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2003年09月11日(木) ■ |
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『天使の牙』大沢在昌 |
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「天使の牙(上)」大沢在昌 角川文庫 映画を観ました。原作とは違いいろんな点で変更されている部分がありました。スクリーンでしか映えないストーリーというのは確かに在るのでこの変更点は仕方ないでしょう。 さて、原作のほうです。上巻では、心は女刑事・明日香、体は麻薬元締め君国の愛人・はつみの誕生に至る経過を描く。日本の地方都市を舞台にして(映画とは違いなんでもない地方都市が舞台になっているところが好きだ)、麻薬シンジケート、警察庁、一匹狼の刑事、明日香、この四つどもえの追跡劇が描かれる。滑稽むとうさと細部のリアルさが大沢の真骨頂。読みだすと止まらない。
天使の牙(下) 大沢在昌 角川文庫 明日香の上司芦田がかっこいい。腐りきった警察内部の根元を絶つために、涙を飲んで自分の愛する部下を危険にさらし、自ら凶弾に倒れる。組織内部での孤独な闘いは「かっこいい」としかいいようがない。ヒーローとヒロインがかっこいいのは当たり前。
映画では出てこないキャラクター、金村のエピソードも感動的である。話の展開はこうなるのだろうと大体予想はつくのだが、先を読まずにはいられなかった。それは対極にある神のキャラクターが生きていたからだろう。
読みだすと止まらない。四日間のうちに1〜2冊読み終えようと思っていたのに、4冊になってしまったのはこの作品のせいである。
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2003年09月10日(水) ■ |
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フジの番組「晴れたらいいね」での鬼伝説の扱いに物申す |
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この日記は日記というよりは、私の読書ノート、映画ノート、旅ノートの統合版のようなものです。各掲示板への書き込みもここに載せます。
今回は某考古学掲示板への書きこみを少し編集して載せます。
岡山県総社市の北の山の上に、 7世紀の朝鮮式山城といわれている「鬼の城」があります。 鬼の城から、吉備の国が一望に眺めることが出来ます。
(西門を再現中。建物のデザインの質問に対して)
うーむ最近行っていないんで、どうなっているか実際のところはよくわからないんです。何を資料にしたか、また勉強しておきます。鬼の城は今、半年行かないとまるっきり雰囲気が変わるくらい変化しています。ある程度完成してから行きたいなあ、と思っています。
そういえば、この前フジの番組「晴れたらいいね」で、『吉備の国では鬼は悪者ではなく、地元の人たちに尊敬されている渡来形の豪族だった』という内容の番組をしていました。地元人間も知らない、血吸い川上流の砂鉄採集スポットも映してくれて、面白かったのですが、数ある鬼(地元では温羅)伝説のなかから楯築遺跡を取り上げているのは感心しなかった。楯築遺跡にある『ストーンサークル的な』石の楯は、鬼の城からの矢を防ぐためのものだったという伝説です。けれども楯築の石は(おそらく)三世紀に作られたもので、(おそらく)7世紀の話である桃太郎の鬼退治とはまるっきり時代が違うのです。
いくら伝説の紹介とはいえ、あれでは楯築遺跡の権威が下がる、と、弥生時代の超重要遺跡である楯築遺跡ファンの私としては一言言いたいような内容でした。
それでは。
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2003年09月09日(火) ■ |
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『座頭市』北野武監督 |
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この日記は日記というよりは、私の読書ノート、映画ノート、旅ノートの統合版のようなものです。
『座頭市』北野武監督 ビートたけし主演 75点 基本を『面白いか』『面白くないか』ということに置くと 見事なB級映画であった、と言うことに気がついた。 『悪いやつはみんな死んじゃったねえ』と まあ実はそういう物語なのである。
でも一番悪いのは、「市」なのだが、 そのことに気がついていても誰も言わない。 いつ居合で殺されるかわからないから。
傑作ではない。でも楽しめる作品だった。
以上が某掲示板に書いた文章であるが、 少し付け足します。
ネタバレ注意
この作品に、深遠な哲学を求めてはいけない。 市に「正義」を求めてはいけない。 彼が殺すのはやくざばかりではあるが、 市が「向かうところ敵なし」だとしても、 あの皆殺しはいけない。 『匂いでいい人間か悪い人間かわかる』そうだが、 あそこで殺されるのは明らかになんもわかっていないチンピラたちだ。
北野武は「不良」に対するなんとも言えない「優しい眼差し」が特長の監督だ。 もう一方で「不良」を突発的に殺す。 その線引きは非常に微妙だ。 今回の作品の線引きは、やくざなら所かまわず殺せ、だ。 時代劇だから、たかが外れたのだ。 それが時代劇なのだから、私はB級映画だといったのだが、 たけしらしくない、とも言える。
『楽しめる』作品であるが、私は嫌いな作品である。 盲目の市の世界をミュージカル的世界で味付けしたのはいいアイディアだ。
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2003年09月08日(月) ■ |
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「虹の谷の5月」 |
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この日記は日記というよりは、私の読書ノート、映画ノート、旅ノートの統合版のようなものです。amazon.comへのレビュー、ニフティの掲示板に書いたもの、各MLに投稿したものを載せます。過去の投稿はあまりにも膨大なので、原則的には載せません。私のリアルタイムの精神の遍歴(とそんな大袈裟でもないか^_^;)と思ってください。
「虹の谷の五月」(上)集英社文庫 船戸与一 フィリピン・セブ島ガルソボンガ地区に祖父といっしょに住んでいる日本人との混血児13歳のトシオの98年から2000年までの物語。現代フィリピン辺境では、人々は拝金主義にまみれている。新人民軍というゲリラでさえ、革命税といいながら、貧乏な家からも強制的に金を徴収する。たった244人の地区なのに地区長選挙に買収が横行する。街の警察所長も金で動く。その中で元抗日人民軍だった祖父の薫陶よろしく、トシオは純粋な少年に育っていた。
虹の谷はまんまるい虹が出る谷だという。しかしそれは乾季の5月に出ない。この物語はしかし全て5月に起こったことしか扱っていない。よって上巻を読む限りではその虹は現れない。しかし私にはその虹がこのフィリピンの一地区の失われた「誇り」の様に思える。まるで知らない地域ではあるのだが、日本とは生活習慣も政治も違うのだが、だからこそ、少年の不正を許さない気持ち、エイズになった知りあいの女性へ村の男たちがしたことへの憤りがびしびしと伝わってくる。少年は誇り持った青年になるのか、ガルソボンガ地区は生まれ変わることが出来るのか、まんまるい虹を見ることは出来るのか、下巻に期待したい。
『虹の谷の五月』(下)船戸与一 集英社文庫 拝金主義にまみれているのは、何もフィリピン・セブ島だけではない。この間私が実際に旅してきたアジアの都市はみんなそうだ。いや、形こそ違え、日本がそうでないと誰が言えるだろう。この小説では拝金主義がむき出しの形で現れ、私たちの住む国ではそれが洗練された形で現れるだけなのかもしれない。『誇りを持て』たった15歳のジャンピーノ(トシオ・マナハン)は私たちにそう言っている。 これは過去の物語ではない。現代『世界』の物語だ。凄絶な殺し合いが続く下巻ではあったが、読後感は「希望」に満ち、なぜかさわやかだ。
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