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2003年10月05日(日) ■ |
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『恋のウタ』三枝克之 |
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万葉集に現れた恋の歌に、現代語訳をつけ、若い男女の写真を配して、読みやすくした本だ、ということである。 しかし訳者が悪いのか、そもそも万葉集を訳する事自体無理なのか、歌のリズムも言葉の力も分散してしまい、この試みは成功しているとはいい難い。例えば「恋のエネルギー」というより、「恋力」と言った方がよっぽど新鮮で的確だ。1200年前の言葉の方に『詩』としての力を感じる。 ただこの本によって、私の知らなかった恋の名歌をたくさん知る事ができた。万葉恋歌の入門編としては面白い本。以下私の気に入った歌と簡単な感想を記す。 「あい見ては恋慰むと人はいへど見て後にぞも恋まさりける」(デートの後の気持ちはいつの時代でも同じだ)「朝に日にみまくほりするその玉をいかにばせにかも手ゆ離れざらむ」(男の身勝手と言えばそうなんだけど)「たまさかに我がみし人をいかならむ縁をもちてかまた一目みむ」(こうやって一目ボレが生まれる)「月草の移ろいやすく思へかも我が思ふ人の言も告げ来ぬ」(今なら一言メールだけでもと言うところだろう)「立ちて居てたどきも知らず我が心天つ空なり土は踏めども」(地に足がつかない想い)「吾妹子が笑まひ眉引き面影にかかりてもとな思ほゆるかも」(あなたの面影がちらついて離れない)「この頃の我が恋力記し集め功にもうさば五位の冠」(仲間内での恋自慢)
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2003年10月04日(土) ■ |
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「花おりおり」湯浅浩史 |
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(毎日更新目指す)と言いながら、飛び飛びになりつつあります。 やはりこの目標自体無理があったかも(^_^;) でも計算では年間230くらいの投稿は可能なので、 まだ一応題名はこのままにしておきます。
「花おりおり」朝日新聞社 湯浅浩史 矢野勇 この本を手にして一年たった。夏、秋、冬、春、夏、季節ごとに1〜2回本のページをめくり、回りにある花々の名前を確かめてきた。「雑草という名前の草は無い」と言った人もいたがまさにその通りで、野の花という名前の花はない。目に付く花の名前が「シオン」なのか「ヨメナ」なのか分かったほうがなんとなく嬉しい。 歴史に関心がある私には在来種なのか渡来種なのか、渡来種ならいつ頃なのか必ず記入があるのが嬉しい。歴史上の有名人がこの花を愛でたことがあるのかないのか想像できるからだ。 世の花の辞典は生物学的特長に多くの記述が割かれていて、花の名前の由来、文学的な扱われ方に言及しているものは少なかった。その意味ではこの本は「文系の花辞典」といえるのかもしれない。ただし、辞典としては花の種類が若干すくない。現在も朝日新聞紙上で連載がされているのも肯けることではある。
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2003年10月02日(木) ■ |
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『S.W.A.T.』クラーク・ジョンソン監督 |
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題名:『S.W.A.T.』クラーク・ジョンソン監督 思ったより良かった。 コリン・ファレルは男らしいし、 ロドリゲス姉ちゃんはなんだか女っぽくなって来たし、 いやな上司はヘンにどんでん返しなどしないで、 最後までいやな上司のままだし。 こんな筋書きになるな、 と想像していたらチャンとそんな筋書きになったし、 退屈しない程度にアクションはあるし、 うーん、だんだん悪口言っているような気分になってきた(^_^;)
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2003年09月30日(火) ■ |
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『サハラに舞う羽』シェカール・カブ−ル監督 |
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『サハラに舞う羽』シェカール・カブ−ル監督ヒース・レジャー主演 65点。 久しぶりの歴史大河物語なので、 悪い点をつけたくないのだが、 主人公はなぜ戦争を前に除隊したのか、 主人公はサハラ砂漠でどう変わったのか、 そういう肝心要のところがどうもすっきりしない。 砂漠の戦闘は黒澤時代劇より(一瞬)迫力あったので 点数はちょっと甘めです。
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2003年09月28日(日) ■ |
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「私のぼく東綺譚」安岡章太郎 |
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「私のぼく東綺譚」新潮文庫 安岡章太郎 荷風の「ぼく東綺譚」は名作の誉れが高い。評論家加藤周一はいう。「(荷風は)明治国家のみならずその社会と明白な距離を置き、組こまれを拒否して批判的な立場を貫き、しかし幸徳秋水や河上肇とは違って、その社会の変革を志す変わりに彼ら自身の自己実現を目的とし、信念と原則にしたがって生きることに自覚的であった。(略)(「綺譚」は)荷風の小説の頂点であり、戦時下の日本に見るべき文学作品として「細雪」と双璧をなすだろう」(「日本文学史序説」) そういう文章は固いと思う御仁には映画を紹介する。新藤兼人監督「ぼく東綺譚」(1992)である。当時の色街の「雰囲気」を見事に再現し、お雪役の墨田ユキがまた素晴らしかった。彼女はこの1作で女優賞を獲り、その後お雪のように見事に消えていった。原作とは違うラストが評価は分かれるが私は好きだ。 味わい深くかつ柔らかい文章となればこの著を推薦したい。本文に則して、自らの感慨と共に当時の雰囲気を紹介する。簡潔にして的をえた16章。1冊をもってこの本よりも薄い「ぼく東綺譚」を語り尽くしている。新聞連載当時の木村荘八の挿絵、荷風自ら玉の井を写したスナップ写真、その他貴重な資料が豊富に入っていて、本文とは関係ないところで私は感慨に耽った。先ずは薄い原本を読もう。そのあとに本作を読むことで「大人の文学の名作」をしっかり堪能できると思う。
