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2003年09月22日(月) ■ |
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「閉ざされた森」ジョン・マクティアナン監督 |
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「閉ざされた森」45点 これは「藪の中」の構成というのではない筈。 「藪の中」というのは真実が最終的に明らかにならないところに 面白みがある。 これはむしろどんでん返しの連続という、 伝統的なサスペンスの手法に依ったものでしょう。 でも小説で発表されれば、 書店の棚の隅に追いやられて やがて消えていく運命の本だとおもう。 あまりにもご都合主義。 とはいっても、 全編ずっと雨が降っていて、 それが見事な催眠効果をもっていて、 私一時期意識を失っていたので、 あまりえらそうなことは言えない(^_^;)
以下掲示板にも書かなかったこと。
ネタバレ警告
ネタバレ警告
ネタバレ警告
(もういいかな)
麻薬組織の壊滅をねらうのなら、 あんな回りくどいことをしなくても、 もっと色んなてがあった筈。
トラボルタが呼ばれなかったらこの作品は存在しなかった。 偶然にたより過ぎ。
鑑札を換えたことにどうして軍がすぐ気がつかないのか。
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2003年09月21日(日) ■ |
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「天然まんが家」本宮ひろ志 |
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「天然まんが家」集英社文庫 本宮ひろ志 本宮ひろ志は私にとっては、特別なまんが家である。彼が名作を描いたからではない。彼の作品の中には一本の名作もない。しかし忘れられない作品があるのだ。「男一匹ガキ大将」はそれである。誰もが初めて買ったレコードは擦り切れるまで聴いて忘れることが出来ないように、初めて買ったマンガの単行本なのだ。1〜3巻まで買い、まさに擦り切れ、ぼろぼろになって読めなくなるまで何度も読んだ。 一人の「不良」がカンと度胸と行動力で成長していき、やがて全国の不良を一つにまとめあげるというストーリーは当時の少年にとってはものすごい魅力的であった。今回この本を読んで、全国制覇に至る過程はそのまま本宮自身の私生活とリンクしていたのだと分かった。一人の「素人」が、最初は一人でやがて数人の「素人」スタッフと、やがては「少年ジャンプ」を一番人気まんが週刊誌までに育て上げる過程。文字とおり反吐をはき、のたうちながら描き、それが漫画の迫力に繋がっていた。最後の決戦のときは本当はいったん恋人と駈け落ちして投げ出したのだという裏話。面白かった。陰の「ガキ大将」を読むみたいだった。漫画の完成度は低いが忘れることの出来ない作品であった。 その後の彼の作品は面白いものもあるが、ネームまでスタッフに任せるような仕事なので認めるわけにはいかない。特に女の子の描写を妻に描かせているのは断じて許せない。「私のマンガの中で、妻の描いてくれる女性の絵がなければ、私のマンガ家としての寿命は、絶対といっていい確信として『男一匹ガキ大将』一本で終っていただろう」。女の子の顔がかって「りぼん」の人気作家だったもりたじゅんの作風に似ているなあ、とは思っていたのだが、全面的に描かせているとは、それで「本宮ひろ志」のペンネームで雑誌に載せているとは。こんなことをどうどうと書く本宮の神経が私にはわからない。
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2003年09月20日(土) ■ |
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『記憶よ、語れ』海老坂武 |
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『記憶よ、語れ』筑摩書房 海老坂武 海老坂武は私の気になる評論家の一人である。私の好きな加藤周一を唯一評論しているのがこの人であるし(「戦後思想の模索」)、独身主義を説得力ある本にまとめてあるのもこの人だし(「新シングルライフ」)、サルトルの重要な翻訳者でもあるからだ。 海老坂武の自伝的な本だと聞いて買ったのだが、一読、わたしの期待はずれだった。加藤周一『羊の歌』のように自分史を語りながら時代を語るのではなく、巷にあまたある自伝のように、自分の魂の成長を記録するのでもない。海老坂は自分を語りながら戦前戦後の「風俗」を語る。しかもその語り口は卑しい。途中何度も出てくる一段下げた挿入文がある。そこで海老坂は自分の恋人、生徒、編集者、弟に臆面もなく「私信」を書いている。まさに我々は高い金を払い、海老坂の長い長い手紙を読まされている気分に陥る。失望した。
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2003年09月19日(金) ■ |
