んで、「勇気」をもらった。安い店の「標準」とはどういうものか。「おいしい店」の特徴とはどういうものか。おばちゃんたちとどう接すればいいのか。そのヒントがここにはいっぱい。後は実行あるのみ。
もちろんこの本は優れて素晴しいソウルの安食堂ガイドになっている。近い将来ソウルに行ったときには必ず持ち歩きたい一冊である。今までに無い食体験ができること請け合いである。



2004年01月18日(日)
「韓国民主化への道」岩波新書 池明観

「韓国民主化への道」岩波新書 池明観
「(韓国の国花ムクゲは)咲いては散り、散っては咲き、無窮に咲きつづける。いかなる逆境にも負けないしたたかさ。それが朝鮮民衆の姿であるといわれた。」と著者はいって、戦後からソウルオリンピックにかけての韓国の戦後史を明かにしている。戦後の冷戦を背景にした南北分断、李承晩の登場、朝鮮戦争、4.19革命、直後の朴正きのクーデター、金大中事件、全斗換の登場、光州事件、直接選挙の実施…。そのほとんどを(名前だけは知っていたが)その歴史的背景と事件の経過を私は知らなかった。隣の国の激動の歴史なのに……。

韓国抵抗運動のレポートを命がけで書いていた「韓国からの通信」(岩波新書)の著者T.K生は池氏だという事が最近明かになった。よってこの本は戦後史の概説書であると同時に、名も無き学生が書いた生々しい激ビラの文章や、詩人の命がけの「詩」などが多用されてあって、見事な民衆史にもなっている。客観的な歴史書などは存在しない。(違うという人はE.H.カー「歴史とは何か」を読んだ上で反論してほしい)私は運動のさなかから書かれたこういう文章を信用する。

韓国民衆は時に勝利し、時に沈黙し、87年の勝利までに本当に粘り強く闘った。長期の独裁政権のもとで、暴力に拠らずどうやって民主化を勝ち取るか、ここには見事な世界史的、歴史的な教訓が埋もれてある。もっと知られるべき本である。