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2003年09月27日(土) ■ |
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「忘れないよ!ヴェトナム」田口ランディ |
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「忘れないよ!ヴェトナム」幻冬舎文庫 田口ランディ著 この本は田口ランディの処女作だそうだ。一般的にいって処女作にはその作家のほとんど全てが詰まっているといわれている。そういう意味ではこのベトナム紀行文としては、はなはな不完全なこの作品も意味があるのかもしれない。この本の中に彼女の作家としての可能性の全てが詰まっているような気がするからだ。 私自身としては1ヶ月前に行ったベトナムを懐かしむ気持ちでこの本を手にとったのだ。1ヶ月の旅の間彼女は初めてのベトナムであるにもかかわらず、とうとうガイドを雇うことも無く、自力でベトナムに住むことになる。だからいったのはほとんどホーチミンの街とメコン川周辺に限られている。紀行文としては不完全といった所以である。彼女は精力的な『取材』というものをほとんどしていない。一日中ホテルの中でノンベンダらりと外を眺めているだけだったりする。テーマも決めていない。途中「目標」として掲げた「10m級のマングローブを見る」ということもついに実現せずに終っている。ただ、彼女のベトナム体験は私の体験することの無かった可能性としての旅に満ちていた。 この本は紀行文とはいえない。むしろ小説だと思う。もちろんほとんどが彼女の体験した事実だとは思うが、事実はこの作品の中では重要ではない。いろんな人に逢って、だんだんと「旅する」モードに入り込んでいって、「自分は何者なのか」に気がついていく過程、それがこの作品の真骨頂だ。ああ、また旅をしたくなった。
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2003年09月26日(金) ■ |
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「『超』整理法2」 野口悠紀雄 |
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「『超』整理法2」文春文庫 野口悠紀雄 今回の文庫版は「1」と違い、大きな改変もない。よってすでに新書版を持っている人は特別買わなくていいだろうと思う。私はただ、再読の一つのきっかけとして本書を買った。最近上梓されたばかりの本なので、以前読んだにもかかわらず内容的には使える部分も多く、刺激にはなった。いや、もう一つ特徴がある。2000年に発行された「『捨てる!』技術」(辰巳渚著)では、「(超整理法は)書類を神聖化している」と本書を批判しているが、それに対し3年の沈黙を破り野口氏が全面的に反論していることである。
さて、今回の『終章その後の展開』は丸ごと「『捨てる!』技術」に対する反論である。辰巳氏の無責任な批判によほど腹を立てたのだろう、その論点は鋭く容赦がない。私は『捨てる!』は読んではいないが、野口氏の終章を読む限りでは、どう考えても野口氏のほうに論理的説得力があるように思う。今回はこの反論がこの本の一大特長になっている。
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2003年09月25日(木) ■ |
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「予知夢」 東野圭吾 |
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「予知夢」文春文庫 東野圭吾 天才物理学者・湯川学が、オカルトっぽい事件を科学の視点で解決する。いくら不思議な事件が出てきたところで、それは科学的な裏づけがあるのだ。そういう風に物語の構成が決まっているので、いくら推理に疎い私でもこの連作だけは半分以上トリックを当てることが出来た。それならつまらない作品かというとそうではなく、最後の数行で「うーむ」と唸らせること毎回。基本的に東野の「眼差し」は優しい。それが私にはとても心地よかった。 例えば「絞殺(しめ)る」では、絞殺のトリックとは別に、ある女性のアリバイ工作が重要なファクターになる。私は女性がアリバイ工作をしているのだとは早くから気がついていたが、その「意図」についてはまったく気がつかなかった。最後の数行で「本当はいけないことなのだが」「優しい気持ち」になったのは多分私だけではないだろうと思う。
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2003年09月24日(水) ■ |
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「偶然にも最悪な少年」グ・スーヨン監督 |
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「偶然にも最悪な少年」60点 「いまどきの」無茶をする 少年の気持ちを切り取る、 少女の気持ちを切り取る、 もちろんこれが全てじゃないけど
……というようなことを伝えたかったのかしら。 よく分かんない映画だった。 どの出演者にも共感を覚えず、 どの出演者をも嫌いになれず、 見るものを選ぶ映画なのだろうか。
市原隼人と中島美嘉を見るだけで幸せという輩には 二人は充分露出多し。 ただ、「最悪」という言葉は 「サイテー」よりも救いがあるのでは、と思った。
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2003年09月23日(火) ■ |
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「トゥームレイダー2」ヤン・デ・ボン監督 |
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『トゥーム・レイダー2』70点 アンジェリーナは確かにはまり役なのだが、 もうこのシリーズもいいかな、と思ってしまった。 1作目のクロフト邸の攻防戦のような アイデアがあまり感じられなかった。
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