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「トォーク・トゥ・ハー」 |
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『トォーク・トゥ・ハー』70点 こういう男と女の関係もありだ、と どれくらいの女の人と男が思うのだろう。 アリシアとデニグマの関係は単純である。 神秘的なのはむしろ、ミューズとマルコの関係である。 ありふれていると見るのか、特殊な関係と見るのか、 純粋な愛と見るのか、汚らしいと見るのか、 男は女が悲しみで崩れるとき前の障害物をとり除いてあげられるだろうか。 男は女が愛のうたを歌うときその体を支えてあげられるだろうか。
疑問符で終るそういう作品だった。 そういう意味ではあまりにもあざとい作品だ。 しかし形としては完成している。
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2003年09月17日(水) ■ |
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『ゲロッパ』井筒監督 |
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さすが「シネマクレール」、客筋がいい。 9割型入っていたのも驚きだったが、 みんな楽しもうと心に決めていて、楽しい時間が持てた。 西田敏行と岸部一徳の芸達者ぶりに充分笑わせてもろた。 岸部は「座頭市」でも少し役柄をずらしてヤクザをやったが、 つくづくいい役者やと思た。 太田琴音嬢の存在感は末おそろしい。 後はハートウオーミングを狙っているのか、 ナンセンスを狙っているのか、どっちつかずの構成が難。
以下ネタバレ
ハートウオーミングを狙っているのなら、 常盤貴子があまりにもあっさり心変わりをするのが異様だ。 内閣調査室が何を狙って動いていたのか、前半はぜんぜん分からなかった。 (あれに一億出すのはちょっとひどいぞ) ナンセンスなら、もう少しぶっトンで欲しかった。 本来のクライマックスの西田の「ゲロッパ」は 「釣りバカ日誌」に負けているぞ。
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2003年09月16日(火) ■ |
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『春の惑い』田壮壮監督 |
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『春の惑い』田壮壮監督(『古城の春』リメイク) 夫は病を得て癇癪持ちになった。妻はそんな夫の性格の変わりようや病のこともあり寝室を別にする。それがまた夫には悲しくてたまらない。やがてそこに夫の親友であり、妻の昔の恋人であった男がやってきて、旧家である夫の家にしばらく泊まることになった。1946年、春。上海郊外の蘇州。まだ至るところが日本軍の爆撃で瓦礫と化している。古城からの眺めは美しい。河がゆったりと流れ、田んぼが広がっている。そして美しい妻の愛を勝ち取れない若旦那、買い物とハンカチ刺繍の退屈な日々を送っている妻と、若く魅力的な医者であり、親友であり恋人(妻との関係を夫は知らない)男との三つ巴の心理戦が闘われる。 撮影は昔ながらの南中国の典型的な家屋から離れない。家の造りは南方らしく風が通るように工夫されており美しい。現代から見て、この三つ巴の心理戦はあまりにも倫理観や、世間体を気にしすぎており、正直(私には)物足りない。しかし、恋のためらい、嫉妬、そして人生を掛けて愛するということはどういうことかを、時代と場所を制限して、だからこそ純粋にうたいあげており、名作の気品を持つ作品であった。 最初、まるっきり夫の目を見ないで会話する妻が最後になると真正面ではないが、盗み見るように夫の目を見るようになった。その変化がこの作品の全てだろう。
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2003年09月15日(月) ■ |
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『さよなら、クロ』 |
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あのつぶらな瞳で見つめられたら、犬嫌いの私でも(本当ですよ) 誰でもクロを好きになるだろうと思った。 ドラマ部分はとってつけたような気もするが、 似たり寄ったりのことは10年間の中であったのかもしれ無い。 金井勇太、三輪明日美、近藤公園、次代を担う若手が 大勢出ていて、手堅い演技をしているのもうれしい。 主役脇役も手堅く、こういうきっちりした映画に残してもらえるなんて、 クロはやはり「「世界一幸せな犬」なのだろう。 特に新井浩文、今、乗りに乗っている若手の一人だろう。 あのごつい体とまるっこい顔と神経細そうな表情、 いろんな役をやらせてみたいような役者だ。
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2003年09月14日(日) ■ |
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『ロボコン』古厠智之監督 |
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最初実物高専名が出てきて、 (『徳山高専』『津山高専』凄い) 実在高校生がぞろぞろ出てきて、 主役級の役者さえも学芸会並みの演技をするので、 これりゃ外したかな、と思ったのだけど、 全国大会になって次々と試合をこなしていくうちに、 意外性とドラマと感動がやってきた。 何がいいといって素材がいい。 あと編集も良かった。 要らないところをばっさりと切っていた。 長澤まさみも、伊藤淳史もこのままではだめだ。 ひと皮むけないといけない。
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2003年09月13日(土) ■ |
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『きっと君は泣く』山本文緒 |
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『きっと君は泣く』角川文庫 山本文緒 「いいかい、椿。美人なんていうのは、雰囲気なんだよ。ハッタリなんだよ。いくら形が整ってたって貧乏臭かったり卑しかったりしたら何にもならないんだ。」椿はずっと年老いてもりんとした美しさを保っている祖母が自慢だったし理想だった。その祖母を手本として、椿は自分の容姿を「才能」だと思い活用している。自分の傲慢さも気にならない。祖母がそうだからだ。しかしその自慢の祖母がボケていく。祖母は本当に「美の理想」なのだろうか。それはこの作品の隠れたテーマだ。
読んでいくうちに椿をどうしようもない女だ、と確かに思ったりする。昔の同級生が「あんたは3歩歩くと、誰かが親切にしてくれたことなんか忘れちゃうんじゃない?鶏よりひどいわよね。目先のことしか見えないの。先のことを想像する力が無いのよ。」と悪態をつくのももっともだと思ったりする。ただしこの作品は椿の目線で描かれているので、椿に悪気が合ったわけではないことは分かるという仕掛けだ。そんな椿も最終場面にまで来ると「可愛いところもあるじゃないか」などと思ったりする。女性からは「甘い」といわれるかも。
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2003年09月12日(金) ■ |
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「女子中学生の小さな大発見」清邦彦編著 |
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この日記は、日記というよりは、私の読書ノート、映画ノート、旅ノートの統合版のようなものです。この文章はamazon.comへのレビューに投稿したものですが、第1段落目は文字数規定に引っかかると思い自主的に削除しました。
「女子中学生の小さな大発見」清邦彦編著 新潮文庫 私の夏休みの宿題には理科のレポート提出というのは無かったと思う。その代わり、「発明」を作るというのがあった。先生はいう。「何も大発明を作る必要は無いのよ。ちょっとした工夫があればいいんだから」そんなこといったってそう簡単に無から有が生じるはずもない。結局夏休み終了間際に、どこかの本から盗んできたアイデアをそのまま借用し、一日か二日掛りでまったく役に立たないガラクタを作る羽目に陥るのだ。今になって思う。普段から困ったことをなんとかしようという気持ちさえあれば、「深づめをしないための自分専用の爪切り器」や「お母さんの白髪最速発見器」など、「発明」することが出来ただろうにと。
科学の基本は「なぜそうなるのだろう」というなぜを持つことから始まる。けど、それは「訓練」無しに突然出てくることではない。清先生は普段から女子中学生に「大発見」の機会を与えていた。「0さんは爪の伸びる速さを計りました。一日に0.3mm伸びます。」こんな「発見」でも全校生徒に配られるニュースにのるんだということが分かると、生徒は次々と発見レポートを先生に知らせるだろう。 それが見事な「訓練」になっているのだ。
もう夏休みは終っているし、中学生の宿題のヒントになりそうな「発見」は紹介するのは止めにし、文学的な香り漂う「発見」を紹介してみよう。「0さんは万歩計をつけて寝てみました。朝までに12歩、歩いていました。」 「Hさんがアリを踏んでしまったら、たくさんのアリが近寄ってきて怪我したアリを巣につれて帰ろうとしていたそうです。」「Kさんはお正月の酔っ払いの観察をしました。「帰る」といって、30分飲んでいて、また「そろそろ帰る」といって帰らず、一時間たって3回目の「帰る」で帰りました。」